記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月1日

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5月1日の太宰治

  1947年(昭和22年)5月1日。
 太宰治 37歳。

 五月一日付、山崎富栄の日記。

富栄、薄ら寒い夜の記憶

 今日は、太宰の愛人・山崎富栄の5月1日付の日記を紹介します。
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五月一日

“単なる友達として異性と遊ぶことすら、現代の若人にはできない。幸せを得ることを知らない”――これは二週間ほど前の頃であったろうか、津軽の故郷から、御上京なさった御親戚の青年お二人と、御一緒に御逢いしたときの御言葉である。あの時は、丁度 depen-dents house の帰路で、薄ら寒い夜だったと記憶している。案外渋いネクタイ(紺地にサイコロのような感じのする模様のある)の好みに、ちょっとお顔を見直してから、いろいろ想像を(たくま)しくしてみたものだった。
 愛情というものは、嫌いでない人以外には度重なるうちに、自然に身に染み込んできてしまうものであろうか。型破り(悪い意味でなく)な先生の性格に引きずられてしまったものであろうか。キザなようだけれども、先生はいいものをたくさんもっておられる。
 好きだ!
亀井先生に、うなぎやさんでお目にかかる。早川さんと御一緒。一度、省線の中で、夜遅くおみかけしたことがあったのと、亀井先生のお書きになった島崎藤村の御写真とで、それと知る。評論家と、作家との原稿一枚の値がどうの……とは。食べねば生きていかれない人間なんですものね。サルトルという作家の名前を知る。岡本かの子の、生々流転のことどもや、いい人でしょう、と紹介された私のこと。大きなグラスに盛られたビール。ウィスキーに入れた炭酸。

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亀井勝一郎

「お酒を飲んで、もうこれ以上飲むと道に寝てしまうという頂点になると、彼はいつもクシャミをするんですよ。風邪ではありませんよ。貴女、よく覚えておきなさい」
 温かい雰囲気、御送りする。

  「うなぎやさん」は、太宰の行きつけ、三鷹のうなぎ屋「若松屋のことでしょうか。「ウィスキーに入れた炭酸」は、まさに、現代でも人気のハイボールです。

 酔った太宰を送る富栄に、亀井がかけた「お酒を飲んで、もうこれ以上飲むと道に寝てしまうという頂点になると、彼はいつもクシャミをするんですよ。風邪ではありませんよ。貴女、よく覚えておきなさい」という言葉。
 太宰の妻・津島美知子『回想の太宰治に、次のように書いています。
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 酒が飽和点に達すると、くしゃみを連発した。そろそろ始まる頃だなと思っていると、会話を吹きとばすような大きなくしゃみ、続いてあとからあとから発作のように出る。これは酒が五体の隅々まで十分いきわたり、緊張がすっかり解けた合図のようなもので、この時点を越して痛飲すると客人のことはかまわずにその場に倒れて眠ってしまいます。顔の真上に電灯が煌々と輝いていても泥のような深い眠りに落ちている。その寝顔を見ると、このような、神経がすっかり麻痺した状態になりたいために飲む酒なのか――と思われた。太宰はいつも「酒がうまくて飲むのではない」と言う。酒飲みの心理は、わかるようなわからないような、味わうより酔うために飲むのだとの意味であろうか。

 太宰と富栄が出会って、約一ヶ月後。富栄の「薄ら寒い夜」の記憶についての日記でした。

●太宰と富栄がはじめて出逢った1947年(昭和22年)3月27日については、以下の記事で紹介しています。

 【了】

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【参考文献】
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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