記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】10月14日

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10月14日の太宰治

  1940年(昭和15年)10月14日。
 太宰治 31歳。

 午前八時、新宿駅待合室に集合し、佐藤春夫井伏鱒二、山岸外史などとともに甲州に行き、勝沼葡萄(ぶどう)園で葡萄狩りを楽しんだ。

葡萄(ぶどう)を狩るの記

 今日紹介するエピソードは、太宰が親友・山岸外史に宛てて書いた1940年(昭和15年)10月12日付のハガキからはじまります。

  東京府三鷹下連雀一一三より
  東京市本郷区駒込千駄木町五〇
   山岸外史宛

 拝啓
 一昨夜は、失礼いたしました。旅行には、ぜひ行きましょう。ゆうべおそく井伏氏より速達あり、十四日(月曜)午前八時新宿駅待合室集合との事、時間正確においでお待ちいたします。     不乙。

 太宰からのこのハガキがきっかけで、山岸は、佐藤春夫井伏鱒二と一緒に甲府へ旅行に行くことになりました。

 この時のエピソードを、山岸の人間太宰治から紹介します。

 昭和十五年の秋、ぼくは太宰の勧誘で、佐藤さんと井伏さんのお伴となって、太宰といっしょに甲府葡萄(ぶどう)をみにいったことがある。
  (中略)
 井伏さんも太宰も甲州には馴染みが深かったから、紫色の葡萄の房がいっぱい下っている棚をみるのもいいものだということで、そんな話になったのだと思う。藤棚などより綺麗かも知れないと太宰がいった。佐藤さんもお誘いして、四人で甲州にゆくことになったのである。

  (中略)
 新宿にはきちんとした時間にいった。ぼくがいちばん遅れたので、プラットホームで太宰がやきもきしていた。客車の席にはすでに佐藤さんも井伏さんも腰をおろして悠々としていた。太宰がなにか大人のように接待し、井伏さんも大人のような顔で話をしていた。(ほんとは井伏さんも大人ではないのじゃなかろうかと、ぼくは思っている。)幼年期のぼくには、大人の話ができなかったから、むっつりしていて、あまり愛想のいい方ではなかったように思う。
 ぼくと佐藤さんとならんで腰をおろしていたのかどうか。車窓の佐藤さんのお顔をおぼえているところをみると、斜めまえにでも坐っていたのかどうか。ぼくたち後輩は、陪乗をおおせつかった侍従のように(うやうや)しい形式のなかにいたのかも知れない。

 

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■昭和初期の新宿駅

 

