記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】8月6日

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8月6日の太宰治

  1945年(昭和20年)8月6日。
 太宰治 36歳。

 田中英光(たなかひでみつ)は、二泊して六日立ち去った。

田中英光、金木の太宰を訪問

 太宰は、1945年(昭和20年)7月31日、四昼夜をかけて甲府から故郷・金木へと疎開します。金木への疎開道中については、7月28日の記事で紹介しました。

 太宰が金木に疎開して4日後の、8月4日。太宰の弟子・田中英光(たなかひでみつ)(1913~1949)が、東京から北海道へ社用で出張したついでに、金木の太宰を訪問します。田中は、早稲田大学政経学部を卒業したあと、横浜ゴム製造株式会社で働いていました。

 田中訪問の様子を、太宰の妻・津島美知子の回想『回想の太宰治から引用してみます。

 金木に着いて四日目、太宰が芦野に小屋を作る手伝いに出ているとき、私に来客との知らせで出てみると、田中英光さんが持ち前の人なつこい笑顔で立っていたのには驚いた。太宰は芦野へ行く途中のやまはら(姉の嫁ぎ先、著者注:”ヘ”の下に”原”)で闇のウイスキーを調達してもてなすのが精一杯で、酔った田中さんが、文治兄に逢わせろと駄々をこねるので大男の田中さんをなだめるのに大骨折であった。

 田中が津軽を訪れた際、太宰はヤマゲン(著者注:”ヘ”に”源”。太宰生家の屋号)の大きな赤屋根が空襲の目標になりやすいという理由から、芦野湖に近い原野にアヤ(男衆)たちと避難小屋を建てる手伝いをしているところでした。

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 田中は2日滞在して、8月6日に帰京しますが、駄々をこねる田中をなだめて帰すのに、苦労したそうです。

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田中英光

 田中訪問の約1ヶ月半後の9月23日。太宰は田中に宛てて手紙を書いています。どうやら、田中から届いた訪問の礼状への返信のようです。

  青森県金木町 津島文治方より
  静岡県田方郡内浦村三津
   田中英光

 拝復 先日は、私こそ大へん失礼いたしました。わざわざおたずね下さったのに、あの混雑最中で、それに居候の身の上、お察し下されたく、先輩も胸中悲痛のものがあったデス、御寛恕下さい。他日必ず東京で飲み直しましょう。
 会社のほうが、あぶない由、まああせらずに休養し、そうして読書と執筆をおつづけ下さい。文運大いに起っています。
 四、五日前、小山の加納君が金木へあらわれました。彼は兵隊に行っていたのだそうです。たいへん上部になって、九月に除隊になって帰り、文運大いに起るの兆を望見して、近日旗挙げ準備に上京するそうです。出版会内の小山書店にレンラクしたら逢えるかも知れません。今日まで私のところへ原稿ほしいと言って来ているものの中で主なるところは、
(新興会社では)新紀元社(中野正人)神田区西神田ニノ二十一、経国社(菱山雷章)京橋区銀座西五丁目五、鎌倉文庫創立事務所 麹町区丸ノ内丸ビル六階六九三号
 いずれも仲々の意気込みです。何かおついでの時でも、立寄ってみるのも一興と思い、右記した次第です。とにかくいゝ小説を書いて下さい。生活費くらいはかせげると思います。
 私は、そうは言うものの、どうも、なまけてばかりいて、甚だ面目ない次第です。しかし、あすから精を出します。まず仙台河北新報にレンサイ小説を書くつもり、しかし百回くらいでカンベンしてもらうつもり、挿絵は中川一政で稿料も一枚十円くらいらしいから、まあ新聞小説としては、ほどよい条件だろうと思います。題は「パンドラの匣」としました。うまくゆくかどうか、甚だ心細く憂鬱です。
 それではまたおたよりしますから、元気でいて下さい。お子供衆お大事に。
 奥さまにもくれぐれよろしく御鳳声たのむ。
            不尽
やまはら(著者注:”ヘ”の下に”原”)一家では、田中さんはなかなかいゝお方だとたいへんです。

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 田中が、なだめられながら渋々金木をあとにした、1945年(昭和20年)8月6日の午前8時15分、広島県広島市に、アメリカ空軍機B29「エノラ・ゲイ」による、人類史上初の都市に対する核攻撃が行われ、原子爆弾リトルボーイ」が投下されました。
 その3日後、同年8月9日の午前11時02分、長崎県長崎市アメリカ空軍機B29「ボックスカー」による、人類史上最後の都市に対する核攻撃が行われ、原子爆弾「ファットマン」が投下されました。
 さらに5日後、同年8月14日、大日本帝国は御前会議で「ポツダム宣言」受諾を正式に決定。翌8月15日の正午(日本標準時)に、当時唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から、昭和天皇による終戦詔書大東亜戦争終結詔書)の音読が放送されました(玉音放送)。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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