記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

【日めくり太宰治】8月31日

8月31日の太宰治。 1935年(昭和10年)8月31日。 太宰治 26歳。 八月三十一日付で、今官一(こんかんいち)に手紙を送る。 「僕は君を愛している」 今日は、太宰が、1935年(昭和10年)8月31日付で、親友・今官一(こんかんいち)(19…

【日めくり太宰治】8月30日

8月30日の太宰治。 1947年(昭和22年)8月30日。 太宰治 38歳。 八月に書かれた、山崎富栄の日記。 「僕の内臓の一部のような気がする」 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)8月に書いた、6日分の日記を紹介します。 …

【日めくり太宰治】8月29日

8月29日の太宰治。 1929年(昭和4年)8月29日。 太宰治 20歳。 「猟騎兵」第六号が発売され、「虎徹宵話(こてつしょうわ)」を小菅銀吉の署名で発表。 『虎徹宵話(こてつしょうわ)』 今日は、太宰が官立弘前高等学校時代に発表した『虎徹宵話(こ…

【日めくり太宰治】8月28日

8月28日の太宰治。 1945年(昭和20年)8月28日。 太宰治 36歳。 疎開先の故郷金木から手紙を送る。 疎開先から弟子と師匠に送る手紙 今日は、太宰が疎開先の故郷・金木町から3人に送った書簡を紹介します。 太宰は、1945年(昭和20年)…

【日めくり太宰治】8月27日

8月27日の太宰治。 1944年(昭和19年)8月27日。 太宰治 35歳。 この年六月二十七日に同年齢の三十六歳で逝去した津村信夫を悼んで秋に出版の計画であった私家版『津村信夫追悼録』のために、「郷愁」を執筆したが、この追悼録は未刊に終わっ…

【日めくり太宰治】8月26日

8月26日の太宰治。 1944年(昭和19年)8月26日。 太宰治 35歳。 八月下旬の頃、別所直樹(べっしょなおき)が初めて三鷹の家を訪れた。 太宰と別所直樹(べっしょなおき)との出逢い 今日は、太宰の弟子・別所直樹(べっしょなおき)(1921~1…

【日めくり太宰治】8月25日

8月25日の太宰治。 1936年(昭和11年)8月25日。 太宰治 27歳。 八月二十五日付で、浅見淵(あさみふかし)に葉書を送る。 川久保屋旅館滞在中の手紙 太宰は、1935年(昭和11年)8月7日から8月27日頃まで、パビナール中毒と肺病の療…

【日めくり太宰治】8月24日

8月24日の太宰治。 1943年(昭和18年)8月24日。 太宰治 34歳。 井伏鱒二(いぶせますじ)宅を訪問し将棋を指す。 戦後の太宰と師匠・井伏鱒二 1943年(昭和18年)8月24日、太宰は師匠・井伏鱒二(いぶせますじ)宅を訪問し、将棋を指し…

【日めくり太宰治】8月23日

8月23日の太宰治。 1935年(昭和10年)8月23日。 太宰治 26歳。 八月下旬、鰭崎潤(ひれざきじゅん)が、小舘善四郎に誘われて船橋に訪れた。( 鰭崎潤(ひれざきじゅん)と「聖書知識」 1935年(昭和10年)8月下旬頃、鰭崎潤(ひれざきじゅ…

【日めくり太宰治】8月22日

8月22日の太宰治。 1935年(昭和10年)8月22日。 太宰治 26歳。 山岸外史に伴われて、芥川龍之介賞詮衡委員の一人であり、また支持者でもあった佐藤春夫を、小石川区関口町二百七番地の自宅に訪問、以後師事した。 太宰と佐藤春夫、初めての出…

【日めくり太宰治】8月21日

8月21日の太宰治。 1933年(昭和10年)8月21日。 太宰治 26歳。 八月二十一日付で、小舘善四郎(こだてぜんしろう)に葉書を送る。 第一回芥川龍之介賞、落選直後 今日は、太宰が義弟・小舘善四郎(こだてぜんしろう)に宛てて書いた2通のハガキ…

【日めくり太宰治】8月20日

8月20日の太宰治。 1940年(昭和15年)8月20日。 太宰治 31歳。 八月頃から、京都府綴喜郡青谷村大字奈島字十六番地の文学青年木村庄助(きむらしょうすけ)(大正十年三月九日生、二十歳、京都市立商業実修学校卒)との文通が始まった。「善蔵…

【日めくり太宰治】8月19日

8月19日の太宰治。 1942年(昭和17年)8月19日。 太宰治 33歳。 八月下旬、石原明が、戸石泰一(といしたいいち)の世話で、養賢堂が建てた大学近くの寮に入舎できることになった。() 義弟の下宿、見つかる 今日、紹介するのは、7月21日の記…

【日めくり太宰治】8月18日

8月18日の太宰治。 1926年(大正15年)8月18日。 太宰治 17歳。 夏休みに入って、中村貞次郎(なかむらさだじろう)が、津島家で二週間ほど過ごし、起居を共にした。 太宰、中学4年の夏休み 1926年(大正15年)、太宰が、青森県立青森中…

【日めくり太宰治】8月17日

8月17日の太宰治。 1941年(昭和16年)8月17日。 太宰治 32歳。 故郷の母夕子(たね)の衰弱が甚だしいとのことで、北芳四郎(きたよししろう)の勧めによって、十年振りで故郷に帰り、母夕子(たね)、祖母イシ、次兄英治、叔母キヱなどと逢った。…

