記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

【日めくり太宰治】2月29日

2月29日の太宰治。 1948年(昭和23年)2月29日。 太宰治 38歳。 午後、平岡敏男と古谷綱正が「千草」に居る太宰治を訪れた。 酒だけが俺を生かしておいてくれる 2020年の今年は、4年に一度の閏年(うるうどし)。 1909年(明治42年)…

【日めくり太宰治】2月28日

2月28日の太宰治。 1942年(昭和17年)2月28日。 太宰治 32歳。 木村庄助(きむらしょうすけ)が亀島の健康道場を退院した。 ひばりのモデル・木村庄助 木村庄助(きむらしょうすけ)(1921~1943)は、太宰の長篇小説『パンドラの匣』の…

【日めくり太宰治】2月27日

2月27日の太宰治。 1933年(昭和8年)2月27日。 太宰治 23歳。 小山初代(おやまはつよ)の母・小山きみ宛に書簡を出す。 奥さんの母・小山きみ宛の書簡 1931年(昭和6年)、東京帝国大学一年生の太宰が最初の奥さんと新婚生活をはじめた時…

【日めくり太宰治】2月26日

2月26日の太宰治。 1947年(昭和22年)2月26日。 太宰治 37歳。 朝九時頃、太田静子の大判ノート四冊に書かれていたという日記と「少女時代の断片」とを携帯して大雄山荘を発ち、小田原駅から、静岡県伊豆三津浜に向かい、同日、田中英光が妻…

【日めくり太宰治】2月25日

2月25日の太宰治。 1945年(昭和20年)2月25日。 太宰治 35歳。 「雪天の大空襲」があり、桜井書店主桜井均宛葉書によれば、「ガラス一枚、米機にこはされました 大いにテキガイ心に燃えました」とあるが、これは桜井毅がいうように「太宰さん…

【日めくり太宰治】2月24日

2月24日の太宰治。 1947年(昭和22年)2月24日。 太宰治 37歳。 夕方、太田静子に案内されて同じ下曽我村の谷津に住む尾崎一雄宅を訪問、午後十時頃、尾崎一雄の義弟に送られて大雄山荘に帰った。 太宰、尾崎一雄宅を訪問 2月21日の記事で…

【日めくり太宰治】2月23日

2月23日の太宰治。 1942年(昭和17年)2月23日。 太宰治 32歳。 二月末、「正義と微笑」が百八十枚に達した頃、堤重久を甲府に招いてともに遊び、三月一日夜遅く帰京。 堤重久、甲府の太宰を訪問 二月九日付はがき 甲府市外湯村温泉 明治屋方…

【日めくり太宰治】2月22日

2月22日の太宰治。 1936年(昭和11年)2月22日。 太宰治 26歳。 丹羽文雄、尾崎一雄、小田嶽夫、川端康成、川崎長太郎、淀野隆三、瀧井孝作、武田麟太郎、田畑修一郎、檀一雄、中谷孝雄、保田與重郎、井伏鱒二らとともに、浅草「双葉」での外…

【日めくり太宰治】2月21日

2月21日の太宰治。 1947年(昭和22年)2月21日。 太宰治 37歳。 「原稿用紙と聖書と辞林」その他を入れたリュックサックを背負って自宅を出発。伊豆へ行く途中、母が逝去して一人暮しをしていた太田静子を、神奈川県足柄下郡下曽我村原の大雄…

【日めくり太宰治】2月20日

2月20日の太宰治。 1941年(昭和16年)2月20日。 太宰治 31歳。 二月二十日付発行の宮崎譲詩集『竹槍隊』(赤塚書房)に、「序文」として「犯しもせぬ罪を」を寄稿。 『犯しもせぬ罪を』 宮崎譲(みやざきゆずる)は、1909年(明治42年)…

【日めくり太宰治】2月19日

2月19日の太宰治。 1933年(昭和8年)2月19日。 太宰治 23歳。 二月十九日付発行の「東奥日報」の日曜特輯版の別題号附録「サンデー東奥」第二百三号に、「列車」を発表。 太宰治として最初の小説 『列車』は、はじめて"太宰治"のペンネーム…

【日めくり太宰治】2月18日

2月18日の太宰治。 1931年(昭和6年)2月18日。 太宰治 21歳。 二月中旬。工藤永蔵は、日本共産党中央部の飯塚盈延(いいづかみつのぶ)から、「重要な人間を一人預ってもらえないか」と依頼され、修治の五反田の家の二階に「事情を話して」住ま…

【日めくり太宰治】2月17日

2月17日の太宰治。 1948年(昭和23年)2月17日。 太宰治 38歳。 東京都下三鷹町下連雀一一三より 東京都本郷区森川町一一一 八雲書店編集部 亀島貞夫宛(佐藤氏に託す)「虚構の彷徨」は第一巻ではありません。第二巻(○○○)で、第一回配本(○○○○…

【日めくり太宰治】2月16日

2月16日の太宰治。 1936年(昭和11年)2月16日。 太宰治 26歳。 東京市芝区赤羽町一 済生会芝病院新病棟より 東京府下小金井村新田四六四 鰭崎潤(ひれざきじゅん)宛 お手紙を只今ありがたく拝誦いたしました。ずいぶん誤植があったんですね。…

【日めくり太宰治】2月15日

2月15日の太宰治。 1933年(昭和8年)2月15日。 太宰治 25歳。 二月十五日付発行の「海豹」第四便の「故郷の話Ⅲ」欄に、「田舎者」を発表。初めて太宰治の筆名を使用し、爾後(じご)終生、この筆名で通した。 『田舎者』と今官一 エッセイ『田舎…

