記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】6月19日

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6月19日の太宰治

  1909年(明治42年)6月19日。
 太宰治 0歳。

 青森県北津軽郡金木村大字金木字朝日山四百十四番地の新邸宅裏階段北側和室十畳間で、戸籍名津島修治が呱々(ここ)の声をあげた。

ダザイのトリセツ

 1909年(明治42年)6月19日。
 のちの作家・太宰治津島修治青森県金木村で産声をあげました。
 父・津島源右衛門(げんえもん)が金木村役場に出生届を出したのは、4日後の6月23日。太宰は、源右衛門と母・夕子(たね)の第十子、六男でした。

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 冒頭で「新邸宅裏階段北側和室十畳間」で生まれたと紹介しました。「新邸宅」とは、現在の斜陽館のこと。
 これまで、太宰は斜陽館で生まれた最初の子供というのが定説でしたが、現在は、斜陽館の完成は太宰の誕生には間に合わず、津島家の旧宅で生まれたのではないか、という議論も行われています。

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■「公開講座津軽」の試み 2018年(平成30年)12月6日付「東奥日報

 さて、今日は太宰の誕生日ということで、いつもとは少し趣向を変えて、「ダザイのトリセツ」と題し、普段の記事ではなかなか紹介できない、太宰の様々な一面を紹介していきます。

 

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 ■名前
津島修治(つしましゅうじ)

 ■ペンネーム
太宰治(だざいおさむ)

 ■出身
青森県北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市

■誕生日
1909年(明治42年)6月19日

■命日
1948年(昭和23年)6月14日

■職業
小説家
1933年(昭和8年)2月19日、はじめて太宰治ペンネームで、小説列車を発表。
1935年(昭和10年)2月1日、「文藝」二月号に小説逆行を発表。これが、太宰の文壇デビュー。
ほか代表作に、富嶽百景(1939年)、走れメロス(1940年)、津軽(1944年)、お伽草紙(1945年)、ヴィヨンの妻(1947年)、斜陽(1947年)、人間失格(1948年)などがある。

■身長
五尺七寸(179㎝)
心持ち猫背の長身で、下駄を履いて、つんのめるように歩いたそうです。

■体重
15貫(55㎏)

■靴のサイズ
11文(27㎝)
健脚で、若い時はケンカが始まると逃げ出して、その逃げ足の速さから「(はやぶさ)の銀」と呼ばれていました。
片膝を立てて机に向かうため、体重のかかり方が片寄っていて、座布団の皮がよく破れたそうです。
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■太宰の顔
太宰は、自身の鼻が大きいことを気にしていたそうで、正面からの写真よりも横顔の写真の方が多く残っています。鼻の話題になると「その話はやめよう」と断固拒否したそうです。自信があったのは、華奢(きゃしゃ)で長い指を添え、伏し目がちに右側の横顔と、正面から左に30~40°傾けた顔。近眼でしたが、メガネは嫌いでした。

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■指
太宰の手は華奢(きゃしゃ)で、指はすらりと長かったそうです。山岸外史は「筆をもつのに相応しい人の手であった」と回想しています。

■煙草
煙草をパッパッパッとやたらと吸い、それを灰皿の上で丁寧にひねり潰しました。
太宰がよく吸った銘柄は、ゴールデンバット金鵄(きんし))、キャメル、ピース。太宰は「煙草は両切りに限る」と言っていました。妻・津島美知子によると、自由に煙草が買える時で、ゴールデンバットを1日に5、6箱吸っていたといいます。
細長い右手の中指と人差し指の先は黄色く染まって、煙草の煙のせいか、三鷹の書斎の障子のガラスを拭くと、煙草色の汚れがとれたそうです。美知子は、「声まで少し黄色くて煙草の感じがした」と回想しています。

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■太宰と食
〇太宰の好物
太宰の好物について、太宰治大辞典』「酒」の項目を引くと、次のように書かれています。

