記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。

【日刊 太宰治全小説】完結のお礼

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いつも【日刊 太宰治全小説】をご覧頂き、誠にありがとうございます。

 

今日も、いつもの時間に、しれっと更新しましたが、おかげさまで、昨日の更新分を以って、無事に完結致しました。

 

今年2019年が、太宰治生誕110周年にあたるという事もあり、「太宰治はソウルフレンド」とまで言っている手前、何かやりたい!という思いから構想を練り、太宰の小説全155作品を毎日1作品ずつブログで公開していく企画を立ち上げました。

 

1月1日からスタートした企画でしたが、思った以上に長期化し、気づけば昨日の最終回は276日目の更新。

更新の途中で、事前に予約投稿していた分に追い付いてしまい焦った事や、やっぱり無謀だったかなぁ…と思い、投げ出してしまいそうになった時もありました。

しかし、飽き性で、なかなか最後まで続かない私が、最後まで更新を続ける事ができたのは、毎日ブログを訪れて下さったり、温かい言葉をかけて下さったり、応援して下さった皆さんのおかげです。

この場を借りて、改めてお礼をさせて下さい。

本当にありがとうございました。

 

今後について

さて、今後ですが、ブログをスタートした当初はSSL対応しておらず、企画途中での対応化が難しかったため、年内の作業完了を目標に、ブログのSSL化作業を随時行っていきます。

 

作業中は、リンクが上手く繋がらなくなったりと、ご不便をお掛けしますが、基本的にはそのまま太宰作品のデータベースとして残していきたいと考えていますので、その点はご容赦下さい。

 

また、SSL化対応中は、はてなブログとは別で展開しているnoteの方に記事をアップしていきたいと考えています。

まだまだ太宰治生誕110周年イヤーは続きますし、今年もまだまだ太宰関連のイベントに参加する予定ですので、そのルポ等を中心にアップします。

更新の告知は、Twitterで行っていますので、よろしければフォローをお願いします!

 

ちょっとだけ告知

最後に、ちょっとだけ告知を。

 

実は、今年2019年が太宰の生誕110周年という事は、来年2020年は、太宰治生誕111周年になります。1が3つ並んで、なんだかオメデタイですね(笑)

 

…という事で、来年も今年同様、毎日太宰関連の記事を更新していきたいと考えています。

今、もやっとした構想を形に、しこしこ準備を進めているところです。ある程度の形になった段階で、この場でご案内させて頂ければと思っていますので、ぜひお楽しみに!

 

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【日刊 太宰治全小説】#276「グッド・バイ」コールド・ウォー(二)

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【冒頭】

こうなったら、とにかく、キヌ子を最大限に利用し活用し、一日五千円を与える他は、パン一かけら、水一ぱいも饗応(きょうおう)せず、思い切り酷使(こくし)しなければ、損だ。温情は大の禁物(きんもつ)、わが身の破滅。

【結句】

彼は、めっきりキヌ子に、ていねいな言葉でものを言うようになっていた。
(未完)
 

「グッド・バイ コールド・ウォー(二」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年6月3日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

コールド・ウォー (二)


