記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】11月25日

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11月25日の太宰治

  1946年(昭和21年)11月25日。
 太宰治 37歳。

 坂口安吾織田作之助と、改造社主催の座談会に出席した。この記録は、「改造」には未掲載のまま、昭和二十四年一月一日付発行の「読物春秋」新年増大号に「歓楽極りて哀情多し」と題して掲載された。帰途、坂口安吾織田作之助改造社の西田義郎などと銀座裏の「葵」で喫茶し、徳田一穂らと出逢った。さらに同日、坂口安吾織田作之助などと、銀座の並木通りを入った酒場「ルパン」に行った。写真家の林忠彦が現れ、皆の写真を撮った。

『歓楽極まりて哀情多し』

 1946年(昭和21年)11月25日、3日前に行われた実業之日本社主催の座談会に引き続き、銀座にある出版社・改造社の主催で、無頼派(ぶらいは)を代表する作家である太宰治坂口安吾織田作之助の3人による座談会が開催されました。
 座談会のテーマ歓楽(かんらく)(きわ)まりて哀情(あいじょう)(おお)し』とは、中国、前漢武帝の詩秋風辞(しゅうふうのじ)から取られた言葉で、「喜び楽しむことが極まると、かえって悲しみの情が生じる」という意味です。
 さて、座談会の行方や、如何に……。

『歓楽極りて哀情多し』

 坂  口    安  吾
 太    宰     治
 織 田 作 之 助

 

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■左から坂口安吾太宰治織田作之助

 

編集部 偶然にも今度、織田さんが大阪から来られて、また太宰さんは疎開先から帰って来られましたので、本当にいい機会ですから、今日の座談会は型破りというところで、ご自由に充分お話していただきたいと思います。

