記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】7月21日

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7月21日の太宰治

  1942年(昭和17年)7月21日。
 太宰治 33歳。

 七月二十一日付で、戸石泰一(といしたいいち)に葉書を送る。

太宰、義弟の下宿探し

 今日紹介するのは、太宰が弟子・戸石泰一(といしたいいち)(1919~1978)に宛て、1942年(昭和17年)7月13日、7月21日、7月25日、8月1日、8月4日に送った5通のハガキです。

 戸石は、旧制第二高等学校文科2年の時、太宰の小説八十八夜を読んで心酔し、太宰作品を読み耽ります。1940年(昭和15年)、東京帝国大学文学部に進学して上京し、念願叶って、三鷹の太宰宅を、1歳年上の同人仲間・三田循司(1917~1943)と共に訪問しました。
 その後、大学2年の年末に太平洋戦争(1941年12月7日~)に突入したため、大学を繰り上げ、1942年(昭和17年)9月に卒業。同年9月24日、太宰との酒宴の後、仙台の第2師団の入営予備士官学校へ進み、翌年、見習士官として、スマトラのブキ・テンギへ向かいました。現地で少尉任官、1945年(昭和20年)9月2日に終戦を迎え、ポツダム中尉(ポツダム宣言受諾を機に、1階級特進)として英印軍の捕虜となりました。
 翌1946年(昭和21年)夏に復員しますが、身辺定まらぬうちに、1948年(昭和23年)、太宰の訃報に触れ、太宰との再会を果たすことはできませんでした。
 太宰没後は、教鞭をとる傍ら文筆活動を行い、太宰研究と評論に貢献しました。

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■戸石泰一

 それでは、7月13日付のハガキから見ていきます。

  東京府三鷹下連雀一一三より
  東京市杉並区天沼一ノ二三四 氏家方
   戸石泰一宛

 先夜は失礼。
 妻の弟が、いままでいた下宿から出なければならなくなって、どこか、いい下宿がないかしら、と言って来ているのですが、君に心当りありませんか。遊びがてら、三鷹へいらっしゃい。井の頭公園でビイルでも飲みましょう。午後五時頃がよい。では、おねがい致します。
            不一。

 「妻の弟」とは、太宰の妻・津島美知子の弟・石原明のことです。
 「いままでいた下宿」を出なければならなくなり、代わりに「いい下宿」の心当たりがないか、戸石を頼ったようです。

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井の頭公園 2020年、著者撮影。

 続いて、この8日後、7月21日付のハガキです。

  甲府市水門町二九 石原方より
  東京市杉並区天沼一ノ二三四 氏家方
   戸石泰一宛

けさ甲府へまいりました。二十七、八日までは、表記に居るつもりです。
 このたびは、弟の宿舎など俗用をたのみ、御手数をかけました。
 石原明、物理科二年、豊島区池袋三ノ一四五七、白井方というのが現住所であります。
 まだ間がありますし、私が帰京してから、君たちと一緒に本郷ブラブラ歩きながら捜してもいいわけですね。
 君は、いつ御帰省しますか?

 太宰は、この日から甲府を訪れ、7月31日まで石原家に滞在します。
 次は、7月25日のハガキです。

  甲府市水門町二九 石原方より
  東京市杉並区天沼一ノ二三四 氏家方
   戸石泰一宛

 拝啓
 このたびは、御手数をかけます。弟は早く引越したい様子で、それで二十八日(火曜日)の正午に本郷帝大門前で、お待ちしている筈ですから、どうか逢ってやって下さい。向うから、君に声かけるでしょう。
 塾のほうが、だめだったら、また近くの下宿でも、ついでにさがしてやって下さい。二十八日にさがしてやって下さい。二十八日に、万一、本郷へ行けない事情がありましたら、弟へ電話か速達でも出して他の日を指定してやって下さい。
 (豊島区池袋三ノ四五七白井方 石原明
  電話大塚八一一三)

 戸石と明は、まだ面識がないようですが、太宰は「早く引越したい」明のために、7月28日正午と日付を設定します。

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東京大学 本郷キャンパス正門

 7月28日、戸石と明は、一緒に下宿探しができたのでしょうか。
 続いて、8月1日付のハガキです。

  東京府三鷹下連雀一一三より
  東京市杉並区天沼一ノ二三四 氏家方
   戸石泰一宛

 昨夜帰宅いたしました。
 義弟から葉書が来ていまして、二十八日に正門前でお待ちしていたけど見えなかったとの事、キッと都合が悪い事でもあったのでしょう。それとも、もう仙台へ帰ったのでしょうか。
 私は、当分、在宅です。
 甲府は暑くて閉口でした。けれども東京も暑いね。
 どうか至急、御様子お知らせ下さい。

 どうやら、戸石と明は、「本郷帝大門前」で会うことができなかったようです。
 戸石は、太宰の依頼に応えることができるのでしょうか。 

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■石原家の人びと 前列左から、太宰、義母・石原くら、中列左から、義妹・石原愛子、美知子、義姉・石原富美子、後列が石原明。1939年(昭和14年)撮影。

 最後に紹介するのは、8月4日付のハガキです。

  東京府三鷹下連雀一一三より
  東京市杉並区天沼一ノ二三四 氏家方
   戸石泰一宛

 けさ、弟から葉書がまいりまして、いろいろとお世話になったそうで、よろこんでいました。ありがとう。
 よろしくお願いします。
 卒業論文でいそがしいだろうね。いずれ、また。
 きょうは御礼まで。     不一。

 この前年12月7日、太平洋戦争が勃発し、大学を繰り上げで卒業することになった戸石は、太宰が言うように、卒業論文などで忙しかったようですが、何とか明と会うことができたようです。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団 編集・発行『平成三十年度特別展 太宰治 三鷹とともに ー太宰治没後70年ー』(2018年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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