記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月17日

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12月17日の太宰治

  1922年(大正11年)12月17日。
 太宰治 13歳。

 十二月十二日、父源右衛門(げんえもん )が、貴族院議員となることが決定した。

源右衛門、貴族院議員に

 1922年(大正11年)。太宰が13歳で金木第一尋常小学校を卒業し、学力補充のために明治高等小学校に入学した年に、太宰の父・津島源右衛門げんえもん は、青森県多額納税議員の定員一名の補欠選挙で、納税額8,568円(現在の貨幣価値に換算すると、約12百万~14百万円)、貴族院議員有資格者中の第六位にいて、貴族院議員の「候補者」となりました。

 当時の貴族院多額納税議員は、県内の大地主15人の互選でした。
 話し合いによって、7年間の任期を2年・2年・3年と分割し、一期を3人でたらい回しにするのが慣習になっていたそうです。源右衛門は、前任者である宮川久一郎の「病気辞職」の後任でしたが、その任期は、1925年(大正14年)の任期いっぱいまで。最も長い3年勤務が約束されていました。

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■太宰の父、津島源右衛門

 同年12月12日の午前11時から、青森県庁で、選挙長・尾崎知事や関係官吏の立会いのもと投票が行われました。
 当時の「東奥日報」の報道によると、開票の結果は「予定の如く」15票中14票を獲得。次点の1票は「津島氏の投じたことは勿論」で、「満点の得点を以て当選」と見られ、貴族院議員となることが決定したといいます。
 選挙終了後の午後1時20分から、青森市の料亭金森楼(かなもりろう )で政友会青森県支部主催の当選祝賀会が開催されました。80余名が出席し、午後3時に散会となりました。

 当選決定の5日後、同年12月17日には、金木の津島家でも祝宴会が行われました。

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 源右衛門は、この数日後、同年12月20日頃に上京し、同年12月25日の帝国議会開院式に出席しています。しかし、流行性感冒にかかり、日増しに病状が悪化したため入院。感冒が全治した後も、発熱は衰えませんでした。
 翌1923年(大正12年)3月4日、東京市神田区小川町33番地の佐野病院に入院していた源右衛門の容態が急変し、午後4時に不帰の客となります。享年53歳。貴族院議員在任わずか4ヶ月目の出来事でした。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「日本円貨幣価値計算機
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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