記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】私の著作集

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今週のエッセイ

◆『私の著作集』
 1941年(昭和16年)、太宰治 32歳。
 1941年(昭和16年)6月28日に脱稿。
 『私の著作集』は、1941年(昭和16年)7月10日発行の「日本學藝新聞」第百十二号の第七面の「私の著作集」欄に発表された。初出本文の末尾には、「(昭和十六年六月二十九日)」とあり、執筆の日付と推定される。

「私の著作集

 最初の創作集は「晩年」でした。昭和十一年に、砂子屋書房から出ました。初版は、五百部ぐらいだったのでしょうか。はっきり覚えていません。その次が「虚構の彷徨」で新潮社。それから、版画荘文庫の「二十世紀旗手」これは絶版になったようです。
 しばらく休んで、一昨年あたりから多くなりました。紙の質も、悪くなりました。一昨年は、竹村書房から「愛と美について」砂小屋書房から「女生徒」女性徒は、ことしの五月に再版になりました。
 昨年は、竹村書房から「皮膚と心」京都の人文書院から「思ひ出」河出書房から「女の決闘」が出ました。
 ことしは、実業之日本社から「東京八景」が出ました。ニ、三日中に、文藝春秋社から「新ハムレット」が出る(はず)です。それから、すぐまた砂子屋書房から「晩年」の新版が出るそうです。つづいて筑摩書房から「千代女」が、高梨書店から「信天翁(あほうどり)」が出る(はず)です。「信天翁(あほうどり)」には、主として随筆を収録しました。七月までには、みんな出るでしょう。
 少し休みたいと思います。私はことし三十三であります。女の子がひとりあります。

 

太宰の著作集

 太宰が、1941年(昭和16年)6月末時点で刊行された、自身の著作について記したエッセイ『私の著作集』。今回は、エッセイの中で紹介されている著作集について、1992年(平成4年)に日本近代文学館より刊行された『名著初版本復刻 太宰治文学館』に収録されている初版本を使って、紹介します。


◉『晩年』

 1936年(昭和11年)6月25日、砂子屋書房から刊行。
 「太宰治」のペンネームで、1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)にかけて発表された15篇が収録されています。様々な趣向が凝らされた実験作ばかりで、「短篇のデパート」と呼ばれることもあります。後の太宰作品にも通ずる様々なエッセンスが詰め込まれています。
 口絵写真1枚、初版500部、菊判フランス装、241ページ、定価2円でした。

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【目次】
・「
・「思い出
・「魚服記
・「列車
・「地球図
・「猿ヶ島
・「雀こ
・「道化の華
・「猿面冠者
・「逆行
・「彼は昔の彼ならず
・「ロマネスク
・「玩具
・「陰火
・「めくら草紙


◉『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』

 1937年(昭和12年)6月1日、新潮社から刊行。
 『晩年』に続く第二創作集で、レトリカルなフィクションが追求されています。三部作である「虚構の彷徨」は、佐藤春夫による命名です。三部作の構想について、1936年(昭和11年)5月1日付の佐藤春夫宛の手紙が残っており、そこには「道化の華狂言の神。虚構の塔。それぞれ、真、善、美のサンボル」をイメージしていると書かれています。『虚構の塔』は、最終的に『虚構の春』というタイトルで発表されました。
 のちに、太宰の妻となる石原美知子、愛人となる太田静子の2人がはじめて手に取った太宰の著作集も、この『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』でした。

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【目次】
・虚構の彷徨
 「道化の華
 「狂言の神
 「虚構の春
・「ダス・ゲマイネ


◉『二十世紀旗手』

 1937年(昭和12年)7月20日、版画荘から刊行。
 太宰は、自己暴露の形式を援用したメタ形式の反ロマネスク小説を多く書いていますが、この創作集に収められているのは、そのような趣向の小説3篇です。
 この『二十世紀旗手』は、「版画荘文庫」の第一回配本として刊行されました。

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【目次】
・「雌に就いて
・「二十世紀旗手
・「喝采


◉『愛と美について』

 1939年(昭和14年)5月20日、竹村書房から刊行。
 1939年(昭和14年)1月8日、津島美知子と結婚した後に、はじめて刊行された著作集です。
 この本の函と表紙の挿画は、著者好みのデザインで出すことになり、手近にあった刺繡の図案集を用いたそうです。
 1939年(昭和14年)3月21日付、竹村書房の竹村坦に宛てた「ただいま、やっと、完成いたしました。二百五十一枚です。ささやかなよろこびわかち致したく、不取敢(とりあえず)、お知らせ申します。どうか、よき本にして下さい。」という、書下ろし小説集の原稿ができたことを伝える手紙が残っていますが、この著作集が出版されるまでには、「原稿百枚紛失事件」などの苦労もありました。

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【目次】
・「秋風記
・「新樹の言葉
・「花燭
・「愛と美について
・「火の鳥


◉『女生徒』

 1939年(昭和14年)7月20日、砂子屋書房から刊行。
 1940年(昭和15年)度の北村透谷(きたむらとうこく)賞の次席に選ばれた著作集で、太宰が初期から中期への文学の転換を示した短篇7篇を集大成して収めています。

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【目次】
・「満願
・「女生徒
・「I can speak
・「富嶽百景
・「懶惰の歌留多
・「姥捨
・「黄金風景


◉『皮膚と心』

 1940年(昭和15年)4月20日、竹村書房から刊行。
 『愛と美について』と同じく、竹村書房から刊行されました。1940年(昭和15年)4月頃、太宰は竹村坦に宛てて「竹村さんには、最近の愛情深い作品のみお送りしたつもりであります。美しい短編集にしたいと思って居ります。」「装釘は御一任申し上げます。瀟洒(しょうしゃ)にお願い致します。」という手紙を送っています。

