記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#192「瘤取り」(『お伽草紙』)

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【冒頭】

このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでいたのである。というような気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。

【結句】

性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。 

 

「瘤取り」(『お伽草紙』)について

新潮文庫お伽草紙』所収。
・昭和19年6月末に脱稿。
・昭和20年10月25日、筑摩書房から刊行の『お伽草紙』に収載。

お伽草紙 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より) 

前書き


「あ、鳴つた。」
 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を脊負つて壕の奧にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不滿さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危險がある。」
「でも、もすこし廣くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は繪本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に讀んで聞かせる。
 この父は服裝もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元來ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を體得してゐる男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、の拔けたやうな妙な聲で繪本を讀んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88)釀せられてゐるのである。

瘤取り

 

ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四國の阿波、劍山のふもとに住んでゐたのである。といふやうな氣がするだけの事で、別に典據があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から發してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事實がちやんと記載せられているし、また萬葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙傳などといふものに依つても、それらしいものが傳へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戲曲があるし、逍遙などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能樂、歌舞伎、藝者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、讀んだ本をすぐ人にやつたり、また賣り拂つたりする癖があるので、藏書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし讀んだ筈の本を搜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一册の繪本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考證はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出來上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて、繪本を讀みながら、その繪本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飮みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤獨なものである。孤獨だから酒を飮むのか、酒を飮むから家の者たちにきらはれて自然に孤獨の形になるのか、それはおそらく、兩の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顏をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に惡い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。櫻が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辭をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
 お爺さんは浮かぬ顏になる。
 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飮まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ默々と野良仕事、近所近邊の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず髯を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、實に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ氣持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飮まざるを得ないやうな氣持になるのである。しかし、うちで飮んでは、いつそう浮かぬ氣持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飮んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、默つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し醉つて來ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も來た。」
 言はなくたつていい事である。
 お婆さんも息子も、默つてゐる。
「春宵一刻、價千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一禮して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
 うちでお酒を飮むと、たいていそんな工合ひである。

アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ

 このお爺さんの樂しみは、お天氣のよい日、腰に一瓢をさげて、劍山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飮む。實に、樂しさうな顏をしてゐる。うちにゐる時とは別人の觀がある。ただ變らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出來た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覺めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に對して何の關心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出來たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本當に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤獨を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顏を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飮んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飮みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく醉ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの惡口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。

ニハカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、劍山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異變も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも惡くないわい。」
 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも。ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を脊負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獸で大混雜である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奧に進み、山櫻の大木の根もとが廣いうろになつてゐるのに潛り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寢てしまつた。酒飮みといふものは醉つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オヂイサン
イツカ グツスリ ネムリマス
ヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。淺みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木のうろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顏と、おごそかな聖人の顏で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく歸つたのでは、どうも氣まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飮みほして、ほろりと醉ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木のうろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである。
 見よ。林の奧の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その繪姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて來たが、その實物に面接するの光榮には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。殺人鬼、吸血鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜惡の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜惡の才能を持つてゐるといふ事實を暴露し、以て世人に警告を發するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文學の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失禮千萬の醜惡な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の稱號を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鐵の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの藝術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文學の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狹いゆゑであつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辭典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博學の士に一變して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顏をして、鬼に就いて縷々千萬言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の繪本が一册ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの繪本の繪に依つて、論斷せざるを得ないのである。
 見よ。林の奧の、やや廣い草原に、異形の物が十數人、と言ふのか、十數匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、圓陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飮みといふものは、お酒を飮んでゐない時には意氣地が無くてからきし駄目でも、醉つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ醉ひである。かの嚴肅なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異樣の風景に接して、腰を拔かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「氣持よささうに、醉つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奧底から、妙なよろこばしさが湧いて出て來た。お酒飮みといふものは、よそのものたちが醉つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覺えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに對して乾盃を擧げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も醉ひたいが、隣人もまた、共に樂しく醉つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覺してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく醉つてゐる。お爺さんも醉つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異樣の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、殺人鬼、吸血鬼などの如く、佞惡の性質を有してゐる種族のものでは無く、顏こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽氣で無邪氣な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、劍山の隱者とでも稱すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鐵棒などといふ物騷なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない證據と言つてよい。しかし、隱者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この劍山の隱者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奧に住んでゐる人を仙人と稱してよろしいといふ、ひどく簡明の學説を聞いた事があるけれども、かりにその學説に從ふなら、この劍山の隱者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊稱を贈呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隱者または仙人と呼稱するはうが妥當のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有樣を見るに、ただ意味も無く奇聲を發し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして圓陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、藝の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文學の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを證明できるやうに思はれる。こんな愚かな藝無しどもが、もろもろの藝術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。