【日めくり太宰治】8月16日

8月16日の太宰治。 1943年(昭和18年)8月16日。 太宰治 34歳。 芳賀檀(はがまゆみ)が、「こんど太宰治が『ユダヤ人実朝』を書いた」と放言。それが太宰の耳に入って、中谷孝雄、檀一雄、芳賀檀(はがまゆみ)などとの間に一悶着があった。 『ユ…

【日めくり太宰治】8月15日

8月15日の太宰治。 1945年(昭和20年)8月15日。 太宰治 36歳。 正午、戦争終結の詔(みことのり)が放送された。 金木で迎えた終戦 1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)、当時日本唯一の放送局だった、社団法人日本放送協会…

【日めくり太宰治】8月14日

8月14日の太宰治。 1935年(昭和11年)8月14日。 太宰治 27歳。 パビナール中毒と肺病とを癒そうとして、単身群馬県谷川温泉に行き、同県利根郡水上村字谷川五百二十二番地の佐藤亀次郎経営の川久保屋に投宿した。一日一円、半ば自炊の滞在で…

【日めくり太宰治】8月13日

8月13日の太宰治。 1942年(昭和17年)8月13日。 太宰治 33歳。 八月十一日頃、箱根に行き、箱根ホテル に滞在して「花火」を執筆し、八月十八日に帰宅した。この時、桂英澄(かつらひでずみ)は、弟がたまたま箱根ホテル のすぐ側の大工の家の…

【日めくり太宰治】8月12日

8月12日の太宰治。 1932年(昭和7年)8月12日。 太宰治 23歳。 中断していた創作に専念して、「思い出」を書きはじめた。 創作活動を再開、静浦村での日々 1932年(昭和7年)7月31日、左翼運動から離脱した直後の太宰は、静養と執筆の…

【日めくり太宰治】8月11日

8月11日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月11日。 太宰治 29歳。 八月十一日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 井伏鱒二へのお礼と決意表明 今日は、太宰が1938年(昭和13年)8月11日に、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。…

【日めくり太宰治】8月10日

8月10日の太宰治。 1944年(昭和19年)8月10日。 太宰治 35歳。 長男正樹が、山梨県甲府市水門町二十九番地で誕生した。 長男・正樹の誕生 今日は、太宰の長男・津島正樹(つしままさき)(1944~1960)が生まれた日です。 まずは、正樹…

【日めくり太宰治】8月9日

8月9日の太宰治。 1939年(昭和14年)8月9日。 太宰治 30歳。 三鷹の家が、予定通り完成せず、移転が延びる。 三鷹の家が、予定どおり完成せず 今日は、甲府から三鷹での住居捜しの途中経過について。東京から少し離れた甲府での執筆作業は不便…

【日めくり太宰治】8月8日

8月8日の太宰治。 1936年(昭和11年)8月8日。 太宰治 27歳。 八月四日付で中畑慶吉に、八月七日付で津島文治に手紙を送る。 長兄・文治への近況報告 今日は、お目付け役・中畑慶吉と、長兄・津島文治に宛てて書いた手紙を紹介します。 まずは、…

【日めくり太宰治】8月7日

8月7日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月7日。 太宰治 29歳。 青森駅前通りの成田本店で、母くらから聞いた人の著書『虚構の彷徨、ダス・ゲマイネ』を発見して購い、連絡船の中で読んだという。 著作をめぐる2人の女性の物語 今日は、太宰を取…

【日めくり太宰治】8月6日

8月6日の太宰治。 1945年(昭和20年)8月6日。 太宰治 36歳。 田中英光(たなかひでみつ)は、二泊して六日立ち去った。 田中英光、金木の太宰を訪問 太宰は、1945年(昭和20年)7月31日、四昼夜をかけて甲府から故郷・金木へと疎開しま…

【日めくり太宰治】8月5日

8月5日の太宰治。 1940年(昭和15年)8月5日。 太宰治 31歳。 八月五日付発行の「東京帝国大学新聞」に「貪婪禍(どんらんか)」を発表。 『貪婪禍(どんらんか)』 今日は、太宰のエッセイ『貪婪禍(どんらんか)』を紹介します。 『貪婪禍(どんらん…

【日めくり太宰治】8月4日

8月4日の太宰治。 1936年(昭和11年)8月4日。 太宰治 27歳。 八月四日付で、楢崎勤(ならさきつとむ)に葉書を送る。 『白猿狂乱』顛末記 今日は、7月27日の記事で紹介した、「新潮」九月号に掲載する小説30枚用に、小説『白猿狂乱』を執筆…

【日めくり太宰治】8月3日

8月3日の太宰治。 1941年(昭和16年)8月3日。 太宰治 32歳。 当時高山書院に務めていた菊田義孝(きくたよしたか)が、はじめて三鷹の家を訪れた。 菊田義孝、三鷹の住居を初訪問 1941年(昭和16年)8月3日、高山書院に勤めていた菊田義…

【日めくり太宰治】8月2日

8月2日の太宰治。 1941年(昭和16年)8月2日。 太宰治 32歳。 八月二日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 セルフレビューと仮入歯 今日は、1941年(昭和16年)8月2日付で、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。 東京府下三鷹町下…