8月2日の太宰治。
1941年(昭和16年)8月2日。
太宰治 32歳。
八月二日付で、井伏鱒二に手紙を送る。
セルフレビューと仮入歯
今日は、1941年(昭和16年)8月2日付で、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。
東京府下三鷹町下連雀一一三より
東京市杉並区清水町二四
井伏鱒二宛
拝啓
要件を、さきに。
「事前 に於いては、舶来品よりも、すぐれた純国産飛行機を創ろうという意気込みがありました。外国の二流三流の作家よりは、日本の作家のほうが、昨今ずっと進んでいるのだという事を直接に証明したい気持でした。
それから、私の過去の生活感情を、すっかり整理して書き残して置きたい気持がありました。その意味では、私小説かもしれません。それから、形式は戯曲に似ていますけれど、芝居ではなく、新しい型の小説のつもりで書きました。
けれども、事後 に於いては、
自分の現在の力の限度を知りました。之は、ありがたい事だと思って居ります。淋しい気持もありますが、また、一面に於いて、人から突かれても、『しまった!』という狼狽も感じません。いさぎよく観念しているところがあります。」
以上で、おゆるし下さい。たいへん書きにくく、それに井伏さんから笑われるような気がして、ちっとも、まとまりませぬ。
きょうは、やっと入歯が出来るのです。それも仮入歯だそうです。この一ヶ月間、実に憂鬱閉口でした。
きょう入歯をして、まず井伏さんのところへ参上しようと思っていたのですが、どうも、てれくさくていけません。そのうち、何気なくお邪魔にあがります。
昨日は、女房子供がお邪魔にあがり、たいへん歓待を賜ったそうで、恐縮に存じます。
先日の水曜会は、井伏さんがおいでにならなかったので、淋しい会でした。木山君ひとりは、将棋に連戦連勝だったので、「きょうの会は、いい会であった。」とホクホクして、みんなに笑われました。この次の水曜日には、将棋会にしようかと言っていました。なるべく御誘いにあがります。亀井君は、三十一日に北海道へ行きました。故郷に法事があるのだそうです。五、六日ごろ帰るそうです。
歯が一段落したら、私も旅行に出たいと思って居ります。
甲府のロケーションは、「おコマさん」でしょうか。岩月君が、いま天下茶屋に滞在して毎日、主人と碁を打っているそうです。そうして御坂は毎日、ひどく深い霧だそうです。
いずれ、ちかいうちに。
二日 敬具
太 宰 拝。
井 伏 先 生
手紙冒頭の「要件を、さきに。」ではじまる部分は、太宰による、『新ハムレット』セルフレビューです。『新ハムレット』は、1941年(昭和16年)7月2日付で文藝春秋社から刊行された、太宰初の書下ろし中篇小説です。
「形式は戯曲に似ていますけれど」とありますが、『新ハムレット』は、上演を目的とせず、読まれることを目的に書かれた脚本形式の文学作品、いわゆるレーゼドラマでした。
「貴公子ハムレット」と呼ばれた、芥川龍之介の長男で、俳優・演出家の芥川比呂志は、『新ハムレット』の上演許可を得るため、津軽に疎開中の太宰を訪問しています。このときのエピソードは、5月20日の記事で紹介しました。
「要件」に続いて太宰が綴るのは、「入歯」の話。「きょうは、やっと入歯が出来る」そうですが、「入歯をして、まず井伏さんのところへ参上しようと思っていた」ほど、入歯ができるのが嬉しかったようです。太宰は、前月7月3日から、井の頭公園に近い歯科医院の有田八郎のもとで、歯の治療を行っていました。
この井伏宛の手紙、太宰にとっての本当の「要件」は、何だったのでしょうか。
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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