 小股のきれあがった女とは――

坂口 自然に語るんだね。
太宰 座談会をやることはぼくたちの生命ではない。政治家とか評論家とか、これが座談会を喜んでやる、生命なんです。ぼくは安吾さんにも織田君にも会って、飲むというだけの気持で出て来たのだよ。……傑作意識はいかん。
坂口 四方山話をしよう。
太宰 もっと傾向がウンと違った、仕様のない馬鹿がここにもう一人いると、また話が弾むことがあるかも知れない。
坂口 ぼくが最初に発言することにしよう。この間、織田君がちょっと言ったんで聞いたんだけれど、小股のきれあがった女というのは何ものであるか、そのきれあがっているとは如何なることであるか、具体的なことが判らぬのだよ。それはいったい、小股のきれあがっているというのは(そもそ)も何んですか!
太宰 それは井伏さんの随筆にもあったね。ある人に聞いたら、そいつはこれだ、アキレス腱だ。(脚を(たた)いて)アキレス腱だ。それがきれあがったんだね。
織田 だから走れないのだね。
坂口 ハイ・ヒールを穿いた……。
織田 ぼくは、背の低い女には小股というものはない、背の高い女は小股というものを有っていると思うのだ。
坂口 しかし、小股というのはどこにあるのだ?
太宰 アキレス腱さ。
坂口 どうも文士が小股を知らんというのはちょっと恥しいな。われわれ三人が揃っておって……。
織田 小股がきれあがったというけれども、小股がきれあがったというのは名詞でないのだ。形容詞なんだ。
太宰 だけどね。まア普通に考えれば、小股というのは、つまりぐっと脚が長くて……。
坂口 やはり、この間織田がそう言ったのだよ。そうすると、脚が長いとイヤなものですかね、女というものは? しかし、脚が長いだけでは……。
太宰 そういうものでもないのだよ。
坂口 和服との関係だね。脚が長ければ裾が割れてヒラヒラするね。歩き方と露出する部分との関係、そういうものではないかなア……。
織田 非常に中年的なものだ。だから中学生が小股のきれあがった女に恋したというのはあまりない。
坂口 だけど、まだ小股のきれあがった女というものは判らない、どんなものか?
織田 判らないけれども、知っているんじゃないか。ぼくは眉毛が濃いということも一つの条件だとするね。
太宰 何かエロチックなものを感じさせるのに、大根脚というものがあるでしょう、こっちの足首まで同じ太さのがあるね、ああいうのが案外小股のきれあがったのかも知れんよ……。
織田 しかし、それは小股のたれさがったというのだよ。あれが日本人の……。
坂口 脚が長いという感じが伴わないといかんね。
太宰 安井曾太郎(やすいそうたろう)やなんかの裸体は、お湯へ入って太く短くなって見えるでしょう。画家が好んでああいうものを描くでしょう。
織田 洋画家は(よろこ)ぶね。
太宰 エロチシズムはやはり若いような気がするね。風呂へ入ってバアッと拡がった脚がボッサリしていて、それこそ内股の深く(えぐ)られている感じの女は、裸にするとインワイではなくて、却って清潔な感じがする。
坂口 しかし、日本の昔の女にたいする感覚というのは、非常に肉体的でインワイなものだね。だいたいにおいて、精神美というものは何もないね。
太宰 ウン、芸者だとか娼婦だとかのいろいろな春画なんか、まるでいかんね。
坂口 ウン、まるでイカンね(傍らの女将に)あなた方は、小股のきれあがった女というのは、どういう風に考える、どういうことですか? 小股というのはどこにあるの?
女将 どこを言うんでございましょうね、判りませんわ。
太宰 アキレス腱だという説があるのだが。
女将 ハッキリしたひとを言うんじゃないでしょうか。
織田 ハッキリというのはどういうことですか?
女将 グジャついていない。
太宰 キッパリ。黙阿弥(もくあみ)ト書(とがき)にあるキッパリ。そうすると今の〇子なんぞ、だが、小股がきれあがってるのかね。
女将 そうなんでしょうね……。
太宰 今の女形で小股のきれあがっているのは誰だろう……。
織田 花柳(はなやぎ)なんかではないでしょうか。章太郎、――そうだろうね、あれはガラガラとした声で……。ぼくはいつか花柳章太郎(はなやぎしょうたろう)の楽屋へ行ったのだよ。「蛍草」という鷗外さんの芝居で出を待っている。腰巻を出して寝床を敷いてるんでね。辟易(へきえき)したよ。僕はやはり小股のきれあがった感じを受けたね。ガラガラした声でね。
坂口 鐵火(てっか)とも違うね。もっと色っぽいところがあるようだね。
太宰 鐵火(てっか)は大股だよ。
女将 河合さんがやった女形の方が小股のきれあがった感じが出ますね。
織田 大股、小股という奴があるわけだね。

 

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太宰治(1909~1948) 青森県北津軽郡金木村生まれ。本名、津島修治。左翼運動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格などがある。右端に写っている背中は、坂口安吾。撮影:林忠彦

 


 いなせな男

太宰 男にないかしら、小股のきれあがった男というのはないかね。
織田 結局苦み走った、というのだろう。
女将 いなせなところのある……。
織田 苦みというのはどういうものかな。この男は苦いとか、甘いとかいうのは?
坂口 それは精神的なものだね。
織田 精神的だというけれども、女のひとは精神的な男が好きなようです。
坂口 やはり眉に来るな。額――、僕は額に来ると思うな。昔の江戸前で、何か額の狭いということを言うね。ああいう感じだね。狭い。
太宰 額の狭いというのは非常に魅力なんだよ。
坂口 江戸前の男を額の狭いという。あいつは苦み走った、額が狭くて眉の太い――……。
太宰 いい容貌。
織田 春画を見ても額の広い春画は出て来ないね。
太宰 春画が出ちゃ敵はねえ。
坂口 近ごろ皆額が広くなったからね、われわれ見当がつかなくなった。
太宰 しかし、一時日本の美学で額が広いのは色男だということがありましたね。ぼくの知っている文学青年で判ったんだね。判ったら月代(さかやき)のようになって、そいつを月代(さかやき)といって笑ったけれども……。
織田 しかし、額が狭いという江戸時代の日本的美学というものは面白いね。
太宰 いいね。額があがっちゃ敵はねえよ。「婦系図(おんなけいず)」の主税(ちから)なんかでも、飽くまでも額が狭い。(額に手をかざして)ここから……。
坂口 職人の感じだね。左官とか、大工とか、そういう……。
女将 め組の辰五郎とか。
織田 一番女にもてる人種だよ。
坂口 近頃はもてないよ。新円でもてるかも知れないが。

