記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#256「家庭の幸福」

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【冒頭】
官僚(かんりょう)が悪い」という言葉は、所謂(いわゆる)「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐(ちんぷ)で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚(かんりょう)」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。

【結句】
所謂(いわゆる)官僚(かんりょう)の悪」の地軸は何か。、所謂(いわゆる)官僚的(かんりょうてき)」という気風の風洞(ふうどう)は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱(いんうつ)な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。
(いわ)く、家庭の幸福は諸悪の(もと)
 

家庭(かてい)幸福(こうふく)」について

新潮文庫ヴィヨンの妻』所収。
・昭和23年2月末頃に脱稿。
・昭和23年8月1日、『中央公論』八月号に掲載。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

「官僚が悪い」という言葉は、所謂いわゆる「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持に近かった。つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書くそ暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友ほうゆうは相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない、と私は世の所謂お役人に同情さえしていたのである。
 しかるに先日、私は少しからだ具合いを悪くして、一日一ぱい寝床の中でうつらうつらしながら、ラジオというものを聞いてみた。私はこれまで十何年間、ラジオの機械を自分の家に取りつけた事が無い。ただ野暮ったくもったい振り、何の芸も機智も勇気も無く、図々しく厚かましく、へんにガアガア騒々しいものとばかり独断していたのである。空襲の時にも私は、窓をひらいて首をつき出し、隣家のラジオの、一機はどうして一機はどうしたとかいう報告を聞きとって、まず大丈夫、と家の者に言って、用をすましていたものである。
 いや、実は、あのラジオの機械というものは、少し高い。くれるというひとがあったら、それは、もらってもいいけれど、酒と煙草とおいしい副食物以外には、極端に倹約吝嗇りんしょくの私にとって、受信機購入など、とんでも無い大乱費だったのである。それなのに、昨年の秋、私がれいに依ってよそで二、三夜飲みつづけ、夕方、家は無事かと胸がドキドキして歩けないくらいの不安と恐怖とたたかいながら、やっと家の玄関前までたどりつき、大きい溜息ためいきを一つ吐いてから、ガラリと玄関の戸をあけて、
「ただいま!」
 それこそ、清く明るくほがらかに、帰宅の報知をするつもりが、むざんや、いつも声がしゃがれる。
「やあ、お父さんが帰って来た」
 と七歳の長女。
「まあ、お父さん、いったいどこへ行っていらしたんです」
 と赤ん坊を抱いてその母も出て来る。
 とっさに、うまいうそも思い浮ばず、
「あちこち、あちこち」
 と言い、
「皆、めしはすんだのか」
 などと、必死のごまかしの質問を発し、二重まわしを脱いで、部屋に一歩踏み込むと、箪笥たんすの上からラジオの声。
「買ったのかい? これを」
 私には外泊の弱味がある。怒る事が出来なかった。
「これは、マサ子のよ」
 と七歳の長女は得意顔で、
「お母さんと一緒に吉祥寺へ行って、買って来たのよ」
「それは、よかったねえ」
 と父は子供には、あいそを言い、それから母に向って小声で、
「高かったろう。いくらだった?」
 千いくらだったと母は答える。
「高い。いったいお前は、どこから、そんな大金を算段出来たの?」
 父は酒と煙草とおいしい副食物のために、いつもお金に窮して、それこそ、あちこち、あちこちの出版社から、ひどい借金をしてしまって、いきおい家庭は貧寒、母の財布には、せいぜい百円紙幣三、四枚、というのが、全くいつわりの無い実状なのである。
「お父さんの一晩のお酒代にも足りないのに、大金だなんて、……」
 母もさすがに呆れたのか、笑いながら陳弁するには、お父さんのお留守のあいだに雑誌社のかたが原稿料をとどけて下さったので、この折と吉祥寺へ行って、思い切って買ってしまいました、この受信機が一ばん安かったのです、マサ子も可哀想ですよ、来年は学校ですから、ラジオでもって、少し音楽の教育をしてやらなければなりません、また私だって、夜おそくまであなたの御帰宅を待ちながら、つくろいものなんかしている時、ラジオでも聞いていると、どんなに気がまぎれて助かるかわかりませんわ。
「めしにしよう」
 こんな経緯で、私の家にもラジオというものが、そなわったけれども、私は相かわらず、あちこち、あちこちなので、しみじみ聴取した事は、ほとんど無いのである。たまに私の作品が放送せられる時でも、私は、うっかり聞きのがす。
 つまり、一言にしていえば、私はラジオに期待していなかったのである。
 ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなかにぎやかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、どうにもいろいろと工夫に富み、聴き手を飽かせまいという親切心から、幕間というものが一刻も無く、うっかり聞いているうちに昼になり、夜になり、一ページの読書も出来ないという仕掛けになっているのである。そうして、夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。
 街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於いて互いに意見を述べ合うという趣向である。
 所謂民衆たちは、ほとんど怒っているような口調で、れいの官僚に食ってかかる。すると、官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっともながらそこを何とか、日本再建、官も民も力を合せ、それはよく心掛けているつもり、民主々義の世の中、まさかそんな極端な、ですから政府は皆さんの御助力を願って、云々うんぬん)そんな事ばかり言っている。つまり、その官僚は、はじめから終りまで一言も何も言っていないのと同じであった。所謂民衆たちは、いよいよ怒り、舌鋒ぜっぽうするどく、その役人に迫る。役人は、ますますさかんに、れいのいやらしい笑いを発して、厚顔無恥阿呆あほらしい一般概論をクソていねいに繰りかえすばかり。民衆のひとりは、とうとう泣き声になって、役人につめ寄る。
 寝床の中でそれを聞き、とうとう私も逆上した。もし私が、あの場に居合せたなら、そうして司会者から意見を求められたなら、きっとこう叫ぶ。
「私は税金を、おさめないつもりでいます。私は借金で暮しているのです。私は酒も飲みます。煙草も吸います。いずれも高い税金がついて、そのために私の借金は多くなるばかりなのです。この上また、あちこち金を借りに歩いて、税金をおさめる力が私には、ありません。それに私は病弱だから、副食物や注射液や薬品のためにも借金をします。私はいま、非常に困難な仕事をしているのです。少くとも、あなたよりは、苦しい仕事をしているのです。自分でも、ほとんど発狂しているのではないかと思うほど、仕事のことばかり考えつめているんです。酒も煙草も、また、おいしい副食物も、いまの日本人にはぜいたくだ、やめろと言う事になったら、日本に一人もいい芸術家がいなくなります。それだけは私、断言できます。おどかしているのではありません。あなたは、さっきから、政府だの、国家だの、さも一大事らしくもったい振って言っていますが、私たちを自殺にみちびくような政府や国家は、さっさと消えたほうがいいんです。誰も惜しいと思やしません。困るのは、あなたたちだけでしょう。何せ、クビになるんだから。何十年かの勤続も水泡に帰するんだから。そうして、あなたの妻子が泣くんだから。ところが、こっちはもう、仕事のために、ずっと前から妻子を泣かせどおしなんだ。好きで泣かせているんじゃない。仕事のために、どうしても、そこまで手がまわらないのだ。それを、まあ、何だい。ニヤニヤしながら、そこを何とか御都合していただくんですなあ、だなんて、とんでもない。首をくくらせる気か。おい、見っともないぞ。そのニヤニヤ笑いは、やめろ! あっちへ行け! みっともない。私は社会党の右派でも左派でもなければ、共産党員でもない。芸術家というものだ。覚えて置き給え。不潔なごまかしが、何よりもきらいなんだ。どだい、あなたは、なめていやがる。そんな当りさわりの無い、いい加減な事を言って、所謂民衆をなだめ、納得させる事が出来ると思っているのか。たった一言でいい、君の立場の実情を言え! 君の立場の実情を。……」
 そのような、すこぶる泥臭い面罵めんばの言葉が、とめどなく、いくらでも、つぎつぎと胸に浮び、われながらあまり上品では無いと思いながら、憤怒の念がつのるばかりで、いよいよひとりで興奮し、おしまいには、とうとう涙が出て来た。
 所詮しょせんは、陰弁慶である。私は経済学には、まるで暗い。税の問題など、何もわからぬと言ってよい。その街頭録音の場に居合せて、おそるおそる質問を発し、たちまち役人に教えさとされ、
「さよか、すんません」
 という情無い結果になるかも知れない。けれども、私には、その役人のヘラヘラ笑いが気にいらなかったのだ。ご自分の言う事に確信の無い証拠だ。ごまかしている証拠だ。いい加減を言っている証拠だ。もしあの、ヘラヘラ笑いの答弁が、官僚の実体だとしたなら、官僚というものは、たしかに悪いものだ。あまりに、なめている。世の中を、なめ過ぎている。私はラジオを聞きながら、その役人の家に放火してやりたいくらいの極度の憎悪を感じたのである。
「おい! ラジオを消してくれ」
 それ以上、その役人のヘラヘラ笑いを、聞くに忍びなかった。私は税金を、おさめない。あんな役人が、あんなヘラヘラ笑いをしているうちは、おさめない。ろうへはいったって、かまわない。あんなごまかしを言っているうちは、おさめない、と狂うくらいに逆上し、そうしてただもう口惜しくて、涙が出るのである。
 けれども、やはり私は政治運動には興味が無い。自分の性格がそれに向かないばかりか、それに依って自分が救われるとも思っていない。ただ、それは、自分には、うっとうしいばかりだ。私の視線は、いつも人間の「家」のほうに向いている。
 その夜、私は前の日に医者から貰って置いた鎮静剤を飲み、少し落ちついてから、いまの日本の政治や経済の事は考えず、もっぱら先刻のお役人の生活形態に就いてのみ思いをめぐらしていた。
 あのいまのひとの、ヘラヘラ笑いは、しかし、所謂民衆を軽蔑けいべつしている笑いでは無い。決してそんな性質のものでは無かった。わが身と立場とを守る笑いだ。防禦ぼうぎょの笑いだ。敵の鋭鋒を避ける笑いだ。つまり、ごまかしの笑いである。
 そうして、私の寝ながらの空想は、次のような展開をはじめたのである。
 彼はあの街頭の討論を終えて、ほっとして汗を拭き、それから急に不機嫌な顔になってあのひとの役所に引上げる。
「いかがでございました?」
 と下僚にたずねられ、彼は苦笑し、
「いや、もう、さんざんさ」
 と答える。
 討論の現場に居合せたもうひとりの下僚は、
「いえ、いえ、どうして、かいとう乱麻を断つ、というところでしたよ」
 とお世辞を言う。
「かいとうとは、怪しいかたなと書くんだろう?」
 と彼はやはり苦笑しながら言って、でも内心は、まんざらでない。
「冗談じゃない。どだい、あんな質問者とは、頭の構造がちがいますよ。何せ、こっちは千軍万馬の、……」
 すこしお世辞が過ぎたのに気づいて下僚は素早く話頭を転ずる。
「きょうの録音は、いつ放送になるんです?」
「知らん」
 知っているのだけれども、知らんと言ったほうが人物が大きく鷹揚おうように見える。彼は、きょうの出来事はすべて忘れたような顔をして、のろのろと執務をはじめる。
「とにかく、あの放送は、たのしみだなあ」
 下僚は、なおも小声でお世辞を言う。しかし、この下僚は、少しも楽しみだと思っていないし、実際その放送の夜には、カストリという奇妙な酒を、へんな屋台で飲み、ちょうど街頭討論放送の時刻に、さかんにげえげえゲロを吐いている。楽しみも何もあったものでない。
 たのしみにしているのは、れいのあの役人と、その家族である。
 いよいよ今夜は、放送である。役人は、その日は、いつもより一時間ほど早く帰宅する。そうして街頭録音の放送の三十分くらい前から家族全部、緊張して受信機の傍に集る。
「いまに、この箱から、お父さんのお声が聞えて来ますよ」
 夫人は末の小さいお嬢さんをだっこして、そう教えている。
 中学一年の男の子は、正坐して、そうしてきちんと両手をひざに置き、実に行儀よく放送の開始を待っている。この子は、容貌も端麗で、しかも学校がよく出来る。そうして、お父さんを心から尊敬している。
 放送開始。
 父は平然と煙草を吸いはじめる。しかし、火がすぐ消える。父は、それに気がつかず、さらにもう一度吸い、そのまま指の間にはさみ、自分の答弁に耳を傾ける。自分が予想していた以上に、自分の答弁が快調に録音せられている。まず、これでよし。大過無し。官庁に於ける評判もいいだろう。成功である。しかも、これは日本国中に、いま、放送せられているのだ。彼は自分の家族の顔を順々に見る。皆、誇りと満足に輝いている。
 家庭の幸福。家庭の平和。
 人生の最高の栄冠。
 皮肉でも何でも無く、まさしく、うるわしい風景ではあるが、ちょっと待て。
 私の空想の展開は、その時にわかに中断せられ、へんな考えが頭脳をかすめた。家庭の幸福。誰がそれを望まぬ人があろうか。私は、ふざけて言っているのでは無い。家庭の幸福は、或いは人生の最高の目標であり、栄冠であろう。最後の勝利かも知れない。
 しかし、それを得るために、彼は私を、口惜し泣きに泣かせた。
 私の寝ながらの空想は一転する。
 ふいと、次のような短篇小説のテーマが、思い浮んで来たのである。この小説には、もはや、あの役人は登場しない。もともとあの役人の身の上も、全く私の病中の空想の所産で、実際の見聞で無いのは勿論もちろんであるが、次の短篇小説の主人公もまた、私の幻想の中の人物に過ぎない。
 ……それは、全く幸福な、平和な家庭なんだ。主人公の名前を、かりに、津島修治、とでもして置こう。これは私の戸籍名なのであるが、下手に仮名かめいを用いて、うっかり偶然、実在の人の名に似ていたりして、そのひとに迷惑をかけるのも心苦しいから、そのような誤解の起らぬよう、私の戸籍名を提供するのである。
 津島の勤め先は、どこだっていい。所謂お役所でありさえすればいい。戸籍名なんて言葉が、いま出たから、それにちなんで町役場の戸籍係りという事にしてもよい。何だってかまわぬ。テーマは出来ているのだから、あとは津島の勤め先に応じて、筋書の肉附けを工夫して行けばよい。
 津島修治は、東京都下の或る町の役場に勤めていた。戸籍係りである。年齢は、三十歳。いつも、にこにこしている。美男子ではないが血色もよく、謂わば陽性の顔である。津島さんと話をしておれば苦労を忘れると、配給係りの老嬢が言った事があるそうだ。二十四歳で結婚し、長女は六歳、その次のは男の子で三歳。家族は、この二人の子供と妻と、それから、彼の老母と、彼と、五人である。そうして、とにかく、幸福な家庭なんだ。彼は、役所に於いては、これまで一つも間違いをし出かさず、模範的な戸籍係りであり、また、細君にとっては模範的な亭主であり、また、老母にとっては模範的な孝行息子であり、さらに、子供たちにとっても、模範的なパパであった。彼は、酒も煙草もやらない。我慢しているのでは無く、ほしくないのだ。細君がそれを全部、闇屋やみやに売って、老母や子供のよろこぶようなものを買う。ケチでは無いのだ。夫も妻も、家庭をたのしくするために、全力を尽しているのだ。もともと、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて、現在のこの武蔵野むさしのの一角に、八畳、六畳、四畳半、三畳の新築の文化住宅みたいなものを買い、自分は親戚しんせきの者の手引きで三鷹みたか町の役場に勤める事になったのである。さいわい、戦災にも遭わず、二人の子供は丸々と太り、老母と妻との折合いもよろしく、彼は日の出と共に起きて、井戸端で顔を洗い、その気分のすがすがしさ、思わずパンパンと太陽に向って柏手かしわでを打って礼拝するのである。老母妻子の笑顔を思えば、買い出しのお芋六貫も重くは無く、畑仕事、水汲みずくみ、薪割まきわり、絵本の朗読、子供の馬、積木の相手、アンヨは上手、つつましきながらも家庭は常に春の如く、かなり広い庭は、ことごとく打ちたがやされて畑になってはいるが、この主人、ただの興覚めの実利主義者とかいうものとは事ちがい、畑のぐるりに四季の草花や樹の花を品よく咲かせ、庭の隅の鶏舎の白色レグホンが、卵を産む度に家中に歓声が挙り、書きたてたらきりの無いほど、つまり、幸福な家庭なんだ。つい、こないだも、同僚から押しつけられて仕方無く引き受けた「たからくじ」二枚のうち、一枚が千円の当りくじだったが、もともと落ちついた人なので、あわてず騒がず、家族の者たちにもまた同僚にも告げ知らせず、それから数日経って出勤の途中、銀行に立ち寄って現金を受け取り、家庭の幸福のためには、ケチで無いどころか万金をも惜しまぬ気前のいいひとなのだから、彼の家のラジオ受信機が、ラジオ屋に見せても、「修繕の仕様が無い」と宣告されたほどに破損して、この二、三年間ただ茶箪笥の上の飾り物になっていて、老母も妻も、この廃物に対して時折、愚痴を言っていたのを思い出し、銀行から出たすぐその足でラジオ屋に行き、躊躇ちゅうちょするところなく気軽に受信機の新品を買い求め、わが家のところ番地を教えて、それをとどけるように依頼し、何事も無かったような顔をして役場に行き執務をはじめる。
 けれども、さすがに内心は、浮き浮きしていたのである。老母や妻のおどろき、よろこびもさる事ながら、長女も、もの心地がついてから、はじめてわが家のラジオが歌いはじめるのを聞いてその興奮、お得意、また、坊やの眼をぱちくりさせながらの不審顔、一家の大笑い、手にとるようにわかるのだ。そこへ自分が帰って行って、「たからくじ」の秘密をはじめて打ち明ける。また、大笑い。ああ、早く帰宅の時間が来ればよい。平和な家庭の光を浴びたい。きょうの一日は、ばかに永い。
 しめた! 帰宅の時間だ。ばたばたと机上の書類を片づける。
 その時、いきせき切って、ひどく見すぼらしい身なりの女が出産とどけを持って彼の窓口に現われる。
「おねがいします」
「だめですよ。きょうはもう」
 津島はれいの、「苦労を忘れさせるような」にこにこ顔で答え、机の上を綺麗きれいに片づけ、からのお弁当箱を持って立ち上る。
「お願いします」
「時計をごらん、時計を」
 津島は上機嫌で言って、その出産とどけを窓口の外に押し返す。
「おねがいします」
「あしたになさい、ね、あしたに」
 津島の語調は優しかった。
「きょうでなければ、あたし、困るんです」
 津島は、もう、そこにいなかった。
 ……見すぼらしい女の、出産にからむ悲劇。それには、さまざまの形態があるだろう。その女の、死なねばならなかったわけは、それは、私(太宰)にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく出る。身元不明。津島には何の罪も無い。帰宅すべき時間に、帰宅したのだ。どだい、津島は、あの女の事など覚えていない。そうして相変らず、にこにこしながら家庭の幸福に全力を尽している。
 だいたいこんな筋書の短篇小説を、私は病中、眠られぬままに案出してみたのであるが、考えてみると、この主人公の津島修治は、何もことさらに役人で無くてもよさそうである。銀行員だって、医者だってよさそうである。けれども、私にこの小説を思いつかせたものは、かの役人のヘラヘラ笑いである。あのヘラヘラ笑いの拠って来る根元こんげんは何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。
 いわく、家庭の幸福は諸悪のもと 