 太宰の好物は四つあった。それはバナナ・筋子納豆・湯豆腐そして酒であったという。この中でダントツなのは、もちろん「酒」であったと思われる。酒にも種類があるが、彼は主に日本酒とウイスキーを好んだようである。太宰は三鷹時代、近くの伊勢元酒店によく立ち寄り、ウイスキーを買い求め、これを和服の袂に入れてうれしそうな顔をしていたということである。(以下略)
 また荻窪時代の彼は仲間と、よく屋台で飲んだ。焼き鳥屋で飲むのが好きで、山椒の粉をたっぷりと焼き鳥に振り掛け、「これが江戸っ子の粋というものだ」といったようだが、もとより太宰は江戸っ子ではない。
 またときには、蕎麦をつまみながら日本酒をチビリチビリ飲むこともあった。
 一人で飲むときはたいてい同じ店にはいっていた。彼はいつも「酒がうまくて飲むのではなく、味わうより酔うために飲むのだ」といっていた。

バナナや湯豆腐など、柔らかいものを好んで食べたのは、太宰は歯が悪く、ほぼ総入れ歯だったことに由来するようです。
太宰について書かれた多くの本の中で、特に多い話題の1つが、「太宰と食」について。身近な人の回想を引用しながら、以下、いくつかのテーマに分けて紹介します。
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〇箸の使い方
「太宰は箸の使い方が大変上手な人だった。長い指で長い箸のさきだけ使って、ことに魚の食べ方がきれいだった。箸をつけたらきれいに平げ、箸をつけない皿はそのまま残した。あれほど箸づかいのすっきりした人は少ないと思う」と美知子。しかし、せっかちで面倒がり屋の太宰は、小骨の多い魚が苦手で、「(にしん)もいいが、とげが多くてなあー」と愚痴をこぼしたそうです。
〇郷里・津軽への執着
「太宰はうまいものなら何でもの流儀なので、マグロのトロでも、サンマのワタでもよく食べてはいたが、食べて育った魚、食べ馴れた郷里の味覚には、特別の情熱を抱き、いつもそれらを渇望していた様子である。けれども東京、次第に戦時色の濃くなる東京では、とうてい満足することができない。しぜん、東京の食生活に対する罵倒の言葉を始終聞いた。」
「太宰の食物についての言い分を聞いていると結局、うまいものはすべて津軽のもの、材料も調理法も津軽風に限るということになる。たまに郷里から好物が届くと、大の男が有頂天になって喜ぶ。甲府で所帯を持ってその春、陸奥湾に面する蟹田の旧友中村さん(津軽の「N君」こと中村貞次郎)が手籠一ぱい毛蟹を送ってくださった。私(美知子)が津軽の味を味わった最初で、食べ方、雌雄の見分け方などをこのとき彼に教えてもらった。蟹は第一の好物であった。」

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〇太宰と味噌汁
1937年(昭和12年)、太宰が師匠・井伏鱒二らと、1週間の三宅島旅行をした際、同行した浅見(ふかし)は、太宰が人の目をかすめて、いつも味噌汁6杯を口にしていたのを目撃しました。それを指摘された太宰は、「みつかったか」と照れて笑ったといいます。弘前高等学校時代、太宰はいつも3杯分の味噌汁を魔法瓶に詰めて、弁当と一緒に持参していたそうです。
〇味の素
太宰が「僕がね、絶対、確信を持てるのは味の素だけなんだ」と言いながら、丼にあけた鮭缶の上に、無暗と味の素を振りかけたと檀一雄は回想しました。「味の素」が販売されたのは、1908年(明治41年)。実は、太宰より1年早く世に登場しました。
〇食の傾向
美知子は、「体質からか、頭を使う仕事のせいか肉、魚、内臓などを特別欲したので、私は三鷹では毎日食料集めに奔走した。マーケットの女主人に、毎日卵を買いにくるといって罵られたことがあった」「鶏はたいてい水たきか鍋にした。鍋ものが好きで、小皿に少しずつ腹にたまらぬ酒の肴を並べてチビチビやるのでなく、書生流に大いに飲みかつ喰う方だった」と回想します。

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〇「酒だけが俺を生かしておいてくれる」
太宰を語るうえで外せないのが、お酒の存在。太宰は、酒ぎらい禁酒の心酒の追憶など、小説やエッセイでも、お酒について綴っていて、「酒だけが俺を生かしておいてくれる」「豆腐は酒の毒を消す。味噌汁は煙草の毒を消す」という名言も残しています。「太宰と酒」については、「三馬鹿」と呼ばれた山岸外史檀一雄、そして、妻・津島美知子の回想をまとめて、2月29日の記事で紹介しているので、ぜひご覧ください。

