記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】8月8日

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8月8日の太宰治

  1936年(昭和11年)8月8日。
 太宰治 27歳。

 八月四日付で中畑慶吉に、八月七日付で津島文治に手紙を送る。

長兄・文治への近況報告

 今日は、お目付け役・中畑慶吉と、長兄・津島文治に宛てて書いた手紙を紹介します。

 まずは、1936年(昭和11年)8月4日付で、中畑に宛てて書かれたハガキです。

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■中畑慶吉

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  青森県五所川原町旭町
   中畑慶吉宛

 御本、文治様へも、二部(○○)、私の本でなく、井伏鱒二佐藤春夫両先生の限定豪華版、(津島文治様とお名前しるしていただいた。)そのほかに私の本も四、五、お送りしなければならぬところ有りますゆえ、十日に取りに来て下さい。
晩年」アクタガワショウ(五〇〇)八分ドオリ確実。ヒミツ故ソノ日マデ言ワヌヨウ。
 暑中御見舞申します。いつもながらの乱筆、ごめんなさい。

 中畑に、長兄・文治に渡したい本があるので、取りに来て欲しい旨を伝えています。その本とは、自身の本ではなく、井伏鱒二佐藤春夫の本。津島文治様」と署名もしてもらっていたようです。

 続いて、同年8月7日付で、長兄・文治に宛てて書かれた手紙です。

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津島文治

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  青森県金木町
   津島文治宛 微笑誠心(宛名の横に)

 謹啓          修治
 喜んでいただけると信じていた不文、すべて御不快のもと きっと お金持ち(一例あぐれば、河上徹太郎氏)の知人 おしらせの拙文など御不快の頂点と存じます。
 卑下もせず驕りもせず一図に正確、期して、一寸五分のものは、一寸五分、わがアリノママお知らせしようと企て、わが、人いたらず御不快かってしまいました。
 胸中、おわびの朽葉で一ぱいでございます。
 佐藤先生、井伏先生、ともに「きみの兄さん、きみをはげます為にしばらくのお苦しみしのんで厳格にして居られるのだから、よろしく発ぷん勉強せよ」と言われ、私も深くうなづき、努力ちかいました。
 ときどき肉体、わるいちょうこう見えて、心細く眠られぬ夜のみつづきます。
 このたび一日早ければ、いのち百日のびる事情ございました。
 昨日けいさつ沙汰になりかけ、急ぎ質屋呼び百五十円つくり、当分これでよいのです。タンスからになりましたがことしのうちに全部とり返す自信ございます。
 八月十日前後(十二日朝)に五十円姉上様へお送り申しあげ、八月末日に又のこりお送り申します。子供のママゴトみたいで姉上様きっと微苦笑なさるでしょう。でも男の約束ゆえ、お叱りなさらず、あおずかり願います。
 芥川賞ほとんど確定の模様にて、おそくとも九月上旬に公表のことと存じます。
 そのほかお知らせの事実すべていつわりはございませぬ。お約束の「菊水譚」と「肩車」は、小舘善四郎君へ持たせてやりました、四、五日中に御入手のことと存じます。
 私わるいのは十指ゆびさすところ十目見るところ確実にて、きょうまで生きて在ることの不思議、(昨年三月の自殺については、近々、一字いつわらず発表できます。狂言などの、人の誠実わからぬ不幸の人きっと赤面いたしましょう)これから私、感謝のため平和のためにのみ書きます。
 この世に悪人ございませぬ。
 復讐、戦闘など、芸術を荒ませるばかり、私、まちがっていました。この二十日間、流石に苦しく死ぬこと考えましたが、死ねばお金かえせず(お金できるとなら、死んでいたかも知れません)一日一日生きのびました。これから皆様へ、御恩報じ、決して死にませぬ。
 苦しさも、過ぎたら、一時、立派の仕事いたします。
 他に兄上をよろこばし得る吉報ございますが、まえぶれ致さず、突然お目にかけます。
 私、ちっともひがんで居りませぬ。
 兄上様は、私が十歩すすみ、少しえらくなったつもりで汗拭うていると、兄上は、すでにすでに、私のまえ、五十歩まえと黙々あるいて居られます。
 (お世辞に非ず)
 英治兄上は三十歩まえを、黙々誇らず歩いて居ります。圭治兄上、二十八歳でなくなられ、いまの私と同じとしなのに、やはり私より、五つも六つも、老けて大人の感じで、何歳になってもこうだろうと思っています。兄にはかないません。
 自己弁解申しませぬ。友人の歌一首。
 この路を泣きつつ我の行きしこと
    わが忘れなば誰か知るらむ
 拙著「晩年」の中に、五、六ヶ所、浅い解釈、汚いひがみがきっとございますでしょう。私「めくら草紙」を除き、他は皆、二十五歳以前の作品でございます。以後三年、(三十年もの思い、ございました)心鏡澄み、いまの作品と全然ちがいます。御海容下さい。
 十日間くるしゅうございましたが、愚妻などにとっては、やりくり、得がたき修練になったと内心、女房いい気味、などと、楽天居士たる私、今はのんきにして居ります。
 時が来れば判ることと確信ゆるぎませぬ。
 毎月九十円のお仕送り、どんなに大きい御負たんか、最近やっと判り、自責、恥かし、尻に火のついた思いでございます。乱筆笑許して下さい。

 「昨年三月の自殺」とは、前年3月に鎌倉八幡宮の裏山での縊死未遂事件のことです。この事件については、3月16日と3月21日の記事で紹介しました。

 文治の顔色を伺いながらも、手紙の趣旨は「仕送り」についてのようにも感じられます。ちなみに、「毎月九十円」を現在の貨幣価値に換算すると、約15~18万円に相当します。

 中畑と文治、両方の手紙に登場する芥川賞。この第三回芥川龍之介賞の受賞者が決定したのは、この手紙が書かれた3日後の、8月10日。太宰が結果を知ったのは、さらにその翌日の、8月11日でした。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「日本円貨幣価値計算機
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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