 

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【日刊 太宰治全小説】#255「桜桃」

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【冒頭】
子供より親が大事、と思いたい。

【結句】
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢(きょせい)みたいに(つぶや)く言葉は、子供よりも親が大事。
 

桜桃(おうとう)」について

新潮文庫ヴィヨンの妻』所収。
・昭和23年2月下旬頃に脱稿。
・昭和23年5月1日、『世界』五月号に掲載。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より) 

  われ、山にむかいて、目をぐ。

               ――詩篇、第百二十一。


 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しいむしのよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌きげんばかり伺っている。子供、といっても、私のところの子供たちは、皆まだひどく幼い。長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。
 夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやたらに顔の汗をき、
「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留やなぎだるにあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なおとうさんといえども、汗が流れる」
 と、ひとりぶつぶつ不平を言い出す。
 母は、一歳の次女におっぱいを含ませながら、そうして、お父さんと長女と長男のお給仕をするやら、子供たちのこぼしたものを拭くやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、八面六臂はちめんろっぴのすさまじい働きをして、
「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる」
 父は苦笑して、
「それじゃ、お前はどこだ。内股うちまたかね?」
「お上品なお父さんですこと」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。上品も下品も無い」
「私はね」
 と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」
 涙の谷。
 父は黙して、食事をつづけた。

 私は家庭にっては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽けらく」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気ふんいきつくる事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰だざいという作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。
 人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。もったいぶって、なかなか笑わぬというのは、い事であろうか。
 つまり、私は、糞真面目くそまじめで興覚めな、気まずい事、、、、、に堪え切れないのだ。私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、一部の読者、批評家の想像を裏切り、私の部屋の畳は新しく、机上は整頓せいとんせられ、夫婦はいたわり、尊敬し合い、夫は妻を打った事など無いのは無論、出て行け、出て行きます、などの乱暴な口争いした事さえ一度も無かったし、父も母も負けずに子供を可愛がり、子供たちも父母に陽気によくなつく。
 しかし、これは外見。母が胸をあけると、涙の谷、父の寝汗も、いよいよひどく、夫婦は互いに相手の苦痛を知っているのだが、それに、さわらないように努めて、父が冗談を言えば、母も笑う。
 しかし、その時、涙の谷、と母に言われて父は黙し、何か冗談を言って切りかえそうと思っても、とっさにうまい言葉が浮かばず、黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り、さすがの「通人」の父も、とうとう、まじめな顔になってしまって、
だれか、人を雇いなさい。どうしたって、そうしなければ、いけない」
 と、母の機嫌きげんを損じないように、おっかなびっくり、ひとりごとのようにつぶやく。
 子供が三人。父は家事には全然、無能である。蒲団ふとんさえ自分で上げない。そうして、ただもう馬鹿げた冗談ばかり言っている。配給だの、登録だの、そんな事は何も知らない。全然、宿屋住いでもしているような形。来客。饗応きょうおう仕事部屋しごとべやにお弁当を持って出かけて、それっきり一週間も御帰宅にならない事もある。仕事、仕事、といつも騒いでいるけれども、一日に二、三枚くらいしかお出来にならないようである。あとは、酒。飲みすぎると、げっそりせてしまって寝込む。そのうえ、あちこちに若い女友達ともだちなどもある様子だ。
 子供、……七歳の長女も、ことしの春に生れた次女も、少し風邪をひきやすいけれども、まずまあ人並。しかし、四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。って歩いていて、ウンコもオシッコも教えない。それでいて、ごはんは実にたくさん食べる。けれども、いつも痩せて小さく、髪の毛も薄く、少しも成長しない。
 父も母も、この長男について、深く話し合うことを避ける。白痴、おし、……それを一言でも口に出して言って、二人で肯定し合うのは、あまりに悲惨だからである。母は時々、この子を固く抱きしめる。父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う。
「唖の次男を斬殺ざんさつす。×日正午すぎ×区×町×番地×商、何某(五三)さんは自宅六畳間で次男何某(一八)君の頭を薪割まきわりで一撃して殺害、自分はハサミでのどを突いたが死に切れず附近の医院に収容したが危篤きとく、同家では最近二女某(二二)さんに養子を迎えたが、次男が唖の上に少し頭が悪いので娘可愛さから思い余ったもの」
 こんな新聞の記事もまた、私にヤケ酒を飲ませるのである。
 ああ、ただ単に、発育がおくれているというだけの事であってくれたら! この長男が、いまに急に成長し、父母の心配を憤り嘲笑ちょうしょうするようになってくれたら! 夫婦は親戚しんせきにも友人にも誰にも告げず、ひそかに心でそれを念じながら、表面は何も気にしていないみたいに、長男をからかって笑っている。
 母も精一ぱいの努力で生きているのだろうが、父もまた、一生懸命であった。もともと、あまりたくさん書ける小説家では無いのである。極端な小心者なのである。それが公衆の面前に引き出され、へどもどしながら書いているのである。書くのがつらくて、ヤケ酒に救いを求める。ヤケ酒というのは、自分の思っていることを主張できない、もどっかしさ、いまいましさで飲む酒の事である。いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)
 私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手に気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが確信せられて来るのだが、いちど言い負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも陰惨だし、それに私には言い争いはなぐり合いと同じくらいにいつまでも不快な憎しみとして残るので、怒りにふるえながらも笑い、沈黙し、それから、いろいろさまざま考え、ついヤケ酒という事になるのである。
 はっきり言おう。くどくどと、あちこち持ってまわった書き方をしたが、実はこの小説、夫婦喧嘩ふうふげんかの小説なのである。
「涙の谷」
 それが導火線であった。この夫婦は既に述べたとおり、手荒なことはもちろん、口汚くちぎたなののしり合った事さえないすこぶるおとなしい一組ではあるが、しかし、それだけまた一触即発の危険におののいているところもあった。両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危険、一枚のふだをちらと見ては伏せ、また一枚ちらと見ては伏せ、いつか、出し抜けに、さあ出来ましたと札をそろえて眼前にひろげられるような危険、それが夫婦を互いに遠慮深くさせていたと言って言えないところが無いでも無かった。妻のほうはとにかく、夫のほうは、たたけばたたくほど、いくらでもホコリの出そうな男なのである。
「涙の谷」
 そう言われて、夫は、ひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持で、そう言ったのだろうが、しかし、泣いているのはお前だけでない。おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。自分の家庭は大事だと思っている。子供が夜中に、へんなせき一つしても、きっとがさめて、たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手がまわらないのだ。これでもう、精一ぱいなのだ。おれだって、凶暴きょうぼうな魔物ではない。妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひま、、が無いのだ。……父は、そう心の中でつぶやき、しかし、それを言い出す自信も無く、また、言い出して母から何か切りかえされたら、ぐうのも出ないような気もして、
「誰か、ひとを雇いなさい」
 と、ひとりごとみたいに、わずかに主張してみた次第なのだ。
 母も、いったい、無口なほうである。しかし、言うことに、いつも、つめたい自信を持っていた。(この母に限らず、どこの女も、たいていそんなものであるが)
「でも、なかなか、来てくれるひともありませんから」
「捜せば、きっと見つかりますよ。来てくれるひとが無いんじゃ無い、いて、、くれるひとが無いんじゃないかな?」
「私が、ひとを使うのが下手へただとおっしゃるのですか?」
「そんな、……」
 父はまた黙した。じつは、そう思っていたのだ。しかし、黙した。
 ああ、誰かひとり、雇ってくれたらいい。母が末の子を背負って、用足しに外に出かけると、父はあとの二人の子の世話を見なければならぬ。そうして、来客が毎日、きまって十人くらいずつある。
「仕事部屋のほうへ、出かけたいんだけど」
「これからですか?」
「そう。どうしても、今夜のうちに書き上げなければならない仕事があるんだ」
 それは、うそでなかった。しかし、家の中の憂鬱ゆううつから、のがれたい気もあったのである。
「今夜は、私、妹のところへ行って来たいと思っているのですけど」
 それも、私は知っていた。妹は重態なのだ。しかし、女房が見舞いに行けば、私は子供のお守りをしていなければならぬ。
「だから、ひとを雇って、……」
 言いかけて、私は、よした。女房の身内のひとの事に少しでも、ふれると、ひどく二人の気持がややこしくなる。
 生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血がき出す。
 私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、たもとにつっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。
 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考えている。そうして、酒を飲む場所へまっすぐに行く。
「いらっしゃい」
「飲もう。きょうはまた、ばかに綺麗きれいしまを、……」
「わるくないでしょう? あなたのく縞だと思っていたの」
「きょうは、夫婦喧嘩でね、いんにこもってやりきれねえんだ。飲もう。今夜は泊るぜ。だんぜん泊る」
 子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
 桜桃が出た。
 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。つるを糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚さんごの首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種をき、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。 

 【了】

 

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【日刊 太宰治全小説】#254「渡り鳥」

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【冒頭】

晩秋の夜、音楽会もすみ、日比谷公会堂から、おびただしい数の(からす)が、さまざまの形をして、押し合い、もみ合いしながらぞろぞろ出て来て、やがておのおのの家路に向って、むらむらぱっと飛び立つ。

【結句】

無帽蓬髪(むぼうほうはつ)、ジャンパー姿の()せた青年は、水鳥の(ごと)くぱっと飛び立つ。
 

(わた)(どり)」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年2月中旬頃に脱稿。
・昭和23年4月1日、『群像』四月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