■蔵書
太宰は蔵書を持たず、本棚も無かったそうです。仕事に必要な資料を買う場合も、できるだけ文庫本にするなど、小型の軽い本を好みました。座右の本は、すぐ若い来客者にプレゼントしてしまうので、始終入れ替わっていたそうです。
太宰と親しかった人たちは、太宰が読書家で、何でも読んでいたと言っています。
太宰は、素早く本を選別し、選んだその一冊の精粋を掴む。手に取ってパラパラ繰っている間に、何かを感得する類の読書家ではなかったかと思う、と美知子は回想しています。

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■新聞
太宰は、朝日新聞だけを購読していました。「細かく読む方で、新聞記事はよく作品にとり入れていたと思う。常住坐臥、小説のことを考え、小説のタネはないかと考えていた様子である」と美知子。

金槌(かなづち)
太宰は泳ぐことができず、「おれは泳げないんだよ。おれは金槌なんだ」と、真剣に怖がったそうです。

■風呂好き
太宰は、無類の風呂好きでもありました。美知子と新婚生活を送った甲府、多くの代表作を執筆した三鷹
人間失格を執筆した大宮。太宰の生活の近くには、「風呂」がありました。
美知子と新婚生活を送った「甲府市御崎町56番地」の借家近くにあったのが、「菊乃湯」

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太宰の三鷹陋屋(ろうおく)の近くにあったのが、「連雀湯」

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太宰の小説十二月八日に、連雀湯は登場します。連雀湯は、女将・馬場はなが、ほとんど1人で店の切り盛りをしていたそうです。「あの頃はお客が多くてね。開店前に手のかかる正樹ちゃんや美知子さん親子を裏口から入浴するよう、母が気を利かせていたんですよ。口数が少ない品のいい奥さんでした」と、馬場の長女は話したそうです。当時、美知子は青森から送られてきた米や、『文藝春秋』を持って来たりと、感謝していたといいます。
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太宰が人間失格を執筆する際に滞在した、大宮の小野沢宅の近くにあったのが、「松の湯」
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太宰の住居近くにあった銭湯・温泉の中で、現在も営業しているのは「菊乃湯」のみですが、この他にも、太宰が小説を執筆するために滞在した温泉地は多く残っています。「日めくり太宰治」でも紹介していますので、太宰に思いを馳せながら、お湯に浸かってみてはいかがでしょうか。

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 ここまで、なかなか触れることができなかった、様々な太宰の一面を見てきましたが、最後にエッセイを引用して紹介します。
 実は、太宰には、自身の誕生日「六月十九日」をタイトルに据えたエッセイがありました。

六月十九日


 なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入りしている人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているのである。夕暮でした。あの、小間で生れたのでした。蚊帳の中で生れました。ひどく安産でした。すぐに生れました。鼻の大きいお子でした。色々の事を、はっきり教えてくれるので、私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。自分の平凡な身の上が不満であった。

 

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■津島家の人びと


 先日、未知の詩人から手紙をもらった。その人も明治四十二年の生れの由である。これを縁に、一夜、呑まないか、という手紙であった。私は返事を出した。「僕はつまらない男であるから、逢えばきっとがっかりなさるでしょう。どうも、こわいのです。明治四十二年六月十九日生れの宿命を、あなたもご存じの事と思います。どうか、あの、小心にめんじて、おゆるし下さい。」割に素直に書けたと思った。

  このエッセイは、1940年(昭和15年)7月5日発行の『博浪沙』第5巻第7号に発表されました。
 エッセイに登場する「未知の詩人」とは、佐賀県嬉野村出身の詩人・宮崎譲(みやざきゆずる)(1909~1967)のことです。太宰は、宮崎の詩集『竹槍隊』に序文『犯しもせぬ罪を』を寄稿しています。この序文は、2月20日の記事で紹介しています。

 今日、2020年6月19日は、太宰治111回目の誕生日です。

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 【了】

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【参考文献】
・山岸外史『人間太宰治』(ちくま文庫、1989年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
檀一雄『小説 太宰治』(岩波現代文庫、2000年)
嵐山光三郎文人悪食』(新潮文庫、2000年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・みたか太宰の会 小船井美那子/島田怜子『ひとり文学する 元祖太宰マップ』(ぶんしん出版、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
  モノクロ画像のカラー加工は、colouriseSGで行いました。
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