記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】10月23日

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10月23日の太宰治

  1940年(昭和15年)10月23日。
 太宰治 31歳。

 十月下旬から十一月上旬の頃、田中英光(たなかひでみつ)オリンポスの果実』の出版に関し、神田区小川町二丁目十番地高山書院編集部大道寺浩一と交渉、序文を書くなど尽力した。

オリンポスの果実』出版に尽力

 1940年(昭和15年)10月下旬から11月上旬の頃、太宰は、弟子・田中英光(たなかひでみつ)の代表作となるオリンポスの果実の出版に関し、神田区小川町二丁目十番地にあった高山書院の編集部員・大道寺浩一と交渉し、序文を書くなど尽力しました。
 同年11月8日付で、太宰が大道寺に宛てて書いたハガキが残っています。

  東京府三鷹下連雀一一三より
  東京市神田区小川町二ノ一〇 高山書院編集部
   大道寺浩一宛

 拝啓。
 昨夜は、速達をいただきました。よろしくお願い致します。田中君の校正は、やはり田中君に一度見せたほうが、正しいのではないでしょうか。私が見ても、いいのですけれど、ひどく今月は何やら多忙で、出来ませぬゆえ、とにかく、いずれにせよ、田中君の意向をあなたから聞き合せ、(殊に「オリムポス」の中の伏字の箇所など)作者の了承を得て置いたほうが、あとあと、不快な事も無くて、円満な事と存じます。一応、田中君の了解を得て置いたほうがいいと思います。

 オリンポスの果実は、当初『杏の実』というタイトルでしたが、太宰が中島孤島訳の『ギリシャ神話』に拠ってオリンポスの果実と改題。丁寧な批評をして、2度にわたって書き改めさせています。

 オリンポスの果実は、主人公の「ぼく」こと坂本重道が、ロサンゼルス・オリンピックにボートの選手として参加するために搭乗する、太平洋を渡る船の上が主な舞台。「秋ちゃん」という呼びかけではじまり、「ぼく」は、陸上の選手として同船している熊本秋子に淡い恋心を抱いているが、仲間の男たちの冷やかしを受け、秋子も坂本の想いに気付くが、恋心を伝えるには至らない。帰国後、坂本は学生運動を経て別の女性と結婚するが、「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」というつぶやきで終わります。

 田中自身が、1932年(昭和7年)に、ロサンゼルス・オリンピックにボート選手として参加した経験に基づく私小説になっています。

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田中英光

 オリンポスの果実は、1940年(昭和15年)の「文学会」九月号に掲載。同年12月には、第7回池谷信三郎賞を受賞。田中の出世作となりました。
 太宰の尽力もあり、受賞と同月に高山書院から刊行されたオリンポスの果実。太宰は序文として、『田中君に就いて』と題した文章を寄せました。

『田中君に就いて』
 ―田中英光著『オリンポスの果実』序

 田中君の作品に就いてよりも、まず田中君の人間に就いてお知らせして置いたほうが、いまは、必要なように思いますから、そのほうだけを、少し書きます。
 この創作集の末尾に、田中君が跋文を書き添えているようですが、それに拠れば、「俺の過去は醜悪で複雑、まともに語れるものではない。この醜くさは、顔が赤くなって脇の下から冷汗ものだ、などという体裁の好いものではなかった筈だ。」と慚愧(ざんき)に転倒しているようでありますが、それは田中君の主観であって、何も君そんなに下品がらなくてもいいぢゃないか、と私は言いたくなりました。
 田中君は、私などに較べて、ずっと上品な、気の弱い、しかも誰よりも正直な人間であります。御母堂に、ずいぶん可愛がられて育ちました。
 四年ほどまえ、私がまだ、荻窪の下宿にいた頃の事でありましたが、田中君の御母堂が私の下宿に怒鳴り込んで来たそうであります。運よく私は、その時、外出していたので難をのがれましたが、私の代りに下宿のおばさんが、大いに叱られたそうであります。うちの英光に文学などをすすめて、だらくさせるつもりだろう、とおっしゃって、実に怒ってお帰りになりました、こわいお母さんですねえ、と下宿のおばさんも溜息をついて私に報告したのでした。堕落したか、どうか。文学ゆえに、田中君は、いまでもやはり、上品な、気の弱い、しかも誰よりも正直で、そうしてやっぱりお母さんの佳い子になっているではありませんか。文学は、人を堕落させるものではないのです、等といま、ここで御母堂に向って申し上げるような気持で書いていると、私も邪心無く、愉快になります。
 田中君が戦地から帰って、私の家に来た時も、戦争の手柄話は、一言も語りませんでした。縁側に坐って、ぼんやり武蔵野を眺め、戦地にもこんな景色がありますよ、と、それだけ言いました。そうかね、と私もぼんやり武蔵野を眺めました。その日、私に手渡した原稿は、戦争の小説ではありませんでした。オリンピック選手としての、十年前の思い出を書いた小説でありました。
 田中君の人間に就いて、読者にぜひともお知らせしたい事項は、もう他には無いようです。田中君は勇気ある人ですが、これからは、猪突の少勇をつつしむにちがいないと私は信じて居ります。生活は弱く、作品は強く、悠々君の文学を自ら経営し、次の時代の美しさを君自身の責任に於いて展開すべきだと思って居ります。
 田中君は、もはや三十歳であります。 以上

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■太宰と田中英光

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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