【日刊 太宰治全小説】#34「二十世紀旗手」
【冒頭】
苦悩たかきが故に尊からず。
【結句】
一行書いては破り、一語書きかけては破り、しだいに悲しく、たそがれの部屋の隅にてペン握りしめたまんま、めそめそ泣いていたという。
「二十世紀旗手 」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年9月17日頃初稿脱稿、昭和11年12月29日発表稿脱稿。
・昭和12年1月1日、『改造』新年号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
序唱 神の
苦悩たかきが故に尊からず。これでもか、これでもか、生垣へだてたる
壱唱 ふくろうの
さいさきよいぞ。いま、壱唱、としたためて、まさしく、
お話のまえに、一こと、おことわりして置きたいこと、ほかではございませぬ、ここには、私すべてを出し切って居ませんよ、という、これはまた、おそろしく陳腐の言葉、けれどもこれは作者の親切、
弐唱 段数
だんだん下に落ちて行く。だんだん上に昇ったつもりで、得意満面、扇子をさっとひらいて悠々涼を納めながらも、だんだん下に落ちて行く。五段落して、それから、さっと三段あげる。人みな同じ、五段おとされたこと忘れ果て、三段の進級、おめでとう、おめでとうと言い交して、だらしない。十年ほど経って一夜、おやおや? と不審、けれどもその時は、もうおそい。にがく笑って、これが世の中、と
参唱 同行二人
巡礼しようと、なんど真剣に考えたか知れぬ。ひとり旅して、
四唱 信じて下さい
東郷平八郎の母上は、わが子の枕もと歩かなかった。この子は、将来きっと百千の人のかしらに立つ人ゆえ、かならず無礼あってはならぬと、わが子ながらも尊敬、つつしみ、つつしみ、奉仕した。けれども、わが家の事情は、ちがっていた。七ツ、八ツのころより私ずいぶんわびしく、客間では毎夜、祖母をかしらに、母、それから親戚のもの二、三ちらほら、夏と冬には休暇の兄や姉、ときどき私の陰口たたいて、私が客間のまえの廊下とおったときに、「いまから、あんなにできるのは、中学、大学へはいってから急に成績落ちるものゆえ、あまり
不眠症は、そのころから、芽ばえていたように覚えています。私のすぐ上の姉は、私と仲がよかった。私、小学四、五年のころ、姉は女学校、夏と冬と、年に二回の休暇にて帰省のとき、姉の友人、
もっとさきから、お目にかからぬさきから、私は、あなたのお名前知っていた。姉からの手紙には、こんなことが書かれていました。「梅組の組長さん、萱野アキさん、おまえがこうしてグミや、ほしもち、季節季節わすれず送ってよこすのを、ほめていました。やさしい弟さんを持って、仕合せね、とうらやんでいます。おまえの手紙の中の津軽なまり、仮名ちがいなかったなら、姉は、もっともっとたくさんのお友達に威張れるのに、ねえ、――」
あなたはあの頃、画家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震えて杉の根株にまつわりついている一列の
「いいえ。そのソファのかげにいます。」
私はソファのかげからあらわれた。あなたは、知っている? 冷くつぶやいた。「だって、あたしは鬼だもの。」
二十年、私は鬼を忘れない。先日、浅田夫人恋の三段飛という見出しの新聞記事を読みました。あなたは、二科の新人。有田教授の、――いや、いうまい。思えば、あのころ、十六歳の夏から、あなたの
先夜、あの新聞の記事読んで、あなたの淋しさ思って三時間ほど、ひとりで
五唱 嘘つきと言われるほどの
まちを歩けば、あれ嘘つきが来た。夕焼あかき雁の腹雲、両手、着物のやつくちに不精者らしくつっこみ、おのおの固き乳房をそっとおさえて、土蔵の白壁によりかかって立ちならんで居る一群の、それも十四、五、六の娘たち、たがいに目まぜ、こっくり
六唱 ワンと言えなら、ワンと言います
「前略。手紙で失礼ですがお願いいたします。本社発行の『秘中の秘』十月号に現代学生気質ともいうべき学生々活の内容を面白い読物にして、世の遊学させている父兄達に、なるほどと思わせるようなものを載せたいと思うのです。で、代表的な学校、(帝大、早稲田、慶応、目白女子大学、東京女子医専など)をえらび、毎月連載したいと思います。ついては、先ず来月は帝大の巻にしたいと思いますが、貴方様にお願いできないかと思うのです。四百字詰原稿十五枚前後、内容はリアルに面白くお願いしたいと存じます。締切は、かならず、厳守して頂きたいと存じます。