  (中略)
 やがて、大月駅で下車。電車に乗りかえて、河口湖にむかった。その車中、佐藤さんもムッツリされていて、ぼくも並んでムッツリ坐っていたことをおぼえている。たしか、モーターボートがだめだということで河口湖をわたることをやめて、バスに乗って御坂峠にむかったのだと思う。その峠のうえの茶屋で、太宰が何ヵ月か仕事をしたという二階の室をみたり、御坂の富士をみたりしてから、また、バスで甲府盆地におりて、葡萄園、日本武尊(ヤマトタケル)を祀ってある××神社、××寺、などをみてまわった。みな、名所ではあったが、まずまずというところであった。佐藤さんは油絵のスケッチ箱を持参され、葡萄園で一枚、葡萄の絵をかいたが、その紫の色はなかなかよくでたという批評になったりした。ひどく太い枯木の葡萄の樹が庭の中央にあって、百坪くらいの面積にその葡萄棚がしつらえてあった。園主がひどく自慢していた。その棚からはミゴトな房が幾百となくさがっていて、その紫色の美しさ。これをなにに(たと)えたらいいのかと、四人は言葉なく、その美しさに感激した。じつは、もうすこし感動したのかも知れない。佐藤さんは宝石に喩えられたような記憶がある。
 紫色の連想から、紫式部論のでた記憶もある。潤沢とか、芳醇とか、豊麗とか、あらゆる美の形容詞が考えられた。葡萄は、眉目秀麗かどうかで、井伏さんと太宰さんとやりあった。さすがに、佐藤さん、井伏さん、それに太宰をくわえると美の言葉が豊富で、葡萄もその顔色を失うかとみえたくらいである。すこしお世辞めくようだが、事実がそれであった。ぼくも大いに頷いて、それらの言葉を聞いたものである。風流論、粋人論、四季論と、話題はつきなかった。源氏物語から万葉にと話がはずんだ。
「どうも君の話は意表にできすぎていかんネェ」
 と井伏さんが太宰にいい、
「その意表にでたものをとりたいのですがネ」
 と太宰がいった。
 ぼくはすでに葡萄酒を試みたかったのだが、
「君、まだ、それは早い。どうも君たちは卑しくていかんねえ。君、葡萄園にきて葡萄酒を飲む気になるようじゃ、風流の底が浅すぎ品位がなさすぎるヨ」
 太宰も、ぼくといっしょになって、井伏さんから(たしな)められた。
「君、だいいちだねェ。ここの葡萄酒は全然ダメなんですよ。じつはぼくもやってみたことはあるのですがネ」
「次第に酔っていって葡萄棚がみえなくなるくらいのものなんだ。新宿の居酒屋にいるのとおなじことになるんだ」
「君、それでは甲州にきたかい(、、)がないというものですよ。それがわからんかネェ」
 井伏さんは自分の旧悪まで告白してぼくたちを諫めた。井伏さんは、なんとかして、ぼくたちを粋人に仕立てあげたくて努力に努力をかさねたりした。
「それが風流のつらさというものなのでしょうねェ」と太宰がいうと、「つらいようでは、なお、いけないのだ。ほんとに、君たちは心境のわるい人たちだなア。それじゃアぼくとおなじなんだ。甲州まできたかい(、、)がないねェ」
 けっきょく、みんな、新宿の居酒屋組合なのじゃなかろうかということになって、一刻もはやく葡萄園から退散しようということになったりした。「宝の山にいりながら、というのがこれだ」太宰がいったので、みなが笑った。

 