 どんな女がいいか

坂口 女の魅力は東京よりか大阪にあるような気がするね。女というものは、本質的なものはないからな、やはり付焼刃の方が多いんじゃないかなあ。
織田 ぼくは大阪によらず、東京によらずだね……。
太宰 女は駄目だね。
坂口 ぼくは徹頭徹尾女ばかり好きなんだがな。
織田 ぼくはどんな女がいいか、――と訊かれたって、明確に返答出来ないね。
坂口 君はいろいろなことを考えているからな。形を考えたり……、着物を考えたり……。
織田 いやいや。その都度好きなんだよ。いま混乱期なんだ。前はやはり飽くまで背が高くて、痩せてロマンチックだとか、いろいろ考えていたけれども、今はもう何でもいい。
太宰 おれは乞食女(こじきおんな)と恋愛したい。
坂口 ウン。そういうのも考えられるね。
織田 もう何でもいいということになるね。
坂口 ぼくは近ごろ八つくらいの女の児がいいと思うな。
太宰 そういうのは疲れ果てた好色の後の感じで、源氏物語の八つくらいの女の児を育てるとか、裏長屋のおかみとか、そういうのは疲れ果てた好色の後だな。
坂口 インワイでないね、源氏物語は……。
太宰 可哀想ですよ、あの光源氏というのは……。
坂口 インワイという感じがない。
太宰 何もする気がないのだよ。ただ子供にさわってみたり、あるいは継母の……。
坂口 醜女としてみたり……。
織田 自分の母親に似た女にほれるとか、自分の好みは、前の死んだ女房に似ているとか……。
太宰 却ってああいうのはインランだね。したいんだけれど、ただこじつけて死んだ女房に似ているという、あれはあわれだな、ああいうのは……。
坂口 それはね、調子とか、何か肉体的な健康というものはあるのだよ。それはちょっとわれわれ三人は駄目だと思うな。落第生だよ。
織田 しかし、われわれはあわれではないよ。お女郎屋へ行って、知っている限りの唄を歌ったり……。
太宰 ウン、唄を歌ってね……。
織田 しかし、ああいうのはやはりいじらしいよ。
太宰 歌うのは、酒を二杯飲めばもう歌っている。歌いたくて仕様がない。二杯飲めば……。

 歓楽極まりて哀情多し

坂口 「歓楽極まりて哀情多し」というのは芸術家でないとね。凡人にはちょっとないね。
太宰 歌が出るのは健康だね。
織田 新婚の悲哀。
坂口 哀情は出るね、ああいうやつは必ずあわれだよ。
太宰 料理屋から出てくるでしょう。それから暗い路へ出て、「今日は愉快だったね」というだろう。ぼくはあれを見ると、実は情けないのだ。「今日は愉快だったね」っていうのが……。
織田 何か、「おい頑張れ」なんかともいうだろう、あれはいったい、何を頑張るんだよ。
太宰 それをやったよ。
坂口 まだ頑張れの方がいい。哀情というのがなおいかんね。
太宰 ああいう人達は寂しいのだね。それだから、「今日は愉快だったね」というんだろうね。
織田 寂しいのだよ。
太宰 温泉なんかへ行くだろう。すぐ宿のハガキを取寄せて書いているのだ。
坂口 あれが実に名文なんだよ。宿屋のハガキで書くのが、ぼくらなんかよりずっと文章が巧いよ。そういう文章の巧さでいったら、ぼくら悪文だよ。
織田 大悪文だ!
太宰 殊にぼくなんか。
坂口 女房や子供を説得する力というものはぼくらの領分ではないよ。
織田 文章だけでなしに、何につけても……。「ここがよかったら、もう一度来い」なんていわれて、また想い出して行くなんというのは、実際あわれだね。(笑声)
太宰 絵はがきの裏に、「ここへまた来ました」なんて……。
織田 帰りに宿屋を立ち出る時に、女中の名前を訊いて、「また来るよ、来年必ず来る、覚えておいてくれ」とかいって……。
太宰 身の上話をしてね。
織田 名刺を出して……。
坂口 あれもなかなかいいところがあるものです。
太宰 ぼくは身の上話というのはイヤだね。
坂口 あれはいいものだよ。
織田 いいものといっても一種の技巧だよ。身の上話を聴いてやる男は、必ず成功するよね。