 こうなったら、とにかく、キヌ子を最大限に利用し活用し、一日五千円を与える他は、パン一かけら、水一ぱいも饗応きょうおうせず、思い切り酷使しなければ、損だ。温情は大の禁物、わが身の破滅。
 キヌ子に殴られ、ぎゃっという奇妙な悲鳴を挙げても、田島は、しかし、そのキヌ子の怪力を逆に利用するすべを発見した。
 彼のいわゆる愛人たちの中のひとりに、水原ケイ子という、まだ三十前の、あまり上手じょうずでない洋画家がいた。田園調布のアパートの二部屋を借りて、一つは居間、一つはアトリエに使っていて、田島は、その水原さんが或る画家の紹介状を持って、「オベリスク」に、さし画でもカットでも何でも描かせてほしいと顔を赤らめ、おどおどしながら申し出たのを可愛く思い、わずかずつ彼女の生計を助けてやる事にしたのである。物腰がやわらかで、無口で、そうして、ひどい泣き虫の女であった。けれども、え狂うような、はしたない泣き方などは決してしない。童女のような可憐な泣き方なので、まんざらでない。
 しかし、たった一つ非常な難点があった。彼女には、兄があった。永く満洲で軍隊生活をして、小さい時からの乱暴者の由で、骨組もなかなか頑丈がんじょうの大男らしく、彼は、はじめてその話をケイ子から聞かされた時には、実に、いやあな気持がした。どうも、この、恋人の兄の軍曹ぐんそうとか伍長ごちょうとかいうものは、ファウストの昔から、色男にとって甚だ不吉な存在だという事になっている。
 その兄が、最近、シベリヤ方面から引揚げて来て、そうして、ケイ子の居間に、頑張っているらしいのである。
 田島は、その兄と顔を合せるのがイヤなので、ケイ子をどこかへ引っぱり出そうとして、そのアパートに電話をかけたら、いけない、
「自分は、ケイ子の兄でありますが。」
 という、いかにも力のありそうな男の強い声。はたして、いたのだ。
「雑誌社のものですけど、水原先生に、ちょっと、画の相談、……」
 語尾が震えている。
「ダメです。風邪かぜをひいて寝ています。仕事は、当分ダメでしょう。」
 運が悪い。ケイ子を引っぱり出す事は、まず不可能らしい。
 しかし、ただ兄をこわがって、いつまでもケイ子との別離をためらっているのは、ケイ子に対しても失礼みたいなものだ。それに、ケイ子が風邪で寝ていて、おまけに引揚者の兄が寄宿しているのでは、お金にも、きっと不自由しているだろう。かえって、いまは、チャンスというものかも知れない。病人に優しい見舞いの言葉をかけ、そうしてお金をそっと差し出す。兵隊の兄も、まさか殴りやしないだろう。あるいは、ケイ子以上に、感激し握手など求めるかも知れない。もし万一、自分に乱暴を働くようだったら、……その時こそ、永井キヌ子の怪力のかげに隠れるといい。
 まさに百パーセントの利用、活用である。
「いいかい? たぶん大丈夫だと思うけどね、そこに乱暴な男がひとりいてね、もしそいつが腕を振り上げたら、君は軽くこう、取りおさえて下さい。なあに、弱いやつらしいんですがね。」
 彼は、めっきりキヌ子に、ていねいな言葉でものを言うようになっていた。

(未完)

 

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【日刊 太宰治全小説】#275「グッド・バイ」コールド・ウォー(一)

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【冒頭】

田島は、しかし、永井キヌ子に投じた資本が、惜しくてならぬ。こんな、割の合わぬ商売をした事が無い。

【結句】

「五千円で、たのみます。」
「ばかねえ、あなたは。」
くっくっ笑う声が聞える。承知の気配だ。
 

「グッド・バイ コールド・ウォー(一」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年6月3日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

コールド・ウォー (一)


