記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】9月6日

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9月6日の太宰治

  1936年(昭和11年)9月6日。
 太宰治 27歳。

 九月(日付不詳)に、井伏鱒二に手紙を送る。

第2創作集の出版を急ぐ太宰

 今日は、1936年(昭和11年)9月に、太宰が師匠・井伏鱒二(いぶせますじ )に宛てて書いた手紙を紹介します。この手紙は、日付不詳となっていますが、おそらくこの位の時期に書かれたものと思われます。

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井伏鱒二 荻窪駅構内で。1928年(昭和3年)頃、撮影。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市杉並区清水町二四
   井伏鱒二

 井伏さん
 血肉のはらから、先生とお呼びいたし、または馴々しく、井伏さんなどと甘え、蒲田の梅屋敷へ田中貢太郎先生を追って、とうとう追いつくことの出来なんだ。あれから七年経って居ります。
 迂愚のものも、井伏さんにきびしくきたえられ、井伏さん御存命のあいだは、私も何とかして生きてゆきます。
 圭介ちゃんの「こわい叔父さん」もしくは「はなせる禿ちゃびん」など言われて、そうして私できるだけの力つくして、私のように心もからだも蒟蒻の男にしたくございませぬ。
 一生のおねがい申します。ことしの内に私の単行本もう一冊出したく、どうかお世話下さい。砂子屋書房山崎剛平氏、ならびに清澄の先輩浅見さんにおねがいしてきっと出していただけます様子でございます。けれども内心、印税五十円でも、六十円でもほしいのでございます。砂子屋書房は印税なしです。かえって、私、広告費負たんいたしました。

 

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■砂小屋書房主・山崎剛平 太宰の処女短篇集晩年は砂小屋書房から出版された。

 

 ちかごろ経済状態、からから枯渇、火の車ゆえ、竹村書房でも、なんでもかまいませぬ、あながち豪華版でなくても、私一向意にかけませぬ。
 佐藤先生のおつけになられた題の三部作「虚構の彷徨道化の華一〇〇枚、狂言の神四〇枚、架空の春一六〇枚、以上、三部曲、三百枚、ことにも「架空の春」(一六〇)は、全部書き直し、ほとんど書き下ろしの態でございます。自信ございます。そうして付録として、「ダス・ゲマイネ」六〇枚添えようと考えました。きっと売れると存じます。
 井伏さん、軽い散歩外出のゆかたがけのお気持で、装幀して下さい。切願。
 佐藤先生に序を書いてもらいます。
 「二十世紀旗手」というかなしいロマンス書き()えて、昨日、文藝春秋へ持ち込み、千葉静一氏におたのみいたしました。自信ある作品ゆえ、井伏さんの顔汚すこと全くございませぬ。どうか、よろしくお力添え下さいまし。
 佐藤先生のお宅へ、遊びにいって、かえりの路、きっとわが思い、ぐんと高くなっています。井伏さんからのかえり路、わが思い、きっとぐんと深くなっています。
 一はヒマラヤの高峰、一はモオゼ以来のむかし、ロマンス沈めて静かの紅海、私は幸福です。
 おねがい申します。
 てれて、どうもだめです。生涯いちどのおねがいです。はっきり引き受け、ともすれば、デスペラへ崩れたがる私を叱ってそうして力つけて希望もたせて卑屈にしないで下さい。
          修 治 九拝
  井伏鱒二先生

 「ことしの内に私の単行本もう一冊出したく、どうかお世話下さい」とありますが、太宰は、この年の6月25日に処女短篇集晩年を出版し、7月11日に出版記念会を開催したばかりでした。

 次の出版を急ぐのが、創作意欲に駆られているからかと思いきや、「ちかごろ経済状態、からから枯渇、火の車ゆえ」というのが理由のようです。
 太宰の第2創作集虚構の彷徨  ダス・ゲマイネは、翌1937年(昭和12年)6月1日付で、新潮社から「新選純文学叢書」の1冊として出版されました。ちなみに、架空の春虚構の春と改題されました。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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