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 たしか、それから××寺にまわったのだと思うが、その寺にゆく途中の桑畑道を、羽織に袴でキチンとした太宰が、佐藤さんのスケッチ箱を預って、白い皮紐で右肩から左腰の方に斜めにさげ、一歩下って、おつきの書生みたいに歩いている後ろ姿を、ぼくが感動してみたことを、じつによく憶えている。立派なやつだとぼくは思った。誠意があると思った。老先輩を労わっている正直で真面目な気持が全身にあらわれていた。その奉仕の姿は美しいものだった。
  (中略)
 そんなあとで、四人はバスに乗った。甲府市にむかったのである。
 佐藤先輩、井伏先輩がならんで坐った座席の二つ三つ後ろの最後部の座席に、ぼくと太宰は並んで腰をおろした。バスは空いていた。十分かニ十分ゆられている間に、前の座席の先輩たちがこくりこくりと居眠りをしていることがわかった。「やはり、お年齢(とし)らしい」ぼくがいうと、太宰が声をあげて笑った。(悪い後輩など、後方の座席におくものではないのである。)ぼくが三十六歳で、太宰が三十一歳、佐藤さんが四十八歳で、井伏さんは、四十一歳のはずであった。
  (中略)
 バスがひどくゆれて、そのはずみに、車窓の外の風景のことに話題が転じた。もう、夕刻になっていた。あの辺に、明日ゆくはずの鯉料理屋があるとか、あの辺に、なんとかいう寺があって、誰々の墓があるとか、太宰はそんな説明をしてくれた。太宰は、さすがに、甲府市外のことをよく知っていて、いろいと説明してくれたのである。甲府在住当時、太宰がかなりあちこち歩きまわったことがぼくにもわかった。そのうち、太宰が、甲府市の一隅にある遊女屋の話をはじめたのである。
「山岸君。甲府にはまだ古い型の遊女屋が、あるんだよ。格子のある家なんだがネ。君、そんな家を知ってるかネ?」
 ぼくたちは、けっして放蕩児ではなかったが、それでも、この二年ほどまえまで、隅田川をこえたところにあった町や、新宿の花園神社附近の町には、じつによくいっていた。ぼくも、その事情についてはぜんぜん無智ではなかった。太宰も、その古風な味はきらいではなかったようである。
「ぼくは、甲府在住の頃、何回かいってるんだが、古風な家もいいものだと思うね。もう、日本でもそんな家は数すくないことになってるらしいんだがネ」
 太宰がいった。
「ぜひ、案内したいということかね」
 ぼくが、いうと、
「そういうことなんだ。甲府も、ひさしぶりだからね」
 太宰は、しかし、その古風な家をぼくにみせたいものらしかった。
「それではゆくことにするかね」
 ぼくがそう答えると、「しかし、佐藤さんや井伏さんはお上品なのだから、その点をなんとかしなければならない」ということになった。とにかく、今夕は、井伏さんの顔なじみの酔月? という料亭で夕食をやることになっている。たぶん、先輩たちは、お疲れのようだから、それからすぐ旅館にかえってお就寝(やす)みということになるだろうと思う。その辺をねらって脱出したらどうかという太宰の説であった。
「しかしお就寝(やす)みにならなかったらどうするんだね」
ぼくが念をいれていった。
「そこなんだ。甲府の遊女屋は時間がわりときびしくなってるんだ。あんまり、晩くなってもいけないのだ」
 そこで、二人が智慧と才能とをしぼったあげく、ぼくが頃あいをはかって、「太宰、なんだか、戸外(そと)の空気が吸いたくなった。酔いすぎたらしいのだ。甲府の町の夜気もいいのじゃないか」と合図をすることに相談がきまった。そして太宰に眼くばせする。すると、太宰が「そうなんだ。夜の甲府の町もいいものだよ。ぼくが案内してあげよう」そんなことにして雰囲気をみださずに、さっと席をはずそうという計画ができたのである。(中略)

 

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佐藤春夫井伏鱒二

 

 その酔月? では、佐藤さんを上座に、たいへん、井伏さんの饗応をうけた。むろん、酒もうまかった。気のきいている女将が座をとりもってくれて、井伏さんの指図で、ぼくたちは、すこぶる御馳走になった。佐藤さんは、一滴もお酒をやらないから、脱出するのにはすこしまずいなと、ぼくは計算していた。飲まないひとはいつも正気である。しかも、いずれも敏感な先輩たちである。タイムリイに発言しなければ、見破られる恐れがある。そういう計算もしていた。それに、誠実な井伏さんは、主人役なのでどちらかというと控えめに飲んでいる。どうも、発言しにくい状況がある。太宰は太宰で、遊女屋の時間を気にしているとみえて、ときどき、卓上の杉箸の位置をおきかえてみたり、なにもはいっていないお椀の底をその箸でつついてみたりする。ときおり、ぼくの眼をみてから、わざとらしく井伏さんに冗談などいって、ばか笑いしたりする。ぼくは、それがおかしくなって、自分の眼の下が微笑していることがわかったりする。タイミングのあわせ方に、ちょっと苦心した。完全犯罪を考えていたのである。しかし、これではイカンと気をとりなおして、一二回、腕時計をみたりした。そして、それさえまずかったかなと、胸中で思いながら、つい、盃をかさねた。イカン。これでは酔ってゆくと思ったりした。
「太宰、すこし、ぼくは酔ったらしいネ。なんだか、戸外(そと)の空気が吸いたくなったようなんだ」
 ぼくは、おもむろにそういった。
「御気分でもおわるいのでしょうか」
 女将が、腰をもちあげて、やさしい声でそういった。
「いや、気分はいたっていいのですがネ」
 まずい、まずいと、ぼくは思った。(じつにまずいことをいったものである。)
戸外(そと)の空気が吸いたくなったのです。戸外(そと)の空気が、とても吸いたいのです」
 ぼくは、戸外(そと)の空気にばかりこだわった。すると、太宰もあわてて、
戸外(そと)の空気。戸外(そと)の空気はいいねェ。甲府の夜の町の灯もいい。散歩にはいいねェ」
「そうなんだ。その散歩だ。散歩だったのだ。太宰でかけようかネ」
 ぼくがいった。すると、じつに間髪をいれず、佐藤さんが上席から声をかけた。
「ぼくもゆく」
 それはじつに自然ないい声であった。ぼくは青年よりも少年を感じた。たしかに、この言葉には、ぼくもまいった。竹刀をなげだして、参りましたッという潔い剣士がいるようだが、あの感じでまいった。タイミングのすごくいい、しかも、熱のある若々しい声であった。たとえると、動物園にゆきたいという児童の声の響きさえあった。ポーズのある言葉ではなく、じつに生々しい少年の声だったのである。
  (中略)
「だいたい、君がわるい。地声がおおきいのだ」ぼくが太宰にそういうと、
「いや、お互いに熱中すると声はおおきくなるものさ」
 この意見はぼくも認めた。
 とにかく一座は大笑いになった。ぼくたちは、完全にみぬかれていたのである。タイムリーのヒットは佐藤さんの方に打たれたのである。それから、ハイヤーを呼んで、女将までも同乗して、五人ででかけたのである。

