6月27日の太宰治。
1947年(昭和22年)6月27日。
太宰治 38歳。
山崎富栄、六月二十七日の日記。
「太宰さんと旅をする」
今日は、1947年(昭和22年)6月27日付の山崎富栄の日記を引用して紹介します。
六月二十七日
太宰さんと旅をする。
九時三十分の待ち合わせ。奇妙に表に出るとパッタリお逢いする。あなたが、あまり愛しすぎるので、昨日の朝から私はM。黒いスカートに白のブラウスで、御出立 も颯爽 と東京へ。車中で加納さんにお逢いする。太宰さんのお顔が一瞬赤くなる。丸ビル内の喫茶店で三人談話。駅の前から別れ。京橋でコンテさんに逢い、一時半頃家に帰る。
髪をまとめていると、太宰さんも帰られ、千草へいく。
伏目勝ちのお顔。ポカンとした様なときの美しい横顔。好き!
ポリゴン社からの”お土産があるよ”と戴 く。嬉しい一日。
「加納さん」とは、小山書店の編集部員・加納正吉。1944年(昭和19年)、太宰に『津軽』を執筆するための津軽旅行を勧めた人物です。
「コンテさん」とは、富栄の友達・宮崎晴子のニックネームでした。晴子は、富栄の「遺書」にも、その名前が登場します。
「ポリゴン社からの”お土産があるよ”と戴く」とは、1947年(昭和22年)6月10日付、日記が書かれた17日前にポリゴン書房から刊行された短篇集『
この短篇集『
太宰は、この『
『
姥捨 』あとがき
この短篇集を通読なさったら、私の過去の生活が、どんなものであったか、だいたい御推察できるような、そのような意図を以て編んでみた。ひどい生活であったが、しかし、いまの生活だってひどいのである。そうして、これから、さらにひどい事になりそうな予感さえあるのである。
巻末の「千代女」は、私の生活を書いたものではないが、いまの「文化流行」の奇現象に触れているようにも思われるので、附け加えて置いた。
昭和二十二年早春
太宰から「ポリゴン社からのお土産」を貰った富栄は、太宰と出逢う前の「過去の生活」に想いを馳せながら、この短篇集に目を通したのでしょうか。
【了】
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【参考文献】
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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