記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月22日

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12月22日の太宰治

  1947年(昭和22年)12月22日。
 太宰治 38歳。

 十二月六日から二十二日に書かれた、山崎富栄の日記。

富栄「お人好しの仙女では…」

 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月6日から12月22日までに書いた日記を紹介します。

十二月六日

 御返事を出そうとして、封筒に住所を書いたものの、三鷹からではいけないと思い、日曜日に、東京へ出て、そこから投函しようと思っていたら、亀島様がおみえになる。
 昨日は面会謝絶で駄目だった由、今日は再度の電報で来られたと――(注:以下四行抹消されている)
 こんな御返事、亀島様に持っていっていただいたら、御不快にお思いにならないかしら、心配。万一どなたかが、ごらんになるかもわからず、あんな科白(せりふ)で書いたのだけれど、でも、深い言葉として読んで下さることを念じています。余り深刻なものは、かえって御心痛が深まること………と思ったので。
 それでも、書けぬ指にペンを持たれて、御使いを下さったその御返事としては、随分失礼な文面ではないかしら。
 でも、何を書いても、通じるものがあるような気持ちもいたします。
 ブロバリンが十日分買ってあります。
 昨日、一包、飲んで寝ましたが、効きませんでした。
 これを一日一包ずつ、十包飲めば、その明日、あなたにお目にかかれるのね。
 御体、幾重にも、御自愛下さい。
 いつも、おそばについていたいのですけれど。
 祈っております。

 亀島様がお帰りにお寄り下さる。
 ランプ入手。
 九日に、ここにおいでになるそうな。
 大丈夫なのでしょうか。
 私が、あんなお便りをさしあげたので
 それで御無理してお起きになられるのでしょう。きっと、そうです。
 もっと、もっと御自分を可愛がって下さい。
 ――ふっと予感――
 そういう奇蹟もあることではないかしら………でも、だめだわ…………
 キリストの復活があれば、だけれども――命がけで、尽くしてみます。
 徐々にでもいいのです。現して下さい。

 太宰は、「アヤマッタクスリヲノンデ、マル三日、仮死」状態になっていました。

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 太宰を心配し、手紙を書こうとするも、妻・津島美知子に関係が明らかになることを危惧し、手紙の投函場所に悩んでいます。

 

十二月七日

 
ひるま、修治さんがおいで下さる。
 つめたい唇、大丈夫なのかしら。
 二重廻しをお召しになったままお話なさる。
 羽左さんの失態については、
 園子ちゃんの笑いごえ、
 奥様の胸のよろこび、
 吉祥寺のおばさんの意外な場面にお手伝いしたうれしさ、など心に残る。
 蒼白なお顔。
 完全でないお体で、お買物がてらお寄り下さったの。
 キーちゃんが夜通し看護なさって、お目覚めの時には、キーちゃんの顔がボーッとかすんでいて、分からなかったとか。
 お手もふるえて
 お口もきけず
 お小用にいらしたこともまったく記憶に残っていられなかったとか。
 ヂャールをスプーンに二杯弱で起こった悲喜劇のひとこま。
 あれと、あれと、混合して飲めばいける。
 このごろは、睡眠薬をのんで寝ても、二時間位経つと目が開く。困る。
  I love you, but I'm sadly.
 知――理性(科学)、情――感情(芸術)、意――意志(道徳、宗教)。

 太宰さんのようなお方は、生きていらっしゃるだけで、何か、清いもの、温かいものが感じられて、寂しい人生の一角に、ほのぼのとした訪れを知る。
 ネメジスが訪れませんように。

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十二月八日

 昨夕、太宰さんと、東宝映画の人おみえになる。
 斜陽の映画化、御相談のため。
 結局、お断りになる。
 五、六年ならいいだろうと。
 それで、三、四年は生きていられるという、お体の見通しでもおつきになったのかしら。
 西田さんお泊りになる。文学、絵画、政治、人物論等に意気投合の御様子。
 朝食後、駅まで御一緒にお見送り。土手の左側を歩いてお帰りになる。お近くまで御見送りする。
 十時頃から東京へ出る。久我山に洋服をとりにいく。相変わらずニコニコと忙しそう。背広、ブラウス出来上がっている。大サービスで一千円の仕立代、ちょっとおどろく。いたい。
 私の働いていた頃のものは、お客様に使っていたので、そろそろ火の車になってきたわい。
 はじめての生活様式なので、さっぱり見当がつかない。
「お金のことはきれいに言ってね」「まだあるの?」などと仰言って下さるけれど、どうも、「もうない、ゲル下さい」なんてことは、中々むずかしくて言えないものですね。
 相手の生活や、気持ちを、あまり考えすぎるせいもあるかもしれないけれど、私のような、身も心も打ちこんでしまう性格では、大決心しなければ言えない。
 丁度まるで、あの背の高い人が日響のドラを叩いたあとの、ハッ! と肩を落として息を出すときみたいな緊張感がある。
 独立していた人は、ゲルについてはいえないものだと聞いていたけれど、ほんとうにそういうものの一つがわたしにもあるかもわからない。でも、いよいよ明日は申し上げねばならないわ、きれいに――。