おもてには快楽けらくをよそい、心には悩みわずらう。
                   ――ダンテ・アリギエリ




 晩秋の夜、音楽会もすみ、日比谷公会堂から、おびただしい数のからすが、さまざまの形をして、押し合い、もみ合いしながらぞろぞろ出て来て、やがておのおのの家路に向って、むらむらぱっと飛び立つ。
「山名先生じゃ、ありませんか?」
 呼びかけた一羽の烏は、無帽蓬髪ほうはつの、ジャンパー姿で、せて背の高い青年である。
「そうですが、……」
 呼びかけられた烏は中年の、太った紳士である。青年にかわまず、有楽町のほうに向ってどんどん歩きながら、
「あなたは?」
「僕ですか?」
 青年は蓬髪をき上げて笑い、
「まあ、一介いっかいのデリッタンティとでも、……」
「何かご用ですか?」
「ファンなんです。先生の音楽評論のファンなんです。このごろ、あまりお書きにならぬようですね。」
「書いていますよ。」
 しまった! と青年は、暗闇の中で口をゆがめる。この青年は、東京の或る大学に籍を有しているのだが、制帽も制服も持っていない。そうして、ジャンパーと、それから間着あいぎの背広服を一揃い持っている。肉親からの仕送りがまるで無い様子で、る時は靴磨くつみがきをした事もあり、また或る時は宝くじ売りをした事もあって、この頃は、表看板は或る出版社の編輯へんしゅうの手伝いという事にして、またそれも全くの出鱈目でたらめでは無いが、裏でちょいちょい闇商売などに参画しているらしいので、ふところは、割にあたたかの模様である。
「音楽は、モオツアルトだけですね。」
 お世辞の失敗を取りかえそうとして、山名先生のモオツアルト礼讃らいさんの或る小論文を思い出し、おそるおそるひとりごとみたいにつぶやいて先生におもねる。
「そうとばかりも言えないが、……」
 しめた! 少しご機嫌きげんが直って来たようだ。けてもいい、この先生の、外套がいとうえりの蔭の頬が、ゆるんだに違いない。
 青年は図に乗り、
「近代音楽の堕落は、僕は、ベートーヴェンあたりからはじまっていると思うのです。音楽が人間の生活に向き合って対決を迫るとは、邪道だと思うんです。音楽の本質は、あくまでも生活の伴奏であるべきだと思うんです。僕は今夜、久し振りにモオツアルトを聞き、音楽とは、こんなものだとつくづく、……」
「僕は、ここから乗るがね。」
 有楽町駅である。
「ああ、そうですか、失礼しました。今夜は、先生とお話が出来て、うれしかったです。」
 ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、青年は、軽くお辞儀をして、先生と別れ、くるりと廻れ右をして銀座のほうに向う。
 ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。どっちだっていいじゃないか。あの先生、口髭くちひげをはやしていやがるけど、あの口髭の趣味は難解だ。うん、どだいあの野郎には、趣味が無いのかも知れん。うん、そうだ、評論家というものには、趣味が無い、したがって嫌悪けんおも無い。僕も、そうかも知れん。なさけなし。しかし、口髭……。口髭をやすと歯が丈夫になるそうだが、誰かに食らいつくため、まさか。宮さまがあったな。洋服に下駄げたばきで、そうしてお髭が見事だった。お可哀そうに。実に、おん心理を解するに苦しんだな。髭がその人の生活に対決を迫っている感じ、とでも言おうか。寝顔が、すごいだろう。僕も、生やして見ようかしら。すると何かまた、わかる事があるかも知れない。マルクスの口髭は、ありゃ何だ。いったいあれは、どういう構造になっているのかな。トウモロコシを鼻の下にさしはさんでいる感じだ。不可解。デカルトの口髭は、牛のよだれのようで、あれがすなわち懐疑思想……。おや? あれは、誰だったかな? 田辺さんだ、間違い無し。四十歳、女もしかし、四十になると、……いつもお小遣こづかせんを持っているから、たのもしい。どだい彼女は、小造りで若く見えるから、たすかる。
「田辺さん。」
 うしろから肩をたたく。げえっ! 緑のベレ帽。似合わない。よせばいいのに。イデオロギストは、趣味を峻拒しゅんきょすか。でも、としを考えなさい、としを。
「どなたでしたかしら?」
 近眼かい? 溜息ためいきが出るよ。
クレヨン社の、……」
 名前まで言わせる気かい。蓄膿ちくのうしょうじゃないかな?
「あ、失礼。柳川さん。」
 それは仮名かめいで、本名は別にあるんだけれど、教えてやらないよ。
「そうです。こないだは、ありがとう。」
「いいえ、こちらこそ。」
「どちらへ?」
「あなたは?」
 用心していやがる。
「音楽会。」
「ああ、そう。」
 安心したらしい。これだから、時々、音楽会なるものに行く必要があるんだ。
「わたくし、うちへ帰りますの、地下鉄で。新聞社にちょっと用事があったもので、……」
 何の用事だろう。うそだ。男と逢って来たんじゃないか? 新聞社に用事とは、大きく出たね。どうも女の社会主義者は、虚栄心が強くて困る。
「講演ですか?」
 見ろ、顔もあからめない。
「いいえ、組合の、……」
 組合? 紋切型もんきりがた辞典にいわく、それは右往左往して疲れて、泣く事である。多忙のシノニム。
 僕も、ちょっぴり泣いた事がある。
「毎日、たいへんですね。」
「ええ、疲れますわ。」
 こう来なくちゃ嘘だ。
「でも、いまは民主革命の絶好のチャンスですからね。」
「ええ、そう。チャンスです。」
「いまをはずしたら、もう、永遠に、……」
「いいえ、でも、わたくしたちは絶望しませんわ。」
 またもお世辞の失敗か。むずかしいものだ。
「お茶でも飲みましょう。」
 たかってやれ。
「ええ、でも、わたくし、今夜は失礼しますわ。」
 ちゃっかりしていやがる。でも、こんな女房を持ったら、亭主は楽だろう。やりくりが上手じょうずにちがい無い。まだ、みずみずしさも、残っている。
 四十女を見れば、四十女。三十女を見れば、三十女。十六七を見れば、十六七。ベートーヴェン。モオツアルト。山名先生。マルクスデカルト。宮さま。田辺女史。しかし、もう、僕の周囲には誰もいない。風だけ。
 何か食おうかなあ。胃の具合いが、どうも、……音楽会は胃に悪いものかも知れない。げっぷをこらえたのが、いけなかった。
「おい、柳川君!」
 ああ、いい名じゃない。川柳のさかさまだ。柳川鍋やながわなべ。いけない、あすからペンネームを変えよう。ところで、こいつは誰だったっけ。物凄ものすごいぶおとこだなあ。思い出した。うちの社へ、原稿を持ち込んで来た文学青年だ。つまらん奴と逢ったなあ。酔っていやがる。僕にたかる気かも知れない。よそよそしくしてやろう。
「ええっと、どなたでしたっけ。失礼ですが。」
 ことにると、たかられるかも知れない。
「いつか、クレヨン社に原稿を持ち込んで、あなたに荷風かふう猿真似さるまねだと言われて引下った男ですよ。お忘れですか?」
 脅迫するんじゃねえだろうな。僕は、猿真似とは言わなかったはずだが。エピゴーネン、いや、イミテーションと言ったかしら。とにかく僕は、あの原稿は一枚も読んでいなかった。題が、いけなかったんだよ、ええっと、何だったっけな、「る踊子の問わず語り」こっちが狼狽ろうばいして赤面したね。馬鹿な奴もあったものだ。
「思い出しました。」
 いんぎん鄭重ていちょうに取り扱うに限る。何せ、相手は馬鹿なんだからな。なぐられちゃ、つまらない。でも、弱そうだ。こいつには、勝てると思うが、しかし、人は見かけに依らぬ事もあるから、用心にくはない。
「題をかえましたよ。」
 ぎょっとするわい。よくそこに気が附いたね。まんざら馬鹿でもないらしい。
「そうですか。そのほうが、いいかも知れませんですね。」
 興味無し。興味無し。
「男女合戦、と直しました。」
「男女合戦、……」
 二の句がつげない。馬鹿野郎。ものには程度があるぜ。シラミみたいな奴だ。傍へ寄るな、けがれる。これだから、文学青年は、いやさ。
「売れましてね。」
「え?」
「売れたんですよ、あの原稿が。」
 奇蹟きせき以上だ。新人の出現か。気味が悪くなって来た。こんな、ヒョットコの鼻つまりみたいな顔をしていても、案外、天才なのかも知れない。慄然りつぜん。おどかしやがる。これだから、僕は、文学青年ってものは苦手にがてなんだ。とにかくお世辞を言おう。
「題が面白いですものねえ。」
「ええ、時代の好みに合ったというわけなんです。」
 ぶん殴るぜ、こんちきしょう。いい加減にしたまえ。神をおそれよ。絶交だ。
「きょうね、原稿料をもらってね、それがね、びっくりするほど、たくさんなんです。さっきから、あちこち飲み歩いても、まだ半分以上も残っているんです。」
 ケチな飲み方をするからだよ。いやな奴だねえ。金があるからって、威張っていやがる。残金三千円とにらんだが、違うか? 待てよ、こいつ、トイレットで、こっそり残金を調べやがったな。そうでなければ、半分以上残ってるなんて、確言できる筈はない。やった、やったんだ。よくあるやつさ。トイレットの中か、または横丁の電柱のかげで酔っていながら、残金を一枚二枚と数えて、溜息ついて、思いわずらうな空飛ぶ鳥を見よ、なんて力無くつぶやいてさ、いじらしいものだよ。実は、僕にも覚えがあらあ。
「今夜これから、残金全部使ってしまうつもりなんですがね、つき合ってくれませんか。どこか、あなたのなじみの飲み屋でもこの辺にあったら、案内して下さい。」
 失敬、見直した。しかし、金は本当に持っているんだろうな。割勘わりかんなどは、愉快でない。念のため、試問しよう。
「あるにはあるんですけど、そこは、ちょっと高いんですよ。案内して、あなたに後で、うらまれちゃあ、……」
「かまいません。三千円あったら、大丈夫でしょう。これは、あなたにお渡し致しますから、今夜、二人で使ってしまいましょう。」
「いや、それはいけません。よそのひとのお金をあずかると、どうも、責任を感じて僕はうまく酔えません。」
 つらのぶざいくなのに似合わず、なかなか話せる男じゃないか。やはり小説を書くほどの男には、どこか、あっさりしたところがある。イナセだよ。モオツアルトを聞けば、モオツアルト。文学青年と逢えば、文学青年。自然にそうなって来るんだから不思議だ。
「それじゃあ、今夜は、大いに文学でも談じてみますか。僕は、あなたの作品には前から好意を感じていたのですがね、どうも、編輯長へんしゅうちょうがねえ、保守的でねえ。」
 竹田屋に連れて行こう。あそこに、僕の勘定がまだ千円くらいあった筈だから、ついでに払ってもらいましょう。
「ここですか?」
「ええ、きたないところですがね、僕はこんなところで飲むのが好きなんです。あなたは、どうです。」
「わるくないですね。」
「はあ、趣味が合いました。飲みましょう。乾杯。趣味というものは、むずかしいものでしてね。千の嫌悪から一つの趣味が生れるんです。趣味の無いやつには、だから嫌悪も無いんです。飲みましょう、乾杯。大いに今夜は談じ合おうじゃありませんか。あなたは案外、無口なお方のようですね。沈黙はいけません。あれには負けます。あれは僕らの最大の敵ですね。こんなおしゃべりをするという事は、これは非常な自己犠牲で、ほとんど人間の、最高の奉仕の一つでしょう。しかも少しも報酬をあてにしていない奉仕でしょう。しかし、また、敵を愛すべし。僕は、僕を活気づける者を愛さずにはおられない。僕らの敵手は、いつも僕らを活気づけてくれますからね。飲みましょう。馬鹿者はね、ふざける事は真面目まじめでないと信じているんです。また、洒落しゃれは返答でないと思ってるらしい。そうして、いやに卒直なんて態度を要求する。しかし、卒直なんてものはね、他人にさながら神経のないもののように振舞う事です。他人の神経をみとめない。だからですね、余りに感受性の強い人間は、他人の苦痛がわかるので、容易に卒直になれない。卒直なんてのは、これは、暴力ですよ。だから僕は、老大家たちが好きになれないんだ。ただ、あいつらの腕力が、こわいだけだ。(おおかみが羊を食うのはいけない。あれは不道徳だ。じつに不愉快だ。おれがその羊を食うべきものなのだから。)なんて乱暴な事を平然と言い出しそうな感じの人たちばかりだ。どだい、勘がいいなんて、あてになるものじゃない。智慧ちえを伴わない直覚は、アクシデントに過ぎない。まぐれ当りさ。飲みましょう、乾杯。談じ合いましょう。我らの真の敵は無言だ。どうも、言えば言うほど不安になって来る。誰かがそでをひいている。そっと、うしろを振りかえってみたい気持。だめなんだなあ、やっぱり、僕は。最も偉大な人物はね、自分の判断を思い切り信頼し得た人々です、最も馬鹿な奴も、また同じですがね。でも、もう、よしましょうか、悪口は。どうも、われながら、あまり上品でない。もともと、この悪口というものには、大向う相手のケチな根性がふくまれているものですからね。飲みましょう、文学を談じましょう。文学論は、面白いものですね。ああ、新人と逢えば新人、老大家と逢えば老大家、自然に気持がそうなって行くんですから面白いですよ。ところで一つ考えてみましょう。あなたがこれから新作家として登場して、三百万の読者の気にいるためには、いったい、どうしたらよいか。これは、むずかしい事です。しかし、絶望してはいけません。これはね、いいですか? 特に選ばれた百人以外の読者には気にいられないようにするよりは、ずっと楽な事業です。ところで、何百万人の気にいる作家は、常にまた自分自身でも気にいっているのだが、少数者にしか気にいられない作家は、たいてい、自分自身でも気にいらないのです。これは、みじめだ。さいわい、あなたの作品は、あなたご自身に気にいっているようですから、やはり、三百万の読者にも気にいって、大流行作家になれる見込みがあると思う。絶望しては、いけません。いまはやりの言葉で言えば、あなたには、可能性がある。飲みましょう、乾杯。作家殿、貴殿は一人の読者に千度読まれるのと、十万の読者に一度読まれるのと、いったい、いずれをお望みかな? とおたずねすると、かの文筆の士なるものは、十万の読者に千度読まれとうござる、と答えてきょろりとしていらっしゃる。おやりなさい、大いにおやりなさい。あなたには見込みがあります。荷風の猿真似だって何だってかまやしませんよ。もともと、このオリジナリテというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊はいかいしている人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。ああ、溜息が出るわい。あなたの前途は、実に洋々たるものですね。道は広い。そうだ、こんどの小説は、広き門、という題にしたらどうです。門という字には、やはり時代の感覚があるそうですから。失礼します、僕は、少し吐きますよ。大丈夫、ええ、もう大丈夫。ここの酒は、あまりよく無いな。ああ、さっぱりした。さっきから、吐きたくて仕様が無かったんです。人を賞讃しながら酒を飲むと、悪酔いしますね。ところで、そのヴァレリイですがね、あ、とうとう言っちゃった、なんじの沈黙に我おのずから敗れたり。僕が今夜ここで言った言葉のほとんど全部が、ヴァレリイの文学論なんです、オリジナリテもクソもあったものでない。胃の具合いが悪かったのでね、消化しきれなくなって、とうとう固形物を吐いちゃった。おのぞみなら、まだまだ言えるんですけどね、それよりは、このヴァレリイの本をあなたにあげたほうが、僕もめんどうでなくていい。さっき古本屋から買って、電車の中で読んだばかりの新智識ですから、まだ記憶に残っているのですけど、あすになったら、僕は忘れてしまうでしょう。ヴァレリイを読めば、ヴァレリイ。モンテーニュを読めば、モンテーニュパスカルを読めば、パスカル。自殺の許可は、完全に幸福な人にのみ与えられるってさ。これもヴァレリイ。わるくないでしょう。僕らには、自殺さえ出来ない。この本は、あげます。おうい、おかみさん、ここの勘定をしてくれ。全部の勘定だぜ。全部の。それでは、さきに失敬。羽毛のようでなく、鳥のように軽くなければいけない、とその本に書いてあるぜ。どうすりゃ、いいんだい。」
 無帽蓬髪ほうはつ、ジャンパー姿のせた青年は、水鳥の如くぱっと飛び立つ。

