記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。

【太宰散歩】桜桃忌を歩く(前編)

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今年2018年は、没後70年

来年2019年は、生誕110年

ソウルフレンド・太宰治にまつわる年が2年続きます。

いわゆる太宰イヤー。ソウルフレンドのために何かしたいと思うのは必然で、色々考えた結果の1つが今回の記事です。

 

今回の記事は2回に分けてアップしますが、昨年2017年6月19日の桜桃忌に三鷹を訪問した様子をTwitterでつぶやき、それを2017年6月20日付Togetterにまとめたものに大幅に加筆・修正を加えたものです。

まとめ公開から1年3ヶ月経過した現在も、じわりじわりと閲覧数が増え、おかげさまで6112人の方にご覧頂いています(2018年9月30日現在)。

文字を編む人間としては、自分の文章が長い期間・多くの人に読まれることは嬉しいことです。

しかし、Twitterでのつぶやきをまとめたため、誤字脱字等の修正が出来ない点はもどかしくもありました。

さらに長く読んで頂ける文章になるよう修正を加えながら、Twitterでのライヴ感も残してリライトできればと思っています。

また、Togetterにはなかった書下ろし【増補】という形で後編に収録予定ですので、お楽しみに!

 

桜桃忌とは

2017年6月19日は、ソウルフレンド・太宰治69回目の桜桃忌生誕から数えると108年目にあたる年です。

桜桃忌とは、同郷青森の親友・今官一命名太宰が好きだった桜桃(さくらんぼ)に因んだものです。

今回は『太宰散歩』と題して、桜桃忌の三鷹で撮った写真に、過去撮影した写真を織り交ぜながら、2017年桜桃忌を振り返っていきます。

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1947年、太宰治今官一(撮影・伊馬春部

太宰治と私

太宰治と私の出会い上京した10年前

青森で採れた私ですが、小学校の教科書に掲載されていた走れメロスしか読んだことがなく、授業で教わった印象も人間失格」を執筆して、最後は愛人と入水自殺した暗い人』という、あまり良いものではありませんでした。

本格的に太宰を読み始めたのは、大学一年生。実家に帰りたくても、部活やバイトで時間が無く、おまけにお金も無い…と、ホームシックに掛かっていた時、毎日通っていた本屋の棚の中で、私を手招きしていたのが、新潮文庫の黒い背表紙でした。

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最初に手に取ったのは走れメロス。授業で読んだ親近感からだと思います。走れメロスは懐かしく、同文庫所収で、小学生時代に面白さが分からず途中で放棄した富嶽百景にも魅せられ、「東京八景」では、東京で悩んで生きた同郷人なんだな…という意識が芽生えました。

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス所収の「帰去来」「故郷」を経て、続いての流れで名作津軽を。

里帰りした気分になり、上京の時、「青森には何も無い!」と言っていたのに、田舎の良さや、青森って良いところだなぁ〜と、青森で家族や友人と過ごした思い出が次々と思い出されるのでした。

津軽 (新潮文庫)

ここまで来ると、完全に太宰の魅力に取り憑かれてしまい、毎日1〜2冊のペースで読み進め、新潮文庫から出ていた17冊(現在は18冊)をイッキ読みしてしまいました。

そして、イムリなことに、私と太宰との再会は、ちょうど生誕100周年の年でした。

もともと、好きになったらトコトン!のオタク気質に加え、同郷人という親近感から、「人間」太宰治についてももっと知りたくなりました。生誕100周年記念の出版物も多く、太宰について知るには、とてもタイムリーな時期だったと思います。

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そんな感じで、研究書にも目を通したり、ゆかりの地を巡る聖地巡礼をしてみたり…と、気付いたら太宰の人間的な魅力の虜になっていました。

故郷の作家・長部日出雄さんの太宰伝記『辻音楽師の唄』『桜桃とキリスト』の影響もあり、太宰の追っ掛けをライフワークにしていきたい、と考えるようになりました。

辻音楽師の唄―もう一つの太宰治伝 (文春文庫)

桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝 (文春文庫)

ピカレスク - 太宰治伝 (日本の近代 猪瀬直樹著作集 4)

まだまだ知られていない太宰の魅力に、少しでも興味を持って頂けるキッカケになれれば幸いです。

 

【太宰・三鷹散歩】桜桃忌を歩く

2017年6月19日、10時頃。

JR三鷹駅に到着しました。

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三鷹には、ほぼ毎年、太宰のお墓に手を合わせに来ていますが、桜桃忌の訪問は初めてだったので、いつもと少し違う気持ちでした。

