記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月26日

f:id:shige97:20191205224501j:image

5月26日の太宰治

  1939年(昭和14年)5月26日。
 太宰治 29歳。

 太宰が、浅川、八王子、国分寺近辺で貸家捜しをはじめる。

太宰、東京への移転を切望

 1939年(昭和14年)1月8日、太宰は、師匠・井伏鱒二の媒酌で、石原美知子と結婚。それまでの荒んだ生活と決別し、再起を図ることを決意します。山梨県甲府市三崎町の借家での執筆に(いそ)しみ、黄金風景富嶽百景の後半、女生徒新樹の言葉葉桜と魔笛など多くの佳作を残しました。

 しかし、出版社は東京にあるため、少し離れた甲府での執筆作業は不便なところもあったようで、お目付役の中畑慶吉(なかはたけいきち)に手紙を(したため)めています。

f:id:shige97:20200320153545j:plain
太宰治と中畑慶吉 1939年(昭和14年)1月8日、太宰と美知子の結婚式の記念写真より。

  甲府市三崎町五六より
  青森県五所川原町旭町 中畑慶吉宛

 拝啓
 ごぶさた申して居ります。その後、そちらでは、皆様お変りございませぬか。当方は、無事です。どうにか、やって居りますゆえ、ご安心下さい。
 甲府では、やはり仕事の上で、何かと便利わるく、井伏様とも相談の上、六月上旬に、浅川、八王子、国分寺、あの辺を捜して、格好の家を見つけ、移転するつもりです。あの辺だと、東京まで一時間くらいで、そんなに訪問客もないでしょうし、また、甲府ほど不便でもなし、仕事には、ちょうどいい、と思います。荻窪辺だと、一ばん便利なのですが、いま貸家は、絶対に無いそうです。こんど本を出しましたので、本屋から二、三百円もらいますから、そのお金で引越しするつもりです。
 少しずつ評判があがっています。金木の皆様にも、よき機会によろしく申し上げて下さい。
 こないだ、国民新聞で、中堅、新進三十名に小説を書かせて、一ばん年少の私が、意外にも一等をもらいました。新聞の切抜き同封いたしました。
 六月中旬までには、もう一冊、「女生徒」と題する小綺麗な短篇小説集、砂子屋書房から出版する筈になって居ります。できたら、また、お送り致します。
 一日も早く、自活できるよう努力して居ります。
 末筆ながら、奥様にどうかよろしく。
                   修 治 拝
  中 畑 様

 「こんど本を出しましたので」とあるのは、「原稿百枚紛失事件」があり、太宰が方々に気を配りながら出版に漕ぎつけた第四創作集『愛と美について』のことです。

 「こないだ、国民新聞で、中堅、新進三十名に小説を書かせて、一ばん年少の私が、意外にも一等をもらいました。新聞の切抜き同封いたしました。」とあるのは、黄金風景のことです。
 黄金風景は、太宰の結婚後、最初の仕事。美知子は、「待ちかまえていたように」口述筆記させたと回想しており、3月2日の記事で紹介しています。

 また、太宰はこの黄金風景で、「国民新聞」の短篇小説コンクールで優勝しており、この出来事を、エッセイ『当選の日』に書いています。このエッセイは、5月10日の記事で紹介しています。

 「格好の家を見つけ、移転する」ことを切望する太宰は、同年9月1日、甲府の借家を引き払い、(つい)棲家(すみか)となる三鷹に転居します。
 三鷹での生活について、美知子は『回想の太宰治で、次のように回想しています。

 三鷹での十年間を回想すると、太宰のような人はもっと都心を離れた、気候のよい、暮らしやすい土地に住んでゆっくり書いてゆく方がよかった。当時の三鷹の新開地風の雰囲気はあまりにも荒々しかった。生垣なので、夏の夜など室内が外から丸見えである。駅まで十分、郵便局はもっと先で、近くに商店は一つもない。私は、いつまでもこの土地と家とに親しむことが出来なかった。道路はまだふみ固まって居らず、上水下水は原始に近く、耳に入るのは諸国のお国(なまり)、生活の不便はこの上無く、新開地というより満州開拓地に住んでいる感じだった。

●太宰の住んだ街「三鷹」の歴史、当時の様子については、2月25日の記事で紹介しています。

 

 泊り客のあった朝だけは、その客と共に井戸端に出るが、平素は含嗽(うがい)洗面の水をはじめ、使用する水一切を一日何回となく運ばなくてはならない。ガスがないから、来客のたびに火を起して湯を沸かす、一家を構えれば力仕事や、大工仕事など、女子に余る雑用が出てくるのに、主人はいっさい手を出さない。わかってはいても隣近所のまめな旦那さんを羨ましく思うこともあった。私は心の中で、「金の卵を抱いている男」という渾名(あだな)を彼につけていた。いつもいくつかの小説の構想を、めんどりが卵をあたためているときのように、じっとかかえて、雑用にはけっして手を出さずただ小説を生み出すことばかり考えている彼の姿からの連想である。

  太宰にとって、どのような環境が一番良かったのでしょうか。

f:id:shige97:20200426105723j:plain

 【了】

********************
【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】