記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

小山初代

【週刊 太宰治のエッセイ】小照

◆「小照」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。文末コラムでは、太宰が遺書に「井伏さんは悪人です」と書いた、その真相に迫ります。

【週刊 太宰治のエッセイ】青森

◆「青森」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】女人創造

◆「女人創造」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】もの思う葦(その二)①

◆『もの思う葦(そのニ)』① 「我が儘という事」 「百花繚乱主義」 「ソロモン王と賤民」 「文章」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【日めくり太宰治】12月28日

12月28日の太宰治。 1936年(昭和11年)12月28日。 太宰治 27歳。 十二月下旬、檀一雄が、初代の依頼によって金を届けに訪れたが、支払いをせず、二人で遊び、金を使い果たして、借銭をした。 熱海事件(付け馬事件)① 今日は、「熱海事件」…

【日めくり太宰治】12月15日

12月15日の太宰治。 1928年(昭和3年)12月15日。 太宰治 19歳。 十二月十五日付で、弘前高等学校「校友会雑誌」第十三号が発行され、「此(こ)の夫婦(ふうふ)」を津島修治の署名で発表した。 『此(こ)の夫婦(ふうふ)』 今日は、太宰が弘前高…

【日めくり太宰治】12月10日

12月10日の太宰治。 1929年(昭和4年)12月10日。 太宰治 20歳。 深夜、多量のカルモチンを下宿で嚥下(えんげ)して昏睡状態に陥った。 カルモチン服用による自殺未遂 1929年(昭和4年)12月10日の深夜、弘前高等学校3年生の太宰は…

【日めくり太宰治】12月7日

12月7日の太宰治。 1930年(昭和5年)12月7日。 太宰治 21歳。 十二月上旬の恢復(かいふく)後、自殺幇助(ほうじょ)罪容疑で警察の引致取調べを受けた。 太宰、自殺幇助(ほうじょ)罪に問われる 1930年(昭和5年)11月28日夜半、太宰と…

【日めくり太宰治】11月29日

11月29日の太宰治。 1930年(昭和5年)11月29日。 太宰治 21歳。 午前八時頃、出漁しようとしていた浜上(はまじょう)の漁夫の一人に、苦悶中を発見されたが、女はすでに絶命していた。 鎌倉腰越町小動崎(こゆるぎがさき)での情死事件 193…

【日めくり太宰治】11月28日

11月28日の太宰治。 1930年(昭和5年)11月28日。 太宰治 21歳。 銀座裏のカフェー「ホリウッド」の女給通称田部(たなべ)あつみ(戸籍名田部シメ子、大正元年十二月二日生、十九歳)と識った。 太宰、田部(たなべ)あつみと小動崎(こゆるぎが…

【日めくり太宰治】11月25日

11月25日の太宰治。 1928年(昭和3年)11月25日。 太宰治 19歳。 青森に行き、平岡敏男(ひらおかとしお)とカフェー「太陽」で痛飲。 太宰、平岡敏男と痛飲 1928年(昭和3年)11月25日、官立弘前高等学校2年生の太宰は、青森市に行…

【日めくり太宰治】11月23日

11月23日の太宰治。 1930年(昭和5年)11月23日。 太宰治 21歳。 会談の結果、長兄文治は、生家からの分家除籍を条件として、初代との結婚を承諾した。 分家除籍と初代との結納 1930年(昭和5年)10月1日、太宰が東京帝国大学文学部…

【日めくり太宰治】11月12日

11月12日の太宰治。 1936年(昭和11年)11月12日。 太宰治 27歳。 午後一時ニ十分退院した。 太宰、東京武蔵野病院を退院 1936年(昭和11年)11月12日、太宰は、同年10月13日から1ヶ月間、パビナール中毒療養のために入院し…

【日めくり太宰治】11月10日

11月10日の太宰治。 1934年(昭和9年)11月10日。 太宰治 25歳。 銀座「山の小舎」での「青い花」同人会に出席。 太宰と中原中也② 1934年(昭和9年)11月10日、太宰は情熱を注いでいた文芸同人誌「青い花」の同人会に出席しました。…

【日めくり太宰治】11月7日

11月7日の太宰治。 1929年(昭和4年)11月7日。 太宰治 20歳。 十一月頃、町の娘と郊外の原っぱで、カルモチン心中を図って未遂に終わったと伝えられる。 太宰、最初の心中未遂? 1929年(昭和4年)11月頃、太宰が官立弘前高等学校3年…

【日めくり太宰治】11月4日

11月4日の太宰治。 1936年(昭和11年)11月4日。 太宰治 27歳。 太宰の入院中の三十一日間、毎日「看護日誌」が記録されている。 東京武蔵野病院入院中の太宰② 1936年(昭和11年)10月13日、太宰はパビナール中毒療養のため、北芳四…