三鷹駅から歩いて15分程度。まず初めに向かったのは、太宰のお墓がある黄檗宗禅林寺

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東京都三鷹市 霊泉山 禅林寺 公式ホームページ

時間が早かったので、人は少なかったですが、大学生や出勤前の社会人、老夫婦と、幅広い年代の方がお参りしていました。

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上の写真は以前に撮影したものですが、太宰が好きだった煙草・ゴールデンバットカップ桜桃(さくらんぼ)など、たくさんのお供え物がありました。

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これも以前の桜桃忌の写真。

夕方頃だったでしょうか。

太宰のお墓、名前の凹部分にさくらんぼをはめ込むのが風物詩になっています。普通に考えると不謹慎かもしれませんが、こういうのが許される雰囲気も太宰ならでは。独特のものかもしれません。

 

太宰ファン、憩いの場所へ

10時半頃にお墓参りを終え、古本カフェ・フォスフォレッセンスへ向かう事に。禅林寺から10分程度の立地で、太宰ファンの方がされてる古本屋兼喫茶店です。

ただ、調べてみるとフォスフォレッセンス12時開店とのことだったので、茶店近くの砂防公園で太宰作品に浸ることにしました。

太宰散歩の時に、いつも悩むお供。

『グッドバイ』との二択で悩んだ結果、今回はヴィヨンの妻に軍配が上がりました。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

グッド・バイ (新潮文庫)

ヴィヨンの妻所収の短編「親友交歓」「家庭の幸福」「桜桃」を読んで、太宰ワールドにどっぷり。改めての感想は省きますが、どこで開いてもグイグイ引き込まれちゃいます。

ようやく12時を迎え、フォスフォレッセンスに。

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少し狭い店内は、本棚の古書オーナーの駄馬さん、他のお客さんとの距離が近く、とても良い感じ。開業して15年になるそうで、とても太宰愛に溢れた空間でした。

2015年3月、フォスフォレッセンスの入っているビルオーナーから、ビル売却の話が出て退去の危機が迫ったこともあり、当時ニュースを見ていた際には、非常にハラハラドキドキしたものでした。

しかし、仲介不動産の社長が手を差し伸べてくれ、同年5月中旬に金融機関からの融資でビル自体を買い取る事で、お店を続ける事ができたそうです。こういう憩いの場は、ファンとして、とても有難いので、辛い時期もあったと思いますが、続けて下さっていることに感謝です。

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そして、実は一番のお目当てが『太宰ラテ』

心なしか太宰の顔が笑っているように見えます。桜桃忌ということで、桜桃もサービスしてもらいました。来客も多く忙しい中、時間のかかるラテ注文、失礼しました。とても美味しく頂きました。

 

静かな佇まいの店内、同席した方との出会いも不思議な出会いでした。

お顔は知っていたのですが、青森出身でフリーアナウンサー・朗読家の方と相席になり、津軽弁トークで一気に地元に帰ったような心地に。

まさに、太宰が繋いでくれた縁

もう一人相席した方も朗読家さんのようで。

お顔までは存じあげなかったのですが、なんとその方のお父様は、むかし荻窪で教師をしていて、太宰が玉川上水から引き上げられる所を見に行ったんだとか。

当時、荻窪三鷹間は自転車で移動する距離だったそうです。お母様は臨月で、太宰が亡くなった一週間後に生まれたのが、そのお方…ということ。

運命の悪戯ですかね。人との出会いって、やっぱり面白いなぁ…と改めて実感しました。

 

人との出会いに感謝しながら、もう一つの出会いも。

本棚の中に、太田静子『あはれわが歌』長篠康一郎『山崎富栄の生涯』を見つけちゃったんです。

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既に絶版の希少本『あはれわが歌』は、参考文献に記載されている程度しか知らず、実物を手に取るのは初めてでした。

興奮を隠せないまま、お会計時に「あの本って販売してるんですか?」と駄馬さんにお訊ねしたところ「はい」とのお返事が。

もちろん高価な本ではあったのですが、これも何かの縁と、思わず購入してしまいました(購入価格は、秘密)。

「私も好きな本なので、桜桃忌に売れて嬉しいです」と駄馬さん。本当、桜桃忌に運命感じてしまいました。

しかも、『山崎富栄の生涯』の見返しには長篠先生直筆のサインが!

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桜桃忌の素晴らしい出会いに、言葉もありません。太宰さん、ありがとう!

