記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#17「ロマネスク」仙術太郎(『晩年』)

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【冒頭】
むかし津軽の国、神梛木村(かなぎむら)鍬形惣助(くわがたそうすけ)という庄屋がいた。四十九歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生れるとすぐ大きいあくびをした。

【結句】
ちなみに太郎の仙術の奥義は、懐手(ふところで)して柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむことにあったという。

 

「ロマネスク 仙術太郎(せんじゅつたろう)」について

新潮文庫『晩年』所収。
・昭和9年8月末頃に脱稿。
・昭和9年12月1日、文藝同人誌『青い花』創刊号に発表。


晩年 (新潮文庫)

 

 全文掲載(「青空文庫」)

    むかし津軽の国、神梛木かなぎ村に鍬形惣助くわがたそうすけという庄屋がいた。四十九歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生れるとすぐ大きいあくびをした。惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚しんせきの者たちへ肩身のせまい思いをした。惣助の懸念けねんはそろそろと的中しはじめた。太郎は母者人ははじゃひとの乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、母者人のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま乳房の口への接触をいつまででも待っていた。張子はりこの虎をあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈そうに眺めているだけであった。朝、眼をさましてからもあわてて寝床からい出すようなことはなく、二時間ほどは眼をつぶって眠ったふりをしているのである。かるがるしきからだの仕草をきらう精神を持っていたのであった。三歳のとき、鳥渡ちょっとした事件を起し、その事件のお蔭で鍬形太郎の名前が村のひとたちのあいだに少しひろまった。それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件であった。太郎がどこまでも歩いたのである。
 春のはじめのことであった。夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。
 満月が太郎のすぐ額のうえに浮んでいた。満月の輪廓りんかくはにじんでいた。めだかの模様の襦袢じゅばん慈姑くわいの模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞ばふんだらけの砂利道じゃりみちを東へ歩いた。ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。
 あくる朝、村は騒動であった。三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山ゆながれやまの、林檎畑りんごばたけのまんまんなかでこともなげに寝込んでいたからであった。湯流山は氷のかけらが溶けかけているような形で、みねには三つのなだらかな起伏があり西端は流れたようにゆるやかな傾斜をなしていた。百メートルくらいの高さであった。太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。いや、太郎がひとりで登っていったにちがいないのだ。けれどもなぜ登っていったのかその訳がわからなかった。
 発見者であるわらび取りの娘の手籠てかごにいれられ、ゆられゆられしながら太郎は村へ帰って来た。手籠のなかをのぞいてみた村のひとたちは皆、眉のあいだに黒い油ぎったしわをよせて、天狗てんぐ、天狗とうなずき合った。惣助はわが子の無事である姿を見て、これは、これは、と言った。困ったとも言えなかったし、よかったとも言えなかった。母者人はそんなに取り乱していなかった。太郎を抱きあげ、わらび取りの娘の手籠には太郎のかわりに手拭地を一たんいれてやって、それから土間へ大きなたらいを持ち出しお湯をなみなみといれ、太郎のからだを静かに洗った。太郎のからだはちっとも汚れていなかった。丸々と白くふとっていた。惣助は盥のまわりをはげしくうろついて歩き、とうとう盥に蹴躓けつまずいて盥のお湯を土間いちめんにおびただしくぶちまけ母者人に叱られた。惣助はそれでも盥の傍から離れず母者人の肩越しに太郎の顔をのぞき、太郎、なに見た、太郎、なに見た、と言いつづけた。太郎はあくびをいくつもいくつもしてからタアナカムダアチイナエエというかたことを叫んだ。