 

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■山岸外史

 

  (中略)
 ハイヤーは五人で乗ったから、窮屈であった。みなが膝をまじえている恰好で、妙なものであった。いかに酒興の世界にゆくのにしても体裁のわるい感じがあった。おそらく廉恥心があったのだと思う。あまりにも公々然なのである。誰もひと言もいわず、夜の甲府の町の灯を窓からみていた。大先輩を伴って遊女屋にゆくのはさすがにぼくもはじめての体験だった、ぼくもなにもいわなかった。微笑はあったが、責任を感じていた。
 しかし、太宰の説明のほどもなく、古風といえば古風な店構えの町だったが、やはり、当りまえの町であった。女将がどこどこの店がいいと言い、運転手がその店のまえで車をとめた。井伏さんは大先輩のなりゆきを心配して、女将に念をおしたりした。何楼であったのかまったく記憶にないが、その家に登楼すると、椅子席のサロンですぐ遣り手婆と交渉することになった。女は三人しかのこっていないというのである。その女たちもでてきた。
「こういうときは、やはり、公平でないとイケマセンから」
 銭湯の下足札みたいな三枚の木札をぼくが受けとると、それをトランプのように切って、佐藤さんのまえに一枚、太宰に一枚。のこりをぼくの分として円卓のうえに配布した。木の札というのが妙であった。裏がえしに置いたのである。表には女たちの名が書いてあった。
 大先輩は籤運(くじうん)がつよかった。いちばん若い子であった。「さすがだ」と太宰がいった。井伏さんだけはひとり帰るということで、ぼくはひどく品行のいい人を感じたものである。わざわざ遊女屋まで送ってくれて、一部始終をみとどけておいて、同行した女将といっしょに待たせておいたハイヤーで帰っていった。奇特なひとだと思ったものである。これなら奥さんは安心できると思った。(しかし、ここでこう文字として定着していってみると、井伏先輩のその後のことはぼくには解らなかったのである。いまさら当て推量する必要はない。地水火風であらわせば、井伏さんは風となったのかも知れない。)そして、太宰が水であり、ぼくが土で、大先輩の佐藤さんは、この夜は火であったようである。