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【目次】
・「俗天使
・「葉桜と魔笛
・「美少女
・「畜犬談
・「兄たち
・「おしゃれ童子
・「八十八夜
・短片集
 「ア、秋
 「女人訓戒
 「座興に非ず
 「デカダン抗議
・「皮膚と心
・「
・「老ハイデルベルヒ


◉『女の決闘』

 1940年(昭和15年)6月15日、河出書房から刊行。
 『女の決闘』や『走れメロス』など、小説の題材を古典などに求めた翻案小説が中心に収められています。

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【目次】
・「女の決闘
・「駈込み訴え
・「古典風
・「誰も知らぬ
・「春の盗賊
・「走れメロス
・「善蔵を思う


◉『東京八景』

 1941年(昭和16年)5月3日、実業之日本社から刊行。
 太宰の身辺が原稿の依頼で慌ただしくなって来た、1940年(昭和15年)後半に執筆された小説5篇を軸とし、旧作も併せて収録されています。妻・津島美知子は、この頃の太宰について、「十四年の十一月、十二月には予定表を作って調整しなければならぬほどで、彼が作家として出発してから初めてのことだった」と回想しています。

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【目次】
・「東京八景
・「HUMAN LOST
・「きりぎりす
・短篇集
 「一燈
 「失敗園
 「リイズ
・「盲人独笑
・「ロマネスク
・「乞食学生


◉『新ハムレット

 1941年(昭和16年)7月2日、文藝春秋社から刊行。
 太宰はじめての書下ろし長篇で、中期を代表する作品の1つです。シェイクスピアの名作『ハムレット』の翻案作品で、1941年(昭和16年)2月から5月まで、かなりの意気込みで執筆されました。この前年に、『女生徒』によって北村透谷賞の次席に選ばれたこともあり、気合いの入っている時期でもありました。

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【目次】
・「新ハムレット


◉『千代女』

 1941年(昭和16年)8月25日、筑摩書房から刊行。
 1941年(昭和16年)の前半に発表された作品が集められています。大陸での「聖戦」の貫徹を期して近衛文麿の提唱した新体制運動も本格化し、国を挙げて戦争に突き進んでいる時期、太宰は落ち着いて作品を執筆し続けていました。戦時中、最も作品を残した作家の1人とも言われています。

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【目次】
・「みみずく通信
・「佐渡
・「清貧譚
・「服装に就いて
・「令嬢アユ
・「千代女
・「①ろまん燈籠


◉『信天翁(あほうどり)

 1942年(昭和17年)11月15日、昭南書房から刊行。
 『私の著作集』では、「高梨書店から「信天翁(あほうどり)」が出る(はず)です。「信天翁(あほうどり)」には、主として随筆を収録しました。七月までには、みんな出るでしょう。」と書かれていた『信天翁(あほうどり)』ですが、戦争の影響でしょうか、出版社を変え、予定から大きく遅れて、翌年11月にようやく刊行されました。
 「文藻集」と銘打たれた今作は、1935年(昭和10年)から1940年(昭和15年)にかけて発表された諸文章が収録されています。太宰のエッセイが1冊にまとめられたのも、この『信天翁(あほうどり)』がはじめてでした。また、これまでの著作集に収録されなかった短篇も一緒に収められています。
 ちなみに、「信天翁(あほうどり)」とは、陸上での動作がのろいため、このように命名されたそうです。

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【目次】
昭和十年(二十七歳)
・もの思う葦
 「はしがき
 「虚栄の市
 「敗北の歌
 「或る実験報告
 「老年
 「難解
 「塵中の人
 「おのれの作品のよしあしをひとにたずねることに就いて
 「書簡集
 「兵法
 「in a word
 「病躯の文章とそのハンデキャップに就いて
 「「衰運」におくる言葉
 「ダス・ゲマイネに就いて
 「金銭について
 「放心について
 「世渡りの秘訣
 「緑雨
 「ふたたび書簡のこと

昭和十一年(二十八歳)
・碧眼托鉢
 「ボオドレエルに就いて
 「ブルジョア芸術に於ける運命
 「定理
 「わが終生の祈願
 「わが友
 「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥
 「フィリップの骨格に就いて
 「或るひとりの男の精進について
 「生きて行く力
 「わが唯一のおののき
 「マンネリズム
 「作家は小説を書かなければならない
 「挨拶
 「立派ということに就いて
 「Confiteor
 「頽廃の児、自然の児
・「雌に就いて
・「創世記
・「古典龍頭蛇尾
・「喝采

昭和十二年(二十九歳)
・「音に就いて
・「創作余談
・「燈籠

昭和十三年(三十歳)
・「(晩年)に就いて
・「一日の労苦
・「多頭蛇哲学
・「答案落第
・「緒方君を殺した者
・「一歩前進二歩退却

昭和十四年(三十一歳)
・「『人間キリスト記』その他
・「正直ノオト
・「困惑の弁
・「春の盗賊

昭和十五年(三十二歳)
・「諸君の位置
・「義務
・「鬱屈禍
・「自身の無さ
・「作家の像
・「国技館
・「貪婪禍
・「自作を語る
・「パウロの混乱
・「かすかな声

 太宰の初版本に思いを馳せながら、著作集に収録された順で作品に触れてみるのも、面白いかもしれません。

 【了】

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【参考文献】
・『名著初版本復刻 太宰治文学館』(日本近代文学館、1992年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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