【冒頭】
きのうは妙な手紙で失敬。季節のかわりめには、もの皆があたらしく見えて、こいしく思われ、つい、好きだ好きだ、なんて騒ぎ出す始末になるのだ。なあに、そんなに好いてもいないんだよ。すべて、この初秋という季節のせいなのだ。
【結句】
それはもう熟練の航海者の余裕にも似ていないか。新しい男には、死生に関する感傷はないんだ。
九月八日
・新潮文庫『パンドラの匣』所収。
・昭和20年11月9日頃に脱稿。
・昭和20年10月22日付「河北新報」と「東奥日報」に連載開始。「東奥日報」は10月29日付「パンドラの匣」第八回で連載中断。「河北新報」は翌21年1月7日付まで、64回連載、完結。
パンドラの匣 (新潮文庫)
全文掲載(「青空文庫」より)
1
きのうは妙な手紙で失敬。季節のかわりめには、もの皆があたらしく見えて、こいしく思われ、つい、好きだ好きだ、なんて騒ぎ出す始末になるのだ。なあに、そんなに好いてもいないんだよ。すべて、この初秋という季節のせいなのだ。このごろは僕も、まるでもう、おっちょこちょいの、それこそピイチクピイチクやかましくおしゃべりする雲雀みたいになってしまったようだが、しかし、もはやそれに対する自己嫌悪や、臍を噛みたいほどの烈しい悔恨も感じない。はじめは、その嫌悪感の消滅を不思議な事だと思っていたが、なに、ちっとも不思議じゃない。僕は、まったく違う男になってしまった筈ではなかったか。僕は、あたらしい男になっていたのだ。自己嫌悪や、悔恨を感じないのは、いまでは僕にとって大きな喜びである。よい事だと思っている。僕には、いま、あたらしい男としての爽やかな自負があるのだ。そうして僕は、この道場に於いて六箇月間、何事も思わず、素朴に生きて遊ぶ資格を尊いお方からいただいているのだ。囀る雲雀。流れる清水。透明に、ただ軽快に生きて在れ! きのうの手紙で、マア坊をばかに褒めてしまったが、あれは少し取消したい。実は、きょう、ちょっと珍妙な事件があったので、前便の不備の補足かたがた早速御一報に及ぶ次第なのだ。囀る雲雀、流れる清水、このおっちょこちょいを笑う給うな。 けさの摩擦は久しぶりでマア坊だった。マア坊の摩擦は下手くそで、いい加減。つくし殿には、ていねいに摩擦してあげるのかも知れないが、僕には、いつでも粗末で不親切だ。マア坊には、僕なんか、まるで道ばたの石ころくらいにしか思われていないのだろうし、どうせそうだろうし、まあ、仕方が無い。けれども僕にとっては、マア坊は、あながち石ころでは無いのだから、僕はマア坊の摩擦の時には息ぐるしく、妙に固くなって、うまく冗談が言えない。冗談を言うどころか、声が喉にひっからまって、ろくにものが言えなくなるのだ。結局、僕は、不機嫌みたいに、むっつりしてしまうのだが、そうするとまた、マア坊のほうでも気づまりになるのであろう、僕の摩擦の時だけは、ちっとも笑わず、そうして無口だ。けさの摩擦も、そんな具合の窮屈な、やりきれないものであった。殊にも、あの、「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって」以来、僕の気持は急速にはりつめて来ているような按配なのだし、それにまた、君への手紙に、マア坊を好きだ好きだと書いてやった直後でもあるし、どうにも、かなわない、ぎこちない気分であった。マア坊は、僕の背中をこすりながら、ふいと小声で言った。「ひばりが、一ばんいいな。」 うれしく無かった。何を言っていやがると思った。とってつけたようなそんなお世辞を言えるのは、マア坊が僕を、いい加減に思っている証拠だ。本当に、一ばんいいと思っていたら、そんなにはっきり、ぬけぬけと言えるものではない。僕にだってそれくらいの機微は、わかっているさ。僕は、黙っていた。すると、また小声で、「なやみが、あるのよ。」 と来た。僕は、びっくりした。なんてまあ、まずい事を言うのだろう。うんざりした。「鈴虫が鳴いている」が、これで完全にマイナスになった。低能なんじゃないかしらと疑った。まえからどうも、あの笑い方は白痴的だと思っていたが、さては、ほんものであったか、などと考えているうちに、気持も軽くなって、「どんな悩みが、あるんだい。」と馬鹿にし切った口調で尋ねることが出来た。
2
