記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】もの思う葦(その三)③

f:id:shige97:20210214143058j:plain

今週のエッセイ

◆『もの思う葦(その三)』③
 1936年(昭和11年)、太宰治 27歳。
 1935年(昭和10年)11月中旬前半の頃に脱稿。
 『もの思う葦(その三)』③は、1936年(昭和11年)1月1日発行の「文藝汎論」第六巻第一号の「小説」欄に、「冷酷ということについて」「わがかなしみ」「文章について」「ふと思う」「Y子」「言葉の奇妙」「まんざい」「わが神話」「最も日常茶飯事的なるもの」「蟹について」「わがダンディズム」の11篇が発表された。
 なお、標題に付している「(その三)」は、定本としている太宰治全集 11 随想筑摩書房、1999年)において、便宜上付されたもので、週刊 太宰治のエッセイでもこれを踏襲した。

f:id:shige97:20210328093536j:image

「冷酷ということについて

 厳酷と冷酷とは、すでにその根本に()いて、逢い違って居るものである。厳酷、その奥底には、人間の本然(ほんねん)の、あたたかい思いやりで一ぱいであるのだが、冷酷は、ちゃちなガラスの器物の如きもので、ここには、いかなる花ひとつ、咲きいでず、まるで縁なきものである。


「わがかなしみ」

 夜道を歩いていると、草むらの中で、かさと音がする。蝮蛇(まむし)の逃げる音。


「文章について」

 文士というからには、文に巧みなるところなくては、かなうまい。()き文章とは、「情(こも)りて、詞舒(ことばの)び、心のままの誠を歌い出でたる」態のものを指していう也。情(こも)りて云々は上田敏、若きころの文章である。


「ふと思う」

 なんだ、みんな同じことを言っていやがる。


「Y子」

 そのささやきには真摯(しんし)の響きがこもっていた。たった二度だけ。その()は、私を困らせた。
「私、なんだか、ばかなことを言っちゃったようね。」
「私にだって個性があるわよ。でも、あんなに言われたら黙っているよりほかに仕様がないじゃないの。」


「言葉の奇妙」

「舌もつれる。」「舌の根をふるわす。」「舌を巻く。」「舌そよぐ。」


「まんざい」

 私のいう掛合いまんざいとは、たとえば、つぎの如きものを指して言うのである。
 問。「君はいったい、誰に見せようとして、(べに)鉄漿(かね)とをつけているのであるか。」
 答。「みんな、(さま)ゆえ。おまえゆえ。」
 へらへら笑ってすまされる問答ではないのである。殴るのにさえ、手がよごれる。君の中にも!


「わが神話」

 いんしゅう、いなばの小兎。毛をむしられて、海水に浸り、それを天日でかわかした。これは痛苦のはじまりである。
 いんしゅう、いなばの小兎。淡水でからだを洗い、蒲の毛を敷きつめて、その中にふかふかと埋って寝た。これは、安楽のはじまりであろう。


「最も日常茶飯事的なるもの」

「おれは男性である。」この発見。かれは家人の「女性。」に気づいてから、はじめて、かれの「男性。」に気づいた。同棲、以来、七年目。


(かに)について」

 阿部次郎のエッセイの中に、小さい蟹が自分のうちの台所で、横っ飛びに飛んだ。蟹も飛べるのか、そう思ったら、涙が出たという文章があった。あそこだけは、よし。
 私の家の庭にも、ときたま、蟹が這って来る。君は、芥子(けし)つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、凝然(ぎょうぜん)とした。


「わがダンディズム」

「ブルウタス、(なんじ)もまた。」
 人間、この苦汁を()めぬものが、かつて、あったろうか。おのれの最も信頼して居るものこそ、おのれの、生涯の重大の刹那に、必ず、おのれの面上に汚き石を投ずる。はっしと投ずる。
 さきごろ、友人保田與重郎の文章の中から、芭蕉()き一句を見いだした。「朝がおや昼は(じょう)おろす門の垣。」なるほど、これに限る。けれども、――また、――否。これに限る。これに限る!

 

太宰と(かに)

  今回のエッセイにも登場する、太宰の「第一の好物」津島美知子談)である(かに)について」紹介します。

 まずは、太宰、山岸外史と合わせて「三馬鹿」と呼ばれた、太宰の親友・檀一雄の回想を引用してみます。

(前略)あてもなく夜店の通りを見て歩いた。そこへ積み上げられていた、露店の蟹を太宰が買った。たしか十銭だったろう。九州の海には全く見馴れない、北国の毛むくじゃらの蟹だった。太宰は薄暗い、歩道のところに立ち止って、蟹をむしりながら、やたらムシャムシャとたべていた。私に馴染みのない蟹の姿だと、私は臆したが、食べてみると予想外に美味かった。髪を振り被った狂暴の太宰の食べざまが、今でもはっきりと目に(うか)ぶ。

f:id:shige97:20200922173806j:plain
檀一雄

 檀は、山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市下谷)の生まれですが、1914年(大正3年)、図案の技師として、県立工業試験場に勤めていた父・参郎の退職を契機に、父の本籍である福岡に移住しています。「北国の毛むくじゃらの蟹」とは、毛蟹のことだと思われますが、日本海沿岸、茨城県以北にしか生息しない毛蟹は、檀にとって、異様なものに映ったようです。

f:id:shige97:20210620212111j:image

 「髪を振り被った狂暴の太宰の食べざま」という描写からも、太宰の蟹好きがうかがえます。

 太宰の小説津軽にも、「蟹」についての描写が登場します。

(前略)私がこんど津軽を行脚するに当って、N君のところへも立寄ってごやっかいになりたく、前もってN君に手紙を差し上げたが、その手紙にも、「なんにも、おかまい下さるな。あなたは、知らん振りをしていて下さい。お出迎えなどは、決して、しないで下さい。でもリンゴ酒と、それから(かに)だけは」というような事を書いてやった筈で、食べものには淡白なれ、という私の自戒も、蟹だけには除外例を認めていたわけである。私は蟹が好きなのである。どうしてだか好きなのである。蟹、(えび)、しゃこ、何の養分にもならないような食べものばかり好きなのである。それから好むものは、酒である。飲食に於いては何の関心も無かった筈の、愛情と心理の使徒も、話ここに至って、はしたなくも生来の貪婪性(どんらんせい)の一端を暴露しちゃった。
 蟹田のN君の家では、赤い猫脚の大きいお膳に蟹を小山のように積み上げて私を待ち受けてくれていた。

 戦時中だったので、「お出迎えなどは、決して、しないで下さい」と気を遣いながらも、「でもリンゴ酒と、それから蟹だけは」と、N君こと、中学時代からの旧友・中村貞次郎にお願いしています。

 この「蟹」とは、「トゲクリガニ」のことです。
 太宰の故郷・津軽「蟹」といえば、「トゲクリガニ」。4月下旬頃が最盛期で、津軽ではお花見に欠かせない一品です。

f:id:shige97:20200504085224j:image
■トゲクリガニ 著者撮影。

 檀と歩いている最中に買い求め、「薄暗い、歩道のところに立ち止って」、蟹に「ムシャムシャと」食らいついた太宰。故郷のことを思い浮かべながら、夢中で食べていたのかもしれません。

 【了】

********************
【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
檀一雄小説 太宰治』(岩波現代文庫、2000年)
志村有弘/渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

太宰治39年の生涯を辿る。
 "太宰治の日めくり年譜"はこちら!】

太宰治の小説、全155作品はこちら!】