 田島は、しかし、永井キヌ子に投じた資本が、惜しくてならぬ。こんな、割の合わぬ商売をした事が無い。何とかして、彼女を利用し活用し、モトをとらなければ、ウソだ。しかし、あの怪力、あの大食い、あの強慾。
 あたたかになり、さまざまの花が咲きはじめたが、田島ひとりは、すこぶ憂鬱ゆううつ。あの大失敗の夜から、四、五日経ち、眼鏡も新調し、頬のはれも引いてから、彼は、とにかくキヌ子のアパートに電話をかけた。ひとつ、思想戦に訴えて見ようと考えたのである。
「もし、もし。田島ですがね、こないだは、酔っぱらいすぎて、あはははは。」
「女がひとりでいるとね、いろんな事があるわ。気にしてやしません。」
「いや、僕もあれからいろいろ深く考えましたがね、結局、ですね、僕が女たちと別れて、小さい家を買って、田舎いなかから妻子を呼び寄せ、幸福な家庭をつくる、という事ですね、これは、道徳上、悪い事でしょうか。」
「あなたの言う事、何だか、わけがわからないけど、男のひとは誰でも、お金が、うんとたまると、そんなケチくさい事を考えるようになるらしいわ。」
「それが、だから、悪い事でしょうか。」
「けっこうな事じゃないの。どうも、よっぽどあなたは、ためたな?」
「お金の事ばかり言ってないで、……道徳のね、つまり、思想上のね、その問題なんですがね、君はどう考えますか?」
「何も考えないわ。あなたの事なんか。」
「それは、まあ、無論そういうものでしょうが、僕はね、これはね、いい事だと思うんです。」
「そんなら、それで、いいじゃないの? 電話を切るわよ。そんな無駄話は、いや。」
「しかし、僕にとっては、本当に死活の大問題なんです。僕は、道徳は、やはり重んじなけりゃならん、と思っているんです。たすけて下さい、僕を、たすけて下さい。僕は、いい事をしたいんです。」
「へんねえ。また酔った振りなんかして、ばかな真似まねをしようとしているんじゃないでしょうね。あれは、ごめんですよ。」
「からかっちゃいけません。人間には皆、善事を行おうとする本能がある。」
「電話を切ってもいいんでしょう? 他にもう用なんか無いんでしょう? さっきから、おしっこが出たくて、足踏みしているのよ。」
「ちょっと待って下さい、ちょっと。一日、三千円でどうです。」
 思想戦にわかに変じて金の話になった。
「ごちそうが、つくの?」
「いや、そこを、たすけて下さい。僕もこの頃どうも収入が少くてね。」
「一本(一万円のこと)でなくちゃ、いや。」
「それじゃ、五千円。そうして下さい。これは、道徳の問題ですからね。」
「おしっこが出たいのよ。もう、かんにんして。」
「五千円で、たのみます。」
「ばかねえ、あなたは。」
 くつくつ笑う声が聞える。承知の気配だ。

 

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【日刊 太宰治全小説】#274「グッド・バイ」怪力(四)

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【冒頭】

「ピアノが聞えるね。」
彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。

【結句】

色男としての歴史に於いて、かつて無かった大屈辱にはらわたの煮えくりかえるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろい、その赤いテープを両耳にかけ、
「ありがとう!」
ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中、階段を踏みはずして、また、ぎゃっと言った。
 

「グッド・バイ 怪力(かいりき)(四について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年6月3日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

怪力 (四)


「ピアノが聞えるね。」
 彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。
「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしているけど。」
「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いていたい。」
「あの曲は、何?」
ショパン。」
 でたらめ。
「へえ? 私は越後獅子えちごじしかと思った。」
 音痴同志のトンチンカンな会話。どうも、気持が浮き立たぬので、田島は、すばやく話頭を転ずる。
「君も、しかし、いままで誰かと恋愛した事は、あるだろうね。」
「ばからしい。あなたみたいな淫乱いんらんじゃありませんよ。」
「言葉をつつしんだら、どうだい。ゲスなやつだ。」
 急に不快になって、さらにウイスキイをがぶりと飲む。こりゃ、もう駄目だめかも知れない。しかし、ここで敗退しては、色男としての名誉にかかわる。どうしても、ねばって成功しなければならぬ。
「恋愛と淫乱とは、根本的にちがいますよ。君は、なんにも知らんらしいね。教えてあげましょうかね。」
 自分で言って、自分でそのいやらしい口調に寒気を覚えた。これは、いかん。少し時刻が早いけど、もう酔いつぶれた振りをして寝てしまおう。
「ああ、酔った。すきっぱらに飲んだので、ひどく酔った。ちょっとここへ寝かせてもらおうか。」
「だめよ!」
 鴉声が蛮声に変った。
「ばかにしないで! 見えすいていますよ。泊りたかったら、五十万、いや百万円お出し。」
 すべて、失敗である。
「何も、君、そんなに怒る事は無いじゃないか。酔ったから、ここへ、ちょっと、……」
「だめ、だめ、お帰り。」
 キヌ子は立って、ドアを開け放す。
 田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立っていきなりキヌ子に抱きつこうとした。
 グワンと、こぶしでほおなぐられ、田島は、ぎゃっというはなはだ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然りつぜんとして、
「ゆるしてくれえ。どろぼう!」
 とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。
 キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。
 しばらくして、ドアの外で、
「あのう、僕の靴を、すまないけど。……それから、ひものようなものがありましたら、お願いします。眼鏡のツルがこわれましたから。」
 色男としての歴史に於いて、かつて無かった大屈辱にはらわたの煮えくりかえるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろい、その赤いテープを両耳にかけ、
「ありがとう!」
 ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中、階段を踏みはずして、また、ぎゃっと言った。