 【了】

 

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【日刊 太宰治全小説】#253「女類」

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【冒頭】
僕(二十六歳)は、女をひとり、殺した事があるんです。実にあっけなく、殺してしまいました。

【結句】
「男類、女類、猿類、いや、女類、男類、猿類の順か、いや、猿類、男類、女類かな? いや、いや、猿類、女類、男類の順か。ああ、(いて)え。乱暴はいかん。猿類、女類、男類、か。香典(こうでん)千円ここへ置いて行くぜ。」
 

女類(じょるい)」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年2月上旬頃に脱稿。
・昭和23年4月1日、『八雲』四月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

 僕(二十六歳)は、女をひとり、殺した事があるんです。実にあっけなく、殺してしまいました。
 終戦直後の事でした。僕は、敗戦の前には徴用で、伊豆いずの大島にやられていまして、毎日毎日、実にイヤな穴掘工事を言いつけられ、もともとこんなせ細ったからだなので、いやもう、いまにも死にそうな気持ちになったほどの苦労をしました。終戦になって、何が何やら、ただへとへとに疲れて、誇張した言い方をするなら、ほとんどうようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下しっかでただぼんやり癈人はいじんみたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳田という抜け目の無い、なかなかすばしこい人物が、「金はある。新雑誌を発刊するつもり。君も手伝え。」という意味の速達を寄こして、僕も何だか、ハッと眼が覚めたような気持ちになり、急ぎ上京して、そうして今のこの「新現実」という文芸雑誌の、まあ、編輯部へんしゅうぶ次長というような肩書で、それから三年も、まるで半狂乱みたいな戦後のジャアナリズムに、もまれて生きてまいりました。
 その終戦直後に、僕が栃木県の生家から東京へ出て来た時には、東京の情景、見るもの聞くもの、すべて悲しみの種でしたが、しかし、少くとも僕一個人にとって、痛快、といってもいいくらいの奇妙なよろこびを感じさせられた事は、市場に物資がたくさん出ていて、また飲み食いする屋台、小料理屋が、街々にひしめき、あふれるという感じで立ち並び、怪しい活況を呈していた事でした。もとより、僕にとっては、市場に山ほどの品物が積まれてあっても、それを購買する能力は無く、ただ見て通るだけなのですが、それでも何だか浮き浮きした気持ちになり、また、時たま友人たちと、屋台ののれんに首を突込み、焼鳥のくしをかじり、焼酎しょうちゅうを飲み、大声で民主々義の本質にいて論じ合ったりなど致しますと、まさしく解放せられたる自由というものをエンジョイしているような実感がして来たものです。
 そのうちに僕は、新橋のる屋台のおかみにれられました。いや、笑わないで下さい。本当に、惚れられたのです。ここが大事のところですから、僕もてれずに言うんです。申しおくれましたが、当時の僕のすまいは、東京駅、八重洲やえすぐち附近の焼けビルを、アパート風に改造したその二階の一部屋で、終戦後はじめての冬の寒風は、その化け物屋敷みたいなアパートの廊下をへんな声を挙げて走り狂い、今夜もまたあそこへ帰って寝るのかと思うと、心細さ限りなく、だんだん焼酎など飲んで帰る度数がひんぱんになり、また友だちとの附き合い、作家との附き合いなどで、一ぱしの酒飲みになってしまいました。銀座のその雑誌社から日本橋のアパートへ帰るのに、省線か徒歩か、いずれにしても、新橋で飲むのが一ばん便利だったものですから、僕はたいていあの新橋辺の屋台をのぞきまわっていたのでした。
 いつか、柳田という、れいの抜け目の無い、自分で自分の顔の表情を鏡を見なくても常に的確に感知できると誇称している友人、兼、編輯部長に連れられて、新橋駅のすぐ近くの川端に建って在るおでん屋へ飲みに行きました。そこもまた、屋台には違い無いのですが、奥が深く、土間にさまざまの腰掛けが並べられていて、それこそ、「お順につめる」と、十人くらいの客が楽に飲み食い出来たのです。僕にとっては、その屋台に行くのは、その夜がはじめてでしたが、しかし、その店はあの辺の新聞記者や雑誌記者、また作家、漫画家などの社交場みたいになっていて、焼酎を飲み、煙草を吸い、所謂いわゆるその日その日の「ホットニュウス」を交換し合い、笑い興じている場所だったのです。店の名前、といったようなものも別に無く、トヨ公とかトヨちゃんとか、その店のおやじの愛称らしいものが、その屋台の名前になっていました。トヨ公は、四十ちかい横太りの、ひたいが狭く坊主頭で、眼がわるいらしく、いつも眼のふちが赤くてしょぼしょぼしていましたが、でも、ちょっと凄味すごみのきく風態の男でした。おかみは、はじめ僕には三十すぎのひとのように見えましたが、僕と同年だったのです。いったいに、けて見えるほうでした。痩せて小柄で色が浅黒く、きりっとした顔立ちでしたが、無口で、あまり笑わず、地味でさびしそうな感じのするひとでした。
「こちら、音楽家でしょう?」
 僕の焼酎を飲む手つきを、ちらと見て、おかみはそう一こと言いました。来たな! と僕は思いました。器量の悪い女は、よくその髪をほめられると、チェホフの芝居にもありましたが、僕はこんな痩せっぽちで、顔色も蒼黒く、とにかくその容貌ようぼう風采ふうさいに於いては一つとしていいところが無いのは、僕だって、イヤになるほど、それこそ的確に知っているつもりです。けれども、僕の両手の指が、へんに細長く、つめの色も薄赤く、他にほめるところが全く無いせいだろうと思いますが、これまでも実にしばしば女のひとにほめられて、握手を求められた事さえありました。
「なぜ?」
 僕は、知っていながら、不審そうにたずねました。
綺麗きれいな手。ピアノのほうでしょう?」
 果して、そうでした。
「何、ピアノ?」
 と、れいの抜け目の無い友人は、大袈裟おおげさき出し、
「ピアノの掃除だって出来やしねえ。そいつの手は、ただ痩せているだけなんだよ。痩せた男が音楽家なら、ガンジー翁にオーケストラの指揮が出来るという理窟りくつになる。」
 傍の客たちも笑いました。
 けれども、僕にはその夜、おかみから、まじめに一言ほめられた事が、奇妙に忘れられませんでした。これまでも、いろいろの女のひとから僕の手をほめられ、また、握手を求められた事さえあったのに、それらは皆、その席の一時の冗談として、僕は少しも気にとめていなかったのですが、あのトヨ公のおかみの何気なさそうなお世辞だけは、妙に心にしみました。女のひとたちは、どうだか知りませんが、男というものは、女からへんにまじめに一言でもお世辞を言われると、僕のようなぶざいくな男でも、にわかにムラムラ自信が出て来て、そうしてその揚句あげく、男はその女のひとに見っともないくらい図々ずうずうしく振舞い、そうして男も女も、みじめな身の上になってしまうというのが、世間によく見掛ける悲劇の経緯のように思われます。女のひとは、めったに男にお世辞なんか言うべきものでは無いかも知れませんね。とにかく、僕たちの場合、たった一言の指のお世辞から、ぐんぐん悲劇に突入しました。じっさい、自惚うぬぼれが無ければ、恋愛も何も成立できやしませんが、僕はそれから毎晩のようにトヨ公に通い、また、昼にはおかみと一緒に銀座を歩いたり、そうして、ただもう自惚れを増すばかりで、はたから見たら、あさましい馬かおおかみがよだれを流して荒れ狂ってるみたいな、にがにがしい限りのものだったのでしょう。とうとう僕は、或る夜、トヨ公で酔っぱらい作家の笠井健一郎氏に面罵めんばせられました。
 笠井氏は、僕の郷里の先輩で、僕の死んだ兄とは大学で同級生だったらしく、その関係もあり、笠井氏と僕とは、単に作家と編輯者の附合い以上に親しくしていて、僕の雑誌でも笠井氏の原稿をもらうのは、もっぱら僕の係りで、また笠井氏も、僕の原稿依頼なら、割に機嫌きげんよく聞いてくれたものでした。
 その笠井氏が、まったく思いがけなく、新橋のおでん屋のトヨ公にはいって来たので、ぎょっとしました。笠井氏はお宅が新宿ちかくでしたので、その方面で毎晩のように飲み歩き、新橋のほうにまで出て来る事はめったに無かったのです。その夜は何かの会の帰りらしく、和服にはかまをはいていました。かなりもう酔っているようで、ふらふら僕の傍にやって来て腰をおろし、
「聞いた。馬鹿野郎だ、お前は。」
 本気に怒っている顔でした。
「あれか? あの女が、そうか?」
 おでんを煮込んでいるおかみのほうをあごでしゃくり、
「ちっとも、よかあえじゃないか。これでお前の男も、すたった。どだい、君、亭主のある女と、……」
「それは、」
 とトヨ公は、みじんも表情をかえず、
「もう、とうに私どもは、夫婦わかれをしているのです。私どもは、気が合いません。」
 と、落ちついて言い、笠井氏のコップになみなみと焼酎をつぎます。
「いや、それあ、君たち夫婦の事は、君たち夫婦でなければわからない。僕の知った事じゃない。どだい、興味が無い。また、伊藤(僕の名)たちの恋愛が、どんな具合いに進展しているのか、それも、ちっとも知りたくない。うん、この焼酎はなかなかいい。君、君、もう一ぱいくれ。それから、水をくれ。おうい、おかみさん、ここへも何か食べるものをくれ。しかし、少くとも僕は、他人の夫婦の離合集散や恋愛のてんまつなどに、失敬千万な興味などを持つような、そんな下品な男でだけは無いつもりだ。じつに、なんにも、興味が無い。」
 笠井氏は既に泥酔でいすいに近く、あたりかまわず大声を張りあげてわめき散らすので、他の酔客たちも興が覚めた顔つきで、頬杖ほおづえなんかつきながら、ぼんやり笠井氏の蛮声に耳を傾けていました。