 久我山は、杉並区久我山2丁目在住のお茶ノ水美容学校の元講師・吉沢たか女子のところ。仕立代「一千円」は、現在の貨幣価値に換算すると、約18,000円~36,000円に相当します。
 「私の働いていた頃のもの」とは、富栄が、鎌倉のマ・ソアール美容院、三鷹のミタカ美容院に勤めて得た収入を貯蓄していたもののことを指します。富栄は、太宰を訪ねてくる先輩・知友・弟子・新聞雑誌記者等の来客者をもてなすために、自身の貯蓄を切り崩していました。
 「ゲル」とは、ドイツ語の「ゲルト(Geld)」のことで、金銭のことを意味します。

 

十二月九日

 政治も戦争も芸術も
 一つのことに向かって、進んでいるのです。
 それは、夫婦の愛の完成のためです。

 田中さんに初めてお目にかかった日。

 「田中さん」とは、太宰の弟子・田中英光のこと。田中は、太宰の死後、1948年(昭和23年)11月、三鷹禅林寺境内の太宰の墓前で自殺しています。

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田中英光

 

十二月十一日

 わたしのこういう生活が、
 あなたにとっての喜びであれば、それがわたしの慰めですの。
 二人の心もちの結ばれは自然です。けれども二人の生活は不自然です。わたしは結婚しとうございます。
 二人が十年前にお逢いしていたのなら、なんにも言われることもなく、周囲の人達も泣かないでこんな幸せなことはなかったことでしょうに。
 人のお世辞も、軽蔑視も、何もかも手にとるように分かっていて、誰方(どなた)がみえても楽しくはありません。
 でも、わたしは、あのお方に初めて”恋”というものを御教えできた女として、あのお方の侘しかった一生の晩年を飾るアーチの菊の役目をして誇らかに生きていきとうございます。
 わたしがほんとうに心から幸せを感じるときは一つだけ。ほんの短いとき。それを信じておりますの。それがあるから苦しい生活にもたえているのです。それは、あのお方の恋したひととして、御一緒に、永い時間待って、楽しみにしていた、永遠の旅立ちをするときなのです。
 わたしは、お人好しの仙女ではありません。
 十一月九日の朝、
 母上京、
 義理と、人情、
 父母と、子、
 父と母、
 母と娘、
 父と娘、
 娘と父母、
 愛、
 馬の耳に念仏、
 わたしの幸せが、あなた方の思っているようなことなら
 血の出るような恋なんか。
 太く、短く、真直ぐに生きたい。

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■山崎富栄

 

十二月二十日

 京都より、堤様、横田様御上京。

 「堤様」とは、太宰の一番弟子・堤重久のこと。堤は、1944年(昭和19年)6月以降、妻・貴美子と共に東京を離れ、京都に疎開しました。太宰は、三鷹甲府・金木と疎開先を転々としながらも、頻繁に堤と書簡のやり取りをしました。
 この日の堤の上京は、実に4年半振りの再会でした。

 「横田様」とは、奈良女子高等師範学校横田俊一のこと。堤は、太宰の仲立ちで、八雲書店版『太宰治全集』のための「年表完成」の助力を依頼していました。
 横田は太宰と面識がなく、堤の上京の機会に「一度お眼にかかりたい」ということで、同道することになったそうです。

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■太宰の一番弟子・堤重久

 

十二月二十二日

 御一緒に、上野浮浪児記について、日本小説の方々といく。
 帰路セレーヌに寄る。一泊。

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 上野浮浪児記を執筆するため、太宰は、「日本小説」の氏家雑誌記者と、上野に出向き、浮浪児を見て歩きました。この日の出来事は、のちに短篇美男子と煙草となりました。
 帰路に寄ったという「セレーヌ」とは、神保町にあるバーで、筑摩書房の創業者・古田晁(ふるたあきら)の知人が経営しており、太宰や富栄とも顔見知りの間柄でした。

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■「古田さん」こと筑摩書房の社長・古田晁(ふるたあきら) 古田の計らいで、翌年1948年(昭和23年)に太宰は熱海・起雲閣大宮人間失格を執筆します。

 【了】

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【参考文献】
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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