2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧
7月31日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月31日。 太宰治 25歳。 七月三十一日付で、小舘善四郎(こだてぜんしろう)に葉書を送る。 弟のように可愛がった小舘善四郎(こだてぜんしろう) 今日は、1935年(昭和10年)7月31日付で、小舘善…
7月30日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月30日。 太宰治 38歳。 七月に書かれた、山崎富栄の日記。 富栄、募る太宰への想い 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)7月に書いた、5日分の日記を紹介します。 まずは、7月…
7月29日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月29日。 太宰治 26歳。 七月二十九日付で、山岸外史に葉書を送る。 「なぜ、君は遊びに来ないのか」 今日は、太宰が親友・山岸外史に宛てて、1935年(昭和10年)7月から8月にかけて書いたハガ…
7月28日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月28日。 太宰治 36歳。 朝、石原愛子、大内かね、和子などに甲府駅まで見送られ、焼土となった甲府をあとにし、妻子を連れて津軽へと旅立った。 太宰、甲府から津軽へ疎開 1945年(昭和20年)4…
7月27日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月27日。 太宰治 27歳。 七月二十七日付で、佐藤春夫に手紙を送る。 佐藤春夫へ「オ許シ下サイ」 佐藤春夫(1892~1964)は、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡新宮町(現在の、新宮市)出身の小説…
7月26日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月26日。 太宰治 27歳。 七月二十六日付で、中畑慶吉(なかはたけいきち)に葉書を送る。 中畑慶吉(なかはたけいきち)に宛てた自身の近況報告 太宰がハガキを書いた中畑慶吉(なかはたけいきち)は、青森県…
7月25日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月25日。 太宰治 27歳。 七月二十五日付発行の「工業大学蔵前新聞」に「走ラヌ名馬」四百字詰三枚を発表。 『走ラヌ名馬』 今日は、太宰のエッセイ『走ラヌ名馬』を紹介します。 『走ラヌ名馬』は、19…
7月24日の太宰治。 1927年(昭和2年)7月24日。 太宰治 18歳。 七月二十四日未明の芥川龍之介の自殺に、激しい衝撃を受ける。 「河童忌」芥川龍之介の命日 1927年(昭和2年)7月24日未明。『続西方の人』を書き上げた芥川龍之介(18…
7月23日の太宰治。 1944年(昭和19年)7月23日。 太宰治 35歳。 北海道、大連、青島などを、九州出身の職業軍人中村清に呼ばれるまま、水商売をしながら転々と渡り歩いていた小山初代(おやまはつよ)が、中華民国山東省青島市浙江路四号で、不…
7月22日の太宰治。 1937年(昭和12年)7月22日。 太宰治 28歳。 七月二十二日付で、平岡敏男(ひろおかとしお)に葉書を送る。 平岡敏男への近況報告 今日は、1937年(昭和12年)7月22日付で、友人・平岡敏男ひろおかとしお(1909…
7月21日の太宰治。 1942年(昭和17年)7月21日。 太宰治 33歳。 七月二十一日付で、戸石泰一(といしたいいち)に葉書を送る。 太宰、義弟の下宿探し 今日紹介するのは、太宰が弟子・戸石泰一(といしたいいち)(1919~1978)に宛て、1…
7月20日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月20日。 太宰治 30歳。 七月二十日付で短篇集『女生徒』を砂子屋書房から刊行した。 太宰、お見合いをセッティング 1939年(昭和14年)7月20日付で、太宰の第5短篇集『女生徒』(「満願」「…
7月19日の太宰治。 1937年(昭和12年)7月19日。 太宰治 28歳。 七月十九日付で、小山初代に手紙を送る。 太宰と離別後の小山初代 今日は、1937年(昭和12年)7月19日付で、太宰が内縁の妻・小山初代に宛てて書いた手紙を紹介します…
7月18日の太宰治。 1948年(昭和23年)7月18日。 太宰治 39歳。 三鷹町下連雀二百九十六番地、黄檗宗(おうばくしゅう)霊泉山禅林寺に葬られ、五七日の法要が営まれた。禅林寺に残る過去帳に記された法名は「文綵院大猷治通居士(ぶんさんいんだ…
7月17日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月17日。 太宰治 36歳。 上京。三鷹の家で、亀井勝一郎、田中英光、小山清などと別れの小宴をはった。 「甲府空襲」罹災後の太宰 今日は、7月7日の記事で紹介した「甲府空襲」で罹災したあとの、太宰…