「ただ、この、伊藤に向って一こと言って置きたい事があるんだ。そのために、今晩ここへ立寄らせてもらったんだ。おい、伊藤君。僕は、君と絶交する。しかし、それは僕の意志ではないんだ。君はこの恋愛の進展につれて、君自身、僕のところへ来にくくなるだろう。わば、互いにてれ臭く気まずくなり、僕は君に敬遠せられ、僕の意志にらずとも、自然に絶交の形になるだろう。言いたいのは、それだけだ。では、失敬する。馬鹿野郎!」
 ふらふらと立ち上った時に、
「あの、失礼ですが、」
 と名刺片手に笠井氏に近づいた人は、れいの抜け目ない紳士、柳田でした。
「はじめて、おめにかかります。僕はこんなものですが、うちの伊藤君が、これまでいろいろお世話になりまして、いちど僕もご挨拶あいさつにあがろうと思いながら、……つい、……。」
 笠井氏は柳田から名刺を受取り、近眼の様子で眼から五寸くらいの距離に近づけて読み、
「すると、君は編輯部長か。つまり、伊藤の兄貴分なのだね。僕は、君を、うらむ。なぜ、こうなる前に、君は伊藤に忠告しなかったんだ。へっぽこ部長だ、お前は。かえって、伊藤をそそのかしたんじゃないか。どだい、その、赤いネクタイが気に食わん。」
 しかし、柳田は平然と微笑し、
「ネクタイは、すぐに取りかえます。僕も、これは、あまり結構ではないと思っていたんです。」
「そう、結構でない。そう知りながら、どうして伊藤に忠告しなかったんだ。忠告を。」
「いいえ、ネクタイの事です。」
「ネクタイなんか、どうだっていい。お前の服装なんか、どうだってかまやしない。問題は、僕が伊藤と絶交するという事だけなんだ。それだけだ。あともう、言う事は無い。失敬する。みんな馬鹿野郎ばっかりだ。」
 言い捨てて勘定も払わず蹌踉そうろうと屋台から出て行きます。さすが、抜け目ない柳田も、頭をかいて苦笑し、
「酒乱にはかなわねえ。腕力も強そうだしさ。仕末しまつが悪いよ。とにかく、伊藤。先生のあとを追って行って、あやまって来てくれ。僕もこんどの君の恋愛には、ハラハラしていたんだが、しかし、出来たものは仕様が無えしなあ。あいつこそ、わからずやの馬鹿野郎だが、あれでまた、これから、うちの雑誌には書かねえなんてになって言い出しやがったら、かなわねえ。行ってくれ。行って、そうしてまあ、いい加減ごまかしを言って、あやまるんだな。御教訓に依って、目がさめました、なんて言ってね。」
 僕は、すぐ笠井氏を追って屋台から出て、その時、振りかえってちらとトヨ公のおかみを見たら、おかみは、顔を伏せていました。
「先生、お送りします。」
 新橋駅で追いつき、そう言いますと、
「来たか。」
 と予期していたような口調で言い、
「もう一軒、飲もう。」
 雪がちらちら降りはじめていました。
「自動車を拾え。自動車を。」
「どこへ?」
「新宿だ。」
 自動車の中で、笠井氏は、
「一ぱい飲んでフウラフラ。二はい飲んでグウラグラ。フウラフラのグウラグラ。」
 とお念仏みたいなふしで低く繰りかえし繰りかえし唄い、そうして、ほとんど眠りかけている様子に見えました。
 僕は、いまいましいやら、不安なやら、悲しいやら、外套がいとうのポケットから吸いかけの煙草をさぐり出し、寒さにかじかんだれいの問題の細長い指先でつまんで、ライタアの火をつけ、窓外の闇の中に舞い飛ぶ雪片を見ていました。
「伊藤は、こんどいくつになったんだい?」
 まるっきり眠りこけているわけでも無かったのでした。二重廻しのえりに顔を埋めたまま、そう言いました。
 僕は、自分の年齢を告げました。
「若いなあ。おどろいた。それじゃ、まあ、無理もないが、しかし、女の事は気をつけろ。僕は何も、あの女が特に悪いというのじゃない。あのひとの事は、僕は何も知らん。また、知ろうとも思わない。いや、よしんば知っていたって、とやかく言う資格は僕には無い。僕は局外者だ。どだい、何も興味が無いんだ。だけど僕には、なぜだか、お前ひとりを惜しむ気持があるんだ。惜しい。すき好んで、自分から地獄行きを志願する必要は無いと思うんだ。君のいまの気持くらい、僕だって知ってるさ。そりゃお前の百倍もそれ以上ものたくさんの女に惚れられたものだ。本当さ。しかし、いつでも地獄の思いだったなあ。わからねえんだ。女の気持が、わからなくなって来るんだ。僕はね、人類、猿類、などという動物学上の区別の仕方は、あれは間違いだと思っている。男類、女類、猿類、とこう来なくちゃいけない。全然、種属がちがうのだ。からだがちがっているのと同様に、その思考の方法も、会話の意味も、匂い、音、風景などに対する反応の仕方も、まるっきり違っているのだ。女のからだにならない限り、絶対に男類には理解できない不思議な世界に女というものは平然と住んでいるのだ。君は、ためしてみた事があるかね。駅のプラットフォームに立って、やや遠い風景をながめ、それから、ちょっと二、三寸、腰を低くして、もういちど眺めると、その前方の同じ風景が、まるで全然かわって見える。二、三寸、背丈せたけが高いか低いかに依っても、それだけ、人生観、世界観が違って来るのだ。いわんや、君、男体と女体とでは、そのひどい差はお話にならん。別の世界に住んでいるのだ。僕たちには青く見えるものが、女には赤く見えているのかも知れない。そうして、赤い色の事を青い色と称するのだと思い込んで澄まして、そのように言っているので、僕たち男類は、女類と理解し合ったと安易にやにさがったりなどしているのだが、とんでもないひとり合点かも知れないぜ。僕たちが焼酎を一升飲んでグウラグラになった、ちょうどあれくらいの気持で、この女類という生き物が、まじめな顔つきをして買い物やら何やらして、また男類を批評などしているのではないのかね。焼酎一升、たしかにそれくらいだ。しらふで前後不覚で、そうしてお隣りの奥さんと井戸端で世間話なんかしているのだからね。実に不思議だ。たしかに、女類同志の会話には、僕たち男類に到底わからない、まるっきり違った別の意味がふくまっているのだ。僕たち男類が聞いて、およそ世につまらないものは、女類同志の会話だからね。前後不覚どころか、まるで発狂気味のように思われる。実に、不可解!」
 この笠井健一郎氏という作家は、若い頃、その愛人にかなり見っともない形でそむかれ、その打撃が、それこそ眉間みけんの深い傷になったくらいに強いものだったらしく、それ以来妻帯もせず、酒ばかり飲んで、女をてんで信用せず、もっぱら女を嘲笑ちょうしょうするような小説ばかり書いて、それでも、読書界の一部では、笠井氏のそんな十年一日の如き毒舌をひどく痛快がっていますので、笠井氏も調子に乗り、いまでは笠井氏の女に対する悪口は、わば彼のお家芸みたいになっているのでした。
「え? わかったかい? 女類と男類が理解し合うという事は、それは、ご無理というものなんだぜ。そんな甘ったれた考えを持っていたんじゃあ、僕はここで予言してもいい。君は、あの女に、裏切られる。必ず、裏切られる。いや、あの女ひとりに就いて言っているんじゃない。あのひとの個人的な事情なんか僕は、何も知らない。僕はただ、動物学のほうから女類一般の概論を述べただけだ。女類は、かねが好きだからなあ。死人の額に三角の紙がはられて、それに『シ』の字が書かれてあるように、女類の額には例外無く、金の『カ』の字を書いた三角の紙が、ぴったりはられているんだよ。」
「死ぬというんです。わかれたら、生きておれないと言うんです。何だか、薬を持っているんです。それを飲んで、死ぬ、というんです。生れてはじめての恋だと言うんです。」
「お前は、気がへんになってるんじゃないか、馬鹿野郎。さっきから何を聞いていたのだ、馬鹿野郎。僕は、サジを投げた。ここは、どこだ、四谷か。四谷から帰れ、馬鹿野郎。よくもまあ僕の前で、そんな阿呆あほくさい事がのめのめと言えたものだ。いまに、死ぬのは、お前のほうだろう。女は、へん、何のかのと言ったって、結局は、金さ。運転手さん、四谷で馬鹿がひとり降りるぜ。」
 女の心を、いたずらに試みるものではありませんね。僕は、あの笠井氏から、あまりにも口汚く罵倒ばとうせられ、さすがに口惜しく、その鬱憤うっぷんが恋人のほうに向き、その翌日、おかみが僕の社におどおど訪ねて来たのを冷たくあしらい、前夜の屈辱を洗いざらい、少しく誇張さえまぜて言って聞かせて、僕も男として、あれだけ面罵せられたのだから、もうこの上は意地になっても、僕はお前とわかれて、そうしてあの酒乱の笠井氏を見かえしてやらなければならぬ、と実は、わかれる気なんかみじんも無かったのに、一つにはまた、この際、彼女の恋の心の深さをこころみたい気持もあって、まことしやかに言い渡したのでした。
 女は、その夜、自殺しました。薬を飲んで掘割りに飛び込んだのです。あと仕末しまつはトヨ公が、いやな顔一つせず、ねんごろにしてくれました。それ以来、僕とトヨ公は、悲しい友人になりました。
 おかみの自殺から、ひと月くらいって、早春の或るよいに、笠井氏は、あの夜以来はじめて、トヨ公の屋台に、れいの如く泥酔してあらわれました。
「僕は、先月、ここの店の勘定を払ったか、どうか、……」
 あまり元気の無い口調でした。
「お勘定はりません。出て行っていただきます。」
 と、トヨ公は、れいの如く何の表情も無く言います。
「なんだ、怒っていやがる。男類、女類、猿類が気にさわったかな? だって、本当ならば仕様が無い。」
 ピシャリと快い音がしました。トヨ公が笠井氏のほおを、やったのでした。つづいて僕が、蹴倒けたおしました。笠井氏は、四ついになり、
「馬鹿、乱暴はよせ。男類、女類、猿類、まさにしかりだ。間違ってはいない。」
 もう半分眠っているくらいに酔っぱらっているのでした。手向いしないと見てとり、れいの抜け目の無い紳士、柳田が、コツンと笠井氏の頭を打ち、
「眼をさませ。こら、動物博士。四つ這いのままで退却しろ。」
 と言って、またコツンと笠井氏の頭をなぐりましたが、笠井氏は、なんにも抵抗せず、ふらふら起き上って、
「男類、女類、猿類、いや、女類、男類、猿類の順か、いや、猿類、男類、女類かな? いや、いや、猿類、女類、男類の順か。ああ、痛え。乱暴はいかん。猿類、女類、男類、か。香典こうでん千円ここへ置いて行くぜ。」 