 

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織田作之助(1913~1947) 大阪府大阪市南区生まれ。「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。夫婦善哉で作家としての地位を確立。短編を得意とし、出身地である大阪にこだわりを持ち、その作品には大阪庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれている。ほか主な作品に『青春の逆説』『土曜夫人』などがある。撮影:林忠彦



 振られて帰る果報者

坂口 ところが、太宰さんは関西を何も知らない。静岡までしか行かないからね。ぼくは関西好きだな……。
織田 関西か――。
坂口 しかし、実際ぼくはね、関西へ行った感じでいうと、祇園に誰かが言った可愛いい女の子というのはいなかった。三十何人か会ったうち、二十七人ぐらいは見た。しかし、一人もいい子はいなかったよ、あの時はね。
織田 ポント町の方が居ります。
坂口 そう……。
太宰 気品というものは却ってある。
坂口 二流に気品をもっていますね。
織田 木屋町なんかにはいますね。一番雇女(やとな)にいますね。まア不見転(みずてん)芸者みたいなものだけれども……。
坂口 月極(つきぎ)めという制度があるの?
織田 月極めはない。雇女(やとな)はその都度。それは芸者だよ。
坂口 雇女(やとな)は月極めで来るんじゃないか。
織田 あれはその都度。芸者が月極めなんですよ。東京の人はそれを知らないから……。
坂口 だからぼくは勘違いしておった。
織田 祇園なんかへ行くでしょう。お茶屋の女将が、「泊りなさい」とかいって、それから歌麿のような女が寝室へ案内に出て、何か紅い行燈の火が入ってるところで、長襦袢なんかパアパアさせて、そのまますぐ「サイナラ」といって帰って行く、あれはちょっと残酷な響だよ。
坂口 怖い響だね、「サイナラ」という響はね……。
織田 その時は薄情に聞える。
太宰 女郎は「お大事に」というね。
織田 「サイナラ」でも、惚れている男に言うのと惚れていない男に言うのと大分違うね。その都度違うね。蛇蝎(だかつ)のように女に嫌われていると……。
太宰 嫌われた方がいいな。
織田 嫌われる方が一番いいんじゃない。
太宰 振られて帰る果報者か……。
坂口 もてようという考えをもっては駄目だよ。ところで、これが人間のあさましさだな、やはりもてない方がいい。ところが、京都へ行くと、そういうことを感じなくなるね。ああいうところへ行くとおれみたいな馬鹿なやつでも、もてようとか、えらくなろうとか、という感じを持てなくなってしまって、なんかこう流水のような、自然にどうにでもなりやがれ、という感じになってしまう。
織田 いま、一銭銅貨というものはないけれども、ああいうものをチャラチャラずぼんに入れておいて、お女郎がそれを畳むときに、バラバラとこぼれたりするだろう、そうするともてる。
太宰 どうするの?
織田 こいつは秘訣だよ。
太宰 一銭銅貨を撒くの?
織田 ポケットに入れておいて、お女郎がそれを畳もうとすると、バラバラこぼれるだろう。それがもてるんですよ。
太宰 ウソ教えている。
織田 百円札なんか何枚もあるということを見せたら、絶対にもてないね。
太宰 ウソ教えている。
坂口 そういう気質はあるかも知れない。京都でびっくりしたのは、一皮剝くというやつがある。例えば祇園の女の子なんか一皮剝かないと美人になれないという。七ツ八ツのやつを十七八までに一皮むくんだね。ほんとにむけるそうだよ。むけるものだ。渋皮がむけるというのは、きっとそれだと思う。しかし、こすってるそうだよ。検番の板場の杉本老人というのに聞いたんだが、ほんとうにこすっているそうだよ。姉さん芸者が子供を垢摩りでゴシゴシこすってるそうだよ。しかしね。こういう話は、現実的な伝説が多いので、割合にぼくは信用出来ないと思うけれどね。ヒイヒイ泣いてるそうだよ。痛がってね……。そういうことを言っていたのだよ……。