答えない。かすかに鼻をすすった。横目でそっと見ると、なんだ、かれは泣いているのだ。いよいよ僕は呆れた。よく笑うひとは、またよく泣くひとではないか、などときのう僕は君に書いてやったが、そんな出鱈目の予言が、あまりあっけなく眼前に実現せられているのを見ると、かえってこっちが気抜けしていやになる。ばかばかしいと思った。「つくしが退場するんだってね。」と僕は、からかうような口調で言った。事実、そんな噂があるのだ。何か一家内の都合で、つくしは、北海道の故郷のほうの病院に移らなければならぬような事になったという噂を、僕は聞いて知っていたのだ。「ばかにしないで。」 すっと立って、まだ摩擦もすまないのに、金盥をかかえてさっさと部屋から出て行ってしまった。その後姿を眺めて、白状するが、僕の胸はちょっと、ときめいた。まさか、僕の事でなやんでいるなどとは、いくら自惚れても、考えられやしないけれど、しかし、あんなに陽気なマア坊が、いやしくも一個の男子の前で意味ありげに泣いてみせて、そうして怒って、すっと立って行ったというのは、或いは重大な事なのかも知れない。或いは、ひょっとすると、と、そこは、いくらおさえつけてもやっぱり少し自惚れが出て来て、ついさっきの軽蔑感も何も吹っ飛んでしまって、やたらにマア坊がいとしく思われ、わあ、と叫びたい気持で、ベッドに寝たまま両腕を大きく振りまわした。けれども、なんという事も無かった。マア坊の涙の意味がすぐにわかった。お隣りの越後獅子の摩擦をしていたキントトが、その時、事も無げに僕に教えたのだ。「叱られたのよ。あんまり調子に乗って騒ぐので、ゆうべ、竹さんに言われたのよ。」 竹さんは助手の組長だ。叱る権利はあるだろう。まあこれで、すべて、わかった。なんという事も無かった。はっきり、わかったというものだ。なあんだ! 組長に叱られて、それで悩みがあるもすさまじいや。僕は、実に、恥ずかしかった。僕のあわれな自惚れを、キントトにも、越後獅子にも、みんなに見破られて憫笑せられているような気がして、さすがの新しい男も、この時ばかりは閉口した。実に、わかった。何もかも、よくわかった。僕は、マア坊の事は、きれいにあきらめるつもりだ。新しい男は、思い切りがいいものだ。未練なんて感情は、新しい男には無いんだ。僕はこれからマア坊を完全に黙殺してやるつもりだ。あれは猫だ。本当につまらない女だ。あはははは、とひとりで笑ってみたい気持だ。 お昼には、竹さんがお膳を持って来た。いつもは、さっさと帰るのだが、きょうは、お膳をベッドの傍の小机に載せて、それから伸び上るようにして窓の外を眺め、二、三歩、窓のほうへ歩み寄り、窓縁に両手を置いて、僕のほうに背を向けたまま黙って立っている。庭の池を見ている様子であった。僕はベッドに腰かけて、さっそく食事をはじめた。あたらしい男は、おかずに不服を言わないものである。きょうのおかずは、めざしと、かぼちゃの煮つけだ。めざしは頭からバリバリ食べる。よく噛んで、よく噛んで、全部を滋養にしなければならぬ。「ひばり。」と音声の無い、呼吸だけの言葉で囁かれて、顔を挙げたら、竹さんは、いつのまにか、両手をうしろに廻して窓に寄りかかってこちら向きになっていて、そうして、あの特徴のある微笑をして、それから、やっぱり呼吸だけのような極めて低い声で、「マア坊が泣いたって?」
3
「うん。」僕は普通の声で返辞した。「なやみがあると言ってた。」よく噛んで、よく噛んで、きれいな血液を作るのだ。「いやらしい。」竹さんは小さい声で言って顔をしかめた。「僕の知った事じゃない。」あたらしい男は、さっぱりしているものだ。女のごたつきには興味が無いんだ。「うち、気がもめる。」と言って、にっと笑った。顔が赤い。 僕は、少しあわてた。ごはんを、なま噛みのまま呑み込んでしまった。「たんと食べえよ。」と、低く口早に言って、僕の前を通り、部屋から出て行った。 僕の口は思わずとがった。なあんだ。大きいなりをして、だらしがねえ。なぜだか、その時、そんな気がして、すこぶる気にいらなかった。組長じゃないか。人を叱って気がもめる、もないもんだ。僕は、にがにがしく思った。竹さんも、もっと、しっかりしなければいかんと思った。けれども、三杯目のごはんをよそって、こんどは僕のほうで顔を赤くしてしまった。おひつのごはんが、ばかに多いのだ。いつもは、軽く三杯よそうと、ちょうど無くなる筈なのに、きょうは三杯よそっても、まだたっぷり一杯ぶん、その小さいおひつの底に残ってあるのだ。ちょっと閉口だった。僕は、このような種類の親切は好かない。親切の形式が、またおいしいとも感じない。おいしくないごはんは、血にも肉にもなりはしない。なんにもならん。むだな事だ。越後獅子の口真似をして言うならば、「竹さんの母親は、おそろしく旧式のひとに違いない。」 僕はいつものように軽く三杯たべただけで、あとの贔屓の一杯ぶんは、そのままおひつに残した。しばらくして竹さんが、何事も無かったような澄ました顔をしてお膳をさげに来た時、僕は軽い口調で言ってやった。「ごはんを残したよ。」 竹さんは、僕のほうをちっとも見ないで、おひつの蓋をちょっとあけてみて、「いやらしい子!」と、ほとんど僕にも聞きとれなかったくらいの低い声で言ってお膳を持ち上げ、そうしてまた、何事も無かったような澄ました顔で部屋から出て行った。 竹さんの「いやらしい」は口癖のようになっていて、何の意味も無いものらしいが、しかし、僕は女から「いやらしい」と言われると、いい気はしない。