記憶の宮殿

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【日刊 太宰治全小説】#272「グッド・バイ」怪力(二)

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【冒頭】

「あそびに来たのだけどね、」と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声(からすごえ)になり、「でも、出直して来てもいいんだよ。」

【結句】

)「なんだ、身の上話はつまらん。コップを貸してくれ。これから、ウイスキイとカラスミだ。うん、ピイナツもある。これは、君にあげる。」
 

「グッド・バイ 怪力(かいりき)(二)について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年5月27日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

怪力 (二)


「あそびに来たのだけどね、」と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声になり、「でも、また出直して来てもいいんだよ。」
「何か、こんたんがあるんだわ。むだには歩かないひとなんだから。」
「いや、きょうは、本当に、……」
「もっと、さっぱりなさいよ。あなた、少しニヤケ過ぎてよ。」
 それにしても、ひどい部屋だ。
 ここで、あのウイスキイを飲まなければならぬのか。ああ、もっと安いウイスキイを買って来るべきであった。
「ニヤケているんじゃない。キレイというものなんだ。君は、きょうはまた、きたな過ぎるじゃないか。」
 にがり切って言った。
「きょうはね、ちょっと重いものを背負ったから、少し疲れて、いままで昼寝をしていたの。ああ、そう、いいものがある。お部屋へあがったらどう? 割に安いのよ。」
 どうやら商売の話らしい。もうけ口なら、部屋の汚なさなど問題でない。田島は、靴を脱ぎ、畳の比較的無難なところを選んで、外套がいとうのままあぐらをかいて坐る。
「あなた、カラスミなんか、好きでしょう? 酒飲みだから。」
「大好物だ。ここにあるのかい? ごちそうになろう。」
「冗談じゃない。お出しなさい。」
 キヌ子は、おくめんも無く、右の手のひらを田島の鼻先に突き出す。
 田島は、うんざりしたように口をゆがめて、
「君のする事なす事を見ていると、まったく、人生がはかなくなるよ。その手は、ひっこめてくれ。カラスミなんて、要らねえや。あれは、馬が食うもんだ。」
「安くしてあげるったら、ばかねえ。おいしいのよ、本場ものだから。じたばたしないで、お出し。」
 からだをゆすって、手のひらを引込めそうも無い。
 不幸にして、田島は、カラスミが実に全く大好物、ウイスキイのさかなに、あれがあると、もう何も要らん。
「少し、もらおうか。」
 田島はいまいましそうに、キヌ子の手のひらに、大きい紙幣を三枚、載せてやる。
「もう四枚。」
 キヌ子は平然という。
 田島はおどろき、
「バカ野郎、いい加減にしろ。」
「ケチねえ、一ハラ気前よく買いなさい。鰹節かつおぶしを半分に切って買うみたい。ケチねえ。」
「よし、一ハラ買う。」
 さすが、ニヤケ男の田島も、ここに到って、しんから怒り、
「そら、一枚、二枚、三枚、四枚。これでいいだろう。手をひっこめろ。君みたいな恥知らずを産んだ親の顔が見たいや。」
「私も見たいわ。そうして、ぶってやりたいわ。捨てりゃ、ネギでも、しおれて枯れる、ってさ。」
「なんだ、身の上話はつまらん。コップを借してくれ。これから、ウイスキイとカラスミだ。うん、ピイナツもある。これは、君にあげる。」

 

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