ヲドリノ スキナ オヂイサン
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ ヲカシイ オモシロイ

 お爺さんには、ほろ醉ひの勇氣がある。なほその上、鬼どもに對し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、圓陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田で年寄りやかつらぢや
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか來い來い

 とかいふ阿波の俗謠をいい聲で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な聲を發し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乘つて、

大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と聲をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ輕妙に踊り拔く。

オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシ
ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小聲で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ寶物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて來るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奧に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覺え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歡聲を擧げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤獨のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、輕くなつた頬が朝風に撫でられるのも、惡い氣持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけがとく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて來たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて莊重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、氣附かぬ振りして默つて別れたのである。
 家に歸るとお婆さんは、
「お歸りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出來事を知らせてやりたくて仕樣が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に壓倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本當に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて來た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋沒させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇觀を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。體躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服裝だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら學問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飮みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊稱を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として樂しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽつちやりして、少し蓮葉なくらゐいつも陽氣に笑つてはしやいでゐる。十二、三の娘がひとりあつて、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意氣の傾向がある。でも、この母と娘は氣が合つて、いつも何かと笑ひ騷ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦蟲を噛みつぶしたやうな表情にもかかはらず、まづ明るい印象を人に與へる。
「お母さん。お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸の頭みたいね。」と生意氣な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑ひ、
「さうね。でも、木魚もくぎよを頬ぺたに吊してゐるやうにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎよろりと妻子を睨んですつくと立ち上り、奧の薄暗い部屋に退却して、そつと鏡を覗き、がつかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。
 いつそもう、小刀で切つて落さうか、死んだつていい、とまで思ひつめた時に、近所のあの酒飮みのお爺さんの瘤が、このごろふつと無くなつたといふ噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飮み爺さんの草屋を訪れ、さうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらつた。

キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トツテ モラヒマセウ」

 と勇み立つ。さいはひその夜も月が出てゐた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし萬一、感服せずば、この鐵扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意氣込みで鐵扇右手に、肩いからして劍山の奧深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ藝事は、とかくまづく出來上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意氣込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。お爺さんは、鬼どもの酒宴の圓陣のまんなかに恭々肅々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と會釋し、鐵扇はらりと開き、屹つと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく經つて、とんと輕く足踏みして、おもむろに呻き出すは、
「是は阿波の鳴門に一夏いちげを送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば痛はしく存じ、毎夜此磯邊に出でて御經を讀み奉り候。磯山に、暫し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音ばかり鳴門の、浦靜かなる今宵かな、浦靜かなる今宵かな。きのふ過ぎ、けふと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわづかに動いて、またも屹つと月を見上げて端凝たり。

オニドモ ヘイコウ
ジユンジユンニ タツテ ニゲマス
ヤマオクヘ

「待つて下さい!」とお旦那は悲痛の聲を擧げて鬼の後を追ひ、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追ひすがり、「お願ひがございます。この瘤を、どうか、どうかとつて下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたへてゐるので聞き違ひ、「なんだ、さうか。あれは、こなひだの爺さんからあづかつてゐる大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやつてもいい。とにかく、あの踊りは勘辨してくれ。せつかくの醉ひが醒める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行つて飮み直さなくちやいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この變な人に、こなひだの瘤をかへしてやつてくれ。欲しいんださうだ。」

オニハ コナヒダ アヅカツタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハヅカシサウニ オヂイサン
ムラヘ カヘツテ ユキマシタ

 實に、氣の毒な結果になつたものだ。お伽噺に於いては、たいてい、惡い事をした人が惡い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に惡事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ惡人はゐなかつた。また、あのお酒飮みのお爺さんも、また、その家族も、または、劍山に住む鬼どもだつて、少しも惡い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて來るのである。それでは一體、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短氣な讀者が、もし私に詰寄つて質問したなら、私はそれに對してかうでも答へて置くより他はなからう。
 性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。

太宰の意思を尊重するという観点から、1945年10月に筑摩書房から刊行された初版本ではなく、翌1946年2月に筑摩書房から刊行された再版本を底本としました。判断の根拠については、下記事をご参照下さい。

 

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