小山清
◆「春」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
12月6日の太宰治。 1944年(昭和19年)12月6日。 太宰治 35歳。 十二月六日付、十二月十三日付、十二月二十七日で、小山清(こやまきよし)に葉書を送る。 太宰、小山清(こやまきよし)への近況報告 今日は、1944年(昭和19年)12月6日…
11月14日の太宰治。 1946年(昭和21年)11月14日。 太宰治 37歳。 十一月十二日、十数名の人々に見送られ、羅紗(ラシャ)地の紺色に染め直した折襟の兵隊服、兵隊靴、それにゲートルを締めた姿で金木を出発。 太宰、金木から三鷹へ帰京 太宰…
10月25日の太宰治。 1945年(昭和20年)10月25日。 太宰治 36歳。 十月二十五日付で『お伽草紙』を筑摩書房から刊行。 終戦直後、『お伽草紙』を刊行 1945年(昭和20年)10月25日付で、『お伽草紙』が筑摩書房から刊行されました…
8月28日の太宰治。 1945年(昭和20年)8月28日。 太宰治 36歳。 疎開先の故郷金木から手紙を送る。 疎開先から弟子と師匠に送る手紙 今日は、太宰が疎開先の故郷・金木町から3人に送った書簡を紹介します。 太宰は、1945年(昭和20年)…
6月18日の太宰治。 1941年(昭和16年)6月18日。 太宰治 31歳。 六月十八日付で、小山清(こやまきよし)にハガキを送る。 小山清にとってのLast man 小山清(こやまきよし)(1911~1965)は、太宰の弟子です。戦時中、太宰が甲府や金木…
4月13日の太宰治。 1945年(昭和20年)4月13日。 太宰治 35歳。 小山清(こやまきよし)は三鷹の家に帰り、以後、疎開中の留守宅を守った。 太宰、甲府へ疎開する 小山清こやまきよしは太宰の弟子で、1945年(昭和20年)3月10日の「東…
4月3日の太宰治。 1945年(昭和20年)4月3日。 太宰治 35歳。 夜十二時に警報が出た。 「東京大空襲」以後、甲府疎開まで 3月10日の記事でも紹介しましたが、1945年(昭和20年)は、第二次世界大戦中、東京が106回の空襲を受けた中…
3月19日の太宰治。 1942年(昭和17年)3月19日。 太宰治 32歳。 小山清(こやまきよし)が旅館に訪れ一泊。 タイミングの悪い小山清 太宰は、1942年(昭和17年)3月10日から3月20日までの10日間、奥多摩御嶽駅前の和歌松旅館に滞…
3月10日の太宰治。 1945年(昭和20年)3月10日。 太宰治 35歳。 陸軍記念日の零時少し前から、本所、深川、下谷、浅草、城東など東京市中下町の各区に、マリアナ基地を発進したアメリカ空軍機B29約百五十機の、焼夷弾による大襲撃があった…
1月29日の太宰治。 1947年(昭和22年)1月29日。 太宰治 37歳。 それまで同居していた小山清が、職業安定所での募集に応じ、夕張炭鉱に出発し、北海道夕張市福住三区の第九寮に落ち着き炭鉱夫となった。 太宰と小山清 小山清(こやまきよし)(…