「ははあ、
「拝復。四日深夜附
「お葉書拝読。四日深夜、を、ことさらに引用して、少し意地がわるい。全文のかげにて、ぷんぷんお怒りの御様子。私、おのれ一個のプライドゆえに五円をお願いしたわけではなかったのです。わが身ひとつのための貪慾に非ず、名知らぬ寒しき人に投げ与えむため、または、かのよき人よろこばせむための金銭の必要。けれども、いまは、詮なし。急に小声で、――それでは、書かせていただきます。太宰治。」
七唱 わが日わが夢
――東京帝国大学内部、秘中の秘。――
(内容三十枚。全文
八唱
「ちょっと旅行していました留守に原稿やら、度々の来信に接して、失礼しました。が、原稿は相当ひどい原稿ですね。あれでは幾らひいき目に見ても使えません。書き直して貰っても駄目かと思います。貴兄にとってはあれが力作かも知れませんが、当方ではあれでは迷惑ですし、あれで原稿料を要求されても困ると思います。いずれ、貴兄に機会があればお詫びするとして
月のない
行くところなき思いの夜は、三十八度の体温を、アスピリンにて三十七度二、三分までさげて、停車場へ行き、三、四十銭の切符を買い、どこか知らぬ名の町まで、ふらと出かけて、そうして、そこの薄暗き盛り場のろのろ歩いて、路のかたわら、唐突の一本の松の枝ぶり立ちどまって見あげなどして、それから、ふところの本を売って、活動写真館へはいる。入口の風鈴の音わすれ難く、小用はたしながら、窓外の縁日、カアバイド燈のまわりの
どのような人でも、生きて在る限りは、立派に尊敬、要求すべきである。生あるもの、すべて世の中になくてかなわぬ重要の歯車、人を非難し、その人の尊さ、かれのわびしさ、理解できぬとあれば、作家、みごとに失格である。この世に無用の長物ひとつもなし。
――お葉書、拝見いたしましたが、ぼくの原稿、どうしても、――だめですか?
――ええ。だめですねえ。これ、ほかの人書いて下さった原稿ですが、こんなのがいいのです。リアルに、統計的に、とにかく、あなたの原稿、もういちど、読んでみて下さい。そうして、考えて下さい。
――ぼく、もとから、へたな作家なんだ。くやし泣きに、泣いて書くより他に、てを知らなかった。
――失恋自殺は、どうなりました。
――電車賃かして下さい。
――…………。
――あてにして来たので、一銭もないのです。うちへかえればございます。すぐお返しできます。一円でも、二円でも。
――市内に友人ないのか。
――赤羽におじさん居ります。
――そんなら歩いてかえりたまえ。なんだい、君、すぐそこじゃないか。お
――そうですか、――じゃ、――ありがとう。
――や、しっけい。また、あそびに来たまえ。そのうち、何か、うめ合せしよう、ね。
やっぱり怒れず、そのまま炎天の都塵、三度も、四度も、めまいして、自動車にひかれたく思って、どんどん道路横断、三里のみちを歩きながら、思うことには、人間すべて善玉だ。豪雨の一夜、郊外の泥道、這うようにして荻窪の郵便局へたどりついて一刻争う電報たのんだところ、いまはすでに時間外、規定の時を七分すぎて居ります。料金倍額いただきましょう。私はたと困惑、濡れ鼠のすがたのまま、思い設けぬこの恥辱のために満身かっかっとほてって、蚊のなくが如き声して、いま所持のお金きっちり三十銭、私の不注意でございました。なんとか助けて下さい、と懇願しても、その三十歳くらいの黄色い歯の出た痩せこけた老婆、ろくろく返事もなく、規則は規則ですからねえ、と呟いて、そろばんぱちぱち、あまりのことに私は言葉を失い、しょんぼり辞去いたしましたが、
九唱 ナタアリヤさん、キスしましょう
その翌、翌日、まえの日の賤民とはちがって、これは又、帝国ホテルの食堂、本麻の蚊がすり、ろの
その日、快晴、談笑の数刻の後、私はお金をとり出し、昨夜の二十枚よりは、新しい、別な二十枚であることを言外に匂わせながら、しかも昨夜この女から受けとったままに、うちの三枚の片隅に赤インキのシミあったことに、はっと気づいて、もうおそい、萱野さん気づかぬように、気づかぬように、人知れぬ深い祈り、ミレエの晩鐘におとらず深き、人生の幕の陰の祈り。
「萱野さん、かぞえて下さい。きちんとして置こうよ。気まずさも、一時の気まずさも、生きて行くために、どうしても必要なことなのだから。」
