【週刊 太宰治のエッセイ】諸君の位置
今週のエッセイ
◆『諸君の位置』
1940年(昭和15年)、太宰治 31歳。
1940年(昭和15年)2月上旬に脱稿。
『諸君の位置』は、1940年(昭和15年)3月30日発行の「月刊文化学院」第二巻第二号(№9)に発表された。なお、同誌の表紙には「二月二十日印刷納本、二月二十三日発行」とある。「三月」は「二月」の誤植とも考えられる。『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)では、奥付の「三月三十日」という表記に準拠している。
「諸君の位置」
世の中の。どこに立って居るのか、どこに腰掛けて居るのか、甚 だ曖昧なので、学生たちは困って居る。世の中のことは何も知らぬふりして無邪気をよそおい、常に父兄たちに甘えて居ればいいのか。又は、それこそ、「社会の一員」として、仔細 らしい顔をし、世間の大人の口吻 を猿真似して、大人の生活の要らざる手助けに努めるのがいいのか。いずれにしても不自然で、くすぐったく、落ちつかないのである。諸君は、子供でも無ければ、大人でも無い。男でも無ければ、女でも無い。埃 っぽい制服に身を固めた「学生」という全然特殊の人間である。それはまるで、かの半人半獣の山野の神、上半身は人間に近く、脚はふさふさ毛の生えた山羊の脚、小さい尻尾をくるりと巻き、頭には短い山羊の角を生 して居るパン、いやいや、パンは牧羊神として人々にも親しまれた音楽の天才であり笛がうまいし、葦笛を発明するほどの怜悧明朗の神であるが、学生諸君の中には、此のパンと殆ど同一の姿をして居ながら、暗い醜怪の心のサチイル、即ち憂鬱淫酒の王ディオニソスの竉児さえ存在するのだ。我が身が濁って低迷し、やりきれない思いの宵も、きっと在る。諸君は一体、どこに座って居るのか、何をみつめて居るのか。先日、或る学生に次のようなシルレルの物語詩を語って聞かせたところ、意外なほどに、其の学生は喜んだ。諸君は、今こそ、シルレルを読まなければなるまい。素朴の叡智が、どれほど強力に諸君の進路を指定してくれるものであるかを知るであろう。
「受け取れよ、世界を!」ゼウスは天上から人間に呼びかけた。「受け取れ、これはお前たちのものだ。お前たちにおれは之を遺産とし、永遠の領地として贈ってやる。さあ、仲好く分け合うのだ。」忽 ち先を争って、手のある限りの者は四方八方から走り集った。農民は、原野に縄を張り廻し、貴公子は、狩猟のための森林を占領し、商人は物貨を集めて倉庫に満し、嘲弄は貴重な古い葡萄酒を漁り、市長は市街に城壁を廻 らし、王者は山上に大国旗を打ち樹てた。それぞれ分割が、残る隈なくすんだあとで、詩人がのっそりやって来た。彼は、遥か遠方からやって来た。ああ、その時は、地球の表面に存在するもの悉 くに其の持主の名札が貼られ、一坪の青草原さえ残っていなかった。「ええ情ない! なんで私一人だけがみんなから、かまって貰えないのだ。この私が、あなたの一番忠実な息子が?」と大声に苦情を叫びながら、彼はゼウスの玉座の前に身を投げた。「勝手に夢の国でぐずぐずして居て、」と神はさえぎった。「何もおれを怨むわけが無い。お前は一体どこに居たのだ。みんなが地球を分け合って居るとき。」詩人は泣きながらそれに答えて、「私は、あなたのお傍に。目はあなたの顔にそそがれて、耳は天上の音楽に聞きほれて居ました。この心をお許し下さい。あなたの光に陶然と酔って、地上のことを忘れて居たのを!」「どうすればいい?」とゼウスは言った。「地球はみんな呉れてしまった。秋も、狩猟も、市場も、もうおれの物でない。お前がこの天上におれと一緒に居たいなら、時々やって来い。此所はお前の為に空けて置く!」
詩は、それでおしまいであるが、此の詩人の幸福こそ、また学生諸君の特権でもあるのだ。これを自覚し、いじけず、颯爽と生きなければならぬ、実生活に於ける、つまらぬ位置や、けちくさい資格など、一時、潔く放棄してみるがよい。諸君の位置は、天上に於て発見される。雲が、諸君の友人だ。
無責任に大げさな、甘い観念論で、諸君を騙そうとして居るのでは無い。これは、最も聡明な、実状に即してさえいる道である。世の中に於ける位置は、諸君が学校を卒業すれば、いやでもそれは与えられる。いまは、世間の人の真似をするな。美しいものの存在を信じ、それを見つめて街を歩け。最上級の美しいものを想像しろ。それは在るのだ。学生の期間にだけ、それは在るのだ。もっと、具体的に言い度 いが、今日は何だか腹立たしい。君たちは何をまごまごして居るのか、どんと背中をどやしつけてやり度い思いだ。頭の悪い奴は、仕様がない。チェホフを、沢山読んでみなさい。そうしてそれを真似して見なさい。私は無責任なことは言って居ない。それだけでもまずやってみなさい。少しは、私の言うこともわかるようになるかもしれない。