 女を口説くにはどんな手が……

織田 何かぼくら関西の話で、そういう伝説的なあれを聞くけれども、実際に見ないのだね。関西の言葉でも、「こういう言葉があるか」と訊かれたって、ぼくは聞かないのだね。京都弁より大阪弁の方が奥行があるのですよ。誰が書いても京都弁は同じだけれども、大阪弁は誰が書いても違う。同じなのは、「サイナラ」だけだと思いますね。
坂口 ぼくが君たちに訊きたいと思うことはね、日本の小説を読むと、女の方が男を口説いている。これはどういう意味かな。たいがいの小説はね。昔から男の方が決して女を口説いておらぬのだね。
織田 あれは作者の憧れだね。現実では……。
坂口 どうも一理あるな、憧れがあるというのは……。
太宰 でも、近松秋江(ちかまつしゅうこう)がずいぶん追駆けているね。荷車に乗ったりなんかしてね……。
坂口 現代小説の場合もたいがいそうだよ。女が男を口説いている。こういう小説のタイプというものは変なものだね。
織田 そう。健康じゃないね。
太宰 兼好法師にあるね。女の方から、あな美しの男と間違うて変な子供を生んでしまった。
坂口 すべての事を考え、ぼくたちの現実を考えて、男の方が女を口説かなかったら駄目だろう。
織田 ぼくらがやはり失敗したのはね、女の前で喋りすぎた。
太宰 ちょっと横顔を見せたりなんかして、口唇をひきつけて……。
坂口 日本のような口説き方の幼稚な国ではね、ちょっと口説き方に自身のあるらしいようなポーズがあれば、必ず成功するね。ぼくはそう思うね。日本の女というものは、口説かれ方をなんにも知らんのだからね……。
太宰 だから口説かれるんじゃないの……。
坂口 口説く手のモデルがない。男の方がなにももっていない。
織田 ぼくは友達にいったのだけれど、ここでひとつ教えてやろう。「オイ」といえばいいんだ……。「オイ」といえばね。
太宰 言ってみよう。それで失敗したら織田の責任だぞ。「オイ」なんて反対に殴られたりしちゃって……。