言葉のままに、わかる女だ。こちらの気持ちを、そのまま正確にキャッチ、やや口ひきしめて首肯き、おぼつかなき風の手つきで、かぞえた。十七枚。ふと首かしげて、とっさに了解。
十唱 あたしも苦しゅうございます
おい、
いま庭の草むしっている家人の姿を、われ
終唱 そうして、このごろ
芸術、もともと賑やかな、華美の祭礼。プウシュキンもとより論を待たず、芭蕉、トルストイ、ジッド、みんなすぐれたジャアナリスト、釣舟の中に在っては、われのみ
そうして、それから、――私たちは
「これが、おまえとの結婚ロマンス。すこし色艶つけて書いてみたが、もし不服あったら、その個所だけ特別に訂正してあげてもいい。」
かの白衣の妻が答えた。
「これは、私ではございませぬ。」にこりともせず、きっぱり頭を横に振った。「こんなひと、いないわ。こんな、ありもしない影武者つかって、なんとかして、ごまかそうとしているのね。どうしても、あのおかたのことは、お書きになれないお苦しさ、判るけれど、他にも苦しい女、ございます。」
だから、はじめから、ことわってある。名は言われぬ、恋をした素ぶりさえ見せられぬ、くるしく、――口くさっても言われぬ、――不義、と。
ああ、あざむけ、あざむけ。ひとたびあざむけば、君、死ぬるとも告白、ざんげしてはいけない。胸の秘密、絶対ひみつのまま、
もののみごとにだまされ給え。人、七度の七十倍ほどだまされてからでなければ、まことの愛の微光をさぐり当て得ぬ。嘘、わが身に快く、充分に美しく、たのしく、しずかに差し出された美事のデッシュ、果実山盛り、だまって受けとり、たのしみ給え。世の中、すこしでも賑やかなほうがいいのだ。知っているだろう? 田舎芝居、菜の花畑に鏡立て、よしずで囲った楽屋の太夫に、十円の御祝儀、こころみに差し出せば、たちまち表の花道に墨くろぐろと貼り出されて
あの言葉、この言葉、三十にちかき雑記帳それぞれにくしゃくしゃ満載、みんな君への楽しきお
【「生れて、すみません。」誕生の舞台裏】
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【日刊 太宰治全小説】#33「喝采」
【冒頭】
「書きたくないことだけを、しのんで書き、困難と思われる形式だけを、えらんで創り、デパートの紙包さげてぞろぞろ路ゆく小市民のモラルの一切を否定し、十九歳の春、わが名は海賊の王、チャイルド・ハロルド、清らなる一行の詩の作者、たそがれ、うなだれつつ街をよぎれば、家々の門口より、ほの白き乙女の影、走り寄りて
【結句】
私の話の長びくほど、後に控えた深刻力作氏のお邪魔になるだけのことゆえ、どこで切っても関わぬ物語、かりに喝采と標題をうって、ひとり、おのれの心境をいたわること、以上の如くでございます。」
「喝采 」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年3月、4月頃脱稿。
・昭和11年10月1日、『若草』十月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
手招きを受けたる童子
いそいそと壇にのぼりつ
「書きたくないことだけを、しのんで書き、困難と思われたる形式だけを、えらんで創り、デパートの紙包さげてぞろぞろ路ゆく小市民のモラルの一切を否定し、十九歳の春、わが名は海賊の王、チャイルド・ハロルド、清らなる一行の詩の作者、たそがれ、うなだれつつ街をよぎれば、家々の門口より、ほの白き乙女の影、走り寄りて
「紳士、ならびに、淑女諸君。私もまた、幸福クラブの誕生を、最もよろこぶ者のひとりでございます。わが名は、狭き門の番卒、困難の王、安楽のくらしをして居るときこそ、窓のそと、荒天の下の不仕合せをのみ見つめ、わが頬は、涙に濡れ、ほの暗きランプの灯にて、ひとり哀しき絶望の詩をつくり、おのれ苦しく、命のほどさえ危き夜には、薄き化粧、ズボンにプレス、頬には一筋、微笑の
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【日刊 太宰治全小説】#32「創世記」
【冒頭】
太宰イツマデモ病人ノ感覚ダケニ興ジテ、高邁ノ精神ワスレテハイナイカ、コンナ水族館ノめだかミタイナ、片仮名、読ミニククテカナワヌ、ナドト佐藤ジイサン、言葉ハ怒リ、内心ウレシク、ドレドレ、ト眼鏡カケナオシテ、エエト、ナニナニ?