失礼なことばかり言いました。けれども、こんな乱暴な言い方でもしないことには、諸君は常にいい加減に聞き流すことに馴れて居る。諸君の罪だけではないけれども。
太宰とシルレル
今回紹介したエッセイで、太宰は「諸君は、今こそ、シルレルを読まなければなるまい」と書いています。「シルレル」というと、このエッセイとほぼ同時期に執筆された太宰の小説『走れメロス』の末尾にも、「(古伝説と、シルレルの詩から。)」と書かれていました。
「シルレル」とは、ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家であるヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)のこと。ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者です。劇作家として有名だが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詩が最も知られているように、詩人としても有名です。
シラーの書く詩は、非常に精緻かつ優美であるといわれ、「ドイツ詩の手本」として、今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒によって暗誦されているそうです。
■フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)
「先日、或る学生に次のようなシルレルの物語詩を語って聞かせたところ、意外なほどに、其の学生は喜んだ」と言う太宰ですが、太宰もシラーの詩を読んで、小説『走れメロス』を執筆しました。
『走れメロス』の元になった伝承は、古代ギリシャ・ピタゴラス派の教団員の間の団結の固さを示す逸話として発生したものと言われています。ピタゴラス派は、宗教・政治団体の性格を持つ秘密結社を組織しており、構成員は財産を共有して共同生活を行い、強い友愛の絆で結ばれていることで知られていました。
太宰は、ドイツ文学者・小栗孝則(1902~1976)が1937年(昭和12年)7月に翻訳した『新編シラー詩抄』(改造文庫)に収録されてる「人質」を参考に、『走れメロス』を執筆しました。小栗は、訳注に「メロスの友人の名がセリヌンティウスである」ということを記しており、太宰の言う「古伝説」とは、これを指しています。
小栗が翻訳した「人質」を、以下に引用します。なお、旧仮名づかいは、新仮名づかいに改め、旧字体で書かれているものは、原則として新字体に改めました。
「人質」訳詩
暴君ディオニスのところに
メロスは短剣をふところにして忍びよった警吏 は彼を捕縛した
「この短剣でなにをするつもりか? 言え!」
険悪な顔をして暴君は問いつめた
「町を暴君の手から救うのだ!」
「磔 になってから後悔するな」――
「私は」と彼は言った「死ぬ覚悟でいる
命乞いなぞは決してしない
ただ情けをかけたいつもりなら
三日間の日限をあたえてほしい
妹に夫をもたせてやるそのあいだだけ
その代り友達を人質として置いておこう
私が逃げたら、彼を絞め殺してくれ」
それを聞きながら王は残虐な気持で北叟笑 んだ
そして少しのあいだ考えてから言った
「よし、三日間の日限をおまえにやろう
しかし猶予はきっちりそれ限りだぞ
おまえがわしのところに取り戻しに来ても
彼は身代りとなって死なねばならぬ
その代り、おまえの罰はゆるしてやろう」
さっそくに彼は友達を訪ねた。「じつは王が
私の所業を憎んで
磔の刑に処すというのだ
しかし私に三日間の日限をくれた
妹に夫をもたせてやるそのあいだだけ
君は王のところに人質となっていてくれ
私が縄をほどきに帰ってくるまで」
無言のままで友と親友は抱きしめた
そして暴君の手から引き取った
その場から彼はすぐに出発した
そして三日目の朝、夜もまだ明けきらぬうちに
急いで妹を夫といっしょにした彼は
気もそぞろに帰路をいそいだ
日限のきれるのを怖れて
途中で雨になった、いつやむともない豪雨に
山の水源地は氾濫し
小川も河も水かさを増し
ようやく河岸にたどりついたときは
急流に橋は浚 われ
轟々とひびきをあげる激浪が
メリメリと橋桁 を跳ねとばしていた
彼は茫然と、立ちすくんだ
あちこちと眺めまわし
また声をかぎりに呼びたててみたが繋舟 は残らず浚 われて影なく
目ざす対岸に運んでくれる
渡守りの姿もどこにもない
流れは荒々しく海のようになった
彼は河岸にうずくまり、泣きながら
ゼウスに手をあげて哀願した
「ああ、鎮めたまえ
荒れくるう流れを!
