記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】2月20日

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2月20日の太宰治

  1941年(昭和16年)2月20日。
 太宰治 31歳。

 二月二十日付発行の宮崎譲詩集『竹槍隊』(赤塚書房)に、「序文」として「犯しもせぬ罪を」を寄稿。

『犯しもせぬ罪を』

 宮崎譲(みやざきゆずる)は、1909年(明治42年)6月19日生まれの佐賀県出身の詩人で、『神』『竹槍隊』などの詩集を出版しています。1909年(明治42年)6月19日生まれというと、太宰と同い年で同じ誕生日です。
 2人は一度も会ったことが無いようですが、宮崎からの依頼で、太宰は宮崎の詩集『竹槍隊』に序文を寄稿します。今回は、この『犯しもせぬ罪を』を引用して紹介します。

『犯しもせぬ罪を』
 -宮崎譲詩集『竹槍隊』序

 犯しもせぬ罪をさえ告白しなければならぬか。愛しているのだから。
 人に恐怖を与えたい、あの、ときめきも、愛であろうか。人を、こわがらせて、なんになろう。
 宮崎君、君は、そんばかりして来たね。
 完全な人になろう、隣人をこそ、愛さなければならぬ、畜生、見破りやがったな、あげる、みんなあげます、否、まだまだ私は持っているのだ、ああ、隣人をこそ愛さなければならぬとは。
 宮崎君、笑えまい。私たちは、程度を知らなかった。けれども私はそれを、いまは誇りに思っている。君は、立派なおこないをしたのだ。
 宮崎君と私とは、未だいちども逢った事が無い。きのう、一束の詩稿を送って寄こした。序文を書けというのである。書くか書かぬか、それは私が詩稿を拝誦した上のことだ。私は読んだ。
 私はいま、この人の詩集に、一生懸命で序文を書きながら、かなりの名誉をさえ感じている。この人は、確実に、同時代の男だ。
 犯しもせぬ罪をさえ告白している。竹槍とは、自分に襲いかかる竹槍の意味である。神の御子では無かったから。
 人間は、人間のとおりに生きて行くものだ。かつて私は、その言葉を得て座り直した事がある。宮崎君もまた、既に、(或いは私よりも以前に、)その幽かなものに到達し得られた様子である。この詩集の、最後の三篇に於いて、その心境は最も明確である。
 私たちは遠まわりをしたが、むだでは無かった。ばかな献身の勝利である。一汗ぬぐって、さて、これから、この我等の土地から、どんな優しい花が咲くだろう? 宮崎君は、その自作の詩の中で、多少、含羞みながら答えている。
「今更なにをいう要があろう。」と。
 充分に、御自愛を祈る。
  二月六日。

 今日の記事を書いてる時、宮崎譲についてネットで調べても、詩集の古本しか見つからず、とても意外でした。"太宰と全く同じ日に生れた詩人"。とても面白いのに。
 ゆっくり時間をかけて調べられなかったのが残念なのですが、もしこの記事を読んで、宮崎譲についてご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ情報をお寄せ頂けると嬉しいです。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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