記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】1月25日

f:id:shige97:20191205224501j:image

1月25日の太宰治

  1940年(昭和15年)1月25日。
 太宰治 30歳。

 一月二十五日付発行の「三田新聞」に「心の王者」を発表した。

『心の王者』

 「三田新聞」は、1917年(大正6年)に慶應義塾大学で創刊された、日本で最初の学生新聞です。創刊号の一面中央には、創設者・福沢諭吉の「慶應義塾は一所の学塾として…」を掲げ、創刊の言葉には「三田輿論(よろん)を喚起し、慶應義塾の一報道機関たるべし」と述べられています。これから50余年にわたり、「東洋創始」のスローガンを常に紙面に掲げ、三田新聞会によって継続・発行されました。
 エッセイ『心の王者』は、学生の依頼に応じる形で執筆され、1月上旬頃に脱稿。「三田新聞」第四百二十八号の第五面に発表されました。

心の王者

 先日、三田の、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。私は生憎(あいにく)加減が悪くて寝ていたのですが、ちょっとで済む御話でしたら、と断って床から抜け出し、どれたの上に羽織を羽織って、面会いたしました。お二人とも、なかなかに行儀がよろしく、しかもさっさと要談をすまし、たちどころに引上げました。
 つまり、この新聞に随筆を書けという要談であったわけです。私から見ると、いずれも十六七くらいにしか見えない温厚な少年でありましたが、それでもやはり廿(にじゅう)を過ぎて居られるのでしょうね。どうも、此頃(このごろ)、人の年齢のほどが(わか)らなくなってしまいました。十五の人も三十の人も四十の人も、また(ある)いは五十の人も、同じことに怒り、同じことに笑い興じ、また同様に少しずるく、また同様に弱く卑屈で、実際、人の心理ばかりを見ていると、人の年齢の差別など、こんぐらかって来てわからなくなり、どうでもいいようになってしまうのであります。先日の二人の学生さんだって、十六七には見えながら、その話振りには、ちょいとした駆引などもあり、なかなか老成していた箇所がありました。いわば、新聞編集者として既に一家を成していました。お二人が帰られてから私は羽織を脱ぎ、そのまま又布団の中にもぐりこみ、それから(しばら)く考えました。今の学生諸君の身の上が、なんだか不憫(ふびん)に思われて来たのであります。
 学生とは、社会のどの部分にも属しているものではありません。また、属してはならないものであると考えます。学生とは本来、青いマントを羽織ったチャイルド・ハロルドでなければならぬと、私は頑迷にも信じている者であります。学生は思索の散歩者であります。青空の雲であります。編集者に成りきってはいけない。役人に成りきってはいけない。学者にさえなりきってさえいけない。老成の社会人になりきることは学生にとって、恐ろしい堕落(だらく)であります。学生自らの罪ではないのでしょう。きっと誰かに、そう仕向けられているのでしょう。だから私は不憫だと言うのであります。
 それでは学生本来の姿は、どのようなものであるか。それに対する答案として、私はシルレルの物語詩を一篇、諸君に語りましょう。シルレルはもっと読まなければいけない。
 今のこの時局に(おい)ては尚更、大いに読まなければいけない。おおらかな、強い意志と、努めて明るい高い希望を持ち続ける為にも、諸君は今こそシルレルを思い出し、これを愛読するがよい。シルレルの詩に、「地球の分配」という面白い一篇がありますが、その大意は、(およ)そ次のようなものであります。
「受取れよ、この世界を!」と神の父ゼウスは天上から人間に号令した。
「受取れ、これはお前たちのものだ。お前たちにおれは、これを遺産として、永遠の領地として、贈ってやる。さあ、仲良く分け合うのだ。」その声を聞き、(たちま)ち先を争って、手のある限りの者は右往左往、おのれの分前(わけまえ)を奪い合った。農民は原野に境界の(くい)を打ち、其処(そこ)を耕して田畑となした時、地主がふところ手して出て来て、さて(うそぶ)いた。「その七割は俺のものだ。」また、商人は倉庫に満す物貨を集め、長老は貴重な古い葡萄酒(ぶどうしゅ)を漁り、公達(きんだち)は緑したたる森のぐるりに早速(なわ)を張り(めぐ)らし、そこを己れの楽しい狩猟と逢引の場所とした。市長は巷を分捕り、漁人は水辺におのが居を定めた。総ての分割の、とっくにすんだ後で、詩人がのっそりやって来た。彼は(はる)か遠方からやって来た。ああ、その時は何処(どこ)にも何も無く、すべての土地に持主の名札が貼られてしまっていた。「ええ情ない!なんで私一人だけが皆から、かまって貰えないのだ。この私が、あなたの一番忠実な息子が?」と大声に苦情を叫びながら、彼はゼウスの玉座の前に身を投げた。「勝手に夢の国で、ぐずぐずしていて、」と神はさえぎった。「何も俺を(うら)むわけがない。お前は一体何処にいたのだ。皆が地球を分け合っているとき。」詩人は答えた。「私は、あなたのお傍に。目はあなたのお顔にそそがれて、耳は天上の音楽に聞きほれていました。この心をお許し下さい。あなたの光に陶然(とうぜん)と酔って、地上の事を忘れていたのを。」ゼウスは其の時やさしく言った。「どうすればいい?地球はみな呉れてしまった。秋も、狩猟も、市場も、もう俺のものでない。お前が此の天上に、俺といたいなら時々やって来い。此所はお前の為に空けて置く!」
 いかがです。学生本来の姿とは、即ち此の神の寵児(ちょうじ)、此の詩人の姿に違いないのであります。地上の営みに於ては、何の誇るところが無くっても、其の自由な高貴の憧れによって時々は神と共にさえ住めるのです。
 此の特権を自覚し給え。この特権を誇り給え。何時迄も君に具有している特権ではないのだぞ。ああ、それはほんの短い期間だ。その期間をこそ大事になさい。必ず自身を汚してはならぬ。地上の分割に(あずか)るのは、それは学校を卒業したら、いやでも分割に与るのだ。商人にもなれます。編集者にもなれます。役人にもなれます。けれども、神の玉座に神と並んで座ることの出来るのは、それは学生時代以後には決してあり得ないことなのです。二度と帰らぬことなのです。
 三田の学生諸君。諸君は常に「陸の王者」を歌うと共に、又ひそかに「心の王者」を以て自任しなければなりません。神と共にある時期は君の生涯に、ただ此の一度であるのです。

 エッセイの中に登場する陸の王者とは、堀内敬三作の慶應義塾大学応援歌。
 ちなみに、同年に発表された『善蔵を思う』(1940年4月)の中にも「この薔薇(ばら)の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った」と、「心の王者」というフレーズが登場しています。

 【了】

********************
【参考文献】
・東郷克美 編『別冊国文学№47 太宰治辞典』(學燈社、1994年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】