記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】2月17日

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2月17日の太宰治

  1948年(昭和23年)2月17日。
 太宰治 38歳。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  東京都本郷区森川町一一一 
   八雲書店編集部 亀島貞夫宛(佐藤氏に託す)

虚構の彷徨」は第一巻ではありません。第二巻(○○○)で、第一回配本(○○○○○)なのです。ここを間違わぬよう、くれぐれも気をつけて下さい。第一巻(○○○)は「晩年」です。そうして之は新潮文庫の「晩年」とかち合うので、第一巻なのですが、配本は第二巻(○○○○○○)にしたのです。どうか、間違わぬよう、「晩年」は私の一ばん最初の創作集なのですから。
 それから、再校は、そちらにおまかせ致します。よろしくお願いします。
 表紙の具合い、いちど見たいのです。見せて下さい。
 写真は、それでよろしゅうございます。なお、豊島先生との会見は、私は、三月にはいってからのほう、都合よろしゅうございます。
 それから、きょうは稿料をありがとう。受取書同封します。
 くれぐれも、
 第二巻「虚構の彷徨」(第一回配本)第一巻「晩年」(第二回配本)
 右のこと、充分に手ぬかり無く正して置いて下さい。
 では、いずれまたお逢いした時、萬々。   敬具。
                  太宰 治

『晩年』への熱い想い

 太宰は、生前に出版する作家が少なかった"全集"の刊行に尽力しました。太宰治全集』は、八雲書店から太宰が玉川上水で入水する約2カ月前に刊行開始されます。
 この八雲書店版『太宰治全集』については、1月21日の記事でも紹介しました。

 冒頭で紹介したハガキを読むと、太宰が、第一巻「晩年」と第二巻「虚構の彷徨」の刊行順に、こだわっているのが分かります。
 当初、八雲書店版『太宰治全集』は以下のようなラインナップで刊行予定でした。

第一巻「晩年」
第二巻「虚構の彷徨」
第三巻「短編集」
第四巻「短編集」
第五巻「短編集」
第六巻「短編集」
第七巻「短編集」
第八巻「津軽
第九巻「新釈諸国噺
第十巻「苦悩の年鑑」
第十一巻「ヴィヨンの妻
第十二巻「斜陽」
第十三巻「人間失格
第十四巻「戯曲集」
第十五巻「感想集」
第十六巻「研究・索引」

 第一巻から刊行されるのが普通ですが、八雲書店版『太宰治全集』は第二巻から刊行が開始されます。この刊行順について、太宰は新潮文庫の『晩年』とかち合う」ためと説明しています。
 同時期に刊行予定だった新潮文庫の「晩年」と『全集』の第一巻配本の内容が被らないように、との配慮からですが、それだけではなく、自身の処女短篇集『晩年』に対して、並々ならぬ強い想いを抱いていたようです。

 1936年(昭和11年)、エッセイ「もの思う(あし)の一篇として「『晩年』に就いて」を発表しています。その中で太宰は、「私はこの短篇集一冊のために、十箇年を棒に振った。まる十箇年、市民と同じさわやかな朝めしを食わなかった。私は、この本一冊のために、身の置きどころを失い、たえず自尊心を傷つけられて世のなかの寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。数万円の金銭を浪費した。長兄の苦労のほどに頭さがる。舌を焼き、胸を焦がし、わが身を、とうてい快復できぬまでにわざと損じた。百篇にあまる小説を、破り捨てた。原稿用紙五万枚。そうして残ったのは、辛うじて、これだけである。これだけ。」「さもあらばあれ、『晩年』一冊、君のその両手の垢で黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。」と熱い想いを語っています。

 また、1月11日付の記事でも紹介しましたが、1938年(昭和13年)に、再び「『晩年』に就いて」のタイトルでエッセイを発表します。

 さらに、1941年(昭和16年)にも、6月20日付発行の「文筆」夏季版にエッセイ「『晩年』と『女生徒』」を発表しています。今回は、このエッセイを通して、太宰が『晩年』に込めた熱い想いを感じてみて下さい。

「晩年」と「女生徒」

晩年」も品切れになったようだし、「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈である。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。「晩年」は、昭和十一年の六月に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。一年に、三百冊ずつ売れた事になるようだが、すると、まず一日に一冊ずつ売れたといってもいいわけになる。五箇年間に千五百部といえば、一箇月間に十万部も売れる評判小説にくらべて、いかにも見すぼらしく貧寒の感じがするけれど、一日に一冊ずつ売れたというと、まんざらでもない。「晩年」は、こんど砂子屋書房で四六判に改版して出すそうだが、早く出してもらいたいと思っている。売切れのままで、二年三年経過すると、一日に一冊ずつ売れたという私の自慢も崩壊する事になる。たとえば、売切れのままで、もう十年経過すると、「晩年」は、昭和十一年から十五箇年のあいだに、たった千五百部しか売れなかったという事になる。すると、一箇年に百冊ずつ売れたという事になって、私の本は、三日に一冊か四日に一冊しか売れなかったというわけになる。多く売れるという事は、必ずしも最高の名誉でもないが、しかし、なんにも売れないよりは、少しでも売れたほうが張り合いがあってよいと思う。けれども、文学書は、一万部以上売れると、あぶない気がする。作家にとって、危険である。先輩の山岸外史の説に依ると、貨幣のどっさりはいっている財布を、懐にいれて歩いていると、胃腸が冷えて病気になるそうである。それは銅銭ばかりいれて歩くからではないかと反問したら、いや紙幣でも同じ事だ、あの紙は、たいへん冷く、あれを懐にいれて歩くと必ず胃腸をこわすから、用心し給え、とまじめに忠告してくれた。富をむさぼらぬように気をつけねばならぬ。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・滝口明祥『太宰治ブームの系譜』(ひつじ書房、2016年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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