記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】2月6日

f:id:shige97:20191205224501j:image

2月6日の太宰治

  1946年(昭和21年)2月6日。
 太宰治 36歳。

 午前十一時頃、雪のなか母校県立青森中学校の仮校舎である海軍施設部工員宿舎であった松森町の「松森分校」を訪ね、午後一時から、焼失を免れた青森市立第一中学校の講堂を借りて、母校の生徒達一年生から四年生までを対象に、「真の教養と日本の独立」と題して二時間余講演した。

太宰の「勉強論」と「聖諦」

 疎開中、太宰は「真の教養と日本の独立」と題し、母校の生徒に向けて講演をしました。
 講演では、「小説家の勉強をせねばならぬことや、小説家が書かねばならぬことはどんな点にあるかということや、これからの文学の傾向などで、学生時代は猛烈に勉強せねばならぬこと」を強調。「難破して燈台に漂着した人が窓にしがみついてふと下を見ると燈台守の親子が夕餉(ゆうげ)を楽しんでいるところであった。その親子の団欒(だんらん)を乱してはならぬと思って、この漂着した人は救を求める叫びをあげず、そのまゝ浪に呑まれてしまった」という話をし、「小説家が書かねば誰もこの浪にのまれた人の心の美しさを世に告げる人はないであろう」という話もしたそうです。ちなみに、このエピソードは、1944年(昭和19年)に発表したエッセイ『一つの約束』にも書かれています。

 生徒の質問に対して太宰は、「勉強は古典を中心にすべきことを語り、鷗外、漱石等をすゝめ、作家の勘はたえず磨かねばならぬ。これはいわばナマリ(、、、)のようなもので、削れば光っているが、みがくのを怠ってをればすぐにさびつく。作家はいつもその勘を磨かなくてはならぬ、それは勉強によってだけ磨かれる」と話したそうです。

 この公演の4年前。太宰は、1942年(昭和17年)6月10日付で刊行された、書下ろし中篇小説『正義と微笑』の中でも、自身の「勉強論」について語っています。

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事をしる事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立たせようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

 この講演の後、太宰と職員との座談会が催され、その夜は、校長・横山武夫宅に一泊しました。横山武夫は、「思い出」で男女を結ぶ赤い糸の話をした国語教師のモデルで、当時教頭だった橋本誠一なども参加しての、賑やかな一夜だったそうです。
 お酒が入ると、筆を執ることが多かった太宰ですが、この日は記念にと、碧巌録(へきがんろく)第一則の聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)という茶席の禅語を色紙に書いて、横山武夫に手渡しています。
f:id:shige97:20200125145635j:image
 『碧巌録』は中国の仏教書で、第一則に出てくる「聖諦第一義」は、太宰が好んだ言葉。「聖諦」とは、仏教の言葉で、「聖なる心理」という意味です。

 太宰作品の中に「聖諦第一義」という言葉は登場しませんが、「聖諦」という言葉は、『お伽草子』の「浦島さん」の中に登場します。

かすかに、琴の音が脚下に聞える。日本の琴の音によく似ているが、しかしあれほど強くはなく、もっと柔かで、はかなく、そうしてへんに嫋々(じょうじょう)たる余韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寝。きぎす。どれでもない。風流人の浦島にも、何だか検討のつかぬ可憐な、たよりない、けれども陸上では聞く事の出来ぬ気高い(さび)しさが、その底に流れている。
「不思議な曲ですね。あれは、何という曲ですか。」
 亀もちょっと耳をすまして聞いて、
「聖諦。」と一言、答えた。
「せいてい?」
「神聖の聖の字に、あきらめ。」
「ああ、そう、聖諦。」と呟いて浦島は、はじめて海の底の竜宮の生活に、自分たちの趣味と段違いの崇高なものを感得した。いかにも自分の上品(じょうぼん)などは、あてにならぬ。伝統だの教養だの、正統の風流だのと自分が云うのを聞いて亀が冷汗をかくのも無理がない。自分の風流は人真似こまねだ。田舎の山猿にちがいない。
「これからは、お前の言う事は何でも信じるよ。聖諦。なるほどなあ。」浦島は呆然とつっ立ったまま、なおもその不思議な聖諦の曲に耳を傾けた。

 『お伽草紙』は、太宰お得意の換骨奪胎で、おとぎ話をベースに、太宰流の新しい解釈を施した翻案小説ですが、この「聖諦」にも太宰流の解釈が成されています。

「…真の上品じょうぼんというのは聖諦の境地さ、ただのあきらめじゃ無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されているんだ、そうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね、…」

 太宰にとって「聖諦」とは、「理想の境地」というような意味だったのでしょうか。
 酒を飲み、「聖諦」と書きながら、理想の境地に想いを馳せる。なんだか、感慨深い気もします。

 【了】

********************
【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】