 

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【日刊 太宰治全小説】#273「グッド・バイ」怪力(三)

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【冒頭】

田島は、ウイスキイを大きいコップで、ぐい、ぐい、と二挙動で飲みほす。

【結句】

「ケンカするほど深い仲、ってね。」
とはまた、下手な口説きよう。しかし、男は、こんな場合、たとい大人物、大学者と言われているほどのひとでも、かくの(ごと)きアホーらしい口説き方をして、しかも案外に成功しているものである。
 

「グッド・バイ 怪力(かいりき)(三について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年5月27日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

怪力 (三)


 田島は、ウイスキイを大きいコップで、ぐい、ぐい、と二挙動で飲みほす。きょうこそは、何とかしてキヌ子におごらせてやろうという下心で来たのに、逆にいわゆる「本場もの」のおそろしく高いカラスミを買わされ、しかも、キヌ子は惜しげも無くその一ハラのカラスミを全部、あっと思うまもなくざくざく切ってしまって汚いドンブリに山盛りにして、それに代用あじもとをどっさり振りかけ、
「召し上れ。味の素は、サーヴィスよ。気にしなくたっていいわよ。」
 カラスミ、こんなにたくさん、とても食べられるものでない。それにまた、味の素を振りかけるとは滅茶苦茶だ。田島は悲痛な顔つきになる。七枚の紙幣をろうそくの火でもやしたって、これほど痛烈な損失感を覚えないだろう。実に、ムダだ。意味無い。
 山盛りの底のほうの、代用味の素の振りかかっていない一片のカラスミを、田島は、泣きたいような気持で、つまみ上げて食べながら、
「君は、自分でお料理した事ある?」
 と今は、おっかなびっくりで尋ねる。
「やれば出来るわよ。めんどうくさいからしないだけ。」
「お洗濯は?」
「バカにしないでよ。私は、どっちかと言えば、きれいずきなほうだわ。」
「きれいずき?」
 田島はぼう然と、荒涼、悪臭の部屋を見廻す。
「この部屋は、もとから汚くて、手がつけられないのよ。それに私の商売が商売だから、どうしたって、部屋の中がちらかってね。見せましょうか、押入れの中を。」
 立って押入れを、さっとあけて見せる。
 田島は眼をみはる。
 清潔、整然、金色の光を放ち、ふくいくたる香気が発するくらい。タンス、鏡台、トランク、下駄箱げたばこの上には、可憐かれんに小さい靴が三足、つまりその押入れこそ、鴉声のシンデレラ姫の、秘密の楽屋であったわけである。
 すぐにまた、ぴしゃりと押入れをしめて、キヌ子は、田島から少し離れて居汚く坐り、
「おしゃれなんか、一週間にいちどくらいでたくさん。べつに男に好かれようとも思わないし、ふだん着は、これくらいで、ちょうどいいのよ。」
「でも、そのモンペは、ひどすぎるんじゃないか? 非衛生的だ。」
「なぜ?」
「くさい。」
「上品ぶったって、ダメよ。あなただって、いつも酒くさいじゃないの。いやな、におい。」
「くさい仲、というものさね。」
 酔うにつれて、荒涼たる部屋の有様も、またキヌ子の乞食の如き姿も、あまり気にならなくなり、ひとつこれは、当初のあのプランを実行して見ようかという悪心がむらむら起る。
「ケンカするほど深い仲、ってね。」
 とはまた、下手へた口説くどきよう。しかし、男は、こんな場合、たとい大人物、大学者と言われているほどのひとでも、かくの如きアホーらしい口説き方をして、しかも案外に成功しているものである。

