記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】8月7日

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8月7日の太宰治

  1938年(昭和13年)8月7日。
 太宰治 29歳。

 青森駅前通りの成田本店で、母くらから聞いた人の著書『虚構の彷徨ダス・ゲマイネ』を発見して購い、連絡船の中で読んだという。

著作をめぐる2人の女性の物語

 今日は、太宰を取り巻く2人の女性が、はじめて太宰の著書を手に取った時のことを紹介します。

 1人目の女性は、石原美知子(いしはらみちこ)(1912~1997)。美知子は、のちに太宰の妻となりました。美知子と太宰の著作との出会いについて、結婚前の様子も絡めながら、美知子の著書『回想の太宰治から引用します。

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 当時、太宰は、愛読者と、支持者をすでに持っていたが、知名度ともなればいたって低いものであった。昭和十年第一回芥川賞次席になって以後ニ、三年の沈滞期がなかったら、もっと文名が上がっていたろう。そして相当ひどい評判や噂が彼を囲んでいたらしいが、私は知らなかったし、この縁談を伝え聞いて出版社に勤めている従姉(いとこ)の夫から、私の母に忠告があったことを聞いたが、それほど気にならなかった。かぞえ年で二十七歳にもなっていながら深い考えもなく、著書を二冊読んだだけで会わぬさきからただ彼の天分に眩惑されていたのである。
 太宰という一作家を知るきっかけとなったのは、井伏先生から斎藤氏に宛てた一通の封書で、毛筆の小さい楷書で「甲府市竪町(たつまち)九十三番地、斎藤文二郎様」と宛名を記した細身の封筒は、その前後、長い間、私の実家の茶の間の状差に差してあった。母がなんという能筆な方だろう、と嘆声を洩らしたのを覚えている。
 巻紙に相手の年齢について、十九歳から二十九歳まで(太宰がそのとき三十歳、年齢はすべて数え年)と制限し、太宰については既に何冊か小説集を上梓していること、近々刊行予定のものもあることなどが書かれていた。仕事に関することだけで、私生活については全く触れてなかった。
 井伏先生に太宰のための嫁探しを懇願したのは、北、中畑両氏である。
 井伏先生と同郷で愛弟子の高田英之助氏が新聞社の甲府支局に在勤中、斎藤家のご長女須美子さんと知り合い、婚約中の間柄で、北さんと中畑さんに懇願された井伏先生は高田氏を通して近づきになった斎藤氏に書面を送って、一件を依頼された。斎藤家では、愛婿となるべき人の、敬愛してやまぬ先輩からの依頼とあって周囲を物色し、この書面を私の母のもとに持参し、紹介してくださったのである。
 斎藤夫人が井伏先生と太宰とを、水門町の私の実家に案内してくださった九月十八日午後、甲府盆地の残暑は大変きびしかった。井伏先生は登山服姿で、和服の太宰はハンカチで顔を拭いてばかりいた。黒っぽいひとえに夏羽織をはおり、白メリンスの長襦袢の袖が見えた。私はデシンのワンピースで、服装の点でまことにちぐはぐな会合であった。
縁先の青葡萄の房が垂れ下がり、床の間には放庵の西湖の藤と短歌数首の賛の軸が掛かっていた。太宰の背後の鴨居には富士山噴火口の大鳥瞰写真の額が掲げてあった。太宰は御坂の天下茶屋で毎日いやというほど富士と向かい合い、ここでまた富士の軸や写真に囲まれたわけである。

 

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■御坂の天下茶屋

 

 それから後、この話は順調に進んだのであるが、当時の彼の書簡でみると、太宰はひとり、天下茶屋で気をもみ、取越苦労をしていたらしい。性格と育ちとから、初めての土地で、初めて知った家庭の素人の女性を相手に自分で交渉することなど何よりの苦手であったと思う。太宰は生家に自分を認めさせたく、それが彼の仕事への推進力にもなっている。その一方、何かというと生家を当てにして援助を求める。郷里の家では、もはや太宰になんの期待ももたず、話に乗らず、相手にせず、飢えさせないだけの仕送りをして、それが適当な処遇と考えていた。太宰が過去どれだけ生家の体面を汚し、母を泣かせたか考えれば当然であるのに――。私の実家に対しての見栄もあり、苦労性の彼はさまざま思い乱れていた様子であるが、周囲の好意――それは多かれ少なかれ彼の天分を認めての上で――によって、婚約披露宴も結納も滞りなく行われた。
 十一月六日、私の叔母ふたりを招き、ささやかな婚約披露の宴が私の実家で催された。東京からは井伏先生がわざわざ臨席してくださり、文学や画の好きな義兄Yが洋酒を持参して祝ってくれた。床の間に朱塗りの角樽が一対並んでいた。結納は太宰から二十円受けて半金返した。太宰はこれが結納の慣例ということを知らず、十円返してもらえることを知って大変喜んだ。
 この頃までに、私は太宰の作品集二つと、その頃雑誌に発表した短篇を読んだ。八月はじめ、私は東北から北海道への旅行に出て、十和田湖からバスで青森市に出て、連絡船の出航を待つ間、駅前通りの成田書店に入って、棚に、母から聞いた人の著書「虚構の彷徨」が三冊ほど並んでいるのを発見し、連絡船の中で読んだ・「一九三八・八・七 青森にて」と書き入れたこの本が今も残っている。

