記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】7月9日

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7月9日の太宰治

  1947年(昭和22年)7月9日。
 太宰治 38歳。

 七月九日付で、3通の手紙を送る。

太宰の3通の手紙

 今日は、1947年(昭和22年)7月9日付で、太宰が書いた手紙3通を紹介します。

 1通目は、養徳社編集部・庄野誠一に宛てたハガキです。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  奈良県丹波市町川原城 
   養徳社編集部 庄野誠一宛

 拝啓、御ぶさたして居ります、二、三日前から、こちら急に暑くなって、ただもう、汗ばかり拭いて居ります、さて、昨日、新潮社の人が来て、こんど新潮文庫を発刊するけど、その際「晩年」の決定版も出したいと言い、養徳社叢書の「晩年」は、名前は「晩年」ですけど、実は「晩年」の半分だけをとり、それから「晩年」以外の「女生徒」だの他二篇ばかりいれてありますので、「晩年」のホンモノの決定版をこの際、作って置くのも無意義でないと私も思いまして、でも一応養徳社の御了承を得るのも順序と存じまして、不取敢(とりあえず)、御快諾を得たく、お願い申し上げる次第です、どうかよろしく御了承のほどお願い申します、     敬具

  1936年(昭和11年)6月25日付で、砂子屋書房から刊行した処女短篇集晩年は、太宰にとって、かなり想い入れの強い短篇集で、その想いは後年になっても変わらなかったようです。


晩年 (新潮文庫)


 2通目は、太宰の無二の親友であり、よき理解者だった伊馬春部宛てたハガキです。

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■太宰と伊馬春部 三鷹の「ウナギ屋」若松屋の前で。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  東京都目黒区緑ヶ丘二三二一 伊馬春部

 先日は、しっけい、しっけい、とは言っても、私が悪いんじゃない、伝言人のあやまりなんです。ウナギ屋で、よくそのあやまりの実相を聞いたでしょう、日がちがっているんです。こんどは電報にして下さい。三鷹では大いに飲めるんです。小切手はいただきました。女房のお小使いとして与え、女房大よろこび、ありがとうございました。こんどは、どうか電報。(こん)君の津軽ナマリが、ウナギ屋にうまく通じないらしいんだよ。  敬具。

 「(こん)君」とは、青森県弘前市生まれ、太宰と同年生まれの作家・今官一(こんかんいち)(1909~1983)のこと。今の津軽なまりが原因で、伊馬との約束が上手くつかず、それを弁明するハガキです。

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■太宰と今官一


 3通目は、太宰の弟子・田中英光に宛てたハガキです。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  静岡県田方郡内浦村三津
   田中英光
 拝復 御子さん御病気の由、大事にし給え。僕のところも中の男の子が、どうも工合いわるく、焼野のキギス夜のツルというところ。僕には親の資格が無いようだ。さて、「東北文學」の件、宮崎氏たゞいま関西出張中らしく今月六、七日頃、帰仙の途中に三鷹陋屋(ろうおく)を訪問したいという便りあり、もし彼がやって来たら、私からたのみます。それから「諷刺文學」で君に原稿をたのんだ筈だが、すぐ取りかゝるといいと思います。稿料も割にわがまゝがきく筈です。「展望」のほうは、こないだ編集者に聞いたらまだきまらないとの事でした。では御元気で。   敬具。

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 同日に書かれた、全く趣の異なる3通のハガキ。
 太宰は、一般的なイメージ以上に、周囲を取り巻く人々に、気を遣って生きていたのかもしれません。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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