 

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【日刊 太宰治全小説】#272「グッド・バイ」怪力(二)

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【冒頭】

「あそびに来たのだけどね、」と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声(からすごえ)になり、「でも、出直して来てもいいんだよ。」

【結句】

)「なんだ、身の上話はつまらん。コップを貸してくれ。これから、ウイスキイとカラスミだ。うん、ピイナツもある。これは、君にあげる。」
 

「グッド・バイ 怪力(かいりき)(二)について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年5月27日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

f:id:shige97:20190825215009j:image

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

 

怪力 (二)


「あそびに来たのだけどね、」と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声になり、「でも、また出直して来てもいいんだよ。」
「何か、こんたんがあるんだわ。むだには歩かないひとなんだから。」
「いや、きょうは、本当に、……」
「もっと、さっぱりなさいよ。あなた、少しニヤケ過ぎてよ。」
 それにしても、ひどい部屋だ。
 ここで、あのウイスキイを飲まなければならぬのか。ああ、もっと安いウイスキイを買って来るべきであった。
「ニヤケているんじゃない。キレイというものなんだ。君は、きょうはまた、きたな過ぎるじゃないか。」
 にがり切って言った。
「きょうはね、ちょっと重いものを背負ったから、少し疲れて、いままで昼寝をしていたの。ああ、そう、いいものがある。お部屋へあがったらどう? 割に安いのよ。」
 どうやら商売の話らしい。もうけ口なら、部屋の汚なさなど問題でない。田島は、靴を脱ぎ、畳の比較的無難なところを選んで、外套がいとうのままあぐらをかいて坐る。
「あなた、カラスミなんか、好きでしょう? 酒飲みだから。」
「大好物だ。ここにあるのかい? ごちそうになろう。」
「冗談じゃない。お出しなさい。」
 キヌ子は、おくめんも無く、右の手のひらを田島の鼻先に突き出す。
 田島は、うんざりしたように口をゆがめて、
「君のする事なす事を見ていると、まったく、人生がはかなくなるよ。その手は、ひっこめてくれ。カラスミなんて、要らねえや。あれは、馬が食うもんだ。」
「安くしてあげるったら、ばかねえ。おいしいのよ、本場ものだから。じたばたしないで、お出し。」
 からだをゆすって、手のひらを引込めそうも無い。
 不幸にして、田島は、カラスミが実に全く大好物、ウイスキイのさかなに、あれがあると、もう何も要らん。
「少し、もらおうか。」
 田島はいまいましそうに、キヌ子の手のひらに、大きい紙幣を三枚、載せてやる。
「もう四枚。」
 キヌ子は平然という。
 田島はおどろき、
「バカ野郎、いい加減にしろ。」
「ケチねえ、一ハラ気前よく買いなさい。鰹節かつおぶしを半分に切って買うみたい。ケチねえ。」
「よし、一ハラ買う。」
 さすが、ニヤケ男の田島も、ここに到って、しんから怒り、
「そら、一枚、二枚、三枚、四枚。これでいいだろう。手をひっこめろ。君みたいな恥知らずを産んだ親の顔が見たいや。」
「私も見たいわ。そうして、ぶってやりたいわ。捨てりゃ、ネギでも、しおれて枯れる、ってさ。」
「なんだ、身の上話はつまらん。コップを借してくれ。これから、ウイスキイとカラスミだ。うん、ピイナツもある。これは、君にあげる。」

