10月24日の太宰治。
1938年(昭和13年)10月24日。
太宰治 29歳。
井伏鱒二宛、二度と破婚はしない旨を記した誓約書を送付した。
太宰、井伏への「誓約書」
1938年(昭和13年)、天下茶屋に滞在中の太宰は、9月18日に師匠・井伏鱒二の付き添いで石原美知子とお見合いをします。
その後、10月24日に、太宰は井伏に宛てた誓約書を認め、翌10月25日付で、次の手紙と一緒に井伏に宛てて送付しました。
山梨県南都留郡河口村御坂峠上
天下茶屋より
東京市杉並区清水町二四
井伏鱒二宛
謹啓
お手紙、今夕、拝見いたしました。お言葉ありがたく、厳粛な心にて、二度、三度、拝誦いたしました。先日のこちらからのお願いの文面は、できるだけその日のことを活写しようと思い、ありのままをお伝えしたく、努めましたところ、だんだん、てれて来て、活写どころか、ずいぶん甘ったれた文章になり、さぞ御不快でございましたでしょう。事実は、浮いた花やじゃないことよりも、あの日は私、実社会の厳粛と四つに組んで、へとへとになって山へ帰ってきたのでした。二日ばかり、首がまわらぬほどに肩が凝っていて、くるしみました。
私としても、ずいぶん覚悟しているところでございます。別紙に誓約書をしたためましたけれど、いつわらぬ気持ちでございます。御信頼のうえ、御納め下さいまし。
■石原家の人びと 前列左から、太宰、義母・石原くら、中列左から、義妹・石原愛子、美知子、義姉・石原富美子、後列が石原明。1939年(昭和14年)撮影。
石原氏御母堂よりは、先日も、ずいぶんごていねいの御手紙いただき、私も、いままでの私の生活、現状をも、少くとも意識してかくしたところ一つもない告白を、もし、そのために、破談になっても、それは仕方がない、と覚悟をきめて、書いて差しあげましたが、今日は、御母堂と姉上様と、お二人より、長いお手紙いただきました。御母堂のお手紙には、「虚栄をはるということは私共大きらいです、――何事もつつみかくしなく、むりをしない様に一歩一歩正しい道をあゆんで行くのが一番いいと思います、まごころと職業に対する熱意とが何よりのたからです、」その他、涙ぐましいはげましのことたくさん書いてありました。姉上様も、毛筆で、
二間 ちかくの巻紙に、こまごま書いて下さいました。何も承知で御うけした以上何もかも事は未来にかかっているのでちっとも卑下する事はないではないか、と力をつけて下さいます。このように、みんなで一生懸命にして呉 れるのに、私ひとり、どんなことがあっても、無責任な思いあがった、できません。いい作家になります。たとい流行作家には、なれなくとも、きっと、いい立派な仕事いたします。お約束申します。お手紙にも、ございましたように、石原氏の「式や形など、どうでもいい、」というのは、結納やら祝言やらのことで、酒入れは、齋藤様のお言葉で、井伏様に、とのことで、私も、できるなら、甲府地方の習慣にしたがいたい、と思い、お願いしたいのですが、先日齋藤様よりのお手紙に依れば、齋藤様のほうからも井伏様へお願いのお手紙さしあげたから、津島からもお願いするよう、重ねて言葉がございました。私から重ねてお願い申し上げます。のちのち、無責任なことなどして、お顔をつぶすようなことは、決して、ございませぬ。
どうか、むりでも、ほがらかに、私をからかって下さい。私は決してお調子に乗るようなことございませんから。井伏さんが、憂うつなお顔をして居られると、私は、実際しょげて、くるしくてなりません。
これからも御気分のままに、ときどき御助言おたのみ申します。酒入れの日は、井伏様御都合のよい日を、齋藤様へ御通知なされば、それで決定すると思います。そうなさって下さい。十円なら私いつでもお渡しできるよう準備して居ります。
奥様にも、いろいろ御心配おかけいたし、言葉がございませぬ。何卒よろしく御伝言ねがい上げます。
修 治
井 伏 様
井伏様、御一家様へ。手記。
このたび石原氏と婚約するに当り、一礼申し上げます。私は、私自身を、家庭的の男と思っています。よい意味でも、悪い意味でも、私は放浪に堪えられません。誇っているのでは、ございませぬ。ただ、私の迂愚な、交際下手の性格が、宿命として、それを決定して居るように思います。小山初代との破婚は、私としても平気で行ったことではございませぬ。私は、あのときの苦しみ以来、多少、人生というものを知りました。結婚というものの本義を知りました。結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な、努力であると信じます。浮いた気持は、ございません。貧しくとも、一生大事に努めます。ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を、完全の狂人として、棄てて下さい。以上は、平凡の言葉でございますが、私が、こののち、どんな人の前でも、はっきり言えることでございますし、また、神様のまえでも、少しの含羞もなしに宣言できます。何卒、御信頼下さい。
昭和十三年十月二十四日。
津 島 修 治(印)
■太宰と津島美知子の結婚写真
太宰と津島美知子の結婚式は、翌年1939年(昭和14年)1月8日、杉並区清水町24番地の井伏宅で挙行されました。
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団 編集・発行『平成三十年度特別展 太宰治 三鷹とともに ー太宰治没後70年ー』(2018年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※画像は、上記参考文献より引用しました。
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