 【了】

 

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【日刊 太宰治全小説】#252「眉山」

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【冒頭】
これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未だ発せられない前のお話である。
新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。

【結句】
「ほかへ行きましょう。あそこでは、飲めない。」
「同感です。」
僕たちは、その日から、ふっと河岸(かし)をかえた。
 

眉山(びざん)」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年1月中旬までに脱稿。
・昭和23年3月1日、『小説新潮』三月号に掲載。


グッド・バイ (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

 これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、いまだ発せられない前のお話である。
 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。
「若松屋も、眉山びざんがいなけりゃいいんだけど。」
「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」
 そう言いながらも僕たちは、三日に一度はその若松屋に行き、そこの二階の六畳で、ぶっ倒れるまで飲み、そうしてつい雑魚寝ざこねという事になる。僕たちはその家では、特別にわがままがいた。何もお金を持たずに行って、後払いという自由も出来た。その理由を簡単に言えば、三鷹みたかの僕の家のすぐ近くに、やはり若松屋というさかなやがあって、そこのおやじが昔から僕と飲み友達でもあり、また僕の家の者たちとも親しくしていて、そいつが、「行ってごらんなさい、私の姉が新宿に新しく店を出しました。以前は築地つきじでやっていたのですがね。あなたの事は、まえから姉に言っていたのです。泊って来たってかまやしません。」
 僕はすぐに出かけ、酔っぱらって、そうして、泊った。姉というのはもう、初老のあっさりしたおかみさんだった。
 何せ、借りが利くので重宝ちょうほうだった。僕は客をもてなすのに、たいていそこへ案内した。僕のところへ来る客は、自分もまあこれでも、小説家の端くれなので、小説家が多くならなければならぬ筈なのに、画家や音楽家の来訪はあっても、小説家は少かった。いや、ほとんど無いと言っても過言ではない状態であった。けれども、新宿の若松屋のおかみさんは、僕の連れて行く客は、全部みな小説家であるとひと合点がてんしている様子で、ことにも、その家の女中さんのトシちゃんは、幼少の頃より、小説というものがメシよりも好きだったのだそうで、僕がその家の二階に客を案内するともう、こちら、どなた? と好奇の眼をかがやかして僕に尋ねる。
林芙美子さんだ。」
 それは僕より五つも年上の頭の禿げた洋画家であった。
「あら、だって、……」
 小説というものがメシよりも好きと法螺ほらを吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽ろうばいして、
「林先生って、男の方なの?」
「そうだ。高浜虚子きよこというおじいさんもいるし、川端龍子りゅうこという口髭くちひげをはやした立派な紳士もいる。」
「みんな小説家?」
「まあ、そうだ。」
 それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎氏であった。
 いちど僕は、ピアニストの川上六郎氏を、若松屋のその二階に案内した事があった。僕が下の御不浄に降りて行ったら、トシちゃんが、お銚子ちょうしを持って階段の上り口に立っていて、
「あのかた、どなた?」
「うるさいなあ。誰だっていいじゃないか。」
 僕も、さすがに閉口していた。
「ね、どなた?」
「川上っていうんだよ。」
 もはや向っ腹が立って来て、いつもの冗談も言いたく無く、つい本当の事を言った。
「ああ、わかった。川上眉山。」
 滑稽こっけいというよりは、彼女のあまりの無智にうんざりして、ぶん殴りたいような気にさえなり、
「馬鹿野郎!」
 と言ってやった。
 それ以来、僕たちは、面と向えば彼女をトシちゃんと呼んでいたが、かげでは、眉山と呼ぶようになった。そうしてまた、若松屋の事を眉山軒などと呼ぶ人も出て来た。
 眉山の年齢は、はたち前後とでもいうようなところで、その風采ふうさいは、背が低くて色が黒く、顔はひらべったく眼が細く、一つとしていいところが無かったけれども、まゆだけは、ほっそりした三ヶ月型で美しく、そのためにもまた、眉山という彼女のあだ名は、ぴったりしている感じであった。
 けれども、その無智と図々ずうずうしさと騒がしさには、我慢できないものがあった。下にお客があっても、彼女は僕たちの二階のほうにばかり来ていて、そうして、何も知らんくせに自信たっぷりの顔つきで僕たちの話の中に割り込む。たとえば、こんな事もあった。
「でも、基本的人権というのは、……」
 と、誰かが言いかけると、
「え?」
 とすぐに出しゃばり、
「それは、どんなんです? やはり、アメリカのものなんですか? いつ、配給になるんです?」
 人絹じんけんと間違っているらしいのだ。あまりひどすぎて一座みな興がめ、誰も笑わず、しかめつらになった。
 眉山ひとり、いかにも楽しげな笑顔で、
「だって、教えてくれないんですもの。」
「トシちゃん、下にお客さんが来ているらしいぜ。」
「かまいませんわ。」
「いや、君が、かまわなくたって、……」
 だんだん不愉快になるばかりであった。
「白痴じゃないですか、あれは。」
 僕たちは、眉山のいない時には、思い切り鬱憤うっぷんをはらした。
「いかに何でも、ひどすぎますよ。この家も、わるくはないが、どうもあの眉山がいるんじゃあ。」
「あれで案外、自惚うぬぼれているんだぜ。僕たちにこんなに、きらわれているとは露知らず、かえって皆の人気者、……」
「わあ! たまらねえ。」
「いや、おおきにそうかも知れん。なんでも、あれは、貴族、……」
「へえ? それは初耳。めずらしい話だな。眉山みずからの御託宣ですか?」
「そうですとも。その貴族の一件でね、あいつ大失敗をやらかしてね、誰かが、あいつをだまして、ほんものの貴婦人は、おしっこをする時、しゃがまないものだと教えたのですね、すると、あの馬鹿が、こっそり御不浄でためしてみて、いやもう、四方八方に飛散し、御不浄は海、しかもあとは、知らん顔、御承知でしょうが、ここの御不浄は、裏の菓物屋さんと共同のものなんですから、菓物屋さんは怒り、下のおかみさんに抗議して、犯人はてっきり僕たち、酔っぱらいには困る、という事になり、僕たちが無実の罪を着せられたというにがにがしい経験もあるんです、しかし、いくら僕たちが酔っぱらっていたって、あんな大洪水の失礼は致しませんからね、不審に思って、いろいろせんさくの結果、眉山でした、かれは僕たちにあっさり白状したんです、御不浄の構造が悪いんだそうです。」
「どうしてまた、貴族だなんて。」
「いまの、はやり言葉じゃないんですか? 何でも、眉山の家は、静岡市の名門で、……」
「名門? ピンからキリまであるものだな。」
「住んでいた家が、ばかに大きかったんだそうです。戦災で全焼していまは落ちぶれたんだそうですけどね、何せ帝都座と同じくらいの大きさだったというんだから、おどろきますよ。よく聞いてみると、何、小学校なんです。その小学校の小使さんの娘なんですよ、あの眉山は。」
「うん、それで一つ思い出した事がある。あいつの階段の昇り降りが、いやに乱暴でしょう。昇る時は、ドスンドスン、降りる時はころげ落ちるみたいに、ダダダダダ。いやになりますよ、ダダダダダと降りてそのまま御不浄に飛び込んで扉をピシャリッでしょう。おかげで僕たちが、ほら、いつか、冤罪えんざいをこうむった事があったじゃありませんか。あの階段の下には、もう一部屋あって、おかみさんの親戚しんせきのひとが、歯の手術に上京して来ていてそこに寝ていたのですね。歯痛には、あのドスンドスンもダダダダも、ひびきますよ。おかみさんに言ったってね、私はあの二階のお客さんたちに殺されますって。ところが僕たちの仲間には、そんな乱暴な昇り降りするひとは無い。でも、おかみさんに僕が代表で注意をされたんです。面白くないから、僕は、おかみさんに言いましたよ、あれは眉山、いや、トシちゃんにきまっていますって。すると、傍でそれを聞いていた眉山は、薄笑いして、私は小さい時から、しっかりした階段を昇り降りして育って来ましたから、とむしろ得意そうな顔で言うんですね。その時は、僕は、女って浅間あさましい虚栄の法螺ほらを吹くものだと、ただあきれていたんですが、そうですか、学校育ちですか、それなら、法螺じゃありません、小学校のあの階段は頑丈ですからねえ。」
「聞けば聞くほど、いやになる。あすからもう、河岸かしをかえましょうよ。いい潮時ですよ。他にどこか、巣を捜しましょう。」
 そのような決意をして、よその飲み屋をあちこちのぞいて歩いても、結局、また若松屋という事になるのである。何せ、借りが利くので、つい若松屋のほうに、足が向く。
 はじめは僕の案内でこの家へ来たれいの頭の禿げた林先生すなわち洋画家の橋田氏なども、その後は、ひとりでやって来てこの家の常連の一人になったし、その他にも、二、三そんな人物が出来た。
 あたたかくなって、そろそろ桜の花がひらきはじめ、僕はその日、前進座若手俳優の中村国男君と、眉山軒で逢って或る用談をすることになっていた。用談というのは、実は彼の縁談なのであるが、少しややこしく、僕の家では、ちょっと声をひそめて相談しなければならぬ事情もあったので、眉山軒で逢って互いに大声で論じ合うべく約束をしていたのである。中村国男君も、その頃はもう、眉山軒の半常連くらいのところになっていて、そうして眉山は、彼を中村武羅夫むらお氏だとばかり思い込んでいた。
 行ってみると、中村武羅夫先生はまだ来ていなくて、林先生の橋田新一郎氏が土間のテーブルで、ひとりでコップ酒を飲みニヤニヤしていた。
「壮観でしたよ。眉山がミソを踏んづけちゃってね。」
「ミソ?」
 僕は、カウンターに片肘かたひじをのせて立っているおかみさんの顔を見た。
 おかみさんは、いかにも不機嫌そうに眉をひそめ、それから仕方無さそうに笑い出し、
「話にも何もなりやしないんですよ、あの子のそそっかしさったら。外からバタバタ眼つきをかえてけ込んで来て、いきなり、ずぶりですからね。」
「踏んだのか。」
「ええ、きょう配給になったばかりのおミソをお重箱に山もりにして、私も置きどころが悪かったのでしょうけれど、わざわざそれに片足をつっ込まなくてもいいじゃありませんか。しかも、それをぐいと引き抜いて、爪先立つまさきだちになってそのまま便所ですからね。どんなに、こらえ切れなくなっていたって、何もそれほどあわて無くてもよろしいじゃございませんか。お便所にミソの足跡なんか、ついていたひには、お客さまが何と、……」
 と言いかけて、さらに大声で笑った。
「お便所にミソは、まずいね。」
 と僕は笑いをこらえながら、
「しかし、御不浄へ行く前でよかった。御不浄から出て来た足では、たまらない。何せ眉山大海たいかいといってね、有名なものなんだからね、その足でやられたんじゃ、ミソも変じてクソになるのは確かだ。」
「何だか、知りませんがね、とにかくあのおミソは使い物になりやしませんから、いまトシちゃんに捨てさせました。」
「全部か? そこが大事なところだ。時々、朝ここで、おみおつけのごちそうになる事があるからな。後学のために、おたずねする。」
「全部ですよ。そんなにお疑いなら、もう、うちではお客さまに、おみおつけは、お出し致しません。」
「そう願いたいね。トシちゃんは?」
井戸端いどばたで足を洗っています。」
 と橋田氏は引き取り、
「とにかく壮烈なものでしたよ。私は見ていたんです。ミソ踏み眉山吉右衛門きちえもんの当り芸になりそうです。」
「いや、芝居にはなりますまい。おミソの小道具がめんどうです。」
 橋田氏は、その日、用事があるとかで、すぐに帰り、僕は二階にあがって、中村先生を待っていた。
 ミソ踏み眉山は、お銚子を持ってドスンドスンとやって来た。
「君は、どこか、からだが悪いんじゃないか? 傍に寄るなよ、けがれるわい。御不浄にばかり行ってるじゃないか。」
「まさか。」
 と、たのしそうに笑い、
「私ね、小さい時、トシちゃんはお便所へいちども行った事が無いような顔をしているって、言われたものだわ。」
「貴族なんだそうだからね。……しかし、僕のいつわらざる実感を言えば、君はいつでもたったいま御不浄から出て来ましたって顔をしているが、……」
「まあ、ひどい。」
 でも、やはり笑っている。
「いつか、羽織のすそを背中に背負ったままの姿で、ここへお銚子を持って来た事があったけれども、あんなのは、一目瞭然いちもくりょうぜん、というのだ、文学のほうではね。どだい、あんな姿で、おしゃくするなんて、失敬だよ。」
「あんな事ばかり。」
 平然たるものである。
「おい、君、汚いじゃないか。客の前で、爪のあかをほじくり出すなんて。こっちは、これでもお客だぜ。」
「あら、だって、あなたたちも、皆こうしていらっしゃるんでしょう? 皆さん、爪がきれいだわ。」
「ものが違うんだよ。いったい、君は、風呂へはいるのかね。正直に言ってごらん。」
「それあ、はいりますわよ。」
 と、あいまいな返事をして、
「私ね、さっき本屋へ行ったのよ。そうしてこれを買って来たの。あなたのお名前も出ていてよ。」
 ふところから、新刊の文芸雑誌を出して、パラパラ頁を繰って、その、僕の名前の出ているところを捜している様子である。
「やめろ!」
 こらえ切れず、僕は怒声を発した。打ち据えてやりたいくらいの憎悪ぞうおを感じた。
「そんなものを、読むもんじゃない。わかりやしないよ、お前には。何だってまた、そんなものを買って来るんだい。無駄だよ。」
「あら、だって、あなたのお名前が。」
「それじゃ、お前は、僕の名前の出ている本を、全部片っ端から買い集めることが出来るかい。出来やしないだろう。」
 へんな論理であったが、僕はムカついて、たまらなかった。その雑誌は、僕のところにも恵送せられて来ていたのであるが、それには僕の小説を、それこそ、クソミソに非難している論文が載っているのを僕は知っているのだ。それを、眉山がれいの、けろりとした顔をして読む。いや、そんな理由ばかりではなく、眉山ごときに、僕の名前や、作品を、少しでもいじられるのが、いやでいやで、堪え切れなかった。いや、案外、小説がメシより好き、なんて言っている連中には、こんな眉山級が多いのかも知れない。それに気附かず、作者は、汗水流し、妻子を犠牲にしてまで、そのような読者たちに奉仕しているのではあるまいか、と思えば、泣くにも泣けないほどの残念無念の情が胸にこみ上げて来るのだ。
「とにかく、その雑誌は、ひっこめてくれ。ひっこめないと、ぶん殴るぜ。」
「わるかったわね。」
 と、やっぱりニヤニヤ笑いながら、
「読まなけれあいいんでしょう?」
「どだい、買うのが馬鹿の証拠だ。」
「あら、私、馬鹿じゃないわよ。子供なのよ。」
「子供? お前が? へえ?」
 僕は二の句がつげず、しんから、にがり切った。
 それから数日後、僕はお酒の飲みすぎで、突然、からだの調子を悪くして、十日ほど寝込み、どうやら恢復かいふくしたので、また酒を飲みに新宿に出かけた。
 黄昏たそがれの頃だった。僕は新宿の駅前で、肩をたたかれ、振り向くと、れいの林先生の橋田氏が微醺びくんを帯びて笑って立っている。
眉山軒ですか?」
「ええ、どうです、一緒に。」
 と、僕は橋田氏を誘った。
「いや、私はもう行って来たんです。」
「いいじゃありませんか、もう一回。」
「おからだを、悪くしたとか、……」
「もう大丈夫なんです。まいりましょう。」
「ええ。」
 橋田氏は、そのひとらしくも無く、なぜだか、ひどく渋々しぶしぶ応じた。
 裏通りを選んで歩きながら、僕は、ふいと思い出したみたいな口調でたずねた。
「ミソ踏み眉山は、相変らずですか?」
「いないんです。」
「え?」
「きょう行ってみたら、いないんです。あれは、死にますよ。」
 ぎょっとした。
「おかみから、いま聞いて来たんですけどね、」
 と橋田氏も、まじめな顔をして、
「あの子は、腎臓結核じんぞうけっかくだったんだそうです。もちろん、おかみにも、また、トシちゃんにも、そんな事とは気づかなかったが、妙にお小用が近いので、おかみがトシちゃんを病院に連れて行って、しらべてもらったらその始末で、しかも、もう両方の腎臓が犯されていて、手術も何もすべて手おくれで、あんまり永い事は無いらしいのですね。それで、おかみは、トシちゃんには何も知らせず、静岡の父親のもとにかえしてやったんだそうです。」
「そうですか。……いい子でしたがね。」
 思わず、溜息と共にその言葉が出て、僕は狼狽ろうばいし、自分で自分の口をおおいたいような心地がした。
「いい子でした。」
 と、橋田氏は、落ちついてしみじみ言い、
「いまどき、あんないい気性の子は、めったにありませんですよ。私たちのためにも、一生懸命つとめてくれましたからね。私たちが二階に泊って、午前二時でも三時でも眼がさめるとすぐ、下へ行って、トシちゃん、お酒、と言えば、その一ことで、ハイッと返事して、寒いのに、ちっともたいぎがらずにすぐ起きてお酒を持って来てくれましたね、あんな子は、めったにありません。」
 涙が出そうになったので、僕は、それをごまかそうとして、
「でも、ミソ踏み眉山なんて、あれは、あなたの命名でしたよ。」
「悪かったと思っているんです。腎臓結核は、おしっこが、ひどく近いものらしいですからね、ミソを踏んだり、階段をころげ落ちるようにして降りてお便所にはいるのも、無理がないんですよ。」
眉山大海たいかいも?」
「きまっていますよ、」
 と橋田氏は、僕の茶化すような質問に立腹したような口調で、
「貴族の立小便なんかじゃありませんよ。少しでも、ほんのちょっとでも永く、私たちの傍にいたくて、我慢に我慢をしていたせいですよ。階段をのぼる時の、ドスンドスンも、病気でからだが大儀で、それでも、無理して、私たちにつとめてくれていたんです。私たちみんな、ずいぶん世話を焼かせましたからね。」
 僕は立ちどまり、地団駄じだんだ踏みたい思いで、
「ほかへ行きましょう。あそこでは、飲めない。」
「同感です。」
 僕たちは、その日から、ふっと河岸かしをかえた。 

 【了】

 

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【日刊 太宰治全小説】#251「美男子と煙草」

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【冒頭】
私は、独りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑(けいべつ)しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。

【結句】
「これが、上野の浮浪者だ。」
と教えてやったら、女房は真面目(まじめ)に、
「はあ、これが浮浪者ですか。」
と言い、つくづく写真を見ていたが、ふと私はその女房の見詰めている個所(かしょ)を見て驚き、
「お前は、何を感違いして見ているのだ。それは、おれだよ。お前の亭主(ていしゅ)じゃないか。浮浪者は、そっちの方だ。」
女房は生真面目(きまじめ)過ぎる程の性格の所有者で、冗談など言える女ではないのである。本気に私の姿を浮浪者のそれと見誤ったらしい。
 