 素人と玄人と

坂口 ところで、祇園あたりはあれかい、舞妓というのにも旦那様があるのかい?
織田 ない。舞妓の旦那になるということはね。舞妓の水揚げをするというのだよ。舞妓自身は、……一本になるというか、衿替(えりかえ)とかね。それは判るんだよ。あの児はもう三月もすれば衿替えをするとか言ってね。
坂口 そういう生活費はどうなるの、あとはお前は誰に惚れてもいい、ということになるの?
織田 ならない。
坂口 やはり旦那様が?
織田 そう。素人のよさが出ていると思うね。
太宰 素人も何もちっとも面白くないじゃねえか。
坂口 やはり素人のよさがあるのだよ。あれは大変なものだ。
太宰 筋が?
坂口 君は玄人過ぎるんだよ。そういう点でね……。ぼくは半玄人だけれど、君は一番玄人だ。
太宰 井伏さんというのは玄人でしょう。「お前は羽織を脱がないからいけない」羽織を脱げ、芸人のように羽織を脱げ脱げというのだよ。
坂口 もっと素人だよ。もっと純粋の素人だけれど……。
織田 ぼくは人知れず死んで仰向けになって寝ているというのは好きなんだよ。
坂口 物語というのは作れないのだね、日本人というものは……。
太宰 そうなんですね。
坂口 太宰君なんか、君みたいな才人でも、物語というものは話に捉われてしまう。飛躍が出来ない。物語というものは飛躍が大切なんだ。
太宰 こんどやろうと思っているのですがね。四十になったら……。
坂口 飛躍しないと……。
太宰 ぼくはね、今までひとの事を書けなかったんですよ。この頃すこうしね、他人を書けるようになったんですよ。ぼくと同じ位に慈しんで――慈しんでというのは口幅(くちはば)ったい。一生懸命やって書けるようになって、とても嬉しいんですよ。何か枠がすこうしね、また大きくなったなアなんと思って、すこうし他人を書けるようになったのですよ。
坂口 それはいいことだね。何か温たかくなればいいのですよ。
織田 ぼくはいっぺんね、もう吹き出したくなるような小説を書きたい。ぼくは将棋だって、必ず一手、相手が吹き出すような将棋を差す。
坂口 一番大切なことは戯作者ということだね。面倒臭いことでなしに、戯作者ということが大切だ。これがむずかしいのだ。ひとより偉くない気持ち……。

 

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坂口安吾(1906~1955) 新潟県新潟市西大畑通生まれ。本名、坂口炳五(へいご)アテネ・フランセでフランス語を習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。主な作品に堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下などがある。撮影:林忠彦



 女が解らぬ、文学が解らぬ――

織田 ぼくは欠陥があって、()が解らない。
太宰 文学が解らぬ。女が解らぬ。
坂口 何もわからぬ。ぼくは今のインチキ絵師のものだけは解る。
太宰 三人はみなお人好しじゃないかと思うのだ。
織田 ウン、そうだ。
坂口 すべてひどい目にあって、――ひどい目にあいますよ。
織田 やがて都落ちだよ。一座を組んで……。
坂口 そんなことはないよ。おれが頑張ったら……。このおれが……。
太宰 あなた(坂口氏に)が一番お人好しだよ。好人物だ。
織田 今、東京で芝居しているけれども、やがてどっかの田舎町の……。
坂口 そうじゃないよ。太宰が一番馬鹿だよ。
織田 今に旅廻りをする。どっか千葉県か埼玉県の田舎の部落会で、芝居をしてみせる。色男になるよ。一生懸命に白粉を塗ってね。
編集部 大変お話しが面白くなってきましたが、今日はこのへんで、どうも。

  座談会終了後3人は、3日前に行われた日本実業出版社主催の座談会の時と同様に、再び銀座のバー「ルパン」へなだれ込みます。この時、写真家・林忠彦が3人の有名な写真を撮影しました。

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林忠彦(1918~1990) 山口県出身の写真家。太平洋戦争後の日本の風俗や文士、風景など多岐にわたる写真を撮影した。特に文士を撮影したものは有名で、銀座のバー「ルパン」で知り合った織田作之助太宰治坂口安吾の酒場での姿は、林忠彦の名を世に知らしめた。特に太宰のネクタイ姿の肖像写真が有名で、撮影の2年後、太宰が劇的な自殺を遂げたことで、使用注文が相次いだという。

 その後、太宰と安吾は、織田の宿泊する佐々木旅館へ立ち寄り、さらに飲み続けます。太宰は立て続けにタバコを吸い、織田はしきりにヒロポンを注射していたといいます。
 翌月の12月4日、織田は喀血。絶対安静状態となったために、この座談会の校正ができず、「改造」への座談会掲載は見送りとなりました。
 対談から3年後、時を経た1949年(昭和24年)1月1日付発行の「読物春秋」新年増大号に、歓楽(かんらく)(きわ)まりて哀情(あいじょう)(おお)し』と題して、はじめて掲載されました。

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■「銀座・ルパン 2017年、著者撮影。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・HP「坂口安吾デジタルミュージアム
・HP「平成の松下村塾
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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