実に、いやだ。以前の僕だったら、たしかに竹さんを一発ぴしゃんと殴ったであろう。どうして僕はいやらしいのだ。いやらしいのは、お前じゃないか。昔は女中が、贔屓の丁稚の茶碗にごはんをこっそり押し込んでよそってやったものだそうだが、なんとも無智な、いやらしい愛情だ。あんまり、みじめだ。ばかにしちゃいけない。僕には、あたらしい男としての誇りがあるんだ。ごはんというものは、たとい量が不足でも、明るい気持でよく噛んで食べさえすれば、充分の栄養がとれるものなのだ。竹さんを、もっとしっかりしたひとだと思っていたが、やっぱり、女はだめだ。ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる。残念な事だ。竹さんは、もっとしっかりしなければいけない。これがマア坊だったら、どんな失敗を演じても、かえって可愛く、いじらしさが増すというような事もないわけではないのだろうが、どうも、立派な女の、へまは、困る。と、ここまでお昼ごはんの後の休憩を利用して書いたのだが、突然、廊下の拡声機が、新館の全塾生はただちに新館バルコニイに集合せよ、という命令を伝えた。
4
便箋を片附けて二階のバルコニイに行ってみると、きのうの深夜、旧館の鳴沢イト子とかいう若い女の塾生が死んで、ただいま沈黙の退場をするのを、みんなで見送るのだという事であった。新館の男の塾生二十三名、そのほか新館別館の女の塾生六名、緊張した顔でバルコニイに、四列横隊みたいな形で並び、出棺を待った。しばらくして、白い布に包まれた鳴沢さんの寝棺が、秋の陽を浴びて美しく光り、近親の人たちに守られながら、旧館を出て松林の中の細い坂路を、アスファルトの県道の方へ、ゆるゆると降りて行った。鳴沢さんのお母さんらしい人が、歩きながらハンケチを眼にあて、泣いているのが見えた。白衣の指導員や助手の一団も、途中まで、首をたれて、ついて行った。 よいものだと思った。人間は死に依って完成せられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸だ。完成も未完成もない、ただの無に帰する。人間はそれに較べると、まるで逆である。人間は、死んでから一ばん人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。鳴沢さんは病気と戦って死んで、そうして美しい潔白の布に包まれ、松の並木に見え隠れしながら坂路を降りて行く今、ご自身の若い魂を、最も厳粛に、最も明確に、最も雄弁に主張して居られる。僕たちはもう決して、鳴沢さんを忘れる事が出来ない。僕は光る白布に向って素直に合掌した。 けれども、君、思い違いしてはいけない。僕は死をよいものだと思った、とは言っても、決してひとの命を安く見ていい加減に取扱っているのでも無いし、また、あのセンチメンタルで無気力な、「死の讃美者」とやらでもないんだ。僕たちは、死と紙一枚の隣合せに住んでいるので、もはや死に就いておどろかなくなっているだけだ。この一点を、どうか忘れずにいてくれ給え。僕のこれまでの手紙を見て、君はきっと、この日本の悲憤と反省と憂鬱の時期に、僕の周囲の空気だけが、あまりにのんきで明るすぎる事を、不謹慎のように感じたに違いない。それは無理もない事だ。しかし、僕だって阿呆ではない。朝から晩まで、ただ、げたげた笑って暮しているわけではない。それは、あたり前の事だ。毎夜、八時半の報告の時間には、さまざまのニュウスを聞かされる。黙って毛布をかぶって寝ても、眠られない夜がある。しかし僕は、いまはそんなわかり切った事はいっさい君に語りたくないのだ。僕たちは結核患者だ。今夜にも急に喀血して、鳴沢さんのようになるかも知れない人たちばかりなのだ。僕たちの笑いは、あのパンドラの匣の片隅にころがっていた小さな石から発しているのだ。死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑が身に沁みる。僕たちはいま、謂わば幽かな花の香にさそわれて、何だかわからぬ大きな船に乗せられ、そうして天の潮路のまにまに身をゆだねて進んでいるのだ。この所謂天意の船が、どのような島に到達するのか、それは僕も知らない。けれども、僕たちはこの航海を信じなければならぬ。死ぬのか生きるのか、それはもう人間の幸不幸を決する鍵では無いような気さえして来たのだ。死者は完成せられ、生者は出帆の船のデッキに立ってそれに手を合せる。船はするする岸壁から離れる。「死はよいものだ。」 それはもう熟練の航海者の余裕にも似ていないか。新しい男には、死生に関する感傷は無いんだ。
九月八日
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