記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】9月17日

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9月17日の太宰治

  1930年(昭和5年)9月17日。
 太宰治 21歳。

 小山初代へ、修治から、詳細な指示のもとに、「上京せよ」という便りがあった。

太宰、小山初代に「上京せよ」

 1930年(昭和9年)9月、太宰(本名:津島修治)が、東京帝国大学文学部仏文科へ進学するために上京したあと、小山初代の身辺では、前年1929年(昭和8年)9月に続いて再び、土地の有力者・菊池某による、落籍問題が再燃したため、初代との結婚を願う太宰は、切羽詰まった状況に追い込まれていったといいます。
 しかし、「津島家以外からの落籍の話など」全く無かったともいわれ、「菊池某による落籍問題」は、作り話である可能性も高いようです。

 太宰と初代は、1928年(昭和3年)8月、太宰が青森県弘前高等学校2年生の時に識り合い(太宰19歳、初代16歳)、次第に親しい仲になっていました。

 困った初代は、小舘保小舘善四郎の次兄)に依頼して手紙を書いてもらい(手紙を書いたのは、葛西信造との説も)、太宰に連絡します。これに対し、太宰から、詳細な指示のもとに、「上京せよ」という便りが届きました。

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東京帝国大学仏文科1年生のとき 左より中村貞次郎、太宰、葛西信造。

・初代の箪笥の中の着物を少しずつ持ち出し、減った分量だけ、底に新聞紙を入れて、厚く見せること。
・持ち出した着物は、「おもたか」の豆女中に預けること。
・すべての着物を持ち出したら、時を移さず出奔、上京すること。
・普段着のまま、買い物にでも出掛けるようにして、「玉家」を出ること。
・「玉家」では、すぐに気付き、東京に電報を打って、上野駅で待ち受けさせるに違いないから、一つ手前の赤羽駅で下車すること。
・決行は、9月30日。当日、青森発の夜行列車に乗ること。

 「おもたか」とは、青森市浜町の小さな料理屋で、太宰が初代と逢っていた場所です。この「おもたか」は、太宰の父・津島源右衛門や、長兄・津島文治が愛用していた料亭置屋「玉家」から角を曲がったところにありました。「おもたか」を選んだのは、文治の目を避けるためだと思われます。初代は、料亭置屋「玉家」のお抱えの芸妓でした。

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■芸者時代の初代(芸者名:紅子)

 上記の指示は、着々と実行に移され、持ち出された衣類は、「おもたか」で葛西信造が荷造りし、四谷区坂町の葛西信造、小舘保の借家に、数度にわたって送られたといいます。

 同年9月30日、「決行の日」
 箪笥の中は新聞紙ばかりで、上に風呂敷1枚を被せただけになっていました。
 初代は「玉家」に電話をして、野沢なみに足袋やハンカチなどを駅まで持って来させ、太宰の待つ東京を目指して、夜行列車に乗って青森駅を発ちました。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
長部日出雄『辻音楽史の唄』(文春文庫、2003年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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