記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

堤重久

【週刊 太宰治のエッセイ】炎天汗談

◆「炎天汗談」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【日めくり太宰治】12月22日

12月22日の太宰治。 1947年(昭和22年)12月22日。 太宰治 38歳。 十二月六日から二十二日に書かれた、山崎富栄の日記。 富栄「お人好しの仙女では…」 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月6日から12月22日…

【日めくり太宰治】12月16日

12月16日の太宰治。 1946年(昭和21年)12月16日。 太宰治 37歳。 十一月二十四日、十二月九日、十二月十六日付で、堤重久(つつみしげひさ)に葉書を送る。 太宰「校正お世話になります」 今日は、1946年(昭和21年)11月24日、1…

【日めくり太宰治】9月15日

9月15日の太宰治。 1942年(昭和17年)9月15日。 太宰治 33歳。 堤重久(つつみしげひさ)は、東京慈恵会医科大学出身の軍医の好意で、除隊となった。 堤重久の除隊 堤重久(つつみしげひさ)は、日本の文芸評論家、京都産業大学名誉教授。太宰の…

【日めくり太宰治】9月9日

9月9日の太宰治。 1943年(昭和18年)9月9日。 太宰治 34歳。 桂英澄(かつらひでずみ)の壮行会が、本郷区千駄木町五十六番地の桂宅であり、石澤深美、堤重久、池田正憲などと出席、一夕をともにした。 桂英澄(かつらひでずみ)、入隊前夜 桂英澄(…

【日めくり太宰治】5月21日

5月21日の太宰治。 1947年(昭和22年)5月21日。 太宰治 37歳。 三鷹町上連雀八百四番地の藤田利三郎宅の一室を借りて仕事部屋とし、六月末までここで、「斜陽」を執筆。第八章まで、百八十枚を書き上げた。 太宰を占う、若い女性占い師 太宰…

【日めくり太宰治】4月10日

4月10日の太宰治。 1942年(昭和17年)4月10日。 太宰治 32歳。 正午頃宿を払って帰途に着き、桜並木の植わった川沿いに二俣尾駅まで歩いて降くだったという。 堤重久(つつみしげひさ)の出征壮行会の帰途 4月9日の記事で、太宰の弟子・堤重…

【日めくり太宰治】4月9日

4月9日の太宰治。 1942年(昭和17年)4月9日。 太宰治 32歳。 堤重久(つつみしげひさ)と、堤の三人の友人桂英澄(京都帝国大学文学部美学科)、石澤深美(慶応義塾大学文学部独逸文学科)、池田正憲(東京帝国大学文学部仏蘭西文学科)と、それ…

【日刊 太宰治全小説】#125「十二月八日」

【冒頭】きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。 【結句】どこまで正気なのか、本当に、呆(あき)れた主人であります。 「十二…