記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月23日

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12月23日の太宰治

  1943年(昭和18年)12月23日。
 太宰治 34歳。

 埼玉県日高の高麗神社(こまじんじゃ)での阿佐ヶ谷会錬成忘年会に、外村繁、青柳瑞穂、平野零児、上林暁小田嶽夫、安成二郎らと参加。

阿佐ヶ谷会錬成忘年会

 1943年(昭和18年)12月23日、太宰は、埼玉県日高町高麗神社(こまじんじゃ)で行われた阿佐ヶ谷会錬成忘年会に参加しました。

 阿佐ヶ谷会は、太宰の師匠・井伏鱒二らが中心となって開催されていた文士たちの会合です。
 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって、東京は壊滅状態になり、家を求めた多くの人々が中央線沿線に住むようになります。阿佐ヶ谷駅関東大震災の前年、1922年(大正11年)に開設され、徐々に住宅地としての姿を見せ始めた頃でした。その流れに乗り、文士たちも阿佐ヶ谷界隈に住むようになります。
 昭和のはじめ頃から、阿佐ヶ谷界隈の文士たちは集まって酒を酌み交わしたり、将棋を指したりしていましたが、記録に残っている最初の阿佐ヶ谷会は、1936年(昭和11年)4月に開催された会です。
 阿佐ヶ谷会には太宰も参加しており、1941年(昭和16年)3月15日に参加した将棋会や、1942年(昭和17年)2月5日に参加した奥多摩の御嶽遠足については、ほかの記事でも紹介しています。

 

 太宰一行が、阿佐ヶ谷錬成忘年会で訪れた高麗神社(こまじんじゃ)は、埼玉県日高市新堀にあり、古くは武蔵国高麗(こま)郡と呼ばれていた土地の中心に鎮座しています。

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 1300年の歴史と由緒を持つ神社で、渡来人の高麗王(こまのこきし)若光(じゃっこう)主祭神として祀っています。若光は、唐と新羅(しらぎ)によって滅ぼされた高句麗(こうくり)の王族でした。
 高句麗は、紀元前1世紀の建国から700年の隆盛を誇りましたが、国家存亡の危機に瀕し、大和(やまと)朝廷に援軍要請の使節を派遣します。その使節の中に、若光はいました。若光たちが渡来したのは、天智天皇5年(666年)。その2年後に、高句麗は滅亡してしまいました。
 霊亀(れいき)2年(716年)、大和朝廷駿河、甲斐、相模などの7ヶ国から、高句麗人1,799人を武蔵国に移して高麗郡を創設。郡の長官に任命された若光は、同族の民を督励し、未開の地の開発に努めて、波瀾の生涯を終えました。そして、その若光の徳を(しの)び、高麗郡の守護神として、その霊を祀るのが高麗神社(こまじんじゃ)です。

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 高麗神社(こまじんじゃ)の境内にある「参拝諸名士芳名」には、「太宰治」の名前も掲げられています。

 高麗神社(こまじんじゃ)には、皇族をはじめ、政財界人、著名な学者や文化人が多く参拝に訪れており、芳名帳には尾崎紅葉幸田露伴佐藤春夫も名を連ねていますが、その中には、太宰の友人・檀一雄坂口安吾の名前も見られます。
 安吾と檀が高麗神社(こまじんじゃ)を訪れたのは、1951年(昭和26年)10月18日。安吾は、東京練馬区の檀の自宅にいましたが、「高麗村に出掛けよう」と提案。檀と編集者の3人で出掛けました。

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坂口安吾檀一雄

 3人が高麗神社(こまじんじゃ)に到着したのは、夕方。笛と太鼓の音が聞こえて、獅子が舞っていました。翌日は年に一度の大祭(たいさい)で、本番さながらの稽古が行われていました。稽古の様子に興味を惹かれた安吾たちは、大祭当日にも高麗神社(こまじんじゃ)を再度訪れています。

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 安吾は、同年3月から「文藝春秋」安吾新日本地理』というタイトルで連載をはじめていますが、その10回目に高麗神社(こまじんじゃ)の祭の笛』という長文を発表し、この時のことを書いています。安吾は笛の音を「ハラワタにしみるような悲しさ切なさである」と表現し、「まったく夢を見るような一日であった」と回想しています。

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■高麗神社の芳名帳

 安吾高麗神社(こまじんじゃ)参拝者の芳名帳を開き、そこに太宰の署名を見つけた際、「太宰はバカだなア、高麗の話を何も書いてないじゃないか」と言ったそうです。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
青柳いづみこ川本三郎 監修『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』(幻戯書房、2007年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・「サライ 2020年1月号」(小学館、2020年)
・HP「高麗神社
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
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