8月17日の太宰治。
1941年(昭和16年)8月17日。
太宰治 32歳。
故郷の母
太宰、10年振りに故郷・金木へ
1941年(昭和16年)8月17日、故郷・金木町にいる母・津島
太宰はこの日、同い年で、青森県津軽地方(太宰は金木町、今は弘前市)生まれの同郷作家・
東京府下三鷹町下連雀一一三より
東京市世田谷区大原町一〇七〇
今官一宛
拝啓。
しばらく逢いません。きょうは、御高著を いただきました。装丁も成功しているように思いました。小生は、これから四、五日 旅に出ますが、今月末あたり、三鷹へ来ませんか。出版記念会に就いて、亀井と相談している事もあります。 不一。
■太宰と今 今は、太宰の文才を早くから見抜いたひとり。デビューの折、古谷綱武らの同人誌「海豹」に『魚服記』を推薦するなど、一貫して太宰のよき理解者だった。1947年(昭和22年)。撮影、伊馬春部。
1888年(明治21年)、15歳の時に婿養子・松木永三郎(当時17歳、後の津島源右衛門)と結婚。七男四女に恵まれます。温厚な父・惣五郎は、病弱のために家督を継がず、1889年(明治22年)に35歳でこの世を去りましたが、
■太宰1歳数か月頃 前列左から、母・
子沢山な上に、政治家の妻として多忙を極め、さらに村の婦人会や赤十字支部などの責任者にも推され、もともと小柄で虚弱体質の
1912年(明治45年)以降、源右衛門が衆議院議員に当選してからは、東京・東大久保に家を構え、源右衛門の生存中は東京で過ごす方が多くなりました。太宰が2歳の時です。
■津島源右衛門と
もともと津島家の経営は、「金木の淀君」と呼ばれた母・イシが取り仕切り、主婦の役目は、同居中の妹・キヱが引き受けていたため、
上京後の太宰が不祥事を起こす度に、母・イシから、お前の育て方が悪いと罵られ、まるで姑にいびられる嫁のように恐縮していたそうです。しかし、太宰のことを誰よりも気にかけていたのは
■結婚記念写真 太宰と津島美知子。井伏鱒二宅にて、1939年(昭和14年)撮影。
太宰が帰郷中、長兄・津島文治は上京中でしたが、義絶の身を気にして生家には宿泊せず、五所川原に住む叔母・キヱの家と、青森の親戚の家に泊まり、1週間後の8月24日に三鷹へ戻りました。
三鷹へ戻った2日後。太宰は、親友の山岸外史に宛てて、次のハガキを書いています。
東京府下三鷹町下連雀一一三より
東京市本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
御ぶさた申して居ります。
旅に出て仕事するつもりで居りましたら、故郷の老母が、たいへん衰弱しているとの事で、知人に連れられて、こっそり故郷へ老母に逢いに行きました。十年振りであいました。故郷のいろいろな人に逢いました。たいへん疲れて、一昨日かえりました。仕事をしなければならないので、疲れのなおり次第、また明日にでも旅に出るつもりです。行先は、まだきまって居りません。九月には、また本郷へ遊びに行きます。
■山岸外史
太宰は、この10年振りの帰郷を題材に、小説『帰去来』を執筆。
『帰去来』は、1943年(昭和18年)6月15日付発行の「八雲」第二輯「小説戯曲篇」に掲載されました。
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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