記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#134「正義と微笑」六

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【冒頭】

四月二十九日。土曜日。

日本晴れ。今日は天長節である。兄さんも僕も、きょうは早く起きた。静かな、いいお天気である。兄さんの説に依ると、昔から、天長節は必ずこんなに天気がいい事にきまっているのだそうである。僕はそれを、単純に信じたいと思った。

【結句】

夜は、兄さんに引っぱられて、ムーランルージュを見に行った。つまらなかった。少しも可笑しくなかった。

 

「正義と微笑」について

新潮文庫パンドラの匣』所収。

・昭和17年3月19日に脱稿。

・昭和17年6月10日、書下し中篇小説『正義と微笑』を「新日本文藝」叢書の一冊として錦城出版社から刊行。

パンドラの匣 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)      

 四月二十九日。土曜日。
 日本晴れ。きょうは天長節である。兄さんも僕も、きょうは早く起きた。静かな、いいお天気である。兄さんの説にると、昔から、天長節は必ずこんなに天気がいい事にきまっているのだそうである。僕はそれを、単純に信じたいと思った。
 十一時頃一緒に家を出て、途中、銀座に寄って、姉さんの結婚一周年記念のお祝い品を買った。兄さんはグラスのセット。下谷したやへ遊びに行った時、このグラスで鈴岡さんと葡萄酒ぶどうしゅを飲もうという下心。僕は、上等のトランプ一組。下谷へ遊びに行った時、姉さんと俊雄君と三人で此のトランプで遊ぼうという下心。どちらも、自分がこれから下谷へ行っても、充分に楽しめるように計画して買うのだから、ちゃっかりしている。グラスもトランプも、店から直接に下谷へ送ってもらうように手筈てはずした。
 昼御飯をオリンピックで食べて、それから本郷ほんごうの津田さんを訪れた。僕は、中学へはいったとしの春に、いちど兄さんに連れられて、津田さんのおうちへ遊びに行った事がある。その時、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしりなので驚いた。
「これを、みんなお読みになったの?」と僕が無遠慮に尋ねたら、津田さんは笑って、
「とても読めるもんじゃないよ。でもこうして並べて置くと、必ず読む時が来るものだ。」と明快に答えたのを、記憶している。
 津田さんは在宅だった。相変らず、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしり。少しも変っていない。津田さんも、四年前とおなじだ。もう五十ちかい筈なのに、少しもけた気配が無い。相変らず、甲高い声で、よくしゃべって、よく笑う。
「大きくなったね。男っぷりもよくなった。R大? 高石君は元気かね。」高石というのは、R大の英語の講師である。
「ええ、いま僕たちに、サムエル・バトラのエレホンを教えているんですけど、なんだか、煮え切らない人ですね。」と僕が思ったままを言ったら、津田さんは眼を丸くして、
「口が悪いね。いまからそんなんじゃ、末が思いやられるね。毎日兄さんと二人で、僕たちの悪口を言ってるんだろう。」
「まあ、そんなところです。」と兄さんは笑いながら言って、「弟は、はじめから、R大を卒業する気はないらしいんです。」
「君の悪影響だよ、それは。何も君、弟さんまで君の道づれにしなくたって、いいじゃないか。」津田さんも笑いながら言っているのである。