7月16日の太宰治。 1926年(大正15年)7月16日。 太宰治 17歳。 「蜃気楼(しんきろう)」七月号を刊行。「哄笑(こうしょう)に至る」を津島修治の署名で、「因果帳」を無署名で発表し、巻末に「編輯後期」を(修治)の署名で掲げた。 『哄笑(こ…
7月15日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月15日。 太宰治 30歳。 鰭崎潤が見つけてくれた家を見るために上京し、三鷹に新築中の三軒の貸家の一番奥の家を契約して、家主からの完成の連絡を待つことになった。一番奥を選択したのは、「表通りに…
7月14日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月14日。 太宰治 38歳。 午前十一時ごろ、菊田義孝(きくたよしたか)が太宰宅を訪問する。 菊田義孝「愛情うすし」 今日は、太宰の弟子・菊田義孝(きくたよしたか)(1916~2002)が、1947年…
7月13日の太宰治。 1940年(昭和15年)7月13日。 太宰治 31歳。 美知子宛電報を打ち、滞在費を持って迎えに来させた。 太宰、「洪水に急襲」される 太宰は、1940年(昭和15年)7月3日から、「大判の東京明細地図」を携えて、東京在住…
7月12日の太宰治。 1933年(昭和8年)7月12日。 太宰治 24歳。 七月十二日付で、久保隆一郎(くぼたかいちろう)に手紙を送る。 久保隆一郎への手紙 今日は、1933年(昭和8年)7月12日付で、太宰が友人・久保隆一郎(くぼたかいちろう)(…
7月11日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月11日。 太宰治 27歳。 午後五時から、山崎剛平、浅見淵の尽力で、不忍池畔の上野精養軒において『晩年』の出版記念会が持たれた。 『晩年』の出版記念会 1935年(昭和11年)7月11日、午後5…
7月10日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月10日。 太宰治 30歳。 七月十日付発行の「文筆」初夏随筆号に「『人間キリスト記』その他」を発表。「随筆」で言及されているのは、山岸外史著『人間キリスト記』(第一書房、昭和十三年十一月二十五…
7月9日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月9日。 太宰治 38歳。 七月九日付で、3通の手紙を送る。 太宰の3通の手紙 今日は、1947年(昭和22年)7月9日付で、太宰が書いた手紙3通を紹介します。 1通目は、養徳社編集部・庄野誠一に宛て…
7月8日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月8日。 太宰治 27歳。 七月八日付で、佐藤春夫に手紙を送る。 太宰、佐藤春夫への誘い 今日は、1936年(昭和11年)7月8日付で、井伏鱒二の師匠筋・佐藤春夫に送ったハガキを紹介します。この佐藤…
7月7日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月7日。 太宰治 36歳。 明け方、愛子が久保寺家でもらってきたおにぎりを、焼け跡で受け取った。 太宰、「甲府空襲」に遭う 1945年(昭和20年)6月末に『お伽草紙』全4篇200枚の原稿を完成させ…
7月6日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月6日。 太宰治 27歳。 七月六日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 井伏の叱責と、太宰の言い訳 今日は、太宰が、1936年(昭和11年)7月6日付で、師匠・井伏鱒二に送った手紙を紹介します。 太宰は、同…
7月5日の太宰治。 1933年(昭和8年)7月5日。 太宰治 24歳。 「良暦記」に「津島修治至。成思出装画十二葉。」とある。 手製の『思い出』 「良暦記」は、青森出身の画家・根市良三(ねいちりょうぞう)(1914~1947)が書いていた日記です…
7月4日の太宰治。 1938年(昭和13年)7月4日。 太宰治 29歳。 七月上旬、長尾良(はじめ)が初めて鎌滝方に訪れ、、以後「満二ヶ月の間、殆ど生活を共にした」という。 長尾良(はじめ)と太宰の出会い 長尾良(はじめ)(1915~1972)は、兵…
7月3日の太宰治。 1940年(昭和15年)7月3日。 太宰治 31歳。 静岡県賀茂郡上河津村の湯ケ野温泉に着いて旅館福田屋(福田家)に宿をとり、その二階の六畳間で「東京八景」の稿を起こした。 湯ケ野温泉「福田屋」での執筆 1940年(昭和15…
7月2日の太宰治。 1948年(昭和23年)7月2日。 太宰治 39歳。 七月一日付発行の「月刊読物」薫風号に「黒石の人たち」を発表。 『黒石の人たち』 今日は、1948年(昭和23年)7月1日発行の「月刊読物」第一巻第五号に新仮名遣いで発表さ…