記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】11月26日

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11月26日の太宰治

  1940年(昭和15年)11月26日。
 太宰治 31歳。

 十一月二十五日付発行の「帝国大学新聞」に「独語いつ時」(のち「かすかな声」と改題)を発表した。

『かすかな声』

 今日は、太宰のエッセイ『かすかな声』を紹介します。
 『かすかな声』は、1940年(昭和15年)11月上旬頃に脱稿。同年11月25日発行の「帝国大学新聞」第八百三十三号の第七面に『独語いつ時』の題で発表されました。

『かすかな声』

 信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。

 信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。

 信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえに人に笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜

 だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。

 不平を言うな。だまって信じて、行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。

 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。

「生活とは何ですか。」
「わびしさを堪える事です。」

 自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。

「敗北とは何ですか。」
「悪に媚笑(びしょう)する事です。」
「悪とは何ですか。」
「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。」
 議論とは、往々にして妥協したい(、、、)情熱である。

「自身とは何ですか。」
「将来の燭光を見た時の心の姿です。」
「現在の?」
「それは使いものになりません。ばかです。」

「あなたには自信がありますか。」
「あります。」

「芸術とは何ですか。」
「すみれの花です。」
「つまらない。」
「つまらないものです。」

「芸術家とは何ですか。」
「豚の鼻です。」
「それは、ひどい。」
「鼻は、すみれの匂いを知っています。」

「きょうは、少し調子づいているようですね。」
「そうです。芸術は、その時の調子で出来ます。」

 

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 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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