【日めくり太宰治】10月31日

10月31日の太宰治。 1935年(昭和10年)10月31日。 太宰治 26歳。 十月三十一日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 「難関をひとりで切り抜ける覚悟」 1935年(昭和10年)10月31日付で、太宰は師匠・井伏鱒二に宛てて手紙を投函します。…

【日めくり太宰治】10月19日

10月19日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月19日。 太宰治 27歳。 太宰の入院中の三十一日間、毎日「看護日誌」が記録されている。 東京武蔵野病院入院中の太宰① 1936年(昭和11年)10月13日、太宰はパビナール中毒療養のため、北…

【日めくり太宰治】10月15日

10月15日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月15日。 太宰治 27歳。 篠原病院に入院中の小舘善四郎には、母小舘せい(勢以)が上京し付添い看護する予定であったが、都合で来られなくなり、小舘礼子に代って初代が付添い、看護をすることにな…

【日めくり太宰治】10月13日

10月13日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月13日。 太宰治 27歳。 朝、北芳四郎(きたよししろう)、中畑慶吉(なかはたけいきち)が船橋に来訪、井伏鱒二とともに麻薬中毒治療のために入院するよう説得。遂に入院を決意した。 太宰、東京武蔵野…

【日めくり太宰治】10月9日

10月9日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月9日。 太宰治 27歳。 小舘善四郎(こだてぜんしろう)が、手首の静脈を切って鰭崎潤(ひれざきじゅん)宅に駆け込んだ。 小舘善四郎(こだてぜんしろう)の自殺未遂 1936年(昭和11年)10月10日…

【日めくり太宰治】10月7日

10月7日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月7日。 太宰治 27歳。 初代がパビナール中毒を心配して井伏鱒二を訪れ、相談。 初代、太宰の身を案じて井伏宅へ 1936年(昭和11年)10月7日、太宰の最初の妻・小山初代は、太宰のパビナール…

【日めくり太宰治】10月4日

10月4日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月4日。 太宰治 27歳。 一か月のちには、初代を東京の知人の許に預け、入院しようと考えていたようである。同日、伊馬鵜平と小山祐士とが訪れた。 伊馬鵜平と小山祐士の船橋訪問 1936年(昭和11…

【日めくり太宰治】10月1日

10月1日の太宰治。 1930年(昭和5年)10月1日。 太宰治 21歳。 小舘保、葛西信造とともに、首尾よく赤羽駅に初代を迎えた。 初代、赤羽で降車し、太宰と再会 1930年(昭和5年)9月、東京帝国大学文学部仏文科に入学して5ヶ月が経った太…

【日めくり太宰治】9月26日

9月26日の太宰治。 1935年(昭和10年)9月26日。 太宰治 26歳。 八月末に脱稿して送付した「ダス・ゲマイネ」の原稿料が入ったので、檀一雄、小舘善四郎、山岸外史とともに湯河原に遊び、翠明館(すいめいかん)に宿泊。 はじめての原稿料で湯河…

【日めくり太宰治】9月24日

9月24日の太宰治。 1936年(昭和11年)9月24日。 太宰治 27歳。 九月中旬、健康快復のため、十一月末から満二か年の予定で、正木不如丘経営の信州富士見高原療養所での、サナトリアム生活を計画。 信州でのサナトリアム生活を計画 1936年…

【日めくり太宰治】9月17日

9月17日の太宰治。 1930年(昭和5年)9月17日。 太宰治 21歳。 小山初代へ、修治から、詳細な指示のもとに、「上京せよ」という便りがあった。 太宰、小山初代に「上京せよ」 1930年(昭和9年)9月、太宰(本名:津島修治)が、東京帝国…

【日めくり太宰治】8月12日

8月12日の太宰治。 1932年(昭和7年)8月12日。 太宰治 23歳。 中断していた創作に専念して、「思い出」を書きはじめた。 創作活動を再開、静浦村での日々 1932年(昭和7年)7月31日、左翼運動から離脱した直後の太宰は、静養と執筆の…

【日めくり太宰治】8月11日

8月11日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月11日。 太宰治 29歳。 八月十一日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 井伏鱒二へのお礼と決意表明 今日は、太宰が1938年(昭和13年)8月11日に、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。…

【日めくり太宰治】7月23日

7月23日の太宰治。 1944年(昭和19年)7月23日。 太宰治 35歳。 北海道、大連、青島などを、九州出身の職業軍人中村清に呼ばれるまま、水商売をしながら転々と渡り歩いていた小山初代(おやまはつよ)が、中華民国山東省青島市浙江路四号で、不…