記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】8月5日

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8月5日の太宰治

  1940年(昭和15年)8月5日。
 太宰治 31歳。

 八月五日付発行の「東京帝国大学新聞」に「貪婪禍(どんらんか)」を発表。

貪婪禍(どんらんか)

 今日は、太宰のエッセイ貪婪禍(どんらんか)を紹介します。
 貪婪禍(どんらんか)は、1940年(昭和15年)8月5日発行の「東京帝国大学新聞」第317号の第2面「銷夏(しょうか)特集」の「山」欄に発表されました。「銷夏(しょうか)」とは、「夏の暑さをしのぐ」という意味です。この欄には、ほかに『比叡山』(吉井勇)が掲載されていました。

貪婪禍(どんらんか)

 七月三日から南伊豆の或る山村に来ているのだが、勿論ここは、深山幽谷でも何でもない。温泉が湧き出ているというだけで、他には何のとるところも無い。東京と同じくらいに暑い。宿の女中も、不親切だ。部屋は汚く食事もまずい。なぜこんな所を選んだのかと言えば、宿泊料が安いだろうと思ったからである。けれども、来て見ると、あまり安くもない。一泊五円以上だ。一日の予定の勉強が済んで、温泉へ入り、それから夕食にとりかかるのであるが、ビールを一ぱい飲みたくなって女中さんに、そう言うと、
「ございません。」とハッキリ答える。けれども、女中さんの顔を見ると、嘘だということがわかるので、
「ぜひ飲みたいんだ。たった一本でいいのですから。」と笑いながら、ねだると、
「ちょっとお待ち下さい。」と真面目な顔で言って、部屋を出て行く。しばらく経つと、やはり真面目な顔をして部屋へやって来て、
「あの、少し値が張りますけれど、よろしゅうございますか。」と言う。
「ええ、かまいません。二本もらいましょう。」と、こちらも抜け目がない。
「いいえ、一本だけにしていただきます。」
 いやに冷淡に宣告する。

 

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 このごろは宿屋も、ひどく、おたかく止っている。物資不足は、私だって知っている。無理なことはしない。お気の毒ですが、とか何とか、ちょっと言いかたを変えれば、双方もっと、なごやかに行くのに、どうも、ばかにつんけんしている。勢い、客も無口になる。甚だ重苦しい。少しも、のんびりしない。私は寄宿舎で勉強している学生のようである。
 窓の外の風景を眺めても、別段たいしたこともない。低い夏山、山の中腹までは畑地である。蝉の声がやかましい。じりじり暑い。なぜ、わざわざ、こんなところへ来たかと思われる。
 けれども私は、ここを引き上げて、別の土地へ行こうとも思わない。どこへ行ったって、似たようなものだということが、わかっているからである。私の心が、いけないのかも知れない。以下はフロベエルの嘆きであるが、「私はいつも眼のまえのものを拒否したがる。子供を見ると、その子供の老人になった時のことを考えてしまうし、揺籃を見ると墓石のことを考える。女の裸体を眺めているうちに、その骸骨を空想する。楽しいものを見ていると悲しくなるし、悲しいものを見ると何も感じない。あまり心の中で泣いたから、外へ涙を流すことが出来ない。」などと言えば、少し大袈裟で、中学生のセンチメンタルな露悪趣味になってしまうが、私が旅に出て風景にも人情にも、あまり動かされたことのないのは、その土地の人間の生活が、すぐに、わかってしまうからであろう。皆、興覚めなほど、一生懸命である。渓流のほとりの一軒の茶店にも、父祖数代の暗闘があるだろう。茶店の腰掛け一つ新調するに当っても、一家の並々ならぬ算段があったのだろう。一日の売上げが、どのように一家の人々に分配され、一喜一憂が繰り返されることか。風景などは、問題でない。その村の人たちにとっては、山の木一本渓流の石一つすべて生活と直接に結びついている筈だ。そこには、風景はない。日々の糧が見えるだけだ。
 素直に、風景を指さし、驚嘆できる人は幸いなる哉。私の住居は東京の、井の頭公園の裏にあるのだが、日曜毎に、沢山のハイキングの客が、興奮して、あの辺を歩き廻っている。井の頭の池のところから、石の段々も、二十いくつ登って、それから、だらだらの坂を半丁ほど登ると、御殿山である。普通の草原であるが、それでも、ハイキングの服装凛々しい男女の客は、興奮している。樹木の幹に「登山記念、何月何日、何某」とナイフで彫ってある文字を見かけることさえあるが、私には笑えない。二十いくつの石段を登り、だらだらの坂を半丁ほど登り、有頂天の歓喜があるとしたら、市民とは実に幸福なものだと思う。悪業の深い一人の作家だけは、どこへ行っても、何を見ても、苦しい。気取っているのではないのだ。

 

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 ここへ来て、もう十日に近い。仕事も一段落ついた。きょうあたり家の者がお金を持って、この宿へ私を迎えに来る筈である。家の者にはこんな温泉宿でも、極楽であるのかも知れぬ。私は、素知らぬ振りして家の者にこの土地の感想を聞いてみたいと思っている。とても、いいところですと、興奮して言うかも知れない。

  「七月三日から南伊豆の或る山村に来ている」とありますが、これは、静岡県賀茂郡上河津村の湯ケ野温泉「福田屋」のこと。太宰は、大判の東京明細地図を携え、東京八景を執筆するために、二階の六畳間に滞在していました。
 太宰は、東京八景の中でも福田屋について触れており、「意地の悪そうな、下品な女中に案内されて」「なぜこんなところに来たのだろうと思った」などと、あまり良い書き方をしていませんが、しっかりエッセイのネタにも使っていました。
 福田屋滞在のエピソードについては、7月3日、7月13日の記事で紹介しています。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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