【日めくり太宰治】2月14日

2月14日の太宰治。 1936年(昭和11年)2月14日。 太宰治 26歳。 檀一雄に円タクに乗せられ、下谷区中坂町四十一番地の浅見淵(あさみふかし)宅を訪れ、浅草で大酔(たいすい)。 太宰、入院中に檀一雄と病院脱出 太宰は、佐藤春夫からの強い忠告…

【日めくり太宰治】2月13日

2月13日の太宰治。 1945年(昭和20年)2月13日。 太宰治 35歳。 東京都下三鷹町下連雀一一三より 東京都下吉祥寺二五〇七 野田宇太郎宛 拝復 貴翰(きかん)拝誦仕りました。ただいま書下し長編に追われていますが、二十日頃までに完成の予定で…

【日めくり太宰治】2月12日

2月12日の太宰治。 1940年(昭和15年)2月12日。 太宰治 30歳。 二月十二日付発行の「帝国大学新聞」に「鬱屈禍(うっくつか)」を発表。 『鬱屈禍』 今日は、1940年(昭和15年)の「帝国大学新聞」第七百九十八号の七面「文学」欄に発表…

【日めくり太宰治】2月11日

2月11日の太宰治。 1941年(昭和16年)2月11日。 太宰治 31歳。 一夜山岸外史と遊ぶ。 山岸外史(やまぎしがいし)の第一印象 山岸外史(やまぎしがいし)(1904~1977)は、太宰・檀一雄(だんかずお)と並んで「三馬鹿」と呼ばれた3人の…

【日めくり太宰治】2月10日

2月10日の太宰治。 1936年(昭和11年)2月10日。 太宰治 26歳。 佐藤春夫の紹介で、「ちょうど独逸から帰朝」した、佐藤春夫の実弟佐藤秋雄の勤務する、芝区赤羽町一番地の済生会芝病院病棟に、十日間の約束で入院。「麻薬診断ノ為」という。 …

【日めくり太宰治】2月9日

2月9日の太宰治。 1948年(昭和23年)2月9日。 太宰治 38歳。 大映女優関千恵子が、大映宣伝部杉田邦男と共に三鷹の自宅に訪れ、対談した。約一時間半に亘った対談の内容の一部は、「大映ファン」五月号に、関千恵子「太宰治先生訪問記」として…

【日めくり太宰治】2月8日

2月8日の太宰治。 1931年(昭和6年)2月8日。 太宰治 21歳。 二月頃、心中事件で警察沙汰を起こした後、修治を敬遠していた工藤永蔵が、「神田駅附近のアパート」を訪れ、「学生運動や青年運動から手を切ること、殊に全協などの人と接触しないよ…

【日めくり太宰治】2月7日

2月7日の太宰治。 1931年(昭和6年)2月7日。 太宰治 21歳。 中畑慶吉(なかはたけいきち)に伴われて、小山初代(おやまはつよ)が上京。 太宰と初代の新婚生活 小山初代が上京した日付は、正確には分かっていませんが、長篠康一郎は著書『太宰治文…

【日めくり太宰治】2月6日

2月6日の太宰治。 1946年(昭和21年)2月6日。 太宰治 36歳。 午前十一時頃、雪のなか母校県立青森中学校の仮校舎である海軍施設部工員宿舎であった松森町の「松森分校」を訪ね、午後一時から、焼失を免れた青森市立第一中学校の講堂を借りて、…

【日めくり太宰治】2月5日

2月5日の太宰治。 1942年(昭和17年)2月5日。 太宰治 32歳。 阿佐ヶ谷将棋会で、上林暁(かんばやしあかつき)、小山捷平(きやましょうへい)、青柳瑞穂(あおやぎみずほ)、安成二郎(やすなりじろう)、浜野修と名取書店の林宗三の案内で、総勢七人…

【日めくり太宰治】2月4日

2月4日の太宰治。 1939年(昭和14年)2月4日。 太宰治 29歳。 二月四日付、井伏鱒二宛、竹村坦(たけむらたん)宛書簡によれば、この頃某雑誌社に送ってあった原稿百枚が紛失。竹村坦に三月末日まで原稿送付の延期を申し入れた。 「原稿百枚紛失」…

【日めくり太宰治】2月3日

2月3日の太宰治。 1948年(昭和23年)2月3日。 太宰治 38歳。 東京都下三鷹町下連雀一一三より 東京都目黒区緑ヶ丘二三二一 伊馬春部宛 拝復 お葉書うれしく拝誦いたしました。本当に、うれしく。このごろからだも快調。八日こちらも好都合。時…

【日めくり太宰治】2月2日

2月2日の太宰治。 1920年(大正9年)2月2日。 太宰治 10歳。 タケの婚姻届けが小泊村に提出された。 太宰と越野タケ 越野(こしの)タケ(1898~1983、旧姓・近村)は、金木村大字金木字朝日山三百七十六番地の津島家の小作人、近村永太郎…

【日めくり太宰治】2月1日

2月1日の太宰治。 1935年(昭和10年)2月1日。 太宰治 25歳。 二月一日付発行の「文藝」二月号に、「逆行」の裡(うち)の「蝶蝶」「決闘」「くろんぼ」の三篇を発表。これが、同人誌以外に、太宰治の名で小説を発表した、最初であった。「文藝」…