美男子(びなんし)煙草(たばこ)」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年1月中旬までに脱稿。
・昭和23年3月1日、『日本小説』三月号に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 私は、ひとりで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑けいべつしつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。
 私のたたかい。それは、一言で言えば、古いものとのたたかいでした。ありきたりの気取りに対するたたかいです。見えすいたお体裁ていさいに対するたたかいです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。
 私は、エホバにだって誓って言えます。私は、そのたたかいの為に、自分の持ち物全部を失いました。そうして、やはり私は独りで、いつも酒を飲まずには居られない気持で、そうして、どうやら、負けそうになって来ました。
 古い者は、意地が悪い。何のかのと、陳腐ちんぷきわまる文学論だか、芸術論だか、恥かしげも無く並べやがって、もって新しい必死の発芽を踏みにじり、しかも、その自分の罪悪に一向お気づきになっておらない様子なんだから、恐れいります。押せども、ひけども、動きやしません。ただもう、命が惜しくて、金が惜しくて、そうして、出世して妻子をよろこばせたくて、そのために徒党を組んで、やたらと仲間ぼめして、所謂いわゆる一致団結して孤影の者をいじめます。
 私は、負けそうになりました。
 先日、或るところで、下等な酒を飲んでいたら、そこへ年寄りの文学者が三人はいって来て、私がそのひとたちとは知合いでも何でも無いのに、いきなり私を取りかこみ、ひどくだらしない酔い方をして、私の小説にいて全く見当ちがいの悪口を言うのでした。私は、いくら酒を飲んでも、乱れるのは大きらいのたちですから、その悪口も笑って聞き流していましたが、家へ帰って、おそい夕ごはんを食べながら、あまり口惜くやしくて、ぐしゃと嗚咽おえつが出て、とまらなくなり、お茶碗ちゃわんはしも、手放して、おいおい男泣きに泣いてしまって、お給仕していた女房に向い、
「ひとが、ひとが、こんな、いのちがけで必死で書いているのに、みんなが、軽いなぶりものにして、……あのひとたちは、先輩なんだ、僕より十も二十も上なんだ、それでいて、みんな力を合せて、僕を否定しようとしていて、……卑怯ひきょうだよ、ずるいよ、……もう、いい、僕だってもう遠慮しない、先輩の悪口を公然と言う、たたかう、……あんまり、ひどいよ。」
 などと、とりとめの無い事をつぶやきながら、いよいよはげしく泣いて、女房はあきれた顔をして、
「おやすみなさい、ね。」
 と言い、私を寝床に連れて行きましたが、寝てからも、そのくやし泣きの嗚咽が、なかなか、とまりませんでした。
 ああ、生きて行くという事は、いやな事だ。ことにも、男は、つらくて、かなしいものだ。とにかく、何でもたたかって、そうして、勝たなければならぬのですから。
 その、くやし泣きに泣いた日から、数日後、或る雑誌社の、若い記者が来て、私に向い、妙な事を言いました。
「上野の浮浪者を見に行きませんか?」
「浮浪者?」
「ええ、一緒の写真をとりたいのです。」
「僕が、浮浪者と一緒の?」
「そうです。」
 と答えて、落ちついています。
 なぜ、特に私を選んだのでしょう。太宰といえば、浮浪者。浮浪者といえば、太宰。何かそのような因果関係でもあるのでしょうか。
「参ります。」
 私は、泣きべその気持の時に、かえって反射的に相手に立向う性癖を持っているようです。
 私はすぐ立って背広に着換え、私の方から、その若い記者をせき立てるようにして家を出ました。
 冬の寒い朝でした。私はハンカチで水洟みずばなを押えながら、無言で歩いて、さすがに浮かぬ心地ここちでした。
 三鷹みたか駅から省線で東京駅まで行き、それから市電に乗換え、その若い記者に案内されて、ず本社に立寄り、応接間に通されて、そうして早速ウイスキイの饗応にあずかりました。
 思うに、太宰はあれは小心者だから、ウイスキイでも飲ませて少し元気をつけさせなければ、浮浪者とろくに対談も出来ないに違いないという本社編輯部へんしゅうぶの好意ある取計らいであったのかも知れませんが、率直に言いますと、そのウイスキイははなはだ奇怪なしろものでありました。私も、これまでさまざまの怪しい酒を飲んで来た男で、何も決して上品ぶるわけではありませんが、しかし、ウイスキイの独り酒というのは初めてでした。ハイカラなレッテルなどられ、ちゃんとしたびんでしたが、内容が濁っているのです。ウイスキイのドブロクとでも言いましょうか。
 けれども私はそれを飲みました。グイグイ飲みました。そうして、応接間に集って来ていた記者たちにも、飲みませんか、と言ってすすめました。しかし、皆うす笑いして飲まないのです。そこに集って来ていた記者たちは、たいていひどいお酒飲みなのを私はうわさで聞いて知っているのでした。けれども、飲まないのです。さすがの酒豪たちも、ウイスキイのドブロクは敬遠の様子でした。
 私だけが酔っぱらい、
「なんだい、君たちは失敬じゃあないか。てめえたちが飲めない程の珍妙なウイスキイを、客にすすめるとは、ひどいじゃないか。」
 と笑いながら言って、記者たちは、もうそろそろ太宰も酔って来た、この勢いの消えないうちに、浮浪者と対面させなければならぬと、いわばチャンスを逃さず、私を自動車に乗せ、上野駅に連れて行き、浮浪者の巣と言われる地下道へ導くのでした。
 けれども、記者たちのこの用意周到の計画も、あまり成功とは言えないようでした。私は、地下道へ降りて何も見ずに、ただ真直まっすぐに歩いて、そうして地下道の出口近くなって、焼鳥屋の前で、四人の少年が煙草を吸っているのを見掛け、ひどくいやな気がして近寄り、
「煙草は、よしたまえ。煙草を吸うとかえっておなかがくものだ。よし給え。焼鳥が喰いたいなら、買ってやる。」
 少年たちは、吸い掛けの煙草を素直に捨てました。すべて拾歳前後の、ほんの子供なのです。私は焼鳥屋のおかみに向い、
「おい、この子たちに一本ずつ。」
 と言い、実に、へんな情なさを感じました。
 これでも、善行という事になるのだろうか、たまらねえ。私は唐突にヴァレリイのる言葉を思い出し、さらに、たまらなくなりました。
 もし、私のその時の行いが俗物どもから、多少でも優しい仕草と見られたとしたら、私はヴァレリイにどんなに軽蔑されても致し方なかったんです。
 ヴァレリイの言葉、――善をなす場合には、いつもびながらしなければいけない。善ほど他人をきずつけるものはないのだから。
 私は風邪かぜをひいたような気持になり、背中を丸め、大股で地下道の外に出てしまいました。
 四五人の記者たちが、私の後を追いかけて来て、
「どうでした。まるで地獄でしょう。」
 別の一人が、
「とにかく、別世界だからな。」
 また別の一人が、
「驚いたでしょう? 御感想は?」
 私は声を出して笑いました。
「地獄? まさか。僕は少しも驚きませんでした。」
 そう言って上野公園の方に歩いて行き、私は少しずつおしゃべりになって行きました。
「実は、僕なんにも見て来なかったんです。自分自身の苦しさばかり考えて、ただ真直を見て、地下道を急いで通り抜けただけなんです。でも、君たちが特に僕を選んで地下道を見せた理由は、わかった。それはね、僕が美男子であるという理由からに違いない。」
 みんな大笑いしました。
「いや、冗談じゃない。君たちには気がつかなかったかね。僕は、真直を見て歩いていても、あの薄暗いすみに寝そべっている浮浪者のほとんど全部が、端正な顔立をした美男子ばかりだということを発見したんだ。つまり、美男子は地下道生活におちる可能性を多分に持っているということになる。君なんか色が白くて美男子だから、危いぞ、気をつけ給え。僕も、気をつけるがね。」
 また、みんながどっと笑いました。
 自惚うぬぼれて、自惚れて、人がなんと言っても自惚れて、ふと気がついたらわが身は、地下道の隅に横たわり、もはや人間でなくなっているのです。私は、地下道を素通りしただけで、そのような戦慄せんりつを、本気に感じたのでした。
「美男子の件はとに角、そのほかに何か発見出来ましたか。」
 と問われて私は、
「煙草です。あの美男子たちは、酒に酔っているようにも見えなかったが、煙草だけはたいてい吸っていましたね。煙草だって、安かないんだろう。煙草を買うお金があったら、むしろ一枚でも、下駄げた一足でも買えるんじゃないかしら。コンクリイトの上にじかに寝て、はだしで、そうして煙草をふかしている。人間は、いや、いまの人間は、どん底に落ちても、丸裸になっても、煙草を吸わなければならぬように出来ているのだろうね。ひとごとじゃない。どうも、僕にもそんな気持が思い当らぬこともない。いよいよこれは、僕の地下道行きは実現性の色を増して来たようだわい。」
 上野公園前の広場に出ました。さっきの四名の少年が冬の真昼の陽射ひざしを浴びて、それこそ嬉々として遊びたわむれていました。私は自然に、その少年たちの方にふらふら近寄ってしまいました。
「そのまま、そのまま。」
 ひとりの記者がカメラを私たちの方に向けて叫び、パチリと写真をうつしました。
「こんどは、笑って!」
 その記者が、レンズをのぞきながら、またそう叫び、少年のひとりは、私の顔を見て、
「顔を見合せると、つい笑ってしまうものだなあ。」
 と言って笑い、私もつられて笑いました。
 天使が空を舞い、神の思召おぼしめしにより、翼が消え失せ、落下傘らっかさんのように世界中の処々方々に舞い降りるのです。私は北国の雪の上に舞い降り、君は南国の蜜柑畑みかんばたけに舞い降り、そうして、この少年たちは上野公園に舞い降りた、ただそれだけの違いなのだ、これからどんどん生長しても、少年たちよ、容貌ようぼうには必ず無関心に、煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永きながれなさい。


 附記
 この時うつした写真を、あとで記者が持って来てくれた。笑い合っている写真と、それからもう一枚は、私が浮浪児たちの前にしゃがんで、ひとりの浮浪児の足をつかんでいるはなはだ妙なポーズの写真であった。もしこれが後日、何か雑誌にでも掲載された場合、太宰はキザな奴だ、キリスト気取りで、あのヨハネ伝の弟子でしの足を洗ってやる仕草を真似まねしていやがる、げえっ、というような誤解を招くおそれなしとしないので一言弁明するが、私はただはだしで歩いている子供の足の裏がどんなになっているのだろうという好奇心だけであんな恰好かっこうをしただけだ。
 さらに一つ、笑い話を附け加えよう。その二枚の写真が届けられた時、私は女房を呼び、
「これが、上野の浮浪者だ。」
 と教えてやったら、女房は真面目まじめに、
「はあ、これが浮浪者ですか。」
 と言い、つくづく写真を見ていたが、ふと私はその女房の見詰めている個所を見て驚き、
「お前は、何を感違いして見ているのだ。それは、おれだよ。お前の亭主じゃないか。浮浪者は、そっちの方だ。」
 女房は生真面目過ぎる程の性格の所有者で、冗談など言える女ではないのである。本気に私の姿を浮浪者のそれと見誤ったらしい。

 【了】

 

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【日刊 太宰治全小説】#250「酒の追憶」

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【冒頭】

酒の追憶とは言っても、酒が追憶するという意味ではない。酒についての追憶、もしくは、酒についての追憶ならびに、その追憶を中心にしたもろもろの過去の私の生活形態についての追憶、とでもいったような意味なのであるが、それでは、題名として長すぎるし、また、ことさらに奇をてらったキザなもののような感じの題名になることをおそれて、かりに「酒の追憶」として置いたまでの事である。

【結句】

さいきん私は、からだ具合いを悪くして、実に久しぶりで、小さい盃でちびちび一級品なるものを飲み、その変転のはげしさを思い、呆然(ぼうぜん)として、わが身の下落の取りかえしのつかぬところまで来ている事をいまさらの(ごと)く思い知らされ、また同時に、身辺の世相風習の見事なほどの変貌が、何やら恐ろしい悪夢か、怪談の(ごと)く感ぜられ、しんに身の毛のよだつ思いをしたことであった。

 