 

再び禅林寺

フォスフォレッセンスでまったりと時間を過ごした後、再び禅林寺へ向かいました。桜桃忌の14時から墓前での読経が恒例になっていたからです。

しかし、待てど暮らせど、読経は始まらず。

30分待っても音沙汰が無かったので、気を利かせて下さった男性が、禅林寺に直接電話を掛けて下さり、「今年から読経はやりません、との正式回答を禅林寺側から頂きました」と発表。

その場は一時、騒然とし、当然、怒る方も。

記者の方もいらっしゃったので、全く告知等はされていなかったようです。遠方からの方も多い様子でした。

毎年の恒例行事で、多くの人が集まってくるのが想定される以上、何らかの形で事前アナウンスが欲しかったなと思います。

後で聞いた話だと、後日のお墓周りの清掃も含めて面倒が多く、数年前から禅林寺側としては、読経を辞めたかったとのこと。そんな中、太宰の直弟子である小野才八郎さんが旗振り役となって続けられていましたが、2014年に小野さんが亡くなられてしまい、お寺側との折衝役を欠いてしまった結果が、今回現れたようです。

2016年2月、太宰の次女・津島佑子さんが亡くなられたのが決定打でしょうか。

確かに、禅林寺側としては施設や御手洗を無料開放し、お供え物の片付けもあるため、手間の掛かるボランティアであることは想像できます。

しかし、長く続けられ、皆に愛されている作家を悼む唯一の日が、この様な形で終焉を迎えてしまうのもとても悲しいです。

三鷹市のサイドからすると、市民の税金を使ってイベントを主導するのは難しいらしく、旗振り役がいて、それを市としてバックアップするというのが理想形のようです。

 

太宰ファン 情報交換の場へ

少しモヤモヤが残ってしまいましたが、続いて向かったのは太宰治 文学サロン』三鷹に寄る度にお邪魔させて頂いてます。

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太宰治文学サロン | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団

今回もいろいろ拝聴した後、銀座のバー・ルパンのカウンターに見立てた席で、ファイリングされた資料を見せて頂きました。

この文学サロン、2008年没後60年翌年の生誕100年を記念して、太宰が通った酒屋・伊勢元酒店の跡地に開設されました。公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財市民ボランティアの方々協同で運営されています。

3ヶ月を周期に様々な企画展を催されており、貴重な資料に触れ、太宰ファンと交流できる、貴重な場所でもあります。

今回、伺ったお話。

太宰の遺体が発見されたのは、明星学園近くの新橋という橋の下で、学園の先生が第一発見者なのですが、その明星学園小栗旬の出身校でもあるそうです。

太宰と関係なかった………(笑)

その新橋について。

太宰が身を投げた玉川上水は当時、自殺の名所でもあり「人喰い川」とも呼ばれていたそうで、30人の自殺者が出た年もあったそうです。

玉川上水三鷹市から武蔵野市へ流れ込んでいるため、市境の杭に死体が引っかかると、「杭から外して武蔵野へ流せ!」なんてやり取りもあったとか。警察の都合なんですがね。

 

こんなやり取りをしていると、あっという間に夕方が近づいて来たので、太宰散歩も佳境に。

ここから最後の目的地を目指すのですが、ここで当日の三鷹散歩からは少し脱線して、過去の三鷹・太宰散歩の写真を振り返りながら、ゆかりの地を辿る聖地巡礼をしていきたいと思います。

 

三鷹・太宰、聖地巡礼の旅

太宰が生きた昭和10〜20年代の建物はすでに建て替わってしまいましたが、市内のいたるところに、没後60年の2008年に設置されたプレートが残っています。

そのプレートを足がかりに、太宰と一緒に三鷹市内を散歩していきましょう。

 

ゆかりの地① 伊勢元酒店

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先ほどの太宰治 文学サロン』です。

太宰が通った酒店の跡地であることを紹介する案内板が出ています。

 

ゆかりの地② 野川家跡

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太宰と一緒に心中した山崎富栄さんが、ここの2階に住んでいました。ここから二人で玉川上水に向かいました。太宰が最後の夜を過ごした場所です。

 

ゆかりの地③ 千草跡

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太宰の通った小料理屋です。野川家跡の斜め向かいです。

2階を仕事場として使っていました。太宰発見の後、検死の場所としても使われたそうです。

 

ゆかりの地④ 井心亭(せいしんてい)

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三鷹市の和風文化施設。今は民家ですが、この向かい辺りに太宰の住居がありました。

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井心亭の前にある案内板。

太宰の住居前にあった百日紅さるすべりの木が移植されていて、今でも季節になると花をつけます。

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8月頃、同場所で撮影した百日紅

 

