6月20日の太宰治。
1940年(昭和15年)6月20日。
太宰治 31歳。
六月二十日付で
『蒼穹 答えず』
今日は、太宰が
『
『
蒼穹 答えず』
この詩集の著者とは、一度逢って話をした事がある。友人塩月赳 君が、この著者を私に紹介したのである。三、四年まえの事である。その後、逢った事が無い。けれども、その一度の会見の際、この人は、私に試作の詩数篇を見せてくれた。その数篇の詩を私は、忘れていない。孤独病弱の人らしく、いま其の苦心彫琢 の詩二十篇を一本にまとめ、広く世に問おうとするに当り、之を支持する虚名無力の先輩文人との交際も無い様子で、ただ一度逢い、数刻の詩論を闘わしただけの、無名虚力の私に突如、序文を書けと言って寄こした。孤独は尊いものである。病弱は哀しいものである。私は、この人の言いつけを拒否してはならない。
その詩の原稿も送って寄こした。私は、今朝それを全部読んだ。一言を以ていうならば、曰く、白日夢である。人は、ここには生活の苦渋が無いと言うかも知れない。詩人の足音が無いと言うかも知れない。肉体の影が無い、思索の線が稀薄だ、なぞと言って不満顔をするかも知れぬが、そこにこそ、この詩人の高潔な独自性があるのだ。この人は、誰の弟子でもない。日本の、どんな詩人の大家の影も、ここには無い。ボオドレエル、ヴエルレエヌその他西欧の、近代詩聖の絲 さえ無い。無理に求めたら、わずかに、ラプラアドの画布。不思議な崩壊、不思議な現実。倦怠の闇の中で、かすかに光る金線一本。
■「風景」ピエール・ラプラード(1875~1931) 灰色を基調に落ち着いた色彩で、室内や静物画、田園やパリの風景を描いた画家。油絵のほかに水彩画や、親交のあった詩人のために挿画も描いている。
何もかも、つまらないのだ。何もかも、許す事が出来るのだ。そうして、この人は、病院の白いベッドに静かに寝ている。青草原に捨てられた白い卵の殻の思いを、この人だけは知っている。卵の殻の中を覗けば、中は、ほっかり暖く、哀しく遠く、なんだかこの世で無いようだ。わが身が、他の宇宙に住んでいるような気がするものだ。事実、この人は、他の宇宙に住んでいる。この人の詩は、私たちの言葉と、全くちがう言葉で綴られて居る。
この人の画布は、水面だ。杖の先で、池面に何やら文字を書く。この人の画布は、砂の上だ。指先で、妙に何やら文字を書く。一陣の冷風は、その文字を崩す。この人の画布は、蒼穹 だ。蒼穹を見上げて、その瞳の視線で何やら花を画いて居る。私たちには、しかとは見えない。時々、きらと線が光る。形の定着、思索の断案には、必ず俗世の皺が在る。この病弱寡黙の詩人の、最も不得手とするところ。この人は、声も無く、この世のものならぬ不思議な線を画いて居る。
この不思議こそ、著者の生れた時からの孤独の胸に由来しているのでは無かろうか。絶望の果の、優しい虚無の噴泉では無かろうか。なんの欲も無い。白日下、はるかな夢を、うつらうつら見ては、言語ならぬ言語で、ひとり呟く。ころがって在る一箇の繭だ。とても、真似られるものでは無い。
(昭和十五年五月四日記。)
「
太宰の師匠筋にあたる佐藤春夫は、俗に門弟が3,000人いたと言われていますが、太宰と直接面識のあった人、1度しか面識のない人、書簡にやり取りのみだった人、太宰を慕った人を全て含めると、もしかしたら、佐藤にも劣らないかもしれません。
■小島一晃
冒頭でも引用したように、山内祥史『太宰治の年譜』には、小島のプロフィールについて、「
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「ひろしま美術館」
・HP「ポーラ美術館」
※画像は、上記参考文献より引用しました。
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