 夜のぼくの室のことを描写しても仕方がない。そして他の室のことがぼくにわかるはずもないが、早くも朝になっていた。ぼくは女に起されて階下の洗面所までおりていった。太宰も洗面所のところに女と下りてきていて、ぼくと顔をみあわせるとニヤリと微笑した。どういうことなのか、ぼくとの朝の対面が嬉しかったようである。すると、そのときおなじ階段から大先輩がしずしずと下りてこられる姿がみえた。天井との間で三角にみえる階段からその姿と横顔が次第にみえてきたのである。若い侍女を従えて、警蹕(けいひつ)の声とともにあらわれた感じであった。誇張はない。純粋な感覚である。ぼくたち後輩は、なにかこれはイカンと思った。この廊下でお会いしてはイカン。ぼくたちは符節をあわせたように、しずかに洗面所まえから立ち去って、大先輩と顔のあわないように反対側に廊下の角をまがって、姿をかくしたのである。やはり本能的に敬意を表した。ところが不思議である。大先輩の朝の姿勢は、あまりにも厳かだったのである。廊下に舞台を感じた。つまりぼくたちは大先輩に洗面所を譲ったのだが、時おり柱のかげからすこしばかり顔をあらわして、この有名な大先輩がどんな様子で朝の洗顔をするものか、ひそかに観察した。ぼくたち後輩は期せずして参考にして、その姿勢にあやかろう(、、、、、)という気分をもったのではないかと思う。ぼくたちは大衆のひとりにすぎなかった。
 大先輩は、(当時、すでに老先輩だと思っていたものだが、)しずかに洗面所にむかうと、腰を前にまげられて楊枝を使われ、じつに厳かに洗顔された。若い侍女は、その背後から寝巻の袖をとって、これも自然と甲斐がいしい姿勢になっていた。すでに、大先輩は、ぼくたちのような民主主義者ではなく、どこかの国の御家老か、むしろ、隠居された大名の風格があったのである。
 太宰がそれをみてから、また柱のかげにひっこんで、急に大声をあげて笑いだそうとして、その失礼な声が大先輩に聞えることを怖れて、口を両手で(おお)った。笑いを腹のなかに呑みおろして、のこっている眼でぼくをみて、懸命に抑制力のあることを示していた。それは笑えば笑える厳粛さであったと思うのだが、やはり、笑ってはイケナイことだったのにちがいないという意味なのである。
「君、世代の差というものはすごいものだなあ」
 太宰があとになっていったものだが、ぼくたちには格式もなにもなかったのである。一庶民にすぎなかった。はるかに気軽で平明で自然であった。尤も、大先輩は、有名な悪童二人の姿をすでに遠くから瞥見(べっけん)されていて、後日のために、模範を示されたものかも知れなかった。だとすれば、やはり、役者は大先輩の方が上手(うわて)だったのだと思う。
 しかし、太宰は、この後でも甲府にいったりすると、この店に登楼したものらしいが、そのときの後日談によると「かの有名なお方」は徹宵、火であったということで、みたび、ぼくたちを感動させたものである。やはり、ぼくの地水火風説はあたっていたのである。(以上を謹記する。)

 ばかなことを書いたような気もするが、太宰に八ツあたりしておくと、太宰はこの夜の敵娼(あいかた)に、「あの夜のことで、子供ができた」といってあとで脅迫されたそうである。「あなたの子にまちがいない」といわれ、「ぼくはほんとに周章(あわ)てたが、君、そういうことがあるものかネ」と真顔でぼくに訊いたりした。太宰はそれほど純であった。「君が好人物だから押しつけようとしたんだろう」とぼくがいうと、「とにかく、月数があわんものなア」と太宰がいった。太宰はその女から、後日、いろいろ「有名なお方」の話を聞いたらしいのである。太宰も先輩作家の生活を丹念に研究しておいて、自分の生活の尺度にしたかったのだと思う。

 

 葡萄の房、しずかに風にゆれており
 今日も、甲州の野山を語りてあるらし

 

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 【了】

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【参考文献】
・山岸外史『人間太宰治』(ちくま文庫、1989年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「鉄道の発達と繁華街の賑わい ~ 新宿」(三井住友トラスト不動産
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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