【結句】
だんだん象棋の話だけになっていった。
「創世記」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年8月末頃脱稿。
・昭和11年10月1日、『新潮』十月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
太宰イツマデモ病人ノ感覚ダケニ興ジテ、
ココマデ書イテ、書ケナクナッタ。コンドハ、私ガ考エタ。カノ昆布ノ森ノ女学生ヨリモ、モット、シズカニ考エタ。四十日ホド考エタ。一日、一日、カク手ガ
もういい。太宰、いい加減にしたら、どうか。
過善症。
猛然、書きたい朝が来る。その日まで待て。十年。おそしとせず。
ケサ、
ノッソリ
カツテ
スベテノ
山上の私語。
「おもしろく読みました。あと、あと、責任もてる?」
「はい。打倒のために書いたのでございませぬ。ごぞんじでしょうか。
「いかって、とくした人ないと古老のことばにもある。じたばた十年、二十年あがいて、古老のシンプリシティの網の中。はははは。そうして、ふり仮名つけたのは?」
「はい。すこし、よすぎた文章ゆえ、わざと傷つけました。きざっぽく、どうしても子供の
われとわが作品へ、一言の説明、半句の弁解、作家にとっては致命の恥辱、文いたらず、人いたらぬこと、深く責めて、他意なし、人をうらまず独り、われ、厳酷の精進、これわが作家行動十年来の金科玉条、苦しみの底に在りし一夜も、ひそかにわれを慰め、しずかに微笑ませたこと再三ならずございました。けれども、一夜、
真珠の雨。無言の海容。すべて、これらのお慈悲、ひねこびた
可愛そうなマダム。いずれが真珠、いずれが豚、つくづく主客てんとうして、今は、やけくそ、お嫁入り当時の髪飾り、かの白痴にちかき情人の写真しのばせ在りしロケットさえも、バンドの金具のはて迄。すっからかん。与えるに、ものなき時は、安(とだけ書いて、ふと他のこと考えて、六十秒もかからなかった
これでもか、これでもか、と豚に真珠の慈雨あたえる等の事は、右の頬ならば、左の頬をも、というかの神の子の言葉の具象化でない。人の子の愛慾独占の汚い地獄絵、はっきり不正の心ゆえ、きょうよりのち、私、一粒の真珠をもおろそかに与えず、豚さん、これは真珠だよ、石ころや屋根の瓦とは違うのだよ、と懇切ていねい、理解させずば止まぬ
きょうよりのちは堂々と自註その一。不文の
「これは、あかい血、これは、くろい血。」ころされた
あかい血、くろい血。これ、わかるか。家人を食った蚊の腹は、あかく透きとおり、私を食った蚊の腹は、くろく
「一、
なお、お医者へは、小切手、明日、お金にかえて支払いますと言って下さい。明日、なんとかして、ほんとにお金こしらえるつもり。
家人は、薬品に
このように巧い結末を告げるときもあれば、また、――おれが、どのように恥かしくて、この押入れの前に
「おい、おい。おめえ、――」
「かんにん、かんにん。」
自分のちからでは、制止できぬ鬼、かなしいことには、制止できぬ泣きむし。めちゃめちゃめちゃ。「かんにんして、ね、声だけでも低く、ね。」
「おれのせいじゃないんだ。すべて神様のお
山上通信
けさ、新聞にて、マラソン優勝と、芥川賞と、二つの記事、読んで、涙が出ました。孫という人の白い歯出して力んでいる顔を見て、この人の努力が、そのまま、肉体的にわかりました。それから、芥川賞の記事を読んで、これに
先日、佐藤先生よりハナシガアルからスグコイという電報がございましたので、お伺い申しますと、お前の「晩年」という短篇集をみんなが芥川賞に推していて、私は照れくさく小田君など長い
八月十一日。ま白き
右の感想、投函して、三日目に再び山へ舞いもどって来たのである。三日、のたうち廻り、今朝快晴、苦痛全く去って、日の光まぶしく、野天風呂にひたって、谷底の四、五の
幾日か経って、杉山平助氏が、まえの日ちらと読んだ「山上通信」の文章を、うろ覚えのままに、東京のみんなに教えて、中村地平君はじめ、井伏さんのお耳まで汚し、一門、たいへん御心配にて、太宰のその一文にて、もしや、佐藤先生お困りのことあるまいかと、みなみな打ち寄りて相談、とにかく太宰を呼べ、と話まとまって散会、――のち、――荻窪の夜、二年ぶりにて井伏さんのお宅、お庭には、むかしのままに夏草しげり、書斎の縁側にて
「若しや、先生へご迷惑かかったら、君、ねえ、――。」
「ええ、それは、――。けれども、先生、傷がつくにも、つけようございませぬ。山上通信は、私の狂躁、凡夫尊俗の様などを表現しよう、他にこんたんございません。先生の愛情については、どんなことがあろうたって、疑いません。こんどの中外公論の小説なども、みんな、――」
「うん、まあ、――。」
「みんな、だまって居られても、ちゃんと、佐藤先生のお力なのです。」
「そうだ、そうだ。」
「忘れようたって、忘れないのだし、――」
「うん、うん、――」
だんだん象棋の話だけになっていった。
【了】
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【日刊 太宰治全小説】#31「虚構の春」下旬・元旦
【冒頭】
月日。
「突然のおたよりお許し下さい。私は、あなたと瓜二つだ。いや、私とあなた、この二人のみに非ず。青年の没個性、自己喪失は、いまの世紀の特徴と見受けられます。
【結句】
「謹賀新年。」「頌春。」「賀春。」「頌春献寿。」
「虚構の春 下旬・元旦」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年5月末から6月1日までの頃に脱稿。
・昭和11年7月1日、『文学界』七月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
下旬
月日。
「突然のおたよりお許し下さい。私は、あなたと
――年齢。
――十九です。やくどしです。女、このとしには必ず何かあるようです。不思議のことに思われます。
――小柄だね?
――ええ、でもマネキン嬢にもなれるのです。
――というと?