時は刻々に過ぎてゆきます、太陽もすでに
真昼時です、あれが沈んでしまったら
町に帰ることが出来なかったら
友達は私のために死ぬのです」
急流はますます激しさを増すばかり
波は波を捲 き、煽りたて
時は刻一刻と消えていった
彼は焦燥にかられた、ついに憤然と勇気をふるい
咆え狂う波間に身を躍らせ
満身の力を腕にかけて流れを掻きわけた
神もついに憐愍 を垂れた
やがて岸に這いあがるや、すぐにまた先きを急いだ
助けをかした神に感謝しながら――しばらく行くと突然、森の暗がりから
一体の強盗が踊り出た
行手に立ちふさがり、一撃のもとに打ち殺そうといどみかかった
飛鳥のように彼は飛びのき
打ちかかる弓なりの棍棒を避けた
「何をするのだ?」驚いた彼は蒼くなって叫んだ
「私は命の外には何も無い
それも王にくれてやるものだ!」
いきなり彼は近くの人間から棍棒を奪い
「不憫だが、友達のためだ!」
と猛然一撃のうちに三人の者を
彼は仆 した、後の者は逃げ去った
やがて太陽が灼熱の光りを投げかけた
ついに激しい疲労から
彼はぐったりと膝を折った
「おお、慈悲深く私を強盗の手から
さきには急流から神聖な地上に救われたものよ
今、ここまできて、疲れきって動けなくなるとは
愛する友は私のために死なねばならぬのか?」
ふと耳に、潺々 と銀の音色のながれるのが聞こえた
すぐ近くに、さらさらと水音がしている
じっと声を呑んで、耳をすました
近くの岩の裂け目から滾々 とささやくように
冷々とした清水が涌きでている
飛びつくように彼は身をかがめた
そして焼けつくからだに元気を取りもどした
太陽は緑の枝をすかして
かがやき映える草原の上に
巨人のような木影をえがいている
二人の人が道をゆくのを彼は見た
急ぎ足に追いぬこうとしたとき
二人の会話が耳にはいった
「いまごろは彼が
磔にかかっているよ」
胸締めつけられる想いに、宙を飛んで彼は急いだ
彼を息苦しい焦燥がせきたてた
すでに夕映の光りは
遠いシラクスの塔楼のあたりをつつんでいる
すると向うからフィロストラトスがやってきた
家の留守をしていた忠僕は
主人をみとめて愕然とした
「お戻りください! もうお友達をお助けになることは出来ません
いまはご自分のお命が大切です!
ちょうど今、あの方が死刑になるところです
時間いっぱいまでお帰りになるのを
今か今かとお待ちになっていました
暴君の嘲笑も
あの方の強い信念を変えることは出来ませんでした」――
「どうしても間に合わず、彼のために
救い手となることが出来なかったら
私も彼と一緒に死のう
いくら粗暴なタイラントでも
友が友に対する義務を破ったことを、まさか褒めまい
彼は犠牲者を二つ、屠 ればよいのだ
愛と誠の力を知るがよいのだ!」
まさに太陽が沈もうとしたとき、彼は門にたどり着いた
すでに磔の柱が高々と立つのを彼は見た
周囲に群衆が憮然として立っていた
縄にかけられて友達は釣りあげられてゆく
猛然と、彼は密集する人ごみを掻きわけた
「私だ、警吏!」と彼は叫んだ「殺されるのは!
彼を人質とした私はここだ!」
がやがやと群衆は動揺した
二人の者はかたく抱き合って
悲喜こもごも気持で泣いた
それを見て、ともに泣かぬ人はなかった
すぐに王の耳にこの美談は伝えられた
王は人間らしい感動を覚えて
早速に二人を玉座の間に呼びよせた
しばらくはまじまじと二人の者を見つめていたが
やがて王は口を開いた。「おまえらの望みは叶ったぞ
おまえらはわしの心に勝ったのだ
信実とは決して空虚な妄想ではなかった
どうかわしをも仲間に入れてくれまいか
どうかわしの願いを聞き入れて
おまえらの仲間の一人にしてほしい」
大まかなストーリーは『走れメロス』にそのまま受け継がれていますが、有名な冒頭「メロスは激怒した。」などの印象的なフレーズは、太宰の創作であることが分かります。太宰が細部に凝らした創作部分を、『走れメロス』と読み比べながら探してみるのも面白いのではないでしょうか。
また、『走れメロス』を執筆するにあたって、インスピレーションを与えたのではないか?と言われている「熱海事件(付け馬事件)」と呼ばれる事件も、1936年(昭和11年)12月末に起こっています。
【了】
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【参考文献】
・小栗孝則 訳『新編シラー詩抄』(改造文庫、1937年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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