山岸外史
◆「わが愛好する言葉」 太宰の“名言”として有名な「生れて、すみません。」誕生の舞台裏を紹介! 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
◆「檀君の近業について」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
◆『もの思う葦(その三)』② 「健康」 「K君」 「ポオズ」 「絵はがき」 「いつわりなき申告」 「乱麻を焼き切る」 「最後のスタンドプレイ」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
◆『もの思う葦(その一)』③ 「書簡集」 「兵法」 「in a word」 「病躯の文章とそのハンディキャップに就いて」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
◆『もの思う葦(その一)』② 「老年」 「難解」 「塵中の人」 「おのれの作品のよしあしをひとにたずねることに就いて」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
12月19日の太宰治。 1935年(昭和10年)12月19日。 太宰治 26歳。 次姉トシの長男逸郎(二十三歳、東京医学専門学校在籍)とともに、懐中五十円、「()碧眼托鉢(へきがんたくはつ)」の旅に出て、湯河原温泉の翠明館、箱根等に遊び、風邪気味…
12月18日の太宰治。 1934年(昭和9年)12月18日。 太宰治 25歳。 文藝同人誌「青い花」が発行された。創刊号が出来たのは、十二月十八日頃であったと推定される。 文藝同人誌「青い花」創刊 1934年(昭和9年)12月1日付で、太宰をは…
12月13日の太宰治。 1940年(昭和15年)12月13日。 太宰治 31歳。 十二月二日、十二月十二日、十二月十八日付で、山岸外史に葉書を送る。 太宰、山岸に「君は一番強いよ。」 今日は、1940年(昭和15年)12月2日、12日、18日付…
11月1日の太宰治。 1936年(昭和11年)11月1日。 太宰治 27歳。 十一月一日付発行の「文藝通信」十一月号に「先生三人」を発表。 『先生三人』 今日は、太宰のエッセイ『先生三人』を紹介します。 『先生三人』は、1936年(昭和11年)1…
10月14日の太宰治。 1940年(昭和15年)10月14日。 太宰治 31歳。 午前八時、新宿駅待合室に集合し、佐藤春夫、井伏鱒二、山岸外史などとともに甲州に行き、勝沼の葡萄(ぶどう)園で葡萄狩りを楽しんだ。 葡萄(ぶどう)を狩るの記 今日紹介す…
10月6日の太宰治。 1934年(昭和9年)10月6日。 太宰治 25歳。 午後七時から、銀座の「山の小舎」で、「青い花」同人の初顔合せ会が開かれた。 なかなかの熱の入れ方「青い花」 1934年(昭和9年)9月中旬頃、太宰は、ドイツ浪漫派の詩人…
9月27日の太宰治。 1935年(昭和10年)9月27日。 太宰治 26歳。 翠明館(すいめいかん)に宿泊した翌日も朝から酒を飲み続け、九月二十八日に帰宅した。 はじめての原稿料で湯河原旅行② 1935年(昭和10年)9月26日、「三馬鹿」と呼ばれ…
9月26日の太宰治。 1935年(昭和10年)9月26日。 太宰治 26歳。 八月末に脱稿して送付した「ダス・ゲマイネ」の原稿料が入ったので、檀一雄、小舘善四郎、山岸外史とともに湯河原に遊び、翠明館(すいめいかん)に宿泊。 はじめての原稿料で湯河…
8月22日の太宰治。 1935年(昭和10年)8月22日。 太宰治 26歳。 山岸外史に伴われて、芥川龍之介賞詮衡委員の一人であり、また支持者でもあった佐藤春夫を、小石川区関口町二百七番地の自宅に訪問、以後師事した。 太宰と佐藤春夫、初めての出…
8月9日の太宰治。 1939年(昭和14年)8月9日。 太宰治 30歳。 三鷹の家が、予定通り完成せず、移転が延びる。 三鷹の家が、予定どおり完成せず 今日は、甲府から三鷹での住居捜しの途中経過について。東京から少し離れた甲府での執筆作業は不便…
7月29日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月29日。 太宰治 26歳。 七月二十九日付で、山岸外史に葉書を送る。 「なぜ、君は遊びに来ないのか」 今日は、太宰が親友・山岸外史に宛てて、1935年(昭和10年)7月から8月にかけて書いたハガ…
7月15日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月15日。 太宰治 30歳。 鰭崎潤が見つけてくれた家を見るために上京し、三鷹に新築中の三軒の貸家の一番奥の家を契約して、家主からの完成の連絡を待つことになった。一番奥を選択したのは、「表通りに…
7月11日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月11日。 太宰治 27歳。 午後五時から、山崎剛平、浅見淵の尽力で、不忍池畔の上野精養軒において『晩年』の出版記念会が持たれた。 『晩年』の出版記念会 1935年(昭和11年)7月11日、午後5…
7月10日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月10日。 太宰治 30歳。 七月十日付発行の「文筆」初夏随筆号に「『人間キリスト記』その他」を発表。「随筆」で言及されているのは、山岸外史著『人間キリスト記』(第一書房、昭和十三年十一月二十五…
7月1日の太宰治。 1933年(昭和10年)7月1日。 太宰治 26歳。 初代と転居先を探し求め、棟上式を終えたばかりの建築中の新居を見付けた。 「最も愛着が深かった」船橋へ 1933年(昭和10年)。 太宰は、4月4日に盲腸炎と腹膜炎を併発した…
6月30日の太宰治。 1941年(昭和16年)6月30日。 太宰治 32歳。 鶯谷の料亭「志保原」において、佐藤春夫夫妻の媒酌で、山岸外史と佐藤やすとの結婚披露宴があり、尽力した。 山岸外史の「再婚記」 6月11日の記事で、太宰が親友・山岸外史…
6月19日の太宰治。 1909年(明治42年)6月19日。 太宰治 0歳。 青森県北津軽郡金木村大字金木字朝日山四百十四番地の新邸宅裏階段北側和室十畳間で、戸籍名津島修治が呱々(ここ)の声をあげた。 ダザイのトリセツ 1909年(明治42年)6月…
4月28日の太宰治。 1943年(昭和18年)4月28日。 太宰治 33歳。 四月二十八日付で、山岸外史(やまぎしがいし)宛に葉書を送る。 太宰、友人のために奔走する まずは、4月28日付で、太宰が山岸外史(やまぎしがいしに宛てて書いたハガキを紹介…
3月7日の太宰治。 1943年(昭和18年)3月7日。 太宰治 33歳。 三月六日、七日。四谷の音楽スタジオで、阿部合成(あべごうせい)の個展が開かれた。その下見に阿部合成夫妻、山岸外史と会場に行き、その直後山岸外史から絶交状が送られてきて、四…