 

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【日刊 太宰治全小説】#271「グッド・バイ」怪力(一)

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【冒頭】

しかし、田島だって、もともとただものでは無いのである。闇商売の手伝いをして、一挙に数十万円は楽にもうけるという、いわば目から鼻に抜けるほどの才物であった。

【結句】

部屋の壁には、無尽会社の宣伝ポスター、たった一枚、他にはどこを見ても装飾(そうしょく)らしいものがない。カーテンさえ無い。これが、二十五、六の娘の部屋か。小さい電球が一つ暗くともって、ただ荒涼(こうりょう)
 

「グッド・バイ 怪力(かいりき)(一)について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年5月27日に脱稿。
・昭和23年7月1日、『朝日評論』七月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

f:id:shige97:20190825215009j:image

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

怪力 (一)


 しかし、田島だって、もともとただものでは無いのである。闇商売やみしょうばいの手伝いをして、一挙に数十万は楽にもうけるという、いわば目から鼻に抜けるほどの才物であった。
 キヌ子にさんざんムダ使いされて、黙って海容かいようの美徳を示しているなんて、とてもそんな事の出来る性格ではなかった。何か、それ相当のお返しをいただかなければ、どうしたって、気がすまない。
 あんちきしょう! 生意気だ。ものにしてやれ。
 別離の行進は、それから後の事だ。まず、あいつを完全に征服し、あいつを遠慮深くて従順で質素で小食の女に変化させ、しかるのちにまた行進を続行する。いまのままだと、とにかく金がかかって、行進の続行が不可能だ。
 勝負の秘訣ひけつ。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。
 彼は、電話の番号帳により、キヌ子のアパートの所番地を調べ、ウイスキイ一本とピイナツを二袋だけ買い求め、腹がへったらキヌ子に何かおごらせてやろうという下心、そうしてウイスキイをがぶがぶ飲んで、酔いつぶれた振りをして寝てしまえば、あとは、こっちのものだ。だいいち、ひどく安上りである。部屋代もらない。
 女に対して常に自信満々の田島ともあろう者が、こんな乱暴な恥知らずの、エゲツない攻略の仕方を考えつくとは、よっぽど、かれ、どうかしている。あまりに、キヌ子にむだ使いされたので、狂うような気持になっているのかも知れない。色慾のつつしむべきも、さる事ながら、人間あんまり金銭に意地汚くこだわり、モトを取る事ばかりあせっていても、これもまた、結果がどうもよくないようだ。
 田島は、キヌ子を憎むあまりに、ほとんど人間ばなれのしたケチないやしい計画を立て、果して、死ぬほどの大難に逢うに到った。
 夕方、田島は、世田谷のキヌ子のアパートを捜し当てた。古い木造の陰気くさい二階建のアパートである。キヌ子の部屋は、階段をのぼってすぐ突当りにあった。
 ノックする。
「だれ?」
 中から、れいの鴉声からすごえ
 ドアをあけて、田島はおどろき、立ちすくむ。
 乱雑。悪臭。
 ああ、荒涼こうりょう。四畳半。その畳の表は真黒く光り、波の如く高低があり、へりなんてその痕跡こんせきをさえとどめていない。部屋一ぱいに、れいのかつぎの商売道具らしい石油かんやら、りんご箱やら、一升ビンやら、何だか風呂敷に包んだものやら、鳥かごのようなものやら、紙くずやら、ほとんど足の踏み場も無いくらいに、ぬらついて散らばっている。
「なんだ、あなたか。なぜ、来たの?」
 そのまた、キヌ子の服装たるや、数年前に見た時の、あの乞食姿、ドロドロによごれたモンペをはき、まったく、男か女か、わからないような感じ。
 部屋の壁には、無尽会社の宣伝ポスター、たった一枚、他にはどこを見ても装飾らしいものがない。カーテンさえ無い。これが、二十五、六の娘の部屋か。小さい電球が一つ暗くともって、ただ荒涼。 

 

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