――全部が一まわり小さいので、写真ひきのばせば、ほとんど
――どうかね。
――誇張じゃないんです。私、あのひとに関しては、どうしても嘘をつけない。
――あんまり、ひどくだましたからだ。
――おどろいたな。けれども、全く、そうなんです。私、二十一歳の冬に
――面白いね。つづけたまえ。
――たった一度きりの女なら、海野三千雄もよろしゅうございましょうが、二度、三度
――君は、むかし、なにか政治運動していたとか、そのころのことかね?
――は、そうです。私、文化運動は性に合わず、
――よく、つかまらなかったね。
――ばかだから、つかまるのです。また、つかまっても、一週間やそこらで助かる手もあるのです。そのうちに私、スパイだと言われたり何かして、いやになって、仲間から、逃げることだけ考えていました。そのころは、毎夜、帝国ホテルにとまっていました。やはり作家、海野三千雄の名前で。
――不愉快なことをしたものだね。
――厳粛なるべき生活を、茶化して、もてあそびものにしているのが、不愉快なのでしょう。ごもっともでございますが、当時、そんなことでもしなければ、私、おそらくは三十種類以上の原因で、自殺してしまっています。
――でも、そのときだって、やっぱり、情死おこなったんだろう。
――ええ、女が帝国ホテルへ遊びに来て、僕がボオイに五円やって、その晩、女は私の部屋へ宿泊しました。そうして、その夜ふけに、私は、死ぬるよりほかに行くところがない、と何かの拍子に、ふと口から滑り出て、その一言が、とても女の心にきいたらしく、あたしも死ぬる、と申しました。
――それじゃあ、あなたと呼べば死のうよと答える、そんなところだ。極端にわかりが早くなってしまっている。君たちだけじゃないようだぜ。
――そうらしいのです。私の解放運動など、先覚者として一身の名誉のためのものと言って言えないこともなく、そのほうで、どんどん出世しているうちは、面白く、張り合いもございましたが、スパイ説など出て来たんでは、遠からず失脚ですし、とにかく、いやでした。
――女は、その後、どうなったね?
――女は、その帝国ホテルのあくる日に死にました。
――あ、そうか。
――そうなんです。鎌倉の海に薬品を呑んで飛びこみました。言い忘れましたが、この女は、なかなかの知識人で、似顔絵がたいへん
――あかるいうちに飛び込んだのかね?
――いいえ。それでも名所をあるきまわって、はちまん様のまえで、
――ふっと思い出したが、ヴェルレエヌ、ね、あの人、一日、教会へ
――ざんげじゃない。のろけじゃない。救いを求めているのでもない。私は、女の美しさを主張しているのです。それだけの事です。こうなって来ると、お仕舞いまで申しあげます。女は、歩きながら、ずいぶん思いつめたような口調で、かえらない? と小声で言った。あたしは、あなたのおめかけになります。家から一歩も外へ出るな、とあれば、じっとして、うちに隠れて居ります。一生涯、日かげ者でもいいの。私は、鼻で笑った。人の誠実を到底理解できず、おのれの自尊心を満足させるためには、万骨を枯らして、尚、平然たる姿の二十一歳、
――はははは。今夜はなかなか能弁だね。
――笑いごとではないのです。そのような奇妙な、『ヴァイオリンよりは、ケエスが大事式』の、その方面に於ける最もきびしい反省をしてみるのでした。江の島の橋のたもとに、新宿へ三十分、渋谷へ三十八分と、一字一字二尺平方くらいの大きさで書かれて居る私設電車の絵看板、ちらと見て、さっさと橋をわたりはじめた。からころと
――非常に素直な人なんだね。
――そうです、そうです。判って呉れましたね? やっぱり、お話し申しあげてよかった。もっと、もっと聞いて下さい。
――よし。ぜひとも、聞かせて下さい。竹や、お茶。
――飛びこむよりさきにまず薬を呑んだのです。私が呑んで、それから私が
――なるほど、なるほど、おい、竹や。ウオトカ。
――太宰さん。白ばくれちゃいけない。私のこの話を、どう結んでくれるのです。これは勿論、あなたの身の上じゃない。みんな私の身の上だ。けれども、私はこれを発表するときに、雑誌社だって考えます。どこの
月日。
「謹啓。文学の道あせる事無用と確信致し居る者に
月日。
「お手紙さしあげます。べつに申しあげることもないのでペンもしぶりますが読んでいただければ、うれしいと思います。自分勝手なことで大へんはずかしく思いますがおゆるしください。御記憶がうすくなって居られると考えますが、二月頃、新宿のモナミで同人雑誌『青い
ほとんど休んでばかり居れば日曜もたのしくなく、夜ねても、一日がおわったといういこいではなくて、あしたがあるというつかれを覚えています。健康をねがって終日をくらす。今は、弱いというだけで病気はありません。老人のごとき皮膚をあわれみ、夜裸身に牛乳をあびる。青春を得るみちなきかと。非常に、失礼な手紙だと思います。文体もあやふやで申しわけありません。でもほっとしています。明日の朝になれば、だせなくなるといけませんから、すぐだします。おひまのときに、おたより、いただけたらと思います。おからだお大事にねがいます。斎藤武夫拝。太宰治様。」