「ええ、全く僕の責任なんです。役者になりたいって言うんですが、――」
「役者? 思い切ったもんだねえ。まさか、活動役者じゃないだろうね。」
 僕は、うつむいて二人の会話を拝聴していた。
「映画です。」と兄さんは、あっさり言った。
「映画?」津田さんは奇声を発した。「それぁ君、問題だぜ。」
「僕もずいぶん考えたんですけど、弟は、ひどく苦しくなると、きまって、映画俳優になろうと決心するらしいんです。子供の事ですから、そこに筋道立った理由なんか無いのですが、それだけ宿命的なものがあるんじゃないかと僕は思ったんです。気持の楽な時、うっとり映画俳優をあこがれるなんてのは、話になりませんけど、いのちの瀬戸際せとぎわになると、ふっと映画俳優を考えつくらしいのですが、僕は、それを神の声のように思っているのです。そいつを信じたいような気がするんです。」
「そう言ったって君、親戚しんせきや何かの反対もあるだろうし、とにかく問題だねえ、それは。」
「親戚の反対やなんかは、僕がひき受けます。僕だって、学校は中途でよしてしまうし、それに小説家志願と来ているんですから、もう親戚の反対にはれたものです。」
「君が平気だって、弟さんが、――」
「僕だって平気です。」と僕は口をはさんだ。
「そうかねえ。」と津田さんは苦笑して、「たいへんな兄弟もあったものだ。」
「どうでしょうか。」兄さんは、かまわず、どしどし話をすすめる。「演劇のいい先生が無いでしょうか。やっぱり、五、六年は基本的な勉強をしなければいけないと思いますし、――」
「それはそうだ。」津田さんは、急に勢いづいて、「勉強しなけれぁいかん。勉強しなけれぁ。」
「だから、いい先生を紹介して下さい。斎藤市蔵氏は、どうでしょうか。弟も、あの人を尊敬しているようですし、僕もやはりあんなクラシックの人がいいと思うんですけど、――」
「斎藤さんか?」津田さんは首をかしげた。
「いけませんか。津田さんは、斎藤市蔵氏とはお親しいんでしょう?」
「親しいってわけじゃないけど、なにせ僕たちの大学時代からの先生だ。でも、いまの若い人たちには、どうかな? それは紹介してあげてもいいよ、だけど、それからどうするんだ。斎藤さんの内弟子にでもはいるのかね。」
「まさか。まあ、演劇するものの覚悟などを、時たま拝聴に行く程度だろうと思いますけど、まず、どの劇団がいいか、そんな事も伺いたいのでしょう。」
「劇団? 映画俳優じゃないのかね。」
「映画俳優は、サンボルですよ。それの現実にこだわっているわけじゃないんです。とにかく日本一、いや、世界一の役者になりたいんですよ。」兄さんは、僕の気持をそのまま、すらすら言ってくれる。僕には、とてもこんなに正確に言えない。「だからまず、斎藤氏の意見なども聞いて、いい劇団へはいって五年でも十年でも演技をみがきたいという覚悟なのです。あとは映画に出ようが、歌舞伎かぶきに出ようが、問題ではないわけです。」
「ばかに手まわしがいいね。あながち、春の一夜の空想でもないわけなんだね?」
「冗談じゃない。僕が失敗しても、弟だけは成功させたいと思っているんです。」
「いや、二人とも成功しなければいかん。とにかく勉強だ。」と大声で言って、「君たちは、いまのところ暮しの心配もないようだから、まあ気長にみっちりやるんだね。めぐまれた環境を無駄むだにしてはいかん。だけど、役者とは、おどろいたなあ。とに角それじゃ斎藤さんに、紹介の手紙を書きましょう。持って行ってみなさい。頑固がんこな人だからね、玄関払いを食うかも知れんぞ。」
「その時には、また、もう一度、津田さんに紹介状を書いていただきます。」兄さんは、すまして言う。
