記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月20日

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5月20日の太宰治

  1946年(昭和21年)5月20日。
 太宰治 36歳。

 五月中旬、芥川比呂志(あくたがわひろし)が、加藤道夫らと創設した思想座での「新ハムレット」の上演許可を得るために復員姿で来訪。

芥川比呂志(あくたがわひろし)、太宰を訪問する

 芥川比呂志(あくたがわひろし)(1920~1981)は、東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身の俳優・演出家。作家・芥川龍之介の長男です。「芥川比呂志」は本名で、龍之介の親友・菊地寛(ペンネームは「きくち”かん”」だが、本名では”ひろし”と読む)の名前の読み方を、万葉仮名に当てたことに由来するそうです。
 1955年(昭和30年)に演じた、シェイクスピアハムレットのタイトルロールは、今なお伝説として、演劇史に語り継がれており、芥川は「貴公子ハムレットと呼ばれました。日本最大規模の劇団である「劇団四季」の名づけ親でもあります。

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芥川比呂志

 1946年(昭和21年)5月中旬。実家の金木へ疎開していた太宰を、芥川が訪問します。太宰の書いたレーゼドラマ新ハムレットの上演許可を得るためでした。今回は、芥川が書いたエッセイを引用しながら、芥川の太宰訪問時の様子を紹介します。
 まずは、エッセイ太宰治とともに』からの引用です。

 昭和二十一年五月某日の午後、青森県金木町の実家に「疎開」中の太宰治氏を訪問した私は、その高い煉瓦(れんが)塀と、大きな門構えにびっくりし、とっさにへんな連想をした。鬼が島。おそらくこれから訪問する人の「お伽草紙」が頭にあったせいである。

 

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■太宰の生家「斜陽館」 青森県金木町(2005年(平成17年)3月に合併し、現在は五所川原市)にある。エッセイ中に登場する「五所河原」の表記は、芥川の勘違いと思われる。2011年、著者撮影。

 

 女の人が出てくる。太宰さんはいらっしゃいますか、というと、修治さんは五所河原へお酒を買いに行かれました、✕時ごろおかえりになります、と答える。ではその時間にまた伺います、と告げて門を出る。
 五所河原は金木よりも大きな町で、汽車で行く町である。
 こんな突然の訪問が非礼でもなく、珍しくもなかった時代で、その代り訪問者は相手の不在を覚悟していなければならない。町を歩き、裏山へのぼり、墓地のはずれの木蔭で一眠りする。兵隊流儀である。
 二時間後。玄関で、かえってきた太宰さんとばったり出会う。むろん初対面である。
 背が高い。こちらも一メートル七一だが、どうしても見上げるようになってしまう。一升壜(いっしょうびん)()げている。
「芥川って、あの芥川か?」
 太宰さんが()く。なんだか、眠そうな顔をしている。照れ臭いのだ。
「はい」
 こちらも照れ臭い。二十六歳。学校を出て、そのまま戦争に行って、かえってきたばかりである。芝居をしようと思っている、それだけで、まだ何もしていないあの芥川である。太宰流にいうと、こちらの方が十倍も、百倍も照れ臭く、(はず)かしく、わあっと大声あげて駆け出したいくらいである。
 照れ隠しが半分、あがっているのが半分で、私は「新ハムレット」を上演させて頂きたいという来訪の用件を、その場ですっかりしゃべってしまった。申告終り。軍隊ならば敬礼するところである。

 

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■芥川書入れ『新ハムレット 芥川は太宰訪問時、この本を持参した。

 

「まあ、上れよ」
 太宰さんは眠そうな顔でいい、先に立つ。廊下を行く。広い家である。歩きながら、太宰さんが振り返っていう。
「この家も、『桜の園』でねえ」
 相手の念頭を(かす)めるかも知れぬ想念を、一瞬、先取りしながら、サーヴィスに転化させる氏一流の挨拶である。

 座敷へ通ってからも、私は照れ臭く、恥かしく、口数少なく、固くなっていた。好きな作家と差し向いになることが、こんなに辛いこととは思わなかった。うれしい癖に辛いのだ。相手の顔が正視できない。机を見る。丁寧に消しの入った書きかけの小説の原稿がある。あまり見ては悪いような気がして、また眼を()らす。しまいには見るものがなくなって、ぼんやり、眼の前の丸い大きな卓袱台(ちゃぶだい)をながめるばかりである。こんな男が、どうして芝居なんかやる気になったのか、と太宰さんは不審に思ったことだろう。

 