「御手紙拝見。お金の件、お願いに
「手紙など書き、もの言わんとすれば君ぞありぬる。ああ、よき友よ。家内にせんには、ちと、ま心たらわず、愛人とせんには
月日。
「太宰治さん。再々悪筆をお目にかける失礼、お許し下さいまし。一つには私たちの同人雑誌『春服』が、目茶苦茶になりかかった、わびしさから、二つには、ぼく自身のステールネスから、最後に、あなたがぼく如きものに好意をお持ち下され居る由、昨晩の松村と云う『春服』同人の手紙が伝えてくれたので、加うるに性来の
「近頃の君の葉書に一つとして見るべきものがない。非常に惰弱になって巧言令色である。少からず遺憾に思っている。吉田生。」
月日。
「一言。(一行あき。)僕は、僕もバイロンに化け
「拝復。君ガ自重ト自愛トヲ祈ル。
「謹啓。其の後御無沙汰いたして居りますが、御健勝ですか。御伺い申しあげます。二三日前から太宰君に原稿料として二十円を送るように、たびたびハガキや電報を貰っているのですが、社の稿料は六円五十銭(二枚半)しかあげられず、小生ただいま、金がなく
月日。
「師走厳冬の夜半、はね起きて、しるせる。一、私は、下劣でない。二、私は、けれども、
月日。
「前略。その後いよいよ御静養のことと思い安心しておりましたところ、風のたよりにきけば貴兄このごろ薬品注射によって
「三拾円しか出来ない。いのちがけ、ということをきいて心配いたして居りますが、どんなんですか。本当は二十日ごろまでに、兄より何か、
「悪習は除去すべきである。本郷区千駄木町五十、吉田潔。」
月日。
「言わなければならぬと思いながら言えない。夏休みになったら手紙をかこうと決心した。手紙をかき
月日。
「拝啓。突然ぶしつけなお願いですが、私を先生の
「おくるしみの御様子、みんなみんな、いまのあなたのお苦しみと、丁度、同じくらいの苦しみを忍んで生きて居るのです。創作、ここ半年くらいは、発表ひき受ける雑誌ございませぬ。作家の、おそかれ、早かれ、必ず通らなければならぬどん底。これは、ジャアナリストのあいだの
「奥さんからの御報告に
「太宰様、その後、とんとごぶさた。文名、日、一日と御隆盛、
「御手紙拝見いたしました。御窮状の程、深く拝察致します。こんな御返事申し上ることが自分でも不愉快だし、
「罰です。女ひとりを殺してまで作家になりたかったの? もがきあがいて、作家たる栄光得て、ざまを見ろ、
月日。
「謹啓。太宰様。おそらく、これは、女性から貴方に差しあげる最初の手紙と存じます。貴方は、女だから、男は、あなたにやさしくしてやり、けれども、女はあなたを嫉妬して居ります。先日お友達のところで、(私は
「そんなに金がほしいのかね。けさ、またまた、新聞よろず案内欄で、たしかに君と思われる男の、たしかに私と思われる男へあてた、SOSを発見、おそれいって居る。おかしなもので、きのうまでは大いにみずみずしい男も、お金のSOS発してからは、興味さく然、目もあてられぬのは、どうしたことであろう。君は、ジュムゲジュムゲ、イモクテネなどの気ちがいの
月日。
「太宰さん。私も一、二夜のちには二十五歳。私、二十五歳より小説かいて、三十歳で売れるようになって、それから、家の財産すこしわけてもらって、それから
「前略。小説完成の由。大慶なり。破れるほどの
月日。
「先日、(二十三日)お母上様のお言いつけにより、お正月用の
元旦
「謹賀新年。」「献春。」「あけましておめでとう。」「賀正。」「頌春献寿。」「献春。」「冠省。ただいま原稿拝受。何かのお間違いでございましょう。当社ではおたのみした記憶これ無く、
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【日刊 太宰治全小説】#30「虚構の春」中旬
【冒頭】
月日。
「拝呈。過刻は失礼。『道化の華』早速一読甚だおもしろく存じ候。無論及第点をつけ申し候。
【結句】
良薬の苦味、おゆるし下さい。おそらくは貴方を理解できる唯一人の四十男、無二の小市民、高橋九拝。太宰治学兄。」
「虚構の春 中旬」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年5月末から6月1日までの頃に脱稿。
・昭和11年7月1日、『文学界』七月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
中旬
月日。
「拝呈。過刻は失礼。『道化の
「どうだい。これなら信用するだろう。いま大わらわでお礼状を書いている始末だ。太陽の裏には月ありで、君からもお礼状を出して置いて下さい。吉田潔。幸福な病人へ。」