「芹川も、いつのまにやら図々ずうずうしくなってしまいやがった。この図々しさが、作品にも、少し出るといいんだがねえ。」
 兄さんは、急にしょげた。
「僕も十年計画で、やり直すつもりです。」
「一生だ。一生の修業だよ。このごろ作品を書いているかね?」
「はあ、どうもむずかしくて。」
「書いていないようだね。」津田さんは溜息ためいきをついた。「君は、日常生活のプライドにこだわりすぎていけない。」
 冗談を言い合っていても、作品の話になると、流石さすがにきびしい雰囲気ふんいきが四辺に感ぜられた。本当にい師弟だと思った。紹介状を書いていただいて、おいとまする時、津田さんが、玄関まで見送って来られて、
「四十になっても五十になっても、くるしさに増減は無いね。」とひとりごとのようにつぶやいた言葉が、どきんと胸にこたえた。
 作家も、津田さんくらいになると、やっぱり違ったところがあると思った。
 本郷の街を歩きながら、兄さんは、
「どうも本郷は憂鬱ゆううつだね。僕みたいに、帝大を中途でよした者には、この大学の建物たてものは恐怖の的だ。何だかこっちが、卑屈になってやり切れない。犯罪者みたいな気がして来るんだ。上野へでも行ってみるか。本郷は、もうたくさんだ。」と言って淋しそうに笑った。津田さんから、ちょっとお説教されたので、なおいっそう淋しいのかも知れない。
 僕たちは上野へ出て、牛鍋ぎゅうなべをたべた。兄さんは、ビールを飲んだ。僕にも少し飲ませた。
「でもまあ、よかった。」兄さんは、だんだん元気になって来て、「僕もきょうは、一生懸命だったんだぜ。とうとう津田さんも、紹介状を書いてくれたんだから、大成功だ。津田さんは、あれでなかなか、つむじ曲りのところがあってね、ちょっと気持にひっかかるものが出来ると、もうだめなんだ。こんりんざい、だめだね。ちっとも油断が出来ないんだ。きょうは、よかった。不思議にすらすら行ったね。進の態度がよかったのかな? 津田さんは、あんな冗談ばかり言ってるけど、ずいぶん鋭く人を観察しているからね。うしろにも目がついているみたいだ。進はまあ、どうやら及第したんだね。」
 僕は、にやにや笑った。
「安心するのは、まだ早いぞ。」兄さんは、少し酔ったようだ。声が必要以上に高くなった。「これから斎藤氏という難関もある。なかなかの頑固者らしいじゃないか。津田さんも、ちょっと首をかしげていたね? まあ、誠実をもってあたってみるさ。紹介状、持ってるだろう? ちょっと見せてくれ。」
「見てもいいの?」
「かまわない。紹介状というものはね、持参の当人が見てもかまわないように、わざと封をしていないものなんだ。ほら、そうだろう? 一応こっちでも眼をとおして置いたほうがいいんだよ。読んでみよう。いや、これぁ、ひどいなあ。簡単すぎるよ。こんな程度で大丈夫なのかなあ。」
 僕も読んでみた。ばかに簡単である。友人、芹川進君を紹介します、先生の御指南を得たいよしにて云々うんぬんという大まかな文章である。具体的な事柄ことがらには一つも触れていない。
「これでいいのかしら。」僕は、心細くなって来た。前途が、急に暗くなったような気がして来た。
「いいんだろうよ。」兄さんにも、自信が無いらしい。「でも、ここに、友人、芹川進君と書いてあるが、この、友人、というところが泣かせどころなのかも知れない。」いい加減な事ばかり言っている。
「ごはんにしようか。」僕は、しょげてしまった。
「そうしよう。」兄さんも興覚め顔である。
 それからは、あまり話もはずまなかった。