ゆかりの地⑤ 連雀湯跡

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今はホンダカーズになっていますが、太宰が通った銭湯です。

 

ゆかりの地⑥ 陸橋(跨線橋

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陸橋(三鷹電車庫跨線橋)|観光スポット

三鷹駅ができる前年1929年(昭和4年)に竣工。当時の姿を留めている、唯一の場所です。

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見晴らしが良い場所で、編集者や弟子を連れて来ていたそうです。

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当時は無かったであろう金網もつけられていますが、手摺に手を掛けると、何だかしみじみしてしまいます。

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写真家・田村茂が撮影した有名なこの写真は、この陸橋でのものです。

 

ゆかりの地⑦ 中鉢家跡

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東京空襲で津軽疎開し、三鷹へ戻って来た太宰が仕事場を借りたのがここ。三鷹駅前郵便局の斜向かいに当たります。ヴィヨンの妻等を執筆しました。「朝」の舞台にもなっています。

 

ゆかりの地⑧ うなぎ若松屋

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太宰が雑誌編集者との打ち合わせにしていた場所。太宰の執筆時間は15時まで。それ以降に太宰に会いたければ、ここに行け!というのが暗黙の了解だったそうです。

 

ゆかりの地⑨ 田辺肉店離れ跡

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1947年(昭和22年)4月から、「斜陽」執筆のために借りた場所。「犯人」の舞台にもなっています。

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田辺肉店離れ跡の下にもう一つ出ている案内板。通称・太宰横丁と呼ばれ、軒を連ねる飲食店に、太宰は通っていたそう。行きつけの小料理屋・喜久屋も、この近くに。

 

続いて、ゆかりの地プレートが設置されていない太宰関連スポットをご紹介します。

 

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草木が生い茂り見辛いですが、太宰が入水したとされている場所です。現在、水量はだいぶ少なくなっています。

 

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玉鹿石(ぎょっかせき)

太宰が入水した場所の近くにあります。太宰の生まれ故郷である青森県金木町(現・五所川原市)から1996年6月に寄贈されたものです。なかなか珍しく、現在では県外への持ち出しはできないという話も聞いたことがあるので、貴重なモニュメントとなっています。

 

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このレリーフも太宰が入水した場所の近くにあります。短編「乞食学生」のフレーズが引用されています。

 

 

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三鷹散歩の最後は井の頭公園。弟子や学生が来訪した際、「外に行こう」と言って、よく訪れていたようです。

 

今回、太宰さんの賑やかな桜桃忌を見ていて、好きな作家をこんなに多くの人たちと共有できる事が嬉しかった反面、ふと頭をよぎった事がありました。

そう、太宰は玉川上水で心中したということは、その相手がいたんです。

 

桜桃忌と白百合忌

文京区関口にある曹洞宗寺院の永泉寺

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永泉寺 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト

6月19日は太宰と一緒に亡くなった山崎富栄さんの命日でもあり、「白百合忌」とも呼ばれています。

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山崎家のお墓。

世間の風体を憚り、当初は富栄さんの名前が彫られていなかったそうですが、1961年(昭和36年)建て直され、供養のために名前が彫られたそうです。

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暮石側面に5つ名前があり、左端に富栄さんの名前があります。没年月日も享年も刻まれていません。娘の過ちは永久に償わなければならず、死後の娘が鞭打たれる事のないようと考えたお母様の計らいのようです。

未だに、太宰は山崎富栄さんに殺されたと信じている人もいるようですが、太宰が絞殺されたとか、無理矢理引き込まれたという事実はありません角川書店編集者の野原一夫『回想 太宰治(昭和55年)で次のように書いています。

太宰が絞殺されたという発言に対して、

「断じて、そのような痕跡はなかった。私はすぐ間近かで、検死医と同じくらいの間近かさで、太宰さんに見入っていたが、その首筋には、締められた痕跡など、断じてなかったのである」。

新潮社の編集者である野平健一『矢来町半世紀』(平成4年)の中で、同様の事を述べています。

間違ったパブリックイメージを貼り付けられたままでは、富栄さんも浮かばれないだろうと思います。

これを機会に事実を知って頂ければと思います。

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山崎富栄さんについて興味がある方がいらっしゃれば、光文社文庫刊・松本侑子『恋の蛍』が入手しやすく、お勧めです。

恋の蛍―山崎富栄と太宰治 (光文社文庫)

 

※『【太宰散歩】桜桃忌を歩く(後編)』へ続きます!

 

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