「謹啓。御多忙中を大変恐縮に存じますが、本紙新年号文芸面のために左の玉稿たまわりたく、よろしくお願いいたします。一、先輩への手紙。二、三枚半。三、一枚二円余。四、今月十五日。なお御面倒でしょうが、同封のハガキで御都合折り返しお知らせ下さいますようお願いいたします。東京市
月日。
「おハガキありがとう。元旦号には是非お願いいたします。おひまがありましたら十枚以上を書いていただきたい。(一行あき。)小泉君と先般
「太宰先生。一大事。きょう学校からのかえりみち、本屋へ立ち寄り、一時間くらい立読していたが、心細いことになっているのだよ。講談
月日。
「冠省。へんな話ですが、お金が必要なんじゃないですか? 二百八十円を限度として、東京朝日新聞よろず案内欄へ、ジュムゲジュムゲジュムゲのポンタン百円、(もしくは二百円でも、御入用なだけ)食いたい。
月日。
「きょうは妙に心もとない手紙拝見。熱の出る心配があるのにビイルをのんだというのは君の手落ちではないかと考えます。君に酒をのむことを教えたのは僕ではないかと思いますが、万一にも君が酒で失敗したなら僕の責任のような気がして僕は甚だ心苦しいだろう。すっかり健康になるまで酒は
月日。
「玉稿昨日
「ちかごろ、毎夜の如く、太宰兄についての、薄気味わるい夢ばかり見る。変りは、あるまいな。誓います。誰にも言いません。苦しいことがあるのじゃないか。事を行うまえに、たのむ、僕にちょっと耳打ちして
「
月日。
「返事よこしてはいけないと言われて返事を書く。一、長篇のこと。云われるまでもなく早まった気がして居る。
「メクラソウシニテヲアワセル。」(電報)
「めくら草紙を読みました。あの雑誌のうち、あの八頁だけを読みました。あなたは病気骨の髄を犯しても不倒である必要があります。これは僕の最大限の君への心の言葉。きょう僕は疲れて大へん疲れて字も書きづらいのですが、急に君へ手紙を出す必要をその中で感じましたので一筆。お正月は
「君は、君の読者にかこまれても、赤面してはいけない。
「はじめて、手紙を差上げる無礼、
月日。
「拝啓。その後、失礼して居ります。先週の火曜日(?)にそちらの様子見たく思い、船橋に出かけようと立ち上った
月日。
「お問い合せの玉稿、五、六日まえ、すでに拝受いたしました。きょうまで、お礼
「前略。しつれい申します。玉稿、本日別封書留にてお送りいたしました。むかしの同僚、高橋安二郎君が、このごろ病気がいけなくなり、太宰氏、ほか三人の中堅、新進の作家へ、本社編輯部の名をいつわり、とんでもない御手紙さしあげて居ることが最近、判明いたしました。高橋君は、たしか三十歳。おととしの秋、社員全部のピクニックの日、ふだん好きな酒も呑まず、青い顔をして居りましたが、すすきの穂を口にくわえて、同僚の面前にのっそり立ちふさがり薄目つかって相手の顔から、胸、胸から脚、脚から靴、なめまわすように見あげ、見おろす。帰途、夕日を浴びて、ながいながいひとりごとがはじまり、見事な、血したたるが如き
「君の葉書読んだ。単なる冷やかしに過ぎんではないか。君は真実の解らん人だね。つまらんと思う。吉田潔。」
「冠省。首くくる
「先日は御手紙
月日。
「太宰さん。とうとう正義温情の徒にみごと一ぱい食わせられましたね。はじめから御注意申しあげて置いたら、こんなことにはならなかったのでございますが、雑誌は、どこでもそうらしいですが、ひとりの作家を特に引きたててやることは、固く禁じられて居りますし、そのうえ、この社には、重役附きのスパイが多く、これからもあることゆえ、ものやわらかの人物には気をつけて下さいまし。軽々しく、ふるまってはいけません。春田は、どんな言葉でおわびをしたのか、わかりませぬけれど、
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【日刊 太宰治全小説】#29「虚構の春」師走上旬
【冒頭】
月日。
「拝復。お言いつけの原稿用紙五百枚。御入手の趣、小生も安心いたしました。毎度の御引立、あり難く御礼を申しあげます。
【結句】
きょうの君には、それら実相を知らせてあげたい。知ったとたんに、君は、裏の線路に飛び込むだろう。さなくば僕の泥足に涙ながして接吻する。君にして、なおも一片の誠実を具有していたなら! 吉田潔」
「虚構の春 師走上旬」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年5月末から6月1日までの頃に脱稿。
・昭和11年7月1日、『文学界』七月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
師走上旬
月日。
「拝復。お言いつけの原稿用紙五百枚、御入手の
「拝啓。歴史文学所載の貴文愉快に拝読いたしました。上田など小生一高時代からの友人ですが、人間的に実にイヤな奴です。
「拝復。めくら草子の校正たしかにいただきました。御配慮恐入ります。只今校了をひかえ、何かといそがしくしております。いずれ。
月日。
