記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】1月21日

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1月21日の太宰治

  1947年(昭和22年)1月21日。
 太宰治 37歳。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  奈良市北市町七三番地ノ二 
   横田俊一宛

 東京移住以来、何やらかやら用事に追われて、御ぶさた申し、相すみませんでした。
 御問い合せの件、伊豆には、二度行っているのでした。昭和七年(二十四歳)と昭和九年と、二度でした。「ロマネスク」を三島で書きましたのは、昭和九年(二十六歳)のようで、(発表は、昭和十年一月、「青い花」)、「ハイデルベルヒ」は、昭和十五年(三十二歳)に書きましたのですから、八年前は、私の勘定ちがいのようでございます。それから、昭和七年(二十四歳)の夏にも、伊豆静浦、沼津、三島をあそびまわり、そうしてその間に「思い出」を書き、静浦、三島の青年たちに読んで聞かせた記憶があります。それは、御推察の如く、非合法運動自首して、その運動から離れ、検事局出頭までの休養の時期でした。ではまたいずれ、新刊を、また他日お送りいたします。

生前に出版された『太宰治全集』

 横田俊一(よこたしゅんいち)(1911~1975)は、戦前、奈良女子高等師範学校に勤務し、のちに奈良女子大学教授も務めました。太宰の言葉と書誌的研究を織り交ぜた「太宰治論ー僕を信じないやつはばかである」(「リアル」第四号、1947年10月)を執筆しています。

 1946年(昭和21年)7月3日付、太宰が横田に宛てたハガキには、「お米とかえてまで雑誌御入手の御苦心、こちらも一生懸命で(いのちを短かくしても)いいものを書かなければならぬと思いました。」と、横田が米と引き換えに太宰作品を入手したエピソードが書かれています。
 また、同じハガキの最後に太宰は「この津軽を引き上げたら、東京を素通りして、奈良か京都に定住したいなど空想しています。」と書いています。当時、実家の津軽疎開中だった太宰ですが、奈良に住んでいた横田や、京都に住んでいた一番弟子の堤重久とのやり取りから、奈良か京都への移住に想いを馳せていたのかもしれません。

 今日取り上げたハガキは、横田から受けた、二度の伊豆行きや「ロマネスク」執筆時についての質問に答えたものです。

 1947年(昭和22年)10月頃、太宰に全集刊行の話が舞い込んできます。生前の作家が全集を刊行するのは、とても珍しいことでした。
 新潮社で編集者として太宰を担当していた野原一夫(のはらかずお)(1922~1999)は、太宰から初めて全集刊行について聞かされた時のことを、著書『回想 太宰治の中で、次のように書いています。

富栄さんの部屋に行くと先客があり、実業之日本社の人だと紹介された。その人が帰ったあと、太宰さんは、すこしまぶしそうな顔をして、
「実はね、全集を申し込まれているんだ。」
 と言った。全集? なんのことだろうと私は思った。
「俺の全集さ。いまの人もその話できたんだが、八雲書店からも申し込みがあってね。どちらにしたものかね。」
「全集ではなくて、選集ではないんですか。だって、先生はこれから大いに仕事をなさるんだし、全集というのはおかしくないですか。」
 生存中に"全集"が出ることは今でこそ珍しくなく、それは主として出版社の営業政策によるものだが、完結した全業績を集大成してこそ全集と呼べるので、生前の作家が"全集"を出すことは厳密にはあり得ないのである。その当時までの日本の出版界はその厳密さをかなり守ってきたはずで、生前に"全集"を出した作家は数が少ない。
「いや、全集ということになるのだ。出版社のほうでもそう希望している。」
 私は釈然としなかった。
「どちらがよさそうかね。実業之日本社と八雲では?」
 八雲書店は創業まもない新興出版社だが文芸出版の分野に派手に進出し、なかなか羽振りがよさそうに見えた。実業之日本社は老舗で、『東京八景』を戦前に刊行した縁もあるのだが、文芸部門に力を入れているようにも見えず、地味な感じが強かった。
「どちらかといえば、八雲のほうがいいのかもしれないけど。」
 しかし私は不満だった。

 太宰は、この全集刊行にかなり積極的に関与しています。A5判の大きめの判型で、白地の表紙に津島家の家紋である鶴の定紋を型押ししているのも、太宰の強い希望によるもの。題字も太宰自身が書いています。
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 また、太宰は横田から自らの書誌年表を借り、全集制作のための資料として八雲書店に渡しています。

 1948年(昭和23年)4月20日、『太宰治全集』は刊行が開始されました。太宰が死ぬ約2カ月前のことでした。
 太宰の死後、全16巻刊行の予定が全18巻に変更されましたが、1950年(昭和25年)4月、出版不況と労働争議が原因で八雲書店が倒産したため、14巻で刊行中絶となっています(第12巻「パンドラの匣」、第16巻「随想集」、第17巻「書簡集」、第18巻「未発表作品、補遺」が未刊行でした)。

 【了】

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【参考文献】
・野原一夫『回想 太宰治』(新潮文庫、1983年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・滝口明祥『太宰治ブームの系譜』(ひつじ書房、2016年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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