(さけ)追憶(ついおく)」について

新潮文庫津軽通信』所収。
・昭和22年11月中旬か下旬かに脱稿。
・昭和23年1月1日、『地上』新年号に掲載。


津軽通信 (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

  酒の追憶とは言っても、酒が追憶するという意味ではない。酒についての追憶、もしくは、酒についての追憶ならびに、その追憶を中心にしたもろもろの過去の私の生活形態についての追憶、とでもいったような意味なのであるが、それでは、題名として長すぎるし、また、ことさらに奇をてらったキザなもののような感じの題名になることをおそれて、かりに「酒の追憶」として置いたまでの事である。
 私はさいきん、少しからだの調子を悪くして、神妙にしばらく酒から遠ざかっていたのであるが、ふと、それも馬鹿らしくなって、家の者に言いつけ、お酒をおかんさせ、小さいさかずきでチビチビ二合くらい飲んでみた。そうして私は、実に非常なる感慨にふけった。
 お酒は、それは、お燗して、小さい盃でチビチビ飲むものにきまっている。当り前の事である。私が日本酒を飲むようになったのは、高等学校時代からであったが、どうも日本酒はからくて臭くて、小さい盃でチビチビ飲むのにさえ大いなる難儀を覚え、キュラソオ、ペパミント、ポオトワインなどのグラスを気取った手つきで口もとへ持って行って、少しくなめるという種族の男で、そうして日本酒のお銚子ちょうしを並べて騒いでいる生徒たちに、嫌悪けんお侮蔑ぶべつと恐怖を感じていたものであった。いや、本当の話である。
 けれども、やがて私も、日本酒を飲む事にれたが、しかし、それは芸者遊びなどしている時に、芸者にあなどられたくない一心から、にがいにがいと思いつつ、チビチビやって、そうして必ず、すっくと立って、風の如く御不浄に走り行き、涙を流して吐いて、とにかく、必ずうめいて吐いて、それから芸者に柿などむいてもらって、真蒼まっさおな顔をして食べて、そのうちにだんだん日本酒にも馴れた、というはなはだ情無い苦行の末の結実なのであった。
 小さい盃で、チビチビ飲んでも、既にかくの如き過激の有様である。いわんや、コップ酒、ひや酒、ビイルとチャンポンなどに到っては、それはほとんど戦慄せんりつの自殺行為と全く同一である、と私は思い込んでいたのである。
 いったい昔は、独酌でさえあまり上品なものではなかったのである。必ずいちいち、おしゃくをさせたものなのである。酒は独酌に限りますなあ、なんて言う男は、既に少しすさんだ野卑な人物と見なされたものである。小さい盃の中の酒を、一息にぐいと飲みほしても、周囲の人たちが眼を見はったもので、まして独酌で二三杯、ぐいぐいつづけて飲みほそうものなら、まずこれはヤケクソの酒乱と見なされ、社交界から追放の憂目うきめったものである。
 あんな小さい盃で二、三杯でも、もはやそのような騒ぎなのだから、コップ酒、茶碗酒などに到っては、まさしく新聞だねの大事件であったようである。これは新派の芝居のクライマックスによく利用せられていて、
「ねえさん! 飲ませて! たのむわ!」
 と、色男とわかれた若い芸者は、お酒のはいっているお茶碗を持って身悶みもだえする。ねえさん芸者そうはさせじと、その茶碗を取り上げようと、これまた身悶えして、
「わかる、小梅さん、気持はわかる、だけど駄目。茶碗酒の荒事あらごとなんて、あなた、私を殺してからお飲み。」
 そうして二人は、相擁あいようして泣くのである。そうしてその狂言では、このへんが一ばん手に汗を握らせる、戦慄と興奮の場面になっているのである。
 これが、ひや酒となると、なおいっそう凄惨せいさんな場面になるのである。うなだれている番頭は、顔を挙げ、お内儀のほうに少しくひざをすすめて、声ひそめ、
「申し上げてもよろしゅうございますか。」
 と言う。何やら意を決したもののようである。
「ああ、いいとも。何でも言っておくれ。どうせ私は、あれの事には、あきれはてているのだから。」
 若旦那の不行跡にいて、その母と、その店の番頭が心配している場面のようである。
「それならば申し上げます。驚きなすってはいけませんよ。」
「だいじょうぶだってば!」
「あの、若旦那は、深夜台所へ忍び込み、あの、ひやざけ、……」と言いも終らず番頭、がっぱと泣き伏し、お内儀、
「げえっ!」とのけぞる。木枯しの擬音。
 ほとんど、ひや酒は、陰惨きわまる犯罪とせられていたわけである。いわんや、焼酎しょうちゅうなど、怪談以外には出て来ない。
 変れば変る世の中である。
 私がはじめて、ひや酒を飲んだのは、いや、飲まされたのは、評論家古谷綱武君の宅においてである。いや、その前にも飲んだ事があるのかも知れないが、その時の記憶がイヤに鮮明である。その頃、私は二十五歳であったと思うが、古谷君たちの「海豹」という同人雑誌に参加し、古谷君の宅がその雑誌の事務所という事になっていたので、私もしばしば遊びに行き、古谷君の文学論を聞きながら、古谷君の酒を飲んだ。
 その頃の古谷君は、機嫌のいい時は馬鹿にいいが、悪い時はまたひどかった。たしか早春の夜と記憶するが、私が古谷君の宅へ遊びに行ったら古谷君は、
「君、酒を飲むんだろう?」
 と、さげすむような口調で言ったので、私も、むっとした。なにも私のほうだけが、いつもごちそうのなりっ放しになっているわけではない。
「そんな言いかたをするなよ。」
 私は無理に笑ってそう言った。
 すると古谷君も、少し笑って、
「しかし、飲むんだろう?」
「飲んでもいい。」
「飲んでもいい、じゃない。飲みたいんだろう?」
 古谷君には、その頃、ちょっとしつっこいところがあった。私は帰ろうかと思った。
「おうい。」と、古谷君は細君を呼んで、「台所にまだ五ん合くらいお酒が残っているだろう。持って来なさい。びんのままでいい。」
 私はも少し、いようかと思った。酒の誘惑はおそろしいものである。細君が、お酒の「五ん合」くらいはいっている一升瓶を持って来た。
「おかんをつけなくていいんですか?」
「かまわないだろう。その茶呑茶碗にでも、ついでやりなさい。」
 古谷君は、ひどく傲然ごうぜんたるものである。
 私も向っ腹が立っていたので、黙ってぐいと飲んだ。私の記憶する限りに於ては、これが私の生れてはじめての、ひや酒を飲んだ経験であった。
 古谷君は懐手ふところでして、私の飲むのをじろじろ見て、そうして私の着物の品評をはじめた。
「相変らず、いい下着を着ているな。しかし君は、わざと下着の見えるような着附けをしているけれども、それは邪道だぜ。」
 その下着は、故郷のお婆さんのおさがりだった。私は、いよいよ面白くない気持で、なおもがぶがぶ、生れてはじめてのひや酒を手酌で飲んだ。一向に酔わない。
「ひや酒ってのは、これや、水みたいなものじゃないか。ちっとも何とも無い。」
「そうかね。いまに酔うさ。」
 たちまち、五ん合飲んでしまった。
「帰ろう。」
「そうか。送らないぜ。」
 私はひとり、古谷君の宅を出た。私は夜道を歩いて、ひどく悲しくなり、小さい声で、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 というお軽の唄をうたった。
 突如、実にまったく突如、酔いが発した。ひや酒は、たしかに、水では無かった。ひどく酔って、たちまち、私の頭上から巨大の竜巻が舞い上り、私の足は宙に浮き、ふわりふわりと雲霧の中を掻きわけて進むというあんばいで、そのうちに転倒し、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 と小声でつぶやき、起き上って、また転倒し、世界が自分を中心に目にもとまらぬ速さで回転し、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 そのの鳴くが如き、あわれにかぼそいわが歌声だけが、はるか雲煙のかなたから聞えて来るような気持で、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 また転倒し、また起き上り、れいの「いい下着」も何も泥まみれ、下駄を見失い、足袋たびはだしのままで、電車に乗った。
 その後、私は現在まで、おそらく何百回、何千回となく、ひや酒を飲んだが、しかし、あんなにひどいめに逢った事が無かった。
 ひや酒に就いて、忘れられないなつかしい思い出が、もう一つある。
 それを語るためには、ちょっと、私と丸山定夫君との交友に就いて説明して置く必要がある。
 太平洋戦争のかなりすすんだ、あれは初秋の頃であったか、丸山定夫君から、次のような意味のおたよりをいただいた。
 ぜひいちど訪問したいが、よろしいだろうか、そうしてその折、私ともう一人のやつを連れて行きたい、そのやつとも逢ってやっては下さるまいか。
 私はそれまでいちども丸山君とは、逢った事も無いし、また文通した事も無かったのである。しかし、名優としての丸山君の名は聞いて知っていたし、また、その舞台姿も拝見した事がある。私は、いつでもおいで下さい、と返事を書いて、また拙宅に到る道筋の略図なども書き添えた。
 数日後、丸山です、とれいの舞台で聞き覚えのある特徴のある声が、玄関に聞えた。私は立って玄関に迎えた。
 丸山君おひとりであった。
「もうひとりのおかたは?」
 丸山君は微笑して、
「いや、それが、こいつなんです。」
 と言って風呂敷から、トミイウイスキイの角瓶を一本取り出して、玄関の式台の上に載せた。洒落しゃれたひとだ、と私は感心した。その頃は、いや、いまでもそうだが、トミイウイスキイどころか、焼酎でさえめったに我々の力では入手出来なかったのである。
「それから、これはどうも、ケチくさい話なんですが、これを半分だけ、今夜二人で飲むという事にさせていただきたいんですけど。」
「あ、そう。」
 半分は、よそへ持って行くんだろう。こんな高級のウイスキイなら、それは当然の事だ、と私はとっさに合点して、
「おい。」
 と女房を呼び、
「何か瓶を持って来てくれないか。」
「いいえ、そうじゃないんです。」
 と丸山君はあわて、
「半分は今夜ここで二人で飲んで、半分はお宅へ置いて行かせていただくつもりなんです。」
 私は、丸山君をいよいよ洒落たひとだ、とうなるくらいに感服した。私たちなら、一升さげて友人の宅へ行ったら、それは友人と一緒にたいらげる事にきめてしまっていて、また友人のほうでも、それは当然の事と思っているのだ。甚だしきに到っては、ビイルを二本くらい持参して、まずそれを飲み、とても足りっこ無いんだから、主人のほうから何か飲み物を釣り出すという所謂いわゆる海老鯛えびたい式の作法さえ時たま行われているのである。
 とにかく私にとって、そのような優雅な礼儀正しい酒客の来訪は、はじめてであった。
「なあんだ、そんなら一緒に今夜、全部飲んでしまいましょう。」
 私はその夜、実にたのしかった。丸山君は、いま日本で自分の信頼しているひとは、あなただけなんだから、これからも附合ってくれ、と言い、私は見っともないくらいそりかえって、いい気持になり、調子に乗って誰彼を大声で罵倒ばとうしはじめ、おとなしい丸山君は少しく閉口の気味になったようで、
「では、きょうはこれくらいにして、おいとまします。」
 と言った。
「いや、いけません。ウイスキイがまだ少し残っている。」
「いや、それは残して置きなさい。あとで残っているのに気が附いた時には、また、わるくないものですよ。」
 苦労人らしい口調で言った。
 私は丸山君を吉祥寺駅まで送って行って、帰途、公園の森の中に迷い込み、杉の大木に鼻を、イヤというほど強く衝突させてしまった。
 翌朝、鏡を見ると、目をそむけたいくらいに鼻が赤く、大きくはれ上っていて、鬱々として楽しまず、朝の食卓についた時、家の者が、
「どうします? アペリチイフは? ウイスキイが少し残っていてよ。」
 救われた。なるほど、お酒は少し残して置くべきものだ。善いかな、丸山君の思いやり。私はまったく、丸山君の優しい人格に傾倒した。
 丸山君は、それからも、私のところへ時々、速達をよこしたり、またご自身迎えに来てくれたりして、おいしいお酒をたくさん飲めるさまざまの場所へ案内した。次第に東京の空襲がはげしくなったが、丸山君の酒席のその招待は変る事なく続き、そうして私は、こんどこそ私がお勘定を払って見せようと油断なく、それらの酒席の帳場に駈け込んで行っても、いつも、「いいえ、もう丸山さんからいただいております。」という返事で、ついに一度も、私が支払い得なかったという醜態ぶりであった。
「新宿の秋田、ご存じでしょう! あそこでね、今夜、さいごのサーヴィスがあるそうです。まいりましょう。」
 その前夜、東京に夜間の焼夷弾しょういだんの大空襲があって、丸山君は、忠臣蔵討入うちいりのような、ものものしい刺子さしこの火事場装束で、私を誘いにやって来た。ちょうどその時、伊馬春部君も、これが最後かも知れぬと拙宅へ鉄かぶとを背負って遊びにやって来ていて、私と伊馬君は、それは耳よりの話、といさみ立って丸山君のおともをした。
 その夜、秋田に於いて、常連が二十人ちかく、秋田のおかみは、来る客、来る客の目の前に、秋田産の美酒一升瓶一本ずつ、ぴたりぴたりと据えてくれた。あんな豪華な酒宴は無かった。一人が一升瓶一本ずつを擁して、それぞれ手酌で、大きいコップでぐいぐいと飲むのである。さかなも、大どんぶりに山盛りである。二十人ちかい常連は、それぞれ世に名も高い、といっても決して誇張でないくらいの、それこそ歴史的な酒豪ばかりであったようだが、しかし、なかなか飲みほせなかった様子であった。私はその頃は、既に、ひや酒でも何でも、大いに飲める野蛮人になりさがっていたのであるが、しかし、七合くらいで、もう苦しくなって、やめてしまった。秋田産のその美酒は、アルコール度もなかなか高いようであった。
「岡島さんは、見えないようだね。」
 と、常連の中の誰かが言った。
「いや、岡島さんの家はね、きのうの空襲で丸焼けになったんです。」
「それじゃあ、来られない。気の毒だねえ、せっかくのこんないいチャンス、……」
 などと言っているうちに、顔はすすだらけ、おそろしく汚い服装の中年のひとが、あたふたと店にはいって来て、これがその岡島さん。
「わあ、よく来たものだ。」
 と皆々あきれ、かつは感嘆した。
 この時の異様な酒宴に於いて、最も泥酔し、最も見事な醜態を演じた人は、実にわが友、伊馬春部君そのひとであった。あとで彼からの手紙にると、彼は私たちとわかれて、それから目がさめたところは路傍で、そうして、鉄かぶとも、眼鏡も、かばんも何も無く、全裸に近い姿で、しかも全身くまなく打撲傷を負っていたという。そうして、彼は、それが東京に於ける飲みおさめで、数日後には召集令状が来て、汽船に乗せられ、戦場へ連れられて行ったのである。
 ひや酒に就いての追憶はそれくらいにして、次にチャンポンに就いて少しく語らせていただきたい。このチャンポンというのもまた、いまこそ、これは普通のようになっていて、誰もこれを無鉄砲なものとも何とも思っていない様子であるが、私の学生時代には、これはまた大へんな荒事あらごとであって、よほどの豪傑でない限り、これを敢行する勇気が無かった。私が東京の大学へはいって、郷里の先輩に連れられ、赤坂の料亭に行った事があるけれども、その先輩は拳闘家で、中国、満洲を永い事わたり歩き、見るからに堂々たる偉丈夫、そうしてそのひとは、座敷に坐るなり料亭の女中さんに、
「酒も飲むがね、酒と一緒にビイルを持って来てくれ。チャンポンにしなければ、おれは、酔えないんだよ。」
 と実に威張って言い渡した。
 そうしてお酒を一本飲み、その次はビイル、それからまたお酒という具合いに、交る交る飲み、私はその豪放な飲みっぷりにおそれをなし、私だけは小さい盃でちびちび飲みながら、やがてそのひとの、「国を出る時や玉の肌、いまじゃ槍傷刀傷。」とかいう馬賊の歌を聞かされ、あまりのおそろしさに、ちっともこっちは酔えなかったという思い出がある。そうして、彼がそのチャンポンをやって、「どれ、小便をして来よう。」と言って巨躯きょくをゆさぶって立ち上り、その小山の如きうしろ姿を横目で見て、ほとんど畏敬いけいに近い念さえ起り、思わず小さい溜息ためいきをもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では無いほどだったのである。
 それがいまでは、どんなものか。ひや酒も、コップ酒も、チャンポンもあったものでない。ただ、飲めばいいのである。酔えば、いいのである。酔って目がつぶれたっていいのである。酔って、死んだっていいのである。カストリ焼酎などという何が何やら、わけのわからぬ奇怪な飲みものまで躍り出して来て、紳士淑女も、へんに口をひんまげながらも、これを鯨飲げいいんし給う有様である。
「ひやは、からだに毒ですよ。」
 など言って相擁して泣く芝居は、もはやいまの観客の失笑をかうくらいなものであろう。
 さいきん私は、からだ具合いを悪くして、実に久しぶりで、小さい盃でちびちび一級酒なるものを飲み、その変転のはげしさを思い、呆然ぼうぜんとして、わが身の下落の取りかえしのつかぬところまで来ている事をいまさらの如く思い知らされ、また同時に、身辺の世相風習の見事なほどの変貌が、何やら恐ろしい悪夢か、怪談の如く感ぜられ、しんに身の毛のよだつ思いをしたことであった。

 【了】

 

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