6月22日の太宰治。
1936年(昭和11年)6月22日。
太宰治 26歳。
出来上がったかりの『晩年』を
太宰の処女短篇集『晩年』は、1936年(昭和11年)6月25日付で、砂子屋書房から刊行されましたが、その数日前、太宰は師匠たちに出版前の『晩年』を渡しています。
■処女短篇集『晩年』 2019年、著者撮影。
最初に『晩年』を送ったのは、師匠・井伏鱒二。
まずは、6月21日付の井伏宛ハガキを引用します。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京市杉並区清水町二四
井伏鱒二宛
井伏様
短篇集『晩年』たゞいま御送り申しました。いろいろ失礼の段おゆるし下さい。
むだんにて、貴き文を拝借いたし、罪ふかきことと存じ一両日中、仕事一段落ののち、あらためて、おわび申し納めます。井伏さんを傷つけること万々なしと信じて居ります。
この五六日、死ぬほど多忙、おゆるし下さい。
「むだんにて、貴き文を拝借いたし」というのは、『晩年』の帯の広告文に、井伏の太宰宛の手紙を無断で使用したことを指します。
(左記は五年のむかし、昭和七年初秋、弊衣破帽、蓬髪花顔の一大学生に与えし、世界的なる無染の作家、井伏鱒二氏の書簡である。)
お手紙拝見。今度の原稿はたいへんよかったと思います。この前のものとくらべて格段の相異です。一本気に書かれてもいるし表現や手法にも骨法がそなわっているし、しかも客観的なる批判の目をもって書かれていると思います。まずもって、「思い出」一篇は、甲上の出来であると信じます。
きょうよりのちは、学校へも颯爽と出席して、また小説も、充分の矜をもって書きつづけるようになさい。僕のところに来る暇があるなら、その暇にトルストイでもチェホフでも一頁半頁ほど読む方がどれだけまさるかわからない。大いに書いて、それから、書くことに疲れないために毎日登校すること。登校することに疲れないため書きつづけてゆくこと。この二つは息を吸うことと息を吐きだすことの二つの行為にさも似たり。将来の大成を確信し、御自重、御勉学、しかるべしと存じ上げます。
九月十六日 井 伏 鱒 二
■太宰と井伏
太宰のハガキは、翌日6月22日には井伏の手元に届いていたようですが、太宰と同じく井伏に師事していた伊馬春部は、エッセイ集『桜桃の記』で次のように書いています。
六月二十二日
井伏さんのところに『桐の木横町』を持って行く。井伏さん留守。太宰の『晩年』も送って来ていた。りっぱだ! 二人がそろって本をもって来て、井伏さんもお喜びと察した。
伊馬と太宰に高田英之助を加えた3人は、「井伏門の
さて、伊馬が井伏を訪問した6月22日、太宰は師匠筋にあたる佐藤春夫に宛てて、2枚にわたるハガキを書いていました。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京市小石川区関口町二〇七
佐藤春夫宛
謹啓①
先刻のこと、生涯忘れませぬ。藤棚の下、青葉の影、御一家おそろい、お着物お顔、青みどろ、清浄、優雅のだんらん図。懐中あたたかく、奥様はじめ 皆様の もったいなきまでのお情、すべて、生涯わすれませぬ。帰宅早々のお礼、舌もつれて、言えませぬ。再拝。
謹啓②
帰宅して、家人の、「大恩人御一家、」をおむかえの為の飾り、見て大笑い「白ゆり一輪、及び、その蕾三つ。カアネエション赤一輪」の床の生花。津軽塗の重箱に、四種のお菓子。六円のお茶、ひとつかみ位。(五十銭の由)玄関は、赤いバラの鉢。庭に打ち水、三回。サイダア、ビイル、冷蔵。寝具と蚊帳。でも、おおやさんを呼んで、三人、お茶の会ひらきました。
■佐藤春夫
「先刻の件、生涯忘れませぬ」。太宰が「生涯忘れませぬ」とは、一体何があったのでしょうか。
実は、太宰は、2日前の6月20日にも、佐藤に宛てて手紙を書いていました。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京市小石川区関口町二〇七
佐藤春夫宛
謹啓
この二三日のお情 を生涯 忘却 つかまつりませぬ お奥様にもよろしく御伝言 下さいまし
明日曜 晴天なら きっと おむかえに参上いたします、私はこの五六日死のうと思って居りました。
狂言の神の稿料として、三十円 ほど お貸与おねがい申します
若 し稿料見込みございませぬ折には、私、故郷へたのみ 今月中に御返却 申しますゆえ、おたすけ下さいまし
日々 あかるければ なんの 自殺ぞや なんの 注射ぞや
赤いガラスの風鈴ひとつにさえ 生きているよろこび 感じます、肉親の愛情知らぬ児なのです、(拙作「思い出」その意味からでも御一読 おねがい申します)
今朝 新聞にて、北海のあたり 太陽相手の先覚者たちの仕事の緊張と 甲斐甲斐しさ が身体に伝わり、涙ぐみました 私、最も厳粛、高邁の児でございます、裏切ることなく 努力すること 誓言。
佐藤春夫先生
治 百拝
土曜午後二時
太宰は、師匠の井伏にハガキを書いた6月21日、井伏より先に『晩年』を持参して佐藤家を訪問し、30円(現在の5~6万円)ほどを用立ててもらっていたのでした。
【了】
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【参考文献】
・伊馬春部『桜桃の記』(中公文庫、1981年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・川島幸希『対談資料「太宰治・著書と資料をめぐって」』(山梨県立文学館、2019年)
・HP「日本円貨幣価値計算機」
※画像は、上記参考文献より引用しました。
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