 惣助は夜、寝てからやっとこのかたことの意味をさとった。たみのかまどはにぎわいにけり。発見! 惣助は寝たままぴしゃっと膝頭ひざがしらを打とうとしたが、重い掛蒲団かけぶとんに邪魔され、へそのあたりを打って痛い思いをした。惣助は考える。庄屋のせがれは庄屋の親だわ。三歳にしてもうはや民のかまどに心をつかう。あら有難の光明や。この子は湯流山のいただきから神梛木村の朝の景色を見おろしたにちがいない。そのとき家々のかまどから立ちのぼる煙は、ほやほやとにぎわっていたとな。あら殊勝しゅしょうの超世の本願や。この子はなんと授かりものじゃ。御大切にしなければ。惣助はそっと起きあがり、腕をのばして隣りの床にひとりで寝ている太郎の掛蒲団をていねいに直してやった。それからもっと腕をのばしてそのまた隣りの床に寝ている母者人の掛蒲団を少しばかり乱暴に直してやった。母者人は寝相がわるかった。惣助は母者人の寝相を見ないようにして、わざと顔をきつくそむけながらつぶやいた。これは太郎の産みの親じゃ。御大切にしなければ。
 太郎の予言は当った。そのとしの春には村のことごとくの林檎畑にすばらしく大きい薄紅の花が咲きそろい、十里はなれた御城下町にまで匂いを送った。秋にはもっとよいことが起った。林檎の果実が手毬てまりくらいに大きく珊瑚さんごくらいに赤く、きりの実みたいに鈴成りに成ったのである。こころみにそのひとつをちぎりとり歯にあてると、果実の肉がはち切れるほど水気を持っていることとて歯をあてたとたんにぽんと音高く割れ冷い水がほとばしり出て鼻から頬までびしょれにしてしまうほどであった。あくるとしの元旦には、もっとめでたいことが起った。千羽の鶴が東の空から飛来し、村のひとたちが、あれよ、あれよと口々に騒ぎたてているまに、千羽の鶴は元旦の青空の中をゆったりと泳ぎまわりやがて西のかたに飛び去った。そのとしの秋にもまた稲の穂に穂がみのり林檎も前年に負けずに枝のたおたおするほどかたまって結実したのである。村はうるおいはじめた。惣助は予言者としての太郎の能力をしかと信じた。けれどもそれを村のひとたちに言いふらしてあるくことは控えていた。それは親馬鹿という嘲笑を得たくない心からであろうか。ひょっとすると何かもっと軽はずみな、ひともうけしようという下心からであったかも知れぬ。
 幼いころの神童は、二三年してようやく邪道におちた。いつしか太郎は、村のひとたちからなまけものという名前をつけられていた。惣助もそう言われるのを仕方がないと思いはじめたのである。太郎は六歳になっても七歳になってもほかの子供たちのように野原や田圃たんぼや河原へ出て遊ぼうとはしなかった。夏ならば、部屋の窓べりに頬杖ついて外の景色を眺めていた。冬ならば、炉辺に坐って燃えあがる焚火たきびほのおを眺めていた。なぞなぞが好きであった。或る冬の夜、太郎は炉辺に行儀わるく寝そべりながら、かたわらの惣助の顔を薄目つかって見あげ、ゆっくりした口調でなぞなぞを掛けた。水のなかにはいっても濡れないものはなんじゃろ。惣助は首を三度ほど振って考えて、判らぬの、と答えた。太郎はものうそうに眼をかるくとじてから教えた。影じゃがのう。惣助はいよいよ太郎をいまいましく思いはじめた。これは馬鹿ではないか。阿呆なのにちがいない。村のひとたちの言うように、やっぱしただのなまけものじゃったわ。
 太郎が十歳になったとしの秋、村は大洪水に襲われた。村の北端をゆるゆると流れていた三間ほどの幅の神梛木川が、ひとつき続いた雨のために怒りだしたのである。水源の濁り水は大渦小渦を巻きながらそろそろふくれあがって六本の支流を合せてたちまち太り、身を躍らせて山を韋駄天いだてんばしりに駈け下りみちみち何百本もの材木をかっさらい川岸のかしもみ白楊はこやなぎの大木を根こそぎ抜き取り押し流し、ふもとの淵でよどんで澱んでそれから一挙に村の橋に突きあたって平気でそれをぶちこわし土手を破って大海のようにひろがり、家々の土台石をぶたを泳がせ刈りとったばかりの一万にあまる稲坊主を浮かせてだぶりだぶりと浪打った。それから五日目に雨がやんで、十日目にようやく水がひきはじめ、二十日目ころには神梛木川は三間ほどの幅で村の北端をゆるゆると流れていた。