 その店から出た頃は、もう日も暮れていた。兄さんは、すぐちかくの鈴岡さんの家へちょっと寄って行こうと言うのだが、僕は、明日すぐ斎藤氏を訪れてみるつもりなんだから、斎藤氏に試問されてもまごつかないように、きょうは早く家へ帰って、演劇の本をあれこれ読んで置きたかったので、結局は兄さんひとり、下谷の家へ行く事になって、僕は広小路ひろこうじでわかれて麹町へ帰った。
 今は、夜の十時である。兄さんは、まだ帰らない。下谷で鈴岡さんと飲んでいるのかも知れない。兄さんも、この頃は、すっかり酒飲みになってしまった。小説もあまり書かない。けれども、僕は兄さんをあくまでも信じている。いまに、きっと素晴らしい傑作を書くだろう。とにかく、ただものでないんだから。
 さっきから僕は、斎藤氏の自叙伝「芝居街道五十年」を机の上にひろげているのだが、一ペエジもすすまない。いろんな空想で、ただ胸が、わくわくしているのである。へんに、不愉快なほどの緊張だ。これから、いよいよ現実生活との取っ組合いがはじまるのだ。男一匹が、雄々しく闘って行く姿! もう胸が一ぱいになってしまう。あすの会見は、うまく行くかしら。こんどは僕ひとりで行くのだ。だれの助力もない。あんな簡単な紹介状では、たいした効果も期待できない。結局、僕ひとり、誠実を披瀝ひれきして、僕の希望を述べなければならぬ。ああ心配だ。神さま、僕を守って下さい。玄関払いなどされないように。斎藤氏って、どんなじいさんだろう。案外、好々爺こうこうやで、おうよく来たね、と目を細めて、いやいや、そんな筈はない。甘く考えてはいけない。いやしくも日本一の劇作家だ。きっと、眼がらんらんと光り、腕力なども強いだろう。でも、まさか殴りゃしないだろう。もし殴ったら、僕だって承知しない。猛然と反撃を加えてやる。すると彼は、小僧でかした、その意気じゃ、と言って入門をゆるすという事になる。そんな映画を見た事があった。あれは、宮本武蔵みやもとむさしの映画だったかな? ああ、空想ははてしない。とにかくあすの会見の次第に依っては、僕の生涯しょうがいの恩師が確定されるかも知れないのだ。実に、重大な日である。今夜は僕は、どうしたらいいのだろう。本を読もうと思っても一ペエジも一行も、頭にはいらない。寝よう。それが一ばんいいようだ。寝不足の顔で出かけて行って、第一印象を悪くしては損である。でも、とても眠れそうにもない。外では、工夫こうふの夜業がはじまった。考えてみれば、夜の十時から朝の六時頃まで、毎日のようにやっている。約八時間の激しい労働である。エッサエッサと掛け声をかけてやっている。何をしているのだろう。マンホールからガス管でも、ひっぱり出しているのだろうか。あの掛け声は、兄さんの説に依れば、工夫自身の、ねむけざましになっているんだそうだ。そう思って聞くと、あの掛け声も、ひどく哀れに聞えて来る。いくらもらっているのかしら?
 聖書を読みたくなって来た。こんな、たまらなく、いらいらしている時には、聖書に限るようである。他の本が、みな無味乾燥でひとつも頭にはいって来ない時でも、聖書の言葉だけは、胸にひびく。本当に、たいしたものだ。
 いま聖書を取り出して、パッとひらいたら、次のような語句が眼にはいった。
「我は復活よみがえりなり、生命いのちなり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。およそ生きて我を信ずる者は、永遠とこしえに死なざるべし。なんじこれを信ずるか。」
 忘れていた。僕は信ずる事が薄かった。何もかも、おまかせして、今夜は寝よう。僕はこのごろお祈りをさえ怠っていた。
 御意みこころの天のごとく、地にも行われん事を。


