記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月6日

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12月6日の太宰治

  1944年(昭和19年)12月6日。
 太宰治 35歳。

 十二月六日付、十二月十三日付、十二月二十七日で、小山清(こやまきよし)に葉書を送る。

太宰、小山清(こやまきよし)への近況報告

 今日は、1944年(昭和19年)12月6日、12月13日、12月27日付で、太宰が弟子・小山清(こやまきよし)に送った3通の手紙を紹介します。

 小山の小説は、太宰から称賛を受け、太宰は小山の作品を世に出すべく、「文学界」や「新潮」などに紹介するために、いろいろと奔走していますが、なかなかその努力は実りませんでした。
 太宰は、1942年(昭和17年)8月9日付の小山宛のハガキに、次のように書いています。

こんどの作品も、いいものでした。ジャーナリズムは、どたばたいそがしい中で君の作品を静かに鑑賞できないのは無理もないと思いますが、残念なことです。けれども、必ずいつかは、正当に評価されると思います。いまのいままで御勉強をつづけて下さい。自作も期待しています。まあ、君も、太宰という読者をハッキリと得たのですから、それだけでも、ちいさい成功の一つと信じて下さい。

  太宰による小山の作品紹介は、戦後もなかなか上手くいきませんでしたが、仙台の出版社である河北新報社が出版していた雑誌「東北文学」に掲載された小説『離合』で、ようやく日の目を見ることになりました。

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 小山は、四百字詰めの原稿を、わざわざ小刀で半分に切って使っていました。うまい字ではなかったが、一画一画に力を込めて書かれていたそうで、小山の原稿からは、マス目を一つ一つ丁寧に埋めていっているという感じがしたそうです。

 それでは1通目、1944年(昭和19年)12月6日付のハガキです。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  東京都荒川区三河島二ノ一〇八四
   新藤方 小山清

 拝啓 その後お元気ですか。当方は、三鷹附近にバクダンが落ちるのでヒヤヒヤしていますが、まあ、どうやら無事です。
 私の中篇「雲雀ひばりの声」は、発行間際に神田の印刷工場がショーイダンにやられて全焼したそうです。本屋では、またすぐ、印刷し直すと言っていますが、つまらない目に遭ったものです。
 きょう東宝から、江東劇場の切符をもらいましたが、なにせ遠いので、私は行きませんから、お友達にやって下さい。水谷八重子一座が、「四つの結婚」をやっているのです。あとで評判を聞せて下さい。
 お大事に。     敬具。

 全焼したという中篇雲雀ひばりの声は、太宰のファンである文学青年・ 木村庄助(きむらしょうすけ)が提供した日記をもとに書かれた作品でした。
 『四つの結婚』は、太宰の短篇佳日を原作にした水谷八重子一座による舞台です。同年9月28日、佳日東宝の製作、同じ四つの結婚というタイトルで映画化もされていました。「なにせ遠いので、私は行きません」という太宰は、東宝から送られて来た招待券3枚を小山に送付し、観覧を依頼しました。

 続いて2通目、1週間後の、同年12月13日付のハガキです。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  東京都荒川区三河島二ノ一〇八四
   新藤方 小山清

 たびたびの空襲で、所謂「神経」をやられましたか?私は「神経」は大丈夫だけれども、酒を飲みに出かけられなくて、困る。空襲のたんびに、子供の世話で、家から出られません。芝居見ましたか。先日は空襲で、神田の印刷工場がやられて、私の出るばかりになっていた「雲雀ひばりの声」が全焼したそうで、少しくさりました。でも、本屋では、また印刷をし直すと言っております。タバコ、そちらは如何です。あまったら、ほんの少しでも、こちらへ送って下さいまし。あつかましいお願い。

 太宰が度々話題にしている雲雀ひばりの声。この作品は、雲雀ひばりの声という形で世に出ることはありませんでしたが、太宰の戦後最初の作品であり、太宰最初の新聞小説

パンドラの匣として日の目を見ることになりました。河北新報社の出版局次長・村上辰雄の依頼で、書かれたパンドラの匣。太宰は終戦後の希望を書く」と情熱を注いで、この作品に取り組みました。

 最後に紹介するのは、同年12月27日付のハガキです。

  東京都下三鷹下連雀一一三より
  東京都荒川区三河島二ノ一〇八四
   新藤方 小山清

 一昨日、仙台からかえりました。タバコありがとう。わざわざ三鷹まで来てくれて、あるじ不在でしたら、ずいぶんつまらない思いをなさるでしょう。すみませんでした。こんどは、たいてい在宅の筈です。忘年会か新年会をやりましょう。飯田氏の御住所の紙をせっかく書いてもらいながら、なくしました。あとでまた書いて下さい。ではまた、取急ぎ御礼。     不乙。

 小山は、太宰の「あつかましいお願い」に応え、三鷹にタバコを届けに行きましたが、太宰は惜別執筆のための取材調査で仙台へ行っており、不在でした。
 小山は、野暮にさえ見える実直なタイプで、口数が少なかったそうです。太宰に会えると思い、心躍らせて三鷹を訪れたものの、不在の太宰の代わりに妻・津島美知子が対応し、小山は「ずいぶんつまらない思い」をしたのかもしれません。

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小山清

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・戸石泰一『青い波がくずれる』(本の泉社、2020年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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