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■太宰が執筆に使用した部屋(写真奥) 芥川は、この部屋で太宰と話したと思われる。この時の書きかけの小説は春の枯葉。現在、「旧津島家新座敷 太宰治疎開の家」として公開されている。2018年、著者撮影。

 

 太宰さんはしきりに話した。話して私の気持を楽にさせようとする風だった。太宰さんの話し方は、その小説中の人物たちの話し方とそっくりで、今でも私は太宰さんの小説を読むと、作者の声が聞こえてくるような気がする。肉声で書かれた小説、という気がする。
「この卓袱台(ちゃぶだい)は、津軽塗といってねえ。ひどい模様だ。模様なんてものじゃない、ただもう、無茶苦茶さ、なんの意味もない」
「新劇はだめだねえ。気分劇、なんていうから、なんのことかと思ったら、窓の鳥籠にカナリヤがいて、そいつがチュンと()くと、男が女の肩に手をかけて『秋だねえ』なんて。いやだねえ。柱によっかかったりして。気障(きざ)だねえ」
「新派か。あれは俗か。なんだか、下品だろう。倶利伽羅(くりから)紋々のやつが、双肌ぬぎで、赤い人絹の座ぶとんを裏返しにして、チャッと、音たてて花札やってるような感じがする。馬鹿だねえ」
「おれは役者にはなれないんだ。概念的な美男だから。あはは」
 あの芥川の話も出た。父が晩年、体をわるくして、内側に毛皮を張った足袋をはいていたと私がいうと、「おしゃれ童子」の作者は、ちょっと沈黙した後、長大息して、おどけて答えた。
「思えば野暮な男であったなあ」

  さて、この日の夜、芥川は太宰と晩酌をともにするのですが、この時の様子は、また別のエッセイ『笑いたい』から引用します。

 夜の座敷の客は、私のほかに数名、主人をかこんで話がはずみ、笑い声は間断なく、私一人が無言であった。まだ酒の味を知らず、無理にやっと飲んだ数杯のビールが、かえって憂鬱(ゆううつ)をつのらせた。私は(かたく)なに黙っていた。
 ふと、卓の向うから、微笑して、主人が、私に声をかけた。
「きみ、靴下をぬいでごらん。楽になる」
 虚をつかれた。半信半疑で、言われた通りにした。なるほど効果はてきめんであった。私は()きものが落ちたようにしゃべり始めた。
 隣から酒をすすめられる。断ろうとする私を制して、主人は卓ごしに自分の盃を差出し、おどけた調子で言う。
「弱きを助けよ」
 私は、はじめて、みなといっしょに哄笑した。
 青森県金木町のその家の主人の名は、太宰治

 太宰との対面当初は緊張していた芥川ですが、太宰の気遣いによって、その日の夜には打ち解けられたようです。
 その次の日。太宰と出かけた時の様子を、再び、エッセイ太宰治とともに』に戻って引用します。

 翌日。湖へ行く。こごみ加減の太宰さんはお昼のお重を提げていて、いくら私が持つといっても、渡してくれない。道端の茂みを指して、
「これはライラック。こういう茂みの蔭でネフリュードフはカチューシャに接吻したのだ」
 姿をあらわした湖を指して、
「いいだろう。アイルランドのようだろう」

 

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■金木にて 1946年(昭和21年)初夏、金木に疎開中の一枚。

 

 アイルランドの風光についてあまり知識のない私が生返事をすると、すぐに、
「ここへ連れてきたら、いきなり湖にとびこんで、向う岸まで泳いで、また引き返してきたやつがいる。田中英光
 眼を細めて、面白そうに笑う。
 湖のほとりの日溜まりに腰を下し、お昼をたべ、話をする。どんな話をしたか、あらかたは忘れてしまったが、一つだけはっきり覚えていることがある。創作の機微、小説のこつというような話になった時、太宰さんは、
「岩見重太郎」
 といい、私はなんのことやらわけが分らず、訊き返すと、太宰さんは笑いながら、
「武者修行で、妖怪変化を退治するじゃないか。闇夜に三つ目の大入道や、一つ目小僧や、化物がいっぱいあらわれる。いくら斬っても手応えがない。そこで、脇に立っている石の地蔵を斬ると、そいつがギャッという。古狸が正体をあらわして、化物どもの姿は消え、中空に月がかかる。あれさ」

  新ハムレットの上演について、太宰は快諾。脚色・加藤道夫、演出・芥川の三幕物として準備されましたが、上演には到らなかったそうです。
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ハムレットを演じる芥川

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
芥川比呂志 著・丸谷才一 編『ハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選』(講談社文芸文庫、2007年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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