 村のひとたちは毎夜毎夜あちこちの家にひとかたまりずつになって相談し合った。相談の結論はいつも同じであった。おらは餓え死したくねえじゃ。その結論はいつも相談の出発点になった。村のひとたちはあくる夜また同じ相談をはじめなければいけなかった。そうしてまたまた餓え死したくねえという結論を得て散会した。翌る夜は更に相談をし合った。そうして結論は同じであった。相談は果つるところなかったのである。村が乱れて義民があらわれた。十歳の太郎が或る日、両腕で頭をかかえこみ溜息をついている父親の惣助にむかって、意見を述べた。これは簡単に解決がつくと思う。お城へ行ってじきじき殿様へ救済をお願いすればいいのじゃ。おれが行く。惣助は、やあ、と突拍子もない歓声をあげた。それからすぐ、これはかるはずみなことをしたと気づいたらしく一旦ほどきかけた両手をまた頭のうしろに組み合せてしかめつらをして見せた。お前は子供だからそう簡単に考えるけれども、大人はそうは考えない。直訴じきそはまかりまちがえば命とりじゃ。めっそうもないこと。やめろ。やめろ。その夜、太郎はふところ手してぶらっと外へ出て、そのまますたすたと御城下町へ急いだ。誰も知らなかった。
 直訴は成功した。太郎の運がよかったからである。命をとられなかったばかりかごほうびをさえもらった。ときの殿様が法律をきれいに忘れていたからでもあろう。村はおかげで全滅をのがれ、あくる年からまたうるおいはじめたのである。
 村のひとたちは、それでも二三年のあいだは太郎をほめていた。二三年がすぎると忘れてしまった。庄屋の阿呆様とは太郎の名前であった。太郎は毎日のように蔵の中にはいって惣助の蔵書を手当り次第に読んでいた。ときどきしからぬ絵本を見つけた。それでも平気な顔して読んでいった。
 そのうちに仙術の本を見つけたのである。これを最も熱心に読みふけった。縦横十文字に読みふけった。蔵の中で一年ほども修行して、ようやく鼠とわしへびになる法を覚えこんだ。鼠になって蔵の中をかけめぐり、ときどき立ちどまってちゅうちゅうと鳴いてみた。鷲になって、蔵の窓から翼をひろげて飛びあがり、心ゆくまで大空を逍遥しょうようした。蛇になって、蔵の床下にしのびいり蜘蛛くもの巣をさけながら、ひやひやした日蔭の草を腹のうろこで踏みわけ踏みわけして歩いてみた。ほどなく、かまきりになる法をも体得したけれど、これはただその姿になるだけのことであって、べつだん面白くもなんともなかった。
 惣助はもはやわが子に絶望していた。それでも負け惜みしてこう母者人に告げたのである。な、余りできすぎたのじゃよ。太郎は十六歳で恋をした。相手は隣りの油屋の娘で、笛を吹くのが上手であった。太郎は蔵の中で鼠や蛇のすがたをしたままその笛の音を聞くことを好んだ。あわれ、あの娘にれられたいものじゃ。津軽いちばんのよい男になりたいものじゃ。太郎はおのれの仙術でもって、よい男になるようになるように念じはじめた。十日目にその念願を成就じょうじゅすることができたのである。
 太郎は鏡の中をおそるおそる覗いてみて、おどろいた。色が抜けるように白く、頬はしもぶくれでもち肌であった。眼はあくまでも細く、口鬚くちひげがたらりと生えていた。天平時代の仏像の顔であって、しかも股間逸物いちもつまで古風にだらりとふやけていたのである。太郎は落胆した。仙術の本が古すぎたのであった。天平のころの本であったのである。このような有様では詮ないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうとしたのだが駄目であった。おのれひとりの慾望から好き勝手な法を行った場合には、よかれあしかれ身体にくっついてしまって、どうしようもなくなるものだ。太郎は三日も四日も空しい努力をして五日目にあきらめた。このような古風な顔では、どうせ女には好かれまいが、けれども世の中には物好きが居らぬものでもあるまい。仙術の法力を失った太郎は、しもぶくれの顔に口鬚をたらりと生やしたままで蔵から出て来た。
 あいた口のふさがらずにいる両親へ一ぶしじゅうの訳をあかし、ようやく納得させてその口を閉じさせた。このようなあさましい姿では所詮、村にも居られませぬ。旅に出ます。そう書き置きをしたためて、その夜、飄然ひょうぜんと家を出た。満月が浮んでいた。満月の輪廓は少しにじんでいた。空模様のせいではなかった。太郎の眼のせいであった。ふらりふらり歩きながら太郎は美男というものの不思議を考えた。むかしむかしのよい男が、どうしていまでは間抜けているのだろう。そんなはずはないのじゃがのう。これはこれでよいのじゃないか。けれどもこのなぞなぞはむずかしく、隣村の森を通り抜けても御城下町へたどりついても、また津軽の国ざかいを過ぎてもなかなかに解決がつかないのであった。
 ちなみに太郎の仙術の奥義おうぎは、懐手ふところでして柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむことにあったという。

 

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