「近頃、君は、妙に威張るようになったな。恥かしいと思えよ。(一行あき。)いまさら他の連中なんかと比較しなさんな。お池の岩の上の亀の首みたいなところがあるぞ。(一行あき。)稿料はいったら知らせてくれ。どうやら、君より、
「何かの本で、君のことを批評した言葉のなかに、
月日。
「貴兄の短篇集のほうは、年内に、少しでも、校正刷お目にかけることができるだろうと存じます。貴兄の御厚意身に
「僕はこの頃
「わずかな
「拝啓。益々御健勝の段慶賀の至りに存じます。さて今回本紙に左の題材にて貴下の御寄稿をお願い致したく御多忙中恐縮ながら左記条項お含みの上
月日。
「前略。ゆるし
「治兄。兄の評判大いによろしい。そこで何か随筆を書くよう学芸のものに頼んだところ大乗気で
「謹啓。一面識ナキ小生ヨリノ失礼ナル手紙御読了
月日。
「俺たち友人にだけでも、けちなポオズをよしたら、なにか、損をするのかね。ちょっと、日本中に類のない愚劣
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【日刊 太宰治全小説】#28「狂言の神」
【冒頭】
今は
【結句】
ああ、思いもかけず、このお
ーーなあんだ。
「狂言の神」について
・新潮文庫『二十世紀旗手』所収。
・昭和11年5月10日頃に脱稿。
・昭和11年10月1日、『東陽』十月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」)
なんじら断食するとき、かの偽善者のごとく悲しき
(マタイ六章十六。)
今は
「
残念、むねんの情であった。若き兵士たり、それから数行の文章の奥底に潜んで在る不安、
落第と、はっきり、きまった。かれら夫婦ひと月ぶんの生活費、その前夜に田舎の長兄が送ってよこした九十円の小切手を、けさ早く持ち出し、白昼、ほろ酔いに酔って銀座を歩いていた。老い疲れたる帝国大学生、
舞台では菊五郎の権八が、したたるほどのみどり色の紋付を着て、赤い
その夜、歌舞伎座から、
――ははは。ま。掛けたまえ。
――はっ。
――のみながら。
――はっ。
――ひとつ。
――はっ。という工合いに、兵士の如く肩をいからせ、すすめられた椅子に腰をおろして、このようなところで先生にお逢いするとは実もって意外である。先生は毎晩ここにおいでになるのでしょうか。私は、先夜、先生の千人風呂という作品を
――あれは君、はずかしいものだよ。
――しつれいいたしました。私の記憶ちがいでございました。千人風呂は
――まったくもって。
わけのわからぬ問答に問答をかさねて、そのうちに、久保田氏は、精神とかジャンルとか現象とかのこむずかしい言葉を言い出し、若い作家の読書力減退についてのお説教がはじまり、これは、まさしく久保田万太郎なのかもしれないなどと思ったら酔いも一時にさめはて、どうにも、つまらなくなって来て、
あああ。今夜はじつに愉快であった。大川へはいろうか。線路へ飛び込もうか。薬品を用いようか。新内と商人と、ふたりの生活人に自信を与えた善根によっても、地獄に堕ちるうれいはない。しずかな往生ができそうである。けれども、わが身が円タク拾って荻窪の自宅へ易々とかえれるような状態に在るうちは、心もにぶって、なかなか死ねまい。とにかく東京から一歩でも、半歩でもなんでも外へ出る。
その夜、ナポレオンは、私の知らない遊びかたを教えて呉れた。
あくる朝は、雨であった。窓をひらけば、ホテルの裏庭。みどりの草が一杯に生えて、牧場に似ていた。草はらのむこうには、赤濁りに濁った海が、低い曇天に押しつぶされ、白い波がしらも無しに、ゆらりゆらり、重いからだをゆすぶっていて、窓のした、草はらのうえに捨てられてある少し破れた白足袋は、雨に打たれ、女の青い
ながれ去る山山。街道。木橋。いちいち見おぼえがあったのだ。それでは七年まえのあのときにも、やはりこの汽車に乗ったのだな、七年まえには、若き兵士であったそうな。ああ。恥かしくて死にそうだ。或る月のない夜に、私ひとりが逃げたのである。とり残された五人の仲間は、すべて命を失った。私は大地主の子である。地主に例外は無い。等しく君の
風の
――だんだん小説がむずかしくなって来て困ります。
――そう。……でも。
口ごもって居られた。不服のようであった。ヴィルヘルム・マイスタアは、むずかしく考えて書いた小説ではなかった、と私はわれに優しく言い聞かせ、なるほど、なるほどと了解して、そうして、しずかな、あたたかな思いをした。私は、ふと
――一対一ということにして。
私は象戯の
――他日、勝負をつけましょう。
これが深田氏の、太宰についてのたった一つの残念な思い出話になるのだ。「一対一。そのうち勝負をつけましょう、と言い、私もそれをたのしみにしていたのに。」
ここを
ああ、思いもかけず、このお仕合せの結末。私はすかさず、筆を
――なあんだ。
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