 四月三十日。日曜日。
 晴れ。朝十時、兄さんに門口まで見送られて、出発した。握手したかったのだけれど、大袈裟おおげさみたいだから、がまんした。一高を受ける時も、R大を受ける時も、こんなに緊張していなかった。R大の時など、その朝になって、はじめてはっと気附きづいて、あわてて出発したくらいであった。
 人生の首途かどで。けさは、本当にそんな気がした。途中、電車の中で、なんども涙ぐんだ。そうして昼ごろ、ぼんやり家へ帰って来た。なんだか、へとへとに疲れた。
 芝の斎藤氏邸は、森閑としていた。平家ひらやの奥深そうな家であった。玄関のベルを、なんど押しても、森閑としている。猛犬でも出て来るんじゃないかと、びくびくしていたが、犬ころ一匹出て来る気配さえ無い。まごまごしていたら、庭の枝折戸しおりどから、
「ま! おどろいた。」と言って真赤な帯をしめた少女があらわれた。女中のようでもないし、まさか令嬢でもないだろう。気品が足りない。
「先生は御在宅ですか。」
「さあ。」あいまいな返事である。ただ、にこにこ笑っている。少しはすだけど、感じはそんなに悪くない。親戚しんせきの娘さん、とでもいったところかも知れない。
「紹介状を持って来ましたけど。」
「そうですか。」娘さんは素直に紹介状を受け取った。「少しお待ち下さい。」
 まずよし、と僕は、ほくそ笑んだ。それからがいけなかった。しばらくして娘さんが、また庭のほうからやって来て、
「ご用は、なんでしょうか。」
 これには困った。簡単には言えない。まさか紹介状の文句のとおりに、「御指南を受けに来ました。」とも言えない。それでは、まるで剣客みたいだ。もじもじしているうちに、カッと癇癪かんしゃくが起って来た。
「いったい先生は、いらっしゃるのですか。」
「いらっしゃいます。」にこにこ笑っている。たしかに僕を馬鹿にしているようである。あまく見ている。
「紹介状をごらんにいれましたか。」
「いいえ。」けろりとしている。
「なあんだ。」僕は、この家全体を侮辱してやりたいような気がした。
「お仕事中ですの。」いやに子供っぽい口調で言う。舌が短いのではないかと思った。ひょいと首をかしげて、「またいらっしゃいません?」
 ていのいい玄関払いだ。その手に乗ってたまるものか。
「いつごろ、おひまになりますか。」
「さあ、二、三日たったら、どうでしょうかしら。」すこしも要領を得ない。
「それでは、」僕は胸を張って言った。「五月三日の今ごろ、またお伺い致します。その時は、よろしくお願いします。」っと少女をにらんでやった。
「はあ。」と、たより無い返事をして、やはり笑っている。狂女ではなかろうかと、ふと思った。
 要するに、一つとして収穫が無かった。僕は、ぼんやりした顔をして家へかえった。なんだか、ひどく疲れて、兄さんに報告するのも面倒くさくてかなわなかった。兄さんは、いちいちこまかいところまで、僕に尋ねる。
「その女は何者かというのが、問題だ。いくつくらいだったね? 綺麗きれいなひとかい?」
「わからんよ僕には。狂女じゃないかと思うんだけど。」
「まさか。それはね、やっぱり女中さんだよ。秘書を兼ねたる女中、というところだ。女学校は卒業してるね。だからもう、十九、いや二十はたちを越えてるかも知れん。」
「こんど、兄さんが行ったらいい。」
「場合に依っては、僕が行かなくちゃならないかも知れないが、まだ、その必要は無いようだ。お前は、そんなにしょげてるけど、きょうは、ちっとも失敗じゃなかったんだよ。お前にしては大出来だ。五月三日にまた来る、とはっきり言って来ただけでも大成功だよ。その女のひとは、お前に好意を持っているらしい。」
 僕は、噴き出した。
「いや本当さ。」兄さんは真面目まじめである。「ふつうの玄関払いとは性質が、ちがうようだ。脈があるよ。お仕事中は面会謝絶ときまっているんだけど、特にお前のために、どうにかして取りついであげようと思ったんだが、奥さんか誰かに邪魔されて、それが出来なかったんだな。」兄さんの解釈は、どうも甘い。「きっとそうだよ。だからこんどはお前も、その女のひとを、にらんだりなんかしないで、も少しあいそよくしてあげるんだね。ちゃんとお辞儀をしてね。」
「しまった! きょうは帽子もとらない。」
「そうだろ。帽子もぬがずに、ただ、はったとにらんでいたんじゃ、ふつうだったら、まず交番に引渡されるところだ。その女のひとに理解があったから、たすかったのだ。来月の三日には、しっかりやるさ。」
 けれども僕は絶望している。芸術の道にも、普通のサラリイマンの苦労と、ちっとも違わぬ俗な苦労も要るだろうという事は、まえから覚悟していたところで、それくらいの事には、へこたれはせぬけれど、僕がきょう斎藤氏邸からの帰り道、つくづく僕自身の無名、矮小わいしょうを思い知らされて、いやになったのだ。斎藤氏と僕、あまりにも違いすぎていたのだ。こんなに、雲と雑草ほどの距離があるとは、気がつかなかったのだ。やあ、と声を掛ければ、やあ、と答えてくれそうな気がしていたのだ。なんたる無邪気さであろう。きょうは全く、あの人と僕たちとは、人種がまるで、別なのではないかというような気がしたのである。努めて及ばぬ事やある、という言葉もあるけど、どんなに努めても及ばぬ事も、この世にはあるのではあるまいかと思って、うんざりしてしまったのだ。「日本一」の理想が、ふっ飛んじゃった。偉くなろうという努力が、ばからしいものに見えて来た。僕には、斎藤氏のように、あんな堂々たる牙城がじょうは、とても作れそうもないんだ。
 夜は、兄さんに引っぱられて、ムーランルージュを見に行った。つまらなかった。少しも可笑おかしくなかった。

 

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