 

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■「駅前通りの成田書店」 成田本店 しんまち店(Google Mapsより)

 

晩年」は秋になって太宰が砂子屋書房に頼んで送ってくれた。「満願」の載った「文筆」が同封されていた。そのころ「新潮」で「姥捨」を読んだ。こんなに自分のことばかり書いて――この人は自分で自分を(ついば)んでいるようだ――そんなことを感じた。
 御坂峠と手紙の往復をしていて、あるとき「思い出」の中の「私が三年生になって、春のあるあさ――」の一節を毛筆の細かい楷書で和紙に書写して送った。作家願望の最初のあらわれで私の胸にとくにひびいた一節だったから――。
「あれはよいことだ」と彼は言った。予期せぬことが彼を大変喜ばせた。
 当時A氏の「F」という長篇小説が評判で、私は太宰に会ったとき「F」のことを話題にした。話題にしただけなのだが、これはよくなかった。そのときは何も言わなかったが、あとさきまで、「お前はAの『F』をいいなんて言ったね」という言い廻しで、太宰という作家を前において、他の現存作家の名や作品を口にしたことを(なじ)った。

  美知子が、はじめて手に取った太宰の著作は、太宰の第2短篇集虚構の彷徨ダス・ゲマイネでした。

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 虚構の彷徨ダス・ゲマイネは、1937年(昭和12年)6月1日付、「新選純文学叢書」の一冊として、新潮社から刊行されました。
 この短篇集には、虚構の彷徨」三部作道化の華』『狂言の神』『虚構の春)のほか、ダス・ゲマイネが収録されています。

 美知子と同じく、虚構の彷徨ダス・ゲマイネが、はじめて手に取った太宰の著作だというのが、今日紹介する2人目の女性です。

 2人目の女性は、太田静子(おおたしずこ)(1912~1982)。静子が、はじめて虚構の彷徨ダス・ゲマイネを手に取ったのは、1941年(昭和16年)秋頃のことでした。静子と太宰の著作との出会いについて、太宰と静子のご息女・太田治子の著書『明るい方へ』から引用します。

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 弟の武の勤める東芝の同僚と結婚後二ヵ月もたたないうちに別居した母が、女の赤ちゃんを生んだのはその頃のことだった。生まれつき体が弱かった赤ん坊の満里子は、生後まもなくに肺炎で息を引き取った。
「私が夫を愛していなかったから、満里子は死んでしまったのだ」
 と母は思い悩んだ。自分の心をあざむいて、相手の熱意にほだされての結婚だった。離婚したくても、満里子が生まれてはそれができなくなった。
 古い女大学の教えをひきずっていた母は、自らの死を考えた。冬なのに窓を開けたまま、赤ん坊の枕許で呆然と夜を明かすこともあったという。そのせいで肺炎になったのかもしれないと、彼女は苦しんだ。満里子が、自分のかわりに死んでいったのは確かだった。
 離婚して目黒の大岡山で太田きささま(著者注:静子の母)との二人暮らしが始まってからの母は、赤ん坊を死なせてしまったという告白の作品を書きたいと思うようになった。
 そうした或る日、手にした一冊の本が太宰治の『虚構の彷徨』だった。

 

 僕はこの手もて、園を水にしずめた。

 

 この一行に、母の眼は釘付けになった。私と同じ罪の意識を持った作家がここにいる、この人を師として仰ぎたい、手紙を出さずにはいられなかった。
 返事がすぐに届いた。
「家に遊びにいらっしゃいませんか」
 そう書かれた手紙を胸に、母は近所の草原を歩きまわったという。昭和十六年の秋、真珠湾攻撃の日が間近に迫っている頃だった。

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■『虚構の彷徨ダス・ゲマイネ』の口絵写真

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
